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放浪貴族ウォルスタ

 公爵家を飛び出して世俗のしがらみから解き放たれた放浪の身となって早数十年。そんなウォルスタの耳にもその話は入ってきた。と言うより、親戚筋からではなく巷を駆けめくるニュースとして嫌でも耳に飛び込んできた。


 甥のシーズクリフが死んだらしい。と。


 兄が公爵家を真面目に継ぐのをいいことに、ウォルスタは早々に家を飛び出して旅へ出た。もちろん公爵家の一員として各地の情報を本家に知らせることもしてはいるが、基本的にはウォルスタの好き勝手やらせてもらっている。


 元々、公爵家は3代前の王弟が興した家だ。

 王権争いに敗れた王弟は、公爵の爵位をもらうと同時に公爵家は今後一切の王政に口出しをしないと誓約をしている。そして高位の爵位を持ちながらも何も権限がない公爵家は、やがておもてなしに特化した家として外交を担うようになっていく。

 夫婦に例えるならば王家が夫で公爵家は妻。決して夫に口出しせず諾々と従いながら社交で夫の評判を上げることに苦心する。それが公爵家だ。

 ウォルスタにはそれが窮屈でならなかった。そして歯痒かった。名ばかりの公爵家が惨めでならなかった。要するに夢見がちな青年だったわけだが。

 

 ウォルスタがシーズクリフに会ったのはほんの4〜5回ぐらいだ。産まれてすぐに1回とその後はウォルスタは王国へ帰国するのに合わせて会うことが多かった。そんな時にはいつも幼馴染だという辺境伯の娘が一緒で、2人して目を輝かしてウォルスタが語る異国の話を聞いてくれた。最後に会ったのはシーズクリフが12歳の時。幼馴染が婚約者になったのだと、はにかみながら教えてくれたのを覚えている。

 ウォルスタの記憶の中ではシーズクリフはまだあどけない12歳の少年のままだ。今はもう14歳のはずだがそれにしたってまだ年若い少年だ。


「ウォルスタ叔父様、海がしょっぱいのは海に住む人達の汗だって本当ですか?」


「ウォルスタおじ様、雨が降るのは雲の上に住む人達の涙だって本当?」


 子どもの発想力は突飛がなくておもしろい。

 藪から棒に質問され、面食らったことは1度や2度ではない。


「シーズクリフ、海が汗だなんて嫌だわ。泳げなくなっちゃうじゃない!」


「カルラこそ、雨が涙なんと思ったら、作物に必要な雨が降った時に素直に喜べないよ!」


 お互いにやいのやいの真剣に言い合う様子は愛らしく、代わる代わるに質問してくるのをウォルスタも大いに楽しんだ。時にはウォルスタが持つ知識を与え、時には一緒に文献をひっくり返しながら悩んだ。

 自分の身の上の不安定さから家族を持たなかったウォルスタは、自分の得た知識をできる限り2人に伝えて後世に残したいとも思っていた。


 そのカルラが死んだと聞いた時もショックだったが、今度はシーズクリフが帝国の政変に巻き込まれて命を落としたという。

 まだ政変が治まらない帝国からの情報は途切れ途切れだが、どうやら前皇妃の皇子が反旗を翻したらしい。いずれにせよシーズクリフについては絶望的だ。

 政変が成ったのか鎮圧されたのかさえ未だわからない状態だが、何にせよ帝国の影響力は大きい。下手をすれば王国を揺るがす事態に発展しかねない。


 シーズクリフの婚約破棄に中立派を崩す陰謀が絡んでいるらしいとわかってから、それに伴う一連の動きを公爵家は丹念に調べた。予想通り我が国の王妃と帝国の宰相がこそこそとやり取りをしている証拠がボロボロと出てきた。王妃の迂闊さといざとなれば王妃を切り捨てるつもりの帝国宰相の思惑が現れている杜撰ずさんさだ。


 王妃が何を望んでいるかは考えるまでもなかった。自分の息子を次期王にしたいのだ。

 王妃の夫である現在の王は傍系出身の繋ぎ役だ。前王が死去した折に王太子殿下がまだ6歳と幼かったために急遽中継ぎとして王位についたのだ。よって今の王と王妃の息子の王位継承権は、前王の息子である王太子殿下より低い。というか確固たる線引きがされている。そんなことは分かりきっていたはずだが、王妃として持て囃されるうちに欲が湧いたのだろう。現在の王が亡き後、ただの寡婦となるのと新たな王の母となるのとでは雲泥の差がある。我が子かわいさもあったことだろう。

