第一章:10
それから二か月ほどの時間は、あっという間に過ぎた。
長かった夏休みのほとんどは機体の工作につぎ込み、ようやくこの日、機体の完成にこぎつけた。
文化祭当日の朝だ。
ぼく達は明け方早くに集まって、離陸の準備に取り掛かっていた。
前日の夜中に、完成した機体を一度分解し、ある場所へと搬入していた。
「薄暗いから、足元に気をつけろよ」
工事用のフェンスをこじ開け、立ち入り禁止区域に足を入れる。そこは、近所にある架橋工事現場だ。
随分前から工事が始められたものの、橋の基部だけ出来上がって、長らく休工している場所だ。
ぼく達は、この場所を滑走路に決めていた。
中途半端に完成した道路は、台地に開けられたトンネルから伸び、河川敷を目指して一気に下っている。そして、ちょうど下りきったところで途切れているのだ。
ここなら、トンネルの中に機体を隠しておけるし、傾斜を利用して加速もしやすい。道路の終端に置いてあるゲートさえ撤去すれば、後は重力の助けを借りて、一気に離陸速度まで加速できる。
そこから先は空だ。
トンネル内には、ブルーシートで覆われ、放置された建設資材が山になって積んである。ぼくと瀬川で、そのうち一つのビニールシートをめくる。
姿を現したのは、手塩にかけて作り上げた、ぼく達の飛行機だ。夜中のうちに分解して運び込んだのはいいものの、照明のないトンネル内で、組み立てることができなかった。なので、夜が明けてから、最後の組み立てを行うことにしていた。
台車に乗せた状態で、トンネルから引き出すと、ビニール張りのキャノピーが朝日を反射させる。
胴体と左右の主翼に分解していた機体を、ぼく達はほとんど無言で組み立て続ける。空に飛ぶまでは、誰にも見つかってはいけない。さながら、秘密工作員のような作業だ。
機体を組み立て終えたところで、ぼくは操縦席に乗り込んだ。
自転車のハンドルをそのまま利用した操縦桿を動かし、接続されているエルロン、ラダー、エレベーターそれぞれの動きを確認する。ペダルを軽く漕ぎ、それに合わせてプロペラが回転する。
大丈夫、何の問題もない。
機体の外では瀬川と藤原が、手で弾きながら張り線の張力を確認している。
視線を前にやれば、牧村と安藤が滑走路上の異物を点検に行っている。
周りで心配そうに見つめる仲間たちに、コクピットに座ったぼくは、親指を立てて見せた。
「問題はなさそうだよ」
「ああ、外側も問題ない」
簡単な会話を済ませ、ぼくは腕時計に目を落とした。離陸予定まで、あと五分と少し。
離陸予定時間は、八時四十五分。学校まで距離にして二キロ、十五分のフライト予定で、ちょうど文化祭の開始時刻と同時に、校庭に姿を現す計算だ。
時計の文字盤を眺めながら、やけに遅く感じる針の動きを追い続ける。離陸まであと一分。
ぼくは大きく深呼吸をする。
よし。
「離陸するぞ!」
ぼくは大きく叫んだ。
「よっしゃ!」
同時に瀬川と藤原が答え、左右から主翼を支えるように押さえつける。
それを見合って、ペダルを漕ぎ出した。軽く回り始めたペダルは、すぐにくそ重たい自転車のような手ごたえに変わる。それもそうだ、ペダルの回転は、全てプロペラに伝わっている。プロペラが気流を作り始めた証拠だ。この時ばかりは、空気の粘り気というものを直接感じられる。
ペダルの回転数を上げるごとに、コクピットの後部では、ぼくの身長ほどもあるプロペラが、風切音の呻りを上げる。
ゆっくりと、推力を得たプロペラが機体を前に押し出そうとする。その力を、瀬川と藤原が押さえつけている。
この飛行機の推進力は、全てプロペラだけが請け負っているから、プロペラが十分な推進力を得られるまでは、この体勢で耐えなければならない。
