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辺境伯愛人ケイティ

 辺境伯令嬢カルラが亡くなってから6ヶ月。


 辺境伯領外れの森にある丸太小屋で、ケイティは暮らしていた。

 畑仕事をして家事をこなし、時には伯父コルトが猟で仕留めた獲物の解体を手伝いながら自給自足の生活を送っている。

 辺境伯領の娘は貴族であろうとも有事に備えて一通りの家事を仕込まれるが、実際に生活の中で行うのは勝手が違う。あり合わせの物から今後の食糧事情まで考慮しながら料理を作ったり、必要に応じて家具や服を修繕したりと、何かと工夫が必要だ。

 小さい頃に伯父のところへ遊びに来た時には、秘密基地みたいで面白い程度にしか思っていなかったが、実際に暮らしてみると大変だ。

 長かった髪をバッサリと切ったために頸が寒いが、ここでの暮らしでは髪の手入れをする余裕なんてないのだから切って良かったと思う。


 試行錯誤の日々は大変だが、ケイティにはありがたかった。ただ毎日を生きるためだけに過ごす日々は安らぎだった。ここでは外の情報が一切入ってこず、余計なことを考えないで済んだ。後々思い返せば、この半年は充実して幸せな日々だったと思う。

 足元には常に愛犬のビーがいた。白くてもふもふした毛のビーは体が大きすぎて狩猟向きの犬種ではなかったが、気概だけは大したものでよく先走ってはコルトに叱られていた。それでもちっとも懲りずに森中を駆け巡るので白い体毛は見るも無惨な有様だ。


 ただ、このコルトの小屋での思い出にはいつも幼馴染の姿があった。柱のなんてことない傷やキノコの生えた後だとか、畑の野菜を取る時でも、浮かぶのは銀髪の男の子の姿だ。どこで何をしようが思い知る。自分の思い出は全て彼に繋がっていると。

 たまに、ぽっかりと暇な時間ができることがあって、そんな時は嫌な想像や後悔をして暗い気分になってしまうこともあったけれども、ケイティはビーに抱きついて何とかやり過ごした。


 そんなある日、ついにお迎えがやって来た。


「ケイティ様。ハノン様がお呼びです」


 辺境伯家の執事クロードの訪問に、来るべき時が来たとケイティは覚悟を決めた。

 ケイティは指先まで覆い尽くすゆったりとした水色の衣装に身を包む。頭から顔にかけてスカーフを丁寧に巻き、その上から布をすっぽりと被るとケイティの姿は完全に隠される。目元のみ視界を確保するために網目状になっているが、外からは中の瞳を窺うことはできない。頭のてっぺんから足先まで布で覆い尽くす西の少数民族の衣装だ。


 ケイティは世話になったコルトに深く礼をする。コルトの気遣わしげな視線ににっこりと笑ってみたものの、この服装では自分の顔が相手に見えない事に気づいてコルトの手をぎゅっと握った。そしてクロードが待つ馬車へ乗り込んだ。ビーも後に続く。

 クロードと言葉を交わすことも馬車に乗るためにエスコートされることもない。家族以外には姿を晒さず声を聞かせず触るなどもっての外。それが西の少数民族だ。


 今、この時から私は完全に『ケイティ』になる。

 西の少数民族としての振る舞いを徹底しなければならない。

 御者台にいるクロードが何か言いたそうな目で見ていたが、ケイティは気づかないふりをした。これは私が選んだ第二の人生だ。



 辺境伯ハノンが愛人を囲ったという噂は、瞬く間に辺境伯領中を駆け巡った。それどころか、貴族の誰もが知るところだった。

 辺境伯ハノンと言えば、今まで頑なに結婚をしてこなかった大の堅物。娼館どころか酒の席に女を呼ぶことすらいい顔をしないというのに、その男が32歳にして初めて女を囲ったのだ。噂にならないわけがない。


 本来であれば正妻もとらずに愛人を囲うなど褒められたことではないのだが、辺境伯領は喜びに沸いた。

 この際、正妻かどうかは二の次であり、大事なのは世継ぎを設けること。子どもさえ作ってくれれば愛人の子だろうが構わないというのが伯爵領民の総意だった。ハノンの妹カルラが亡くなった今となっては、もうハノンが子どもを持つ以外に直系を保つ道はないのだから。


 はて、その愛人とはどのような女性なのだろうか。誰もが興味をそそられ情報を得ようと躍起になったが、ただの愛人である以上は公の場に出てくることはないし、ハノンに直接聞こうものなら鬼の形相で睨まれる。誰の目にも触れないように囲い込む様から溺愛の程が窺い知れた。


 そんな折、噂の愛人を見たという者が現れた。

 辺境伯領の筆頭家臣が、ハノンから紹介されたというのだ。


「して、その愛人はどのような方だったのです?あのハノン様を落としたのですから、さぞかし美しい人なのでしょう?」


 急遽、飲みの席が設けられ、辺境伯領家臣一同が興味津々に筆頭家臣の言葉を待っている。

 

「いや・・・それが、わからぬのだ」


 対して筆頭家臣の返答は歯切れが悪い。家臣達は顔を見合わせて質問を続ける。


「わからぬとはどういう事ですか?直接お会いになったのでしょう?」


「それが、かのお方は西の少数民族の出身らしく、全身布に覆い隠された服装をされているのだ。目元すら布で覆われていて何も見えんかった。」


「なんと!では人柄はいかがですか?何かお話しされませんでしたか?」


「いやいや、無理を申すな。西の少数民族の女性だぞ。彼女たちが家族以外と会話できるのは成人してから結婚するまでの間のみだ。伴侶を決めた後は家族以外とは女であっても会話などするわけがなかろう。私には水色の布の塊が佇んでいたという事しかわからんよ」