 もし、帝国の政変が鎮圧され、王妃と繋がっている宰相の力が盤石なものとなるようであれば、王国への干渉は更に強くなるだろう。


 ウォルスタは頭を押さえた。いくら国を離れて放浪している身とは言え愛国心はあるし、渦中に飲み込まれるであろう公爵家のことも心配だ。

 ただでさえ、シーズクリフに対しては後悔の気持ちが大きかっただろう兄夫婦が、これでどんなに気落ちしているかは想像にかたくない。

 ウォルスタはひとまず辺境伯領の国境付近から、様子を見つつ国へ戻ることにした。



 ウォルスタが目的の家に近づくと、馬車が止めてあることに気づいた。珍しいことに先客がいるらしい。しかし、街ならともかくここはこの家以外には森しかない辺境伯領の外れだ。森をうろうろしているわけにもいかないので、ウォルスタはドアをノックして家主を呼んだ。


「コルト、私だ。ウォルスタだよ。入れてもらえないだろうか」


 やがて、ドアが開くと大して広くもない室内が容易に見渡せ、先客の男と目があった。短く刈り上げた銀髪に一目で武人とわかる見事な体格の男だった。


「ウォルスタか。ふむ、ちょうどいいかもしれないな。さ、入ってくれ」


 家主のコルトは伸ばし放題の茶色い髪を無造作に束ね簡素な服を着た男だが、こう見えて貴族の端くれだ。貴族社会どころか人間社会にすら嫌気がさし、人里離れた森の近くで孤独に自給自足の生活をしている変わり者だ。公爵家のはみだし者ウォルスタと辺境伯領貴族のはみ出し者コルトはお互いに常識の枠から外れた者同士、不思議と馬があった。性格や好みは正反対だったが唯一何よりも自由を選ぶ心が2人の共通点だった。


 コルトに勧められてウォルスタが室内に入ると、早速先客を紹介された。

 堂々たる体躯を服に押し込めたような男だった。なんと、彼は現辺境伯のハノン殿だという。前辺境伯が戦争で亡くなって代替わりしたことはウォルスタも聞き及んではいたものの、こうやって実際に目にすると時の流れを感じた。


「ウォルスタはやはり、帝国の話を聞いて帰国したのか?」


 コルトが甕から水を汲んでウォルスタへ出してくれながら尋ねた。


「ああ、場合によっては王国もだいぶきな臭くなるからね。私にできることなど知れてるが、それでもね。それに、シーズクリフの事で兄夫婦はさぞかし落ち込んでいるだろうからね」


「あの、やはりウォルスタ殿の情報網を持ってしてもシーズクリフの死亡は間違い無いのでしょうか」


 ハノンが横から口を挟んできて、ウォルスタも思い出した。そうかシーズクリフの婚約者だったあの娘は辺境伯の妹だったな。と。


「残念ながら、間違いなさそうだ。政変の始まり頃に亡くなったらしい。その時期までの情報はしっかりしているんだ。ただ、それから先はさっぱり情報が出てこなくてね。結局政変がどうなって、帝国がどんな状況なのかはわからないがね」


 ウォルスタの言葉に、ハノンはそうですか。と短く答えた。


「でも、ハノン殿の妹とシーズクリフは天国で仲良くやっているかもしれないね。シーズクリフはカルラ嬢が大好きだったから追いかけて行ってしまったのかも知れないよ」


 場を和まそうと言ったつもりが、更に重くなる空気にウォルスタは目を白黒させる。コルトに目で助けを求めても、緩く首を振るばかりだ。


「それが・・・ウォルスタ殿を信用して申し上げるのですが、この事は公爵家の皆様にも秘密にしていただきたいのですが・・・」


 ハノンにしっかりと頷いて了承の意を伝えつつ、ウォルスタはハノンが迷いながらも言葉を続けるのを待った。


「カルラは・・・妹は生きているのです」


 一瞬、ウォルスタは息ができない程の衝撃を受けた。


「それは・・・・それは本当なのですか?」


「ええ、カルラは死亡した事にしましたが、今は別人として生きています。私の愛人役をやりながら今も屋敷で暮らしているんですよ」


「なんてことだ・・・」


 ウォルスタは天を仰いで亡くなった甥を思った。

 カルラと天国で仲良くしているであろうことだけが、シーズクリフを知る者達にとっての慰めだったというのに。カルラが生きていると知っていたならシーズクリフは死ななかったのではないか。そんな気さえしてくる。もちろん実際は知っていたところでどうしようもなかったことはわかっているのだが。


