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第一章:8

 その青い塔は、自転車を漕いで十分くらいの場所にある。ぼくの家の前を流れる川と、他の二つが合流する場所の付近に立っている、そう高くはない塔だ。しかし高層建築が他に存在しないため、この辺りでは一番の絶景ポイントだろう。今まで行った事すら無かったが、けれど目立つ建物なので存在自体は知っていたし、駅前に出るバスの車窓からいつも眺めていた。

 何となく遠足気分で、その前日の晩も中々に寝付けなかった。きっとぼくは、性分が子供じみているんだと思う。けれどそれは、中学二年生であれば充分に普通で、他のクラスメイト達と大した違いなんて無いと思う。

 特にぼくの心を乱していたのが二人の、女の子の参加者の存在だ。別に近場へ遊びに行くだけなのだけれど、しかしぼく達がたった今、思春期という厄介なものに囚われているお陰で、ぼくの心は大きく不安定になっていたんだ。

 やはりぼくは明け方近くまで眠りに落ちる事ができず、その三時間後にはまた、うるさい目覚まし時計のベルにたたき起こされた。

 眠い目を擦りながら洗面所で顔を洗い、適当に着替えを済ませて居間に降り、未だ寝ている母と祖母に気を遣いながら静かに朝食の支度をする。いつも通りの日曜の朝だ。

 壁に掛かった時計の針を確認し、集合の約束をした時間まであと一時間あることを確かめ、むしゃむしゃと焼きあがったトーストをほおばっていた時、玄関のチャイムが鳴動した。

 ちくしょう。何だって最近は、人の貴重な朝食時間に邪魔が入るものだ。ぼくは半ばうんざりしながら、玄関の扉を開けた。

「ちょっと早すぎたかしら?」

 軒先に立っていた人物を見ても、ぼくはいよいよそれが誰だか分からなかった。淡い青色の、涼しげなワンピースを纏い、つばの大きな帽子を被った、髪の長いかわいらしい少女がそこに立っていた。

「……何よ?」

 頭の先から足の先までしげしげと眺めていたぼくに、ちょうど一週間前の牧村と全く同じ反応をしたその少女の顔を見て、ぼくはやっとその少女が牧村菖蒲である事に気が付いた。

「いや……、誰だかわかんなかった。なんか、いつもと雰囲気違うじゃん」

「そう?」

 なんとなく、だが、不覚だった。はっきり言えば、ぼくは牧村に見惚れていたんだ。

「全然。だって普段は、ほとんど男みたいなカッコしてるじゃん」

「失礼ね。いつもは動きやすいように、ジーパン履いて来てるのよ」

「あっそ。とか何とか言いながら、無理しておしゃれして来たんじゃないの?」

「なっ、ばっ、……ほんの普段着ですけど?」

 そうやってわざと失礼な事を言いながら、一瞬でも牧村をかわいいと思ってしまった自分を否定しようとしていた。そして、そんな自分が内心、たまらなく嫌だと思いながら。


 とりあえず牧村を同じように居間に通した。冷蔵庫の中に何か気の利いた飲み物でも無いかと思ったが麦茶しかなく、仕方無しにそれをグラスに注ぎ、居間まで運び牧村に勧める。

「ありがと。暑かったから助かるわ」

 そう言いながら牧村が麦茶を口にする。グラスの中で氷の塊がカランと音を立てる。

「あーっ、うまいっ!」

 グラスの中の液体を半分ほど飲み干した牧村が、まるでオッサンのような叫び声を上げる。

「ところで、どれくらい進んでるの?」

「女子がそんなオッサンみたいな声出すなよ。ってか、突然何の話?」

「何って何よ。飛行機に決まってるじゃない。ひ・こ・う・き」

 牧村がとても不満そうに、まるでバカを見るような目で言う。

「どれくらい進んでるかって、毎日一緒に見てるじゃんかよ」

「見てたって、分かるわけ無いじゃない。こっちは素人なんだから」

 確かにね、それもそうだ。毎日作業を見ていたって、右も左も分からないような人にすれば、作業の進行状況なんて分かる道理が無い。

「まあ、順調ではあるよ。作りやすいように設計してるから、そんなに時間も掛からないだろうし」

「ふうん。それで、誰が乗るの?」

「多分、俺。やっぱり機体は少しでも軽いほうがいいから。三人の中だと、俺が一番軽いし」

 実は、それが一番の問題だった。人力飛行機であるから、出力は操縦者の脚力に依存する。三人の中では藤原が一番ハイパワーなのだが(自転車と荷物満載のリアカーを自転車で引っ張れるほどに)、けれどその分、体重が重い。太っているわけではないが、けれど並みの中学生にしては筋肉ムキムキでガタイが良すぎるのだ。すると瀬川かぼくなのだが、春にあった身体測定で、瀬川のほうが三センチ高くて、四キロ重かった。

