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辺境伯令嬢カルラ

 シーズクリフと初めて会った時、妖精みたいだと思ったの。


 つやつやのプラチナブロンドに淡く滲むような紫色の瞳がとても綺麗で、生きて動いているのが不思議なぐらい。本当にお伽話の妖精みたいだったわ。


 カルラはそう書いてから、何を書いているのだろうと自嘲して手紙を破り捨てた。

 こんな書き出しで始めたら、出会いから今までの思い出を延々と書き連ねることになってしまう。何十枚書くつもりなのだ。遺書だというのに。


 だが、シーズクリフとの思い出に馳せた思考を戻すのは難しかった。

 カルラはぼんやりとシーズクリフとの記憶を思い出していく。


 シーズクリフは本当に可愛かった。小さな体で一生懸命にカルラの後をついて来ては、柔らかなほっぺでにっこりと笑うのだ。骨太な人間ばかりの辺境伯領で育ったカルラにとって、シーズクリフの華奢でどこか儚げな様子は物語で読んだことでしかない人種で、妖精が本から出てきた!とわりと本気で思ったものだ。


 カルラは兄ハノンとは16歳離れていたから、兄は兄弟というよりも叔父と姪のような関係だったし、辺境伯領の子どもは兄に合わせて産まれた子が多く、カルラの周りは歳上ばかりだった。だから、3つ歳下のシーズクリフの面倒を見るのはとても新鮮で楽しかった。


 辺境伯領のみんなは優しかったし辺境伯令嬢として敬ってくれてはいたが、いつまでたってもちびっ子扱いされるのがカルラには不満だった。

 大人たちにはシーズクリフがカルラに懐いているように見えたらしいが、逆だったとカルラは思う。お姉さんぶれるのが嬉しくてカルラがシーズクリフを離さなかったのだ。


 公爵夫妻の外交旅行の度に辺境伯家に預けられたシーズクリフは、好奇心旺盛でカルラとは気があった。カルラの伯父コルトが住む森で探検したり、シーズクリフの叔父で世界各国を回っているウォルスタから異国の話を聞くのが2人は大好きだった。


 シーズクリフはまま見目麗しく、また聡明に成長した。

 幼い頃から培われた上品な身のこなしと洗練された所作はため息が出るほど美しく、まさに小さな紳士といった風体だ。

 対してカルラの容姿は辺境伯では平々凡々。王都の貴族の中に入れば中の下がいいところだ。辺境伯領の特徴がよく出た骨格がしっかりした素朴な顔立ちで、瞳は申し訳程度に青味が入った灰碧色。髪はギリギリ金髪だがくすんでて地味だ。

 だが、この髪色はシーズクリフ曰く「収穫前の小麦畑のような麦わら色」らしく、ちっとも詩的ではないその表現のおかげでカルラは自分の髪色が好きだった。小麦畑は命をつなぐ大事な恵みだ。


 シーズクリフから定期的に送られてくる手紙はいつだって楽しみだったが、その内容はとても難しく、カルラは対等に意見を交わすために必死に勉強した。王都で様々な知識に日常的に触れ、また外交に特化した公爵家の一員として外国の情報も耳に入るシーズクリフについていくのは大変だった。

 しかも、シーズクリフはカルラを試そうとか自分の知識をひけらかすつもりは微塵もなく、さらりと何気ない話として書いてくるのだから、カルラも殊更なんてことないように返事をするのに苦心した。歳上の意地だった。


 武を重んじる辺境伯領において、カルラも小さい頃から武芸を仕込まれた。辺境伯領の男たちは少し粗野だが面倒見が良く、カルラを『お嬢』と呼んで一緒に遊びながらたくさんの事を教えてくれた。

 武に秀でた辺境伯家と外交に秀でた公爵家なのだから、武においてはシーズクリフに負けるわけにはいかないと、カルラは苦手ながらも精進を重ねた。だが、シーズクリフは会うたびに背が高くなり体つきも徐々に男らしくなっていく。しかも公爵家のくせに日々鍛錬を積んでいるらしく、近いうちに男女差から逆転されることは明らかだった。


 悔しがるカルラに「僕だって男としてカルラを守れるようになりたいんだ」とシーズクリフは言うが、それはカルラのセリフだ。

 カルラだって辺境伯家の人間として、シーズクリフのことを守りたいのに。

 周りの人間は戦いが苦手なカルラを心配して、『お嬢はそんなにする必要はない。男のシーズクリフが頑張ればいいのです』と言うが、そういう問題ではなかった。カルラだってシーズクリフの役に立てる人間になりたいし、一つぐらいシーズクリフより秀でたものが欲しかった。