「いや、いや、すまなかった。カルラ嬢が生きているのは喜ばしいことだよ。気を悪くしないでもらいたい」


 ウォルスタは自らの反応を恥じて、ハノンに釈明した。


「いえ、お気持ちはわかりますので、お気になさらないでください。私こそ、これからウォルスタ殿に不躾なお願いをするつもりなのですから」


「お願い・・・ですか?」


 ウォルスタはシーズクリフも亡き今、残された辺境伯とその妹のためならばなんでもしてやりたいと思っていた。まだ小さかったカルラの好奇心で目を輝かせながら無邪気に笑う顔がまざまざと思い出されて、あの可愛い子を助けてやりたいと思った。

 が、ハノンのお願いは斜め上のものだった。


「その・・・カルラと子を作っていただけないでしょうか」


「は・・・?」


 ウォルスタは、たっぷり5秒ほど停止して考えた後、カップから水がこぼれるのも構わずに勢いよく立ち上がった。


「何を言っているんだ!?私とカルラ嬢は20歳以上離れているんだよ!?だいたいなんでそんな話になるんだい!?」


 隣ではコルトが苦笑しているし、ハノンも苦り切った表情をしている。実際にウォルスタが承諾して子作りでもしようものなら、あの腕っ節で握りつぶされそうな気がしてならない。


「事情があって、私は子を望めないのです。カルラはならば自分が産むと言うのですが、事情が特殊なので頼める人は限られますし、私とてどこの馬の骨とも知れない輩に任せたくはないのです」


「だからと言って、ねえ・・・」


「ちょうどその件でコルト伯父上に相談していたところで、ウォルスタ殿の名前も出ていたのですよ。ウォルスタ殿なら人柄も間違いないと伯父上から聞いておりますし、血脈的にも申し分ない。変なしがらみも権力欲もないでしょうから、後々問題になることもないのではと思ったのです」


 それに、とハノンは口籠もりながらも言葉を続けた。


「シーズクリフの死を聞いて以来、カルラは頑なになるばかりで。子を産むのだと、私が相手を見つけてこないのであれば、街で適当な人と子作りすると馬鹿なことを言い出す始末で。もう自分の存在意義をそこにしか感じられないようなのです。私とて兄として、カルラにはもっと自分を大事にしてもらいたいとは思っているのですが」


 いい歳をした男が3人。小さなテーブルを囲みながら大きなため息を吐いた。


「なぜ、カルラとシーズクリフが、あの可愛い2人がこんなことになってしまったのか」


 コルトがぽつりと呟くと、何を見るでもなく窓の外に目をやった。

 きっとコルトには見えているのだろう。小さなカルラとシーズクリフがこの家で遊んでいた様が。コルトもウォルスタも外れ者ゆえに2人と関わる機会は多くはなかったが、それでもなぜかあの2人はこの変わり者たちにやけに懐いてくれていた。人との関わりが面倒で隠棲したコルトと放浪するウォルスタでも、あの小さな2人に会うのは楽しかった。貴重な存在だったのだ。


「本当にね。コルトや私のような偏屈がしぶとく生き残って、シーズクリフとカルラがこんな風になるなんてね。変わってあげられるもんならいくらでも変わってあげるんだがな」


 ハノンとコルトとて、ウォルスタと同じ気持ちだった。

 シーズクリフとカルラ、どちらかを思い起こせば自動的にもう1人が思い出されるほど、あの2人はお似合いだったのに。目を瞑れば2人が並んで笑っている姿がこんなにはっきりと思い出されるというのに。

 ウォルスタはしばし目を閉じて2人へ思いを馳せた。

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