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辺境伯ハノン

 父上は俺の憧れだった。雄々しく潔く、心からこの土地を愛し、辺境伯としての誇りと責任感を常に両肩にがっしりと乗せて歩いているような人だった。

 俺は子どもの頃から父と手合わせをするのが好きだった。父は熊のような体に似合わず、力加減の上手な人で、俺が怪我をしないように上手にあしらいながら的確に稽古をつけてくれた。


「そうだ。ハノン、今の踏み込みは良かったぞ。お前はセンスがいい。励め!」


 父はもちろん厳しかったが、それ以上に褒めて自信をつけさせてくれる人だった。


「父上はなぜそんなに強いんですか?悪魔と契約したって本当ですか?」


 息子からの無礼ともとれる質問に父は豪快に笑った。大柄な辺境伯は肺も殊更大きい。その肺に空気をありったけ吸い込んで腹の底から笑う父の笑い方はまさに豪快で、小さい頃はその笑い声に吹き飛ばされるかと思ったほどだ。


「ハハハハハ、母上とお前とカルラを守るためだったら、悪魔と契約しても構わんよ。守る者がいる者は強い。お前もいつか家庭を持てばわかるだろう」


「僕だって、母上やカルラを守りたいと思ってます!」


「ああ、わかってる。だが、自分の伴侶と子どもはまた違うのだ。いつか、お前が結婚してそれを実感するのが楽しみだ」


 ハノンは父のようになりたいと精進した。父の上辺うわべではなく、自分の信念を信じて進む姿勢、自分を偽らずに曝け出す強さを目指して精進したつもりだったが・・・その結果は父と相いれなかった。ただ、自分を偽って父の望む姿になるのも違うことはわかっていた。


 いつからだっただろうか。違和感を感じ始めたのは。

 跡取り息子の自分に合わせて家臣たちもこぞって子を作ったため、周りには同年代の人間がたくさんいた。気の合う男友達も美しい女友達もいたが、次第に何かが違うと感じ始めた。


 10代も後半に差し掛かると、話題の中心は色恋沙汰になった。どの娘が気になるだの、どこそこの娘の体つきはそそられるだの、そんな話に夢中になって興奮する友達たちが急に理解が及ばない遠い存在になった気がした。

 辺境伯の跡取り息子であるハノンは、女たちにも魅力的だったのだろう。王都に比べておおらかな気質なこともあり、女性からのアプローチも多かった。女性らしさを武器にして誘う者、論理的に利を説いてくる者、共通点の多さから相性が良いと言う者。どの女性も魅力的に溢れ、我が領の女性達は実に素晴らしいとは感じたものの、それ以上の興味にはなり得なかった。

 

 ハノンはお堅いだの高潔だの揶揄からかわれたが、そうではない。ただ単に興味がこれっぽちも持てなかったのだ。みんなが楽しそうに話す中、曖昧な顔で何となく相槌を打っているのは苦痛だった。

 特に男だけの宴席で酒が入れば、いっそう無礼講だとばかりに色事の話しかしなくなる。ハノンは友人たちから聞いた話から得た知識を元に、物知り顔で話を受け流す事ばかりがうまくなっていった。

 正直に言えば、友人達が話す気持ちに覚えがないわけではなかったが、それを感じる対象は女性ではなかった。


 ハノンは悩んだ。自分は普通ではないのかと。なぜ友人たちのように女性に興味を持てないのかと。

 歳上の兄貴分たちに相談すれば、時がくれば自然とそうなるから心配するなと言われたり、女性が接客する店や娼館に連れて行かれたりしたが、だめだった。


「ハノン様もご立派になって、これは孫の顔が楽しみですな」


「ハノン様はどういった女子おなごがお好きですか?」


「ハノン様も早く身を固めてお父上を安心させてあげなされ」


「男は家庭を持ってようやく一人前ですぞ」


 20代になれば、顔を合わせる度に年嵩の人間たちはハノンの結婚を匂わせるようになった。

 雑音を振り払おうとした結果、ハノンの武芸は同年代の誰も相手にならないほど抜きん出たものとなり、心を落ち着けようと読書に励んだ結果、他国の大使と対等に渡り合えるほどの博識を得たが、そうすると尚更ハノンの周りの雑音は激しくなった。彼らは世継ぎの誕生だけをハノンに望んでいた。