 筆頭家臣の言葉に集まった者達は落胆するものの、あれだけ女っ気がなかったハノンが側に置くぐらいなのだから、普通の女性であるはずがないと妙に納得した。


「しかしなあ、ハノン様は大層ご執心だ。ついに出会った女性なのだから、さもありなんとも言えるが、悪いことは言わないから愛人については触れない方が良いぞ。ちょっとした言葉から邪推されて嫉妬から変なとばっちりを受けないとも限らんぞ」


 好奇心で我が身を滅ぼしてはたまったものではない。お世継ぎさえ産まれればいいのだから、遅い春に色めくハノンはそっとしておけと筆頭家臣は釘を刺した。

 一体、愛人を紹介された場でハノンとどのようなやり取りがあったのか、筆頭家臣の顔色は青い。


「ハノン様もおカルラを亡くして、しばらくは塞ぎ込んでらっしゃいましたからね。さすがにお一人は寂しくなったんでしょう。不遇だったお嬢の分もそのそのお方に優しくしたいのかもしれませんよ」


 みんなの可愛い妹分だったカルラを思い出して、一同はしんみりした。カルラの分までハノンには幸せになって欲しいものだ。

 何にせよ、戦争の被害に前辺境伯の死去。更には令嬢カルラの死去と暗いニュースが続いた辺境伯領においては久々の明るい話題には違いなかった。家臣達はハノンと辺境伯領に幸あれと、いつもより余分にワインの瓶を開けていった。

  



「ケイティ・・・と呼ぶのはまだ変な気分だな」


 辺境伯家屋敷のケイティに与えられた一室で、ケイティはハノンと向き合っていた。

 

「それはそうでしょうけど。どこからボロが出るかわかりませんから、私のことはケイティと呼んでくださいね。私もハノン様と呼びますから」


 ケイティは、執事のクロードが淹れてくれた紅茶に口をつけた。西の少数民族は同性といえど他人に肌を見せれず、言葉を交わせないのでメイドはつかない。身の回りの事は自らやる伝統だ。ということになっている。


「結局、お前を日陰者にすることになってしまい、すまない」


 ハノンの言葉にケイティはゆるゆると首を振る。


「その話はもう止めにしましょう。おかげで私はこうして生きているのですから」


 この部屋で、ハノンが一緒にいる就寝前の短い間のみ、ケイティは顔を覆う布とスカーフを取ることができる。文化的な縛りのため。が建前だが実際は顔を見られないためだ。

 スカーフを取り去ると、顎先で切りそろえられた麦わら色の髪に灰碧色の瞳が現れる。一目見れば、辺境伯領の人間ならば誰もが気付くだろう。カルラだと。


「カルラは死にました。私はハノン様が国境付近に視察に行った折に出会った西の少数民族の娘ケイティです。一目惚れしたあなたは私を囲い込むために、人里離れた森に住む伯父に秘密裏に預けていた。そして、ついに屋敷に連れ帰った。後は私が世継ぎを産めば完璧です」


 明け透けなケイティの言い草にハノンは鼻白む。


「それはそうだが、別にお前が世継ぎを産む必要はないのだぞ」


「何をのんびりした事を言っているのですか。今はまだハノン様に愛人ができただけで領民達は満足していますけど、これで子ができなければすぐに正妻だの第二の愛人だのを勧められるようになりますよ。だったら、私が誰かと子を作ってそれをハノン様と私の子だとすれば万事解決です。どなたか適当な方を見繕ってください」


 ケイティの言い分は最もなのだが、実の妹からの生々しい提案にハノンは顰めっ面で頭を掻く。後ろではクロードが静かに控えながらも苦笑している。


「わかったよ。ただし秘密をきちんと守れる人間でなければならない以上、適任者を見つけるのはなかなか難しい。それらしい男を見つけたらお前に相談しよう」


「絶対ですよ!そのように言っておいて有耶無耶にするのはなしですからね。私の子であれば直系に間違いはないのですから」


 15の歳の差があるにも関わらず、口論ではハノンに分が悪い。ここ数年は勝てた試しがない。

 ハノンはクロードに手で合図をすると、さっさと寝る準備に入った。クロードは枕元以外の蝋燭を全て消すと、茶器をワゴンに乗せて扉の前で一礼し静かに退室して行った。

 大きなベッドにハノンは滑り込むと、隣を優しくぽんぽんと叩く。ケイティは話を誤魔化されてむくれていたものの、諦めてハノンの隣に潜り込んだ。


「こうして、また一緒に寝るようになるなんて、思ってもみませんでした」


 布団の中でくすくすと笑うケイティにハノンも顔を緩ませる。

 女体に興味はないハノンだが、心を許している妹が隣で寝ていると心がほっとする心地良さがある。妹が生きていると安心できる。


「お前は私の寵愛を一身に受ける愛人だからな。寝所に通わないわけにもいかないだろう」


 当初、ハノンはソファに寝るつもりだったのだが、ケイティが心の底から不思議そうに「一緒のベッドで寝ればいいじゃないですか。広さ十分でしょう」と言うので、ハノンは年頃の女性としての心構えを兄から説くのも気恥ずかしく、結局はケイティに押し切られて一緒のベッドで寝ることになった。


「そうですね。私はこうして一緒に寝れて嬉しいです。小さい頃に雷に怯えてにいさ・・ハノン様の布団に逃げ込んだのを思い出します」


 当時の小さかったカルラは今や立派な女性だ。さすがにあの頃のように抱きしめて眠る事はできないが、隣で安らかな寝息を立ててくれるだけでハノンは心から安らぎを得ることできた。


 こうして、辺境伯令嬢カルラは死に、辺境伯ハノンは愛人ケイティを屋敷に囲い込んだ。

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