 もちろん、カルラは礼儀作法や所作もがんばったが、王都の貴族達に「野蛮」と称される辺境伯領の血をしっかりと受け継ぐカルラにはなかなか難しかった。いや、血筋なんて言い訳だとわかっているのだが、辺境伯領で王都の貴族のような振る舞いをしても、ただの気取っている滑稽な人間としか思われない。

 それでも、カルラは公爵家の嫁となるその日のために、気品を身につけようとがんばった。シーズクリフの母である公爵夫人の振る舞いをお手本にしようと、穴が開くほど見つめて観察した。

 そんなカルラを公爵夫人も非常に可愛がってくれた。娘がいない公爵夫人はカルラの花嫁姿をとても楽しみにしてくれていて、公爵夫人手ずから刺繍を施すのだと意気込む様子に、カルラは気が早すぎると苦笑しながらも義娘になれる事を楽しみにしていた。


 だが、幸せな子ども時代はあっという間に終わり、やがて戦争が始まった。辺境伯領からも多くの人間が戦地へと向かった。

 当主である父も出兵した。


 父は無骨ながらも威厳のある武将だったが、兄のハノンとは折り合いが悪かった。

 お互いに実力も人柄も認め合っていたにも関わらず、どうしても譲れない1点がかち合ってしまい、どちらも引けずにもうどうしようもなかった。

 出兵で気が立っていた父が兄と何度も口論するのが日常となり、やがて兄は父に近寄らなくなり出兵式にも姿を現さなかった。


 そしてそのまま、父は帰らぬ人となった。

 なんとか戻ってきた父の遺体を前に、母は微笑んでこう声をかけた。


「お帰りなさい、あなた。良く戻ってきてくれました。本当にお疲れさまでした」


 兄は父の遺体を見ても固く口を引き結んだままで何も言わなかったが、その夜カルラは兄が心配で様子を見に行った。

 ドアの隙間から様子を伺うと、兄の足元にはワインをの空瓶がいくつも転がっており、更に新しい瓶に手をかけたところで執事のクロードに止められていた。


「この辺境伯領は俺がなんとしても守り抜くから・・・!」


 机に突っ伏し嗚咽を上げながら絞り出すように声を上げる兄を、クロードが静かに見守っている。

 私が見ているから大丈夫ですよ。と、カルラに気づいたクロードから目で語られ、カルラはその場を後にした。あんな兄の姿を見たのは後にも先にもあの1度きりだ。


 1年に及ぶ戦争において、辺境伯家は前線で体を張り王国の体面を守った。その裏では公爵家があらゆる伝手を駆使して外交を行い、少しでも戦後の条件が良くなるように力を尽くした。

 そのおかげで、戦勝国である帝国に戦時の働きを認められた我が国は、有利な条件を勝ち取ることができた。


 終戦から3ヶ月が経ち戦後処理が落ち着いた頃、ハノンの辺境伯位継承のお披露目が慎ましやかながら催され、カルラとシーズクリフは1年ぶりに再会した。


「やだシーズクリフ!また身長が伸びてるじゃない!」


「伸び盛りだからね。そのうちハノン殿より大きくなるかもよ」


 カルラは熊のような兄の体躯にシーズクリフの顔がついた様子を想像してゾッとした。

 魔物でしかない。


「ハーピーの熊版・・・!?」


「ハーピーは女性だよね?僕は男だからね?」


 13歳のシーズクリフは顔つきが少し凛々しくなったものの、それでも見た目はそんじょそこらの令嬢に負けない美少女ぶりで、体の線もまだまだ細かった。兄の銀髪は鋼のようなのに、シーズクリフの銀髪は月の光のようなのはどういう違いなのだろうかとカルラには不思議でたまらなかった。


「カルラと結婚するまでには絶対に身長抜くからね!ところで、ハノン殿はやはり結婚はしないつもりなのかな」


「お兄さまはそのつもりだと思う。周りもその件でお兄さまとお父さまが険悪だったのは重々承知だし、ここでお兄さまがヘソ曲げて出奔でもされたら大変だから話題に上がってないわ。今はそんなことで揉めてる場合じゃないしね。ただ、2・3年たって落ち着いてきたら、周りがうるさくなるかもね」