 期待されているのはわかっていたし、あの人たちにとっては「当たり前」の事を言っているに過ぎないこともわかっていたが、息苦しくてたまらなかった。


 当初はハノンの自由にさせてくれていた父親も、さすがに25歳を過ぎたあたりからうるさくなった。どのような娘が良いのだとか、とりあえず会って見ろだとか、結婚の素晴らしさやら、当主としての責任を説かれたりもしたが、ハノンはどうしてもその気になれなかった。


 自分の立場を考えれば、自分の気持ちなど二の次で結婚し子を成すべきだとはわかっていたが、それで不幸になるのが目に見えている妻を迎える気にはならなかった。心より愛しあう両親を見て育ったが故に受け入れがたかった。


 その頃には、ハノンはもううんざりしていた。色恋の話さえしていれば盛り上がると思っている野郎たちにも、結婚や子の話題が必然で明るいと信じて疑わない年配者たちにも。

 徐々に、ハノンと父は衝突することが多くなった。嫁を勧める父と拒絶するハノン。考え方が柔軟で理解のある父ではあったが、この点については頑なだった。

 母も無理強いはしないまでも、息子が理解できずに悩んでいるのはハノンにも見てとれた。

 唯一、家族ではカルラだけが、そんなハノンに自然体で接してくれた。


「お兄さまは優しすぎるのよ。父上や周りの期待も裏切りたくないし、自分の妻や子どもも幸せにしないといけないと思っているのでしょう。たしかに王都の貴族ならまだしも、この辺境伯領で仮面夫婦をするのって辛いと思うもの。この地は厳しい環境だからこそ家族の絆が強いから」


 カルラは当時まだ14歳だったが、物事を偏見なく素直に受け入れる性質だった。ハノンが誰にも打ち明けられなかった悩みを感じ取っていたらしく、ある日それとなく話しかけてきた。


「私もシーズクリフの事は好きだけど、恋愛感情があるかはわからないわ。でも、お兄さまはそうじゃなくて、根本的に違うのね。女性そのものに興味が持てない。欲情しないんでしょう?」


 子どもならではの素直さでズバリと言われて、ハノンは怯んだ。年頃の貴族令嬢の言葉としてはどうかと思うが、まさにその通りだった。

 当のカルラは、兄のことを奇異な目で見ることもなく「私にはわからないけど、お兄さまにはそうなんだから仕方ないわ」とあっさりした様子だ。


「お兄さまは誰よりも剣が強いし、博識だわ。それで十分じゃないのかしら?」


 カルラはそう言ってくれたが、他の人間から理解を得るのは難しかった。一般的に貴族の役割とは子孫を残して家を繋いで行くことなのだから。

 ハノンが30歳を越えると、父と会えば口論になるのでついに口をきかなくなった。

 そしてその頃だった。戦争が始まったのは。


 時間があれば、わかり合えたかもしれない。

 しかし、残酷にも戦争は待ってくれなかった。わかり合うどころか妥協点さえ見つける前に父は死んでしまった。

 わだかまりを抱えたまま父と死に別れたことは、悔やんでも悔やみきれなかった。安心して逝けなかったであろう父を思えば罪悪感に苛まれた。だが、もし時間を巻き戻せたとしてもどうすれば良かったのか、何ができたのかは未だにわからない。


 結局ハノンは父のようになるのが無理なら、自分なりの方法でこの領地と家族を守ると決めた。父のように尊敬される人物にならずとも構わない。独身のまま貴族の責務を果たせぬ事に対する誹りもいくらでも受けよう。だが、何としても辺境伯領と家族は守ってみせる。ハノンはそう決意した。


 

 その矢先だ。シーズクリフが帝国皇女に望まれ、カルラには第2王子をあてがうという話だ出だしたのは。

 正気の沙汰とは思えない馬鹿馬鹿しい話だが、戦争で重鎮を数名失い、残った者も復興に奔走している隙をついたのだろう。これは王妃だけの企てであるはずがない。後ろに王妃のを利用しようとしている者がいる。