「なるほど、少しでも軽いほうがいいのね……」

 そう言いながら牧村は何かを考えているようだった。そして唐突に

「じゃあ、私にやらせてくれない?」

「……ん?」

「パイロットよ。私にやらせて!」

 思わず、口に含んでいた麦茶を噴き出しそうになった。

「なんで?」

「あんたなんかより、私のほうがよっぽど軽いわよ?」

 確かにいくら俺が一番軽いって言っても、六十キロ近くはある。牧村なら、まあ二十キロくらいは軽いだろう。でも、いくらなんでも無茶だ。

「いやいや、ちゃんと飛ぶかも分からないのに、危なくて乗せらんないよ」

「何よ、自分で作ってるくせに自信ないの?」

 そういう訳ではないが、けれど文化祭の当日、いきなり校庭に着陸した飛行機から牧村が降りてきたら、それはそれでかなりの問題になりそうだ。

「そんな事は無いけど……。それに、ああいうのって結構体力いるぜ? いくら暴力バカの牧村でも……」

「誰が暴力バカだって?」

 例えば格闘戦では、体重が軽い者は不利だ。拳を握ったところで重さが無い分、相手へのダメージは大した事は無い。けれど関節技というのは、体重に関係なく、上手に相手の関節を封じる事ができれば、大いに有効なのだ。

 そしてこの牧村菖蒲が得意としているのは、サブミッションだった。

「口で言って分からないなら、体で教えてあげるわ」

「い……、ぎぎぎ」

 腕の関節が変な方向を向いて、ぎしぎしときしむ。警察官が被疑者を確保するように、ぼくはうつぶせに倒され、馬乗りの牧村に掴まれた左腕が関節の稼働範囲外の方向に曲げられる。

「ギブ、ギブ、ギブ……」

「まだ分からないようなら、もっとキツイのをお見舞いしましょうか? 何がいい? 腕ひしぎ逆十字? それとも卍固め?」

 これでは暴力バカでは無いと否定のしようが無いと思うのだが。


 そんな事をしていたから、玄関のチャイムが三回ぐらい連打された事にも、玄関のドアが開いた事にも全く気付かなかった。

「ういーっす、守屋あ、勝手に上がらせてもらうよ」

 ふと見ると、ぼく達のすぐ脇に藤原が立っていた。

「…………」

「…………」

「…………悪い、何か俺、お呼びじゃなかったか?」

 この光景が、藤原の目にどう映ったんだろう。ヤローの家に女の子がいて、ヤローが横になっていて、そのヤローの上に女の子が馬乗りになっているこの光景が。

 それが一体どう見えたのはあまり想像したくないが、けれど藤原にはそんな風に見えたらしい。

「朝っぱらからいちゃつきやがって! ちくしょうめー!!」

 それからが大変だった。なんだか叫びながら走って逃げ出した藤原を、なんとか説得しながら追いかける。

「待て、落ち着け、せめて話を聞け!」

「うるせー裏切り者! 朝からあんなかわいい子を連れ込んでニャンニャンしやがって!!」

「誤解すんな! お前が思っていることと現実とにはかなりの食い違いがある!」

「じゃあ何か? 朝からじゃなくて昨夜からだってのか!?」

「ちがうわ! そもそもあの子は、牧村だ!」

 その言葉に藤原は目をぎょっとさせた。

「まさかお前、あの牧村とそんな関係だったのか!? 余計ひどいわ!!」

 そしてさらに、藤原の走る速度が二割くらい速くなる。

「そんな訳あるか! そもそもが誤解だ!」

「誤解も六階もねーよぉ!!」

 本気で訳の分からないことを吠えながらスピードアップした藤原に三馬身くらい離された所で、自転車に乗って向こうから走ってきた瀬川とすれ違った。

「なんだお前ら、朝っぱらから元気いいな。鬼ごっこか?」

「そんな楽しそうに見えるか? いいから藤原を捕まえてくれ!」

「あっそ、なんだかよく分からないけど」

 なんだかつまらなそうに答え、

「りょーかい」

 そのまま瀬川は自転車の後輪を横にスライドさせ、ドリフトするように半回転して方向転換すると、そのまま真っ直ぐに藤原の背中に突っ込んでいった。

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