第一章:2
ぼくは仲間ができたことが素直に嬉しかった。
今までは、ただ漠然と、空への憧れを抱いていただけだった。それはあくまで、ぼく個人の中だけで完結していた想いだったのだけれど、いざ他人と分かち合ってみると、なんとも楽しげなものだと気付いたのだ。こんなに身近に、この楽しみを共感してくれる人がいたとは、思ってもみなかった。
それからというもの、ぼくと瀬川は、共にラジコン飛行機を作っては飛ばし、競い合い、曲技飛行の腕前や、工作技術をどんどん磨いていった。
それから一年ほど過ぎた、七月のある日のことだった。いつものように自宅のガレージでラジコン飛行機の製作作業を行っていた時のことだ。この頃は、もう市販のキット製作には飽きて、飛行機の設計から自ら手がけた、完全なオリジナル機の製作に着手していた。機体形状や翼断面形などを、今までの経験や書籍を頼りに独学で学んだ航空力学に基づき設計して、組み立てていく。
バルサ材の薄い板から、図面どおりの形状の、翼断面形の骨組みを切り出していた時のことだ。ぼくの隣で瀬川は、一足先に組み立てが終わっていた、骨組みだけの主翼を眺め、何やら考え込んでいた。主翼の歪みでも確認しているのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
「……なあ、守屋」
ふいに瀬川が話しかけてきた。ぼくは何かやっている最中に話しかけられるのはあまり好きではない。
「何だよ」
訝しげに答え、ちらりと瀬川の顔を覗くと、いつになく真剣な顔をしていたので、仕方無しにぼくは持っていたカッターナイフとバルサ板を手近な作業台の上に置いた。
「俺、前々から思ってたんだけどさ」
「おう」
「模型じゃなくて、本物作らないか?」
「はあ? ホンモノ?」
「そう、本物。ちゃんと人間の乗れるやつ」
冗談なのかと思ったが、瀬川の目は至ってまじめだった。瀬川はとてもユーモアのセンスに溢れた奴で、いつも冗談を言ったり、教師陣の物まねなどをしてクラスの笑いをとっていた。
いつだったろうか。瀬川がある教師の物まねをクラス中に流行らせた。その教師は、講義の最中に、ずっと両腕をリズミカルに、前後にゆらゆらと揺らしているのだ。瀬川はその教師の名前を、妙な歌にして歌いながら腕を前後に振り、クラスの笑いを取っていた。ある日、その教師とは全く関係の無い教科の始業の時、クラス全員で腕を前後に揺らしながら、教師を迎えた。その教師はクラス全員が腕をリズミカルに振り続けている、という異様な光景を目の当たりにして、その行為が何だったのかを瞬間的に悟ったらしく、口元を押さえ悶絶しつつ廊下に飛び出し、教室の外で大爆笑していた。
そんないつもの瀬川流ジョークのつもりなのかと思ったのだが、けれどその一方で、瀬川は一度決めた事、やると言ったことは最後までやらないと気がすまない男だった。
「楽しそうだと思わないか?」
「そりゃあ、楽しいだろうけどさあ」
「だろ? だったら作ろうぜ」
「本物って言ったって、そんなの作れんのかよ、俺達に。そりゃあ、俺だってそういうのに憧れはしたけど。人が乗れるやつだろ?」
「別にラジコン作れるんだから、不可能じゃないだろ。大きさが違うだけで」
「だって材料とか、エンジンとかはどうする気だよ?」
確かにぼくは、自作の有人飛行機に乗って、空を飛んでみたい、と漠然とした夢を抱いていた。空を飛びたい、という夢を叶える為に、翼は自分で作る。それはたぶん、ごく自然な事だと、勝手に思っていた。
けれどそれはあくまで「やってみたい」というだけの空想みたいなもので、ましてや中学生くらいの技術や経済力で実現させようなんて、はなからとても無理だと、考えても見なかった。
「いいんだよ、エンジンなんて。さすがの俺も、そんな立派なものを作ろうなんて思ってないって」
「エンジン無し? グライダーか?」
「違う違う、あれだよ、エンジン」
そういって瀬川は、ガレージの片隅を指差した。
「あれって、まさか」
「そう。エンジン」
そこに置いてあったのは、俺の自転車だ。
「ああ、なるほどね」
ぼくは自然に声が漏れていた。確かなるほど、人力は思いつかなかった。いや、確かに毎年、人力飛行機で飛行距離を競う大会があるのは知っていたし、テレビ中継も欠かさず見ていた。けれど、それこそテレビの中の世界でしかないと、勝手に決め付けていた。飛行機というのは原動機を積んでいるものだという、先入観があった。だから、あれに参加する気もさらさら無かったし、考えても見なかった。
人力飛行機であれば、高価なエンジンを用意する必要も無い。動力の大部分も、自転車を一台潰せば手に入る。機体だってそう大きくはならないから、材料費の心配も大して必要ない。ただ、
「工作するにしたって、たった二人で作るのか? ちょっと心細いだろ」