 カルラが思い詰めているのはハノンも知っていた。あれは父上に似て真っ直ぐで不器用だ。


 ある日、ハノンの執務室にベアトリスがやって来て急に吠え出した。ここのところ、カルラを気遣ってか側を離れようとしなかったと言うのに、どうしたのだろうとハノンは訝しがった。それにベアトリスは気性が穏やかでどっしりとしており、無駄吠えをするようなことは今まで一度もなかったというのに。

 ベアトリスは尚もハノンを見つめながら吠え続けている。まるで、ついて来いと言っているかのようだ。


 ーまさか。


 ハノンが席を立つと、ベアトリスは誘導するように歩き出した。やがて走り出してどんどん進んでいくベアトリスに慌てて着いていくと、そこは海沿いの絶壁だった。そこに見える影は、カルラだ。

 崖の上、脱いだ靴を揃えて裸足で佇むカルラの姿を見つけた時は肝が冷えた。


「カルラ!死ぬのはまだ早い。死ぬ覚悟があるならば、死んだつもりで俺に協力してくれないか!」


 ハノンの言葉に、崖の先端で激しい海風に髪を乱されるカルラの灰碧色の瞳が揺れる。

 ベアトリスもカルラを呼び戻そうと激しく吠えている。


「お前は死んだことにして、シーズクリフとの婚約は破棄する。そしてお前は別の人間として俺に協力してほしい!」


 カルラは棒立ちのままぼんやりとした瞳で考えいているようだった。その小さな体が強風で今にも飛ばされるのではないかとハノンは気が気じゃなかった。やがて、カルラがまだ悩んだ表情ながらも一歩ずつこちらに歩いてくるのを、ハノンはじりじりと待った。待って、ようやくカルラが逃げられない距離まで来たのを確認すると、勢いよく掬い上げるようにして抱きしめた。

 裸足のままのカルラを抱き上げ、唖然とした様子の妹と目が合うと安堵のあまり尻餅をついた。

 ハノンの上に乗り上げる形になったカルラが慌てて降りようともがくが、ハノンは腕の中に閉じ込めて離さない。海風に曝されて体温を奪われたカルラの体の冷たさが、なおもハノンの恐怖を掻き立てる。

 兄の分厚い胸板にぎゅうぎゅう押し付けられ、身動きが取れずに諦めたカルラはふと気づいた。


「お兄さま?震えているの?」


 大柄な兄にすっぽりと包まれたカルラは洞穴の中にいるようだが、その洞穴が小刻みに震えている。聞こえてくる心音も驚くほど早い。

 父にも劣らぬ勇猛果敢な戦士であるハノンのこんな姿はカルラも初めてだった。兄の体温が自分に移り体が温まってくるにつれ冷静になったカルラは、兄にどんなに心配をかけたかを思い知った。


「お兄さま、ごめんなさい。他に思いつかなくて・・・」


「いや、お前は間違ってはいない。俺もお前は死んだことにするのが1番早いとは思っていた。だがな、俺は父上に続いてお前まで失うつもりはないぞ」

 

 ようやくカルラの無事を実感でき、ハノンは妹を離さないように抱きしめるばかりだった腕をそろそろと移動すると、その頭を撫でた。ハノンの大きな掌に収まる触り慣れた感触にカルラは思わずほうっ、と息を吐いた。


「うん、ごめんね。私ちょっと、悩むのに疲れちゃってて・・・短絡的になっていたわ」


 ハノンが体を少し離して、カルラの顔を覗き込んだ。ようやく青白かった顔にほんのりと赤みが差してきている。


「カルラ、お前のその死ぬ覚悟は間違いないか?」


「ええ、私は死んだことにしてちょうだい。屋敷の中でひっそりと暮らせれば十分よ」


 カルラの淡い笑みを、ハノンは鋭い目で見つめ返した。

 これからハノンが提案することはカルラから自由を奪い我慢を強いる事になるばかりか、多くの人を欺く謀りに巻き込むことになる。

 自分の提案はカルラを一層苦しめるだけかもしれない。それでもハノンは妹に生きていてほしかった。理不尽に家族を失うのはもうごめんだ。


「いや、その命を俺に預けてもらえないだろうか。お前にとっては酷かもしれんが俺の我儘を聞いてくれないだろうか」


「構わないわ。私だって辺境伯の娘として役立ちたいのよ」


 こうして、カルラという人間は死んだ。

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