第一章:3
「これが図面だよ。まだラフだけどね」
そういってぼくは、誰もいない教室の机の上に、大きめの模造紙に書いた図面を広げ、それを二人に見せた。ラフ画とはいえ、参考程度に寸法なども細々と書いておいた。上面、左側面、正面から描いた三面図だ。主翼は胴体より上に付いている高翼機で、長い翼の先端は、失速限界を上げるために、上向きに折れている。カプセル状のコックピットと尾翼の間は、軽量化のため、ほぼパイプ材のみ、といった構成で、そのパイプの内側に、尾翼の操作用のワイヤーを通す設計だ。
動力は自転車を改造したペダル漕ぎ式で、チェーンとスプロケットを介して後方に動力を伝え、主翼より後ろ、胴体の両脇にプロペラを二組備えた、双発機だ。
「問題は、強度なんだ」
ぼくは図面を広げながら、みんなに説明した。
「テレビでやってる人力飛行機を見てれば分かると思うけど、一番大事なのは、いかに軽く、丈夫に作るかなんだ。よくいるだろ、主翼が根元から折れて墜落するやつ」
「ああ、よくいるよな。あれが一番恥ずかしい」
「揚力は全て主翼で受け持って、胴体はただの錘に過ぎないから、どうしても翼の付け根に力が掛かりすぎるんだ。かといって、骨組みを太くしたり、多くしたりすると、今度は重くて飛べなくなる」
「うん、なるほど」
「じゃあどうすんのさ?」
藤原が尋ねた。
「うん、張り線を使おうと思ってる」
「張り線?」
「漫才で引っ叩くやつだろ?」
笑いながら素振りをする瀬川の頭を、軽く引っ叩いた。
「ちゃうわい。……これだよ」
そう言ってぼくは、ごちゃごちゃとした鞄の中から、太い糸を取り出した。魚釣りに使うテグスの、径の太いものだ。
「これを補強に使うんだ。これを主翼の下面から、胴体の下まで結ぶんだよ」
いいながら、ぼくは図面上の主翼の翼端と付け根の中央付近から、胴体の下部まで引いた直線をなぞった。
「なるほど、こうすれば主翼が上向きに折れそうになっても、張り線が突っ張って、広がらなくなるわけか」
「そう、さらに、主翼全体で胴体の重さを支えられるって訳」
「もう一つ重要なのは、やっぱりバランスだな」
脇から口を出してきたのは藤原だった。意外な事に藤原にも、手投げ飛行機を自作して飛ばす趣味があったのだ。
「そうだな、バランスが重要だ。離陸と同時に水没する連中は大概、機体の重心バランスが悪い。重心は、前過ぎても、後ろ過ぎても上手く飛べない」
「机上の計算で理想的なのは、主翼の前から三分の一地点かな」
藤原は、図面上の一点を指差した。
「計算しながら図面を引いてみたんだけど、こればっかりは実際に作ってみないと分からない事もあるからね。少しずつ調整していこう」
飛行機の製作場所は、ぼくの自宅のガレージとした。ここはそこそこの大きさがあり、機体を組み立てるのにちょうど良かった。ぼく達は、放課後は毎日のようにここに集まり、飛行機を組み立てることに決めた。
「よし、じゃあ行こうか」
「……どこへ?」
「決まってんだろ、買出し」
そうと決まれば早速準備に取り掛かろう、という膳は急げの精神がむき出しなのが、瀬川の長所だと想う。けれども、いくら何でも今から行こうと言うのはどうかと思う。放課後だから既に太陽は西へと傾いているし、まだ帰宅していないから制服のままだし、そもそも金が無い。
「シケてんなあ、おい」
「んな事言ったって、そこまで急ぎとは思わないだろ?」
そう反論すると、瀬川はやれやれとオーバーなアクションをとる。
「鉄は熱い内に打たなきゃいけないんだよ。分かってねえな」
仕方ない。こうなってしまったら、誰も瀬川を止めることなんてできないんだ。一度動き始めた瀬川は、ブレーキのイカレた暴走トラックよろしく、どこまでも突き進む。それは、ぼくら全員よく知っている事だ。そして、その暴走を止める事ができる人物が、たった一人だけ存在していることも。
なんて思考を巡らせている内に、ぼく達の背後から暴走トラック野郎瀬川に急ブレーキを掛ける事のできる、唯一の声がした。
「あんた達、何やってるのよ」
びくりと全身を痙攣させるように後ろを振り返ると、教室のドアの前に、二人のセーラー服が立っていた。
「……よお、委員長。こんな時間にどうした? 珍しく居残りか?」
「そんなわけ無いでしょ? あんたと一緒にしないで。委員会よ。あんた達こそ、何やってるのよ」
そこにいたのは、クラスのボス、学級委員の牧村菖蒲だった。
やばい。ぼくは直感的にそう感じ、慌てて机に広げていた飛行機の設計図を折りたたんで背中に隠した。
「いや、別に。何もして無いさ」
「うそ。今何か隠したでしょ?」
「え、何の事かな?」
ふーんと目を細めながら、そのセーラー服を纏った少女が近づいてくる。
「うそね。何か隠してるでしょ? 三バカが揃いも揃って、何もしてない訳が無い」
「ひどい言われようだ……」
とか何とか言ってごまかそとしているが、どうしてもこの牧村にだけは頭が上がらない。というか、逆らったところで到底敵う相手ではない。
「何か悪巧みしてるんじゃないでしょうね?」
「いやいやいや、そんな、滅相もございません」
「そうやって必死になってるのが怪しいんだけど」
目を細めたままぼくたちの顔を覗き込むように凝視される。そして思わずぼくらは目を逸らした。
「……まあいいわ。早く帰りなさいよ」
それだけ言って牧村は満足したのか、くるりとスカートをひるがえし、教室から足早に出て行った。
「……危なかった」
本当は、この飛行機製作は、誰にも秘密で行いたかった。実はぼく達にはある計画があった。それは十月に行われる文化祭の当日に、自作飛行機のロールアウトを行う、というものだった。どうせやるなら派手にいこう、という瀬川の意見に反対する奴はいなかった。文化祭の真っ只中に、学校まで飛行機で飛んでいき、校庭に着陸して見せるのだ。きっとグラウンドを使った催し物を企画する団体もいないだろうから、校庭はいい滑走路になる、というのが瀬川の見解だった。
別に目立ちたがりたい訳でもないが、いっその事学校中の度肝を抜いてやろう、というわけだ。その為には、牧村に計画がばれるのが一番まずい。
何はともあれ、タイムリミットはあと三ヶ月も無い。ぼく達はずぐに飛行機の製作に取り掛かる事にした。図面から必要な量の材料を算出して、結局その日の内に瀬川に引っ張られるように近隣のホームセンターへ資材の調達に向かった。そのとき荷物の運搬用に、学校の備品であるリヤカーを拝借したのが原因で、あの女に見つかったのかもしれない。まあ、それはもう少し後の話なのだが。