というのが、ぼくの懸案だった。件の人力飛行機大会の参加者は、大半が大学生で、それもサークル単位で参加しているのだ。いくら人力とはいえ、設計や製作には、かなりの人数が関わっているはずだ。しかしそれに関して、瀬川は大して気にしてはいないようだった。というよりも、何か心当たりがあるようで、何やら得意げな顔をしている。
「あんまり増えすぎても困るだろうけど、あと二、三人だったら、何とかなるだろ。ちょっとな、誘ってみたい奴がいるんだ」
と、どうにも能天気な答えが返ってきた。そして、「まかせとけ」と付け加えた。
その日のラジコン製作はそれで中断となり、残りの時間は人力飛行機の企画会議となった。まあ、会議なんて言えるほどの内容ではないけれど。結局決まったことは、一人乗りの足漕ぎを作ること、ぼくが飛行機の設計を、瀬川が人集めをすることだけだ。それだけ決めて、この日は解散となった。
ぼくは正直な所、嬉しさが半分と、不安が半分だった。
空を飛ぶ夢が叶うのが、意外と早く訪れそうだった。やっぱり、ぼくがラジコン飛行機を作りながら思っている事は、空を飛びたい、という事だ。
さすがに自分ひとりで空を飛ぶ事はできないから、ぼくはラジコンを作り、それを飛ばしていた。
完成したばかりのラジコン飛行機を、グラウンドへ持って行き初飛行を行う。このときばかりは何度やっても緊張する。なんせ初めて飛ばす機体だから、ちゃんと飛ぶかどうかも分からない。機体の癖や飛行特性も全く分からない。それをちゃんと飛ばせるかどうか、それは飛ばしてみるまで分からないのだ。地面をけって滑走していく飛行機を、ぼくはそのたび、どきどきしながら見送る。やがて速度を上げ、ランディングギアが地面を離れる。エレベーターを上げ、高度を上げる。ふわりという浮遊感と共に、飛行機は空へと舞って行く。
その瞬間は、ぼくはとても不思議な感覚に囚われる。ぼくは地面に立って、送信機を持ち、飛行機を操縦している。しかし、もう一人の自分は、飛行機と一体になって、大空を飛んでいるのだ。空を舞うラジコン飛行機は、まるで自分自身の分身のようだった。地上と上空と、二つに分離したぼくの感覚は、けれど繋がったままで、大空へと溶け込んでいくようだった。
けれど失敗する事もある。もしも機体の設計がうまくいっていなかったら。工作に不備があったら。大風に煽られたら。機体のバランスが崩れていたら。そういう場合、離陸した飛行機は、ものの数秒で墜落してしまう。エンジンの回転モーメントを受け、機体は簡単に左に舵を取られる。そして勝手に左旋回をしながら、機首があっという間に下を向き、地面にまっ逆さまに刺さっていく。そうなったら最期、どれだけ時間をかけて作った飛行機でも、一瞬の内に木っ端微塵になってしまう。
今から作ろうとしているのは、無人のラジコンではない。人が乗るのだ。万が一墜落でもして、けがでもしたらどうしようか。
そしてもう一つ。
仲間が増える事は、素直に嬉しいと思った。しかし、瀬川が一体どんな人間を連れてくるのか、というのが、不安でならなかった。誘いたい奴がいる、と瀬川は言っていたが、一体誰なのだろうか。瀬川の人選を疑うつもりは無いが、全く面識の無い人間ばかり集められ、ぼく一人が蚊帳の外になってしまう事を恐れていたのだ。
それに、仮にどんな奴を連れてきたとして、そいつが役に立つかどうかも不安だった。今回は、今までのようなおもちゃを作るのとは訳が違う。生半可な技術も無いような人選だったら、飛行機を飛ばすどころか、完成させる事さえできないだろう。
瀬川を信じるしかないな。
まあ翌日になり、その不安はすぐに解消された。
その日ぼくは授業もろくに聞かず、人力飛行機の機体や駆動部のアイデアを、ノートの隅にスケッチしていた。これは昨夜の晩からずっと続けている。瀬川は朝のホームルームの前にぼくのところへやってきて、ぼくが設計に勤しんでいることを確認して以降、ぼくの元には顔も出さず、休み時間になるたびにどこかへ行き、誰かと話していた。
そしてその日の放課後、瀬川はぼくに新しいメンバーを紹介した。いや、紹介したというのは間違いだ。ぼくはそいつを、以前から良く知っていた。知っているも何も、なんてことは無い、隣のクラスの藤原悠介だった。というより、これではいつもつるんでいるメンバーじゃないか。どこかへ遊びに行くときも、何かをするときも、いつもこの三人組で歩いていた気がする。一年のときは全員同じクラスで、三バカなんて言われていた。
「何だよ、お前かよ」
「何だとは何だ、失礼な奴だ」
藤原に笑いながら抗議され、ぼくはひどく安堵し、大きなため息を一つ吐いた。これは後から聞いた話なのだが、この話の言いだしっぺは藤原らしかった。もともと藤原が人力飛行機の大会に感化され、いつか作ってみたい、という話をしていたのを瀬川が小耳に挟んだらしく、この話を持ちかけたらしい。
類は友を呼ぶというか、いつもつるんでいた連中が、そろいも揃って飛行機に熱を上げていたなんて。
それから、ぼく達の人力飛行機製作は始まった。