全身の力を込めて、ペダルを漕ぎ続けるうちに、機体を抑える二人も、辛そうな表情を浮かべる。
「そろそろ限界だ、放すぞ!」
叫ぶと同時に、二人が手を放す。
するりと動き出した機体は、じわり、じわりと速度を上げていく。下り勾配に差し掛かり、さらに速度を得た機体は、どんどん河原に向かって突き進んでいく。ラダーを調整しながら、機体をまっすぐ、道路のセンターラインに合わせて誘っていく。
並みの自転車くらいのスピードが出たところで、急にタイヤの接地感が失われた。翼が揚力を得て、離陸速度に達したのだ。
もう目の前には、道路はなかった。
ふわり、とした浮遊感。
ぼくの目の前には、夢にまで見た空が、どこまでも広がっていた。
「やった、飛んだぞ!」
ぼくは振り返りながら、叫んだ。ついさっきまでぼくがいた滑走路が、小さく見える。その先端では、瀬川たちが大きく手を振っているのが見えた。
ぼくも手を振り返そうかと思ったが、操縦桿から手を離すわけにはいかなかった。手を振る代わりに、機体を左右に振る。
そのまま大きく右旋回をして、進路を学校の方向にとった。
おそらく今は、地上に残った瀬川たちが、自転車を全力疾走させて、ぼくの乗った飛行機を追いかけていることだろう。
でもぼくには、下を向いてそれを確かめる余裕なんてなかった。
下なんて向いていられない。
目の前には、夢にまで見た大空が広がっているのだから。
機体は至って安定した飛行をしていた。
まっすぐに、学校の時計塔を目印に進んでいく。今日は風も穏やかなので、絶好のフライト日和だ。
だんだんと校舎の影が大きくなっていく。あともう少しで、到着だ。
チャイムが鳴り響き、文化祭が始まったことを告げていた。
タイミングもぴったりだ。今、この瞬間に校庭に着陸してやる。
ぼくは機首を少し右に振ってから、高度を下げつつ、左旋回で学校の真上を飛びぬける。
「おい、なんだあれ!」
「飛行機?」
「すげーな!」
文化祭の看板が並べられた校舎の窓から、大勢の生徒や教師が外を、ぼくの乗った飛行機を見上げている。
ぼくはそのまま校舎の上を一周して、一旦学校から離れる。着陸ラインに乗せるため、左に急旋回しながら、もう一度学校に向き直った。
その瞬間。
すぐ右から、バツン、という大きな音が聞こえた。
驚いて音のした方を見ると、胴体と主翼を止めていた、強度の要である張り線が一本、風になびいていた。
「え、おい、うそだろ!?」
どうやら今の急旋回で、張り線が張力の限界を超え、切れてしまったらしい。
「おいおい、ここまで来てこれはねーだろ! 頼む、着陸するまで保ってくれ!」
大丈夫だ、左右で五本ずつある張り線の一本が切れたくらいなら、まっすぐ飛んで校庭に着陸するまでは平気だ、そう自分に言い聞かせながら、ペダルを漕ぐ足に力を入れる。
しかし、ここに来て突風が機体を襲う。
「うっ!」
操縦桿をひねりながら、機体姿勢を水平に保つ。左に流された分、右に舵を切りながら進路を修正する。
バツン、バツン!
今の機動が、さらに機体を襲う。ただでさえ張り線が一本切れていた分、残ったほかの張り線は、あっさりと切れていく。
「待て、やばいやばい!」
もう学校は目の前なのに!
ぼくの頭上では、主翼の付け根がみしみしと軋む音が鳴り止まない。このままでは、主翼が根元から折れるのは時間の問題だ。
学校の手前にある、最後の民家の屋根を飛び越えて、校庭の真上に辿り着いた瞬間。
主翼が、真っ二つにへし折れた。
揚力を失った機体は、重力に任せるまま、学校のグラウンドに吸い込まれていく。
落ちる機体の中でぼくは、やっぱりパイロットを牧村に任せなくてよかった、そう思っていた。