 カルラとしては兄の気持ちは尊重したいし、そもそも辺境伯家は直系にさほどこだわらない実力主義の家系だ。いざとなれば傍系で優れた人物に任せていいと思っている。

 ただ、傑物と名高い父と、その父に引けを取らない実力を持つ兄の血を絶やしたくないという声もわからないではない。


「じゃあ、僕とカルラで頑張って子どもをたくさん作らないとね!」


 カルラは飲んでいたお茶を吹き出しそうになったのを、無理やり飲み込んだ。


「ちょっ、あなた意味わかって言って・・・いや、何でもないわ。まあ、確かに兄に子が無ければ私の子が辺境伯を継ぐのが妥当でしょうね。でも、シーズクリフが気負う必要はないんだからね」


 純真さで輝くシーズクリフの瞳に己の邪推を恥じながら、カルラはシーズクリフの頭を撫でる。

 シーズクリフは子ども扱いに不服ながらも、頭を撫でられるのは好きなので複雑な表情でむくれながらもされるがままだ。

 この関係もいつかは変わってしまうのかな。と思いながらカルラはシーズクリフの柔らかな髪を撫で続けた。


 その2人の関係は思いもよらぬ形で変わることになった。

 帝国皇女がシーズクリフの美貌と優美な佇まいをいたく気に入ってしまったのだ。

 皇帝が溺愛する皇女がシーズクリフを婿に望んでいるので寄越すようにと、丁寧で慇懃な体裁の脅迫文が王宮に届いたのは、やっと戦後処理が終わり復興への目処が立ってきた頃だった。


 シーズクリフは大いに反発した。公爵家も意を唱えたが、相手も時期も悪かった。

 カルラと辺境伯家にできることはなかった。

 ハノンが憤りを抑え込みながら苦々しげに顔を歪めるのに、カルラは困ったように微笑むことしかできなかった。

 ただ、そんな人身御供のような状態で帝国に行く事になるシーズクリフのことが心配だった。

 

 シーズクリフからはカルラとの結婚を絶対に諦めないと、手を尽くしているから待っていて欲しいと何度も手紙が来た。

 カルラは、自分との婚約破棄のことはもういいから、少しでもいい条件で帝国に行けるようにすることだけをシーズクリフに考えて欲しかった。


 しかし、婚約破棄した後の我が身を考えると憂鬱ではあった。

 辺境伯家のためにも結婚は急ぎたい。手っ取り早いのは家臣から婿を取ることだが、戦争の影響で辺境伯領にカルラの婿になれるような年頃の独身男性は残っていない。戦死した者も多いし、無事に帰ってきた者や留守を守っていた者は、戦争で延期していた結婚を昨年取り行ったばかりだ。そうすると、カルラは必然的に同じ中立派の他家との婚姻になるのだが、それには時間がかかるし選定が悩ましかった。


 そんな時だ。王家から書簡が届いたのは。

 カルラを第2王子の婚約者にするという内容に、母は顔面蒼白となり兄は怒り狂った。

 そして、兄もカルラも思い至った。

 戦後処理で中枢が混乱してるのをいいことに、我々、中立派が保ってきたバランスを一気に崩そうとしている者がいる。


 先手を打って他家と婚約するには時間が足りない。このままでは、辺境伯領の既婚者から離縁してカルラの婿になると言い出す者が現れるだろうし、正直それしか方法がないがそれでさえ離縁の手続き期間を考えると間に合うかどうか。


 カルラには我慢できなかった。

 これ以上シーズクリフが足掻いて苦しむのを見るのも、兄が憤怒を抱えて思い悩むのを見るのも。ましてや幸せな夫婦を引き裂いて自分の結婚相手とすることも。


 

 何度書き直しても、シーズクリフへの遺書は形にならなかった。

 カルラは諦めて「あなたの幸せを祈っています」と一言だけ書いて、封筒に入れた。

 文面が進まない間に、封筒にはバカ丁寧に宛名を書いてあった。封筒を見るとやけにかしこまったよそいきな文字でシーズクリフの名前が記されている。


 兄への遺書と執事への遺書の隣に、それを並べる。

 ただし、これが遺書だとは本人に伝えるつもりはない。あくまで異国へ行く彼への別れの手紙として書いたと言うことにするつもりだ。

 その辺りは、兄とクロードが万事抜かりなくやってくれる事だろう。その2人への手紙だけは正式な遺書として死後の処理を色々とお願いする内容となっており、カルラの死は事故死としてほしいとお願いしてある。

 ただでさえ心労が多い母や婚約破棄の責任を感じているシーズクリフに、私の自殺という十字架を背負ってもらうようなことはしてほしくないし、悲劇のヒロインになるつもりもない。

 兄とクロードには巻き込んで申し訳ないが、カルラの死の真実はこの2人の胸の内だけに残るだろう。


 カルラは最後に、いつもと変わらず足元で寝そべっていた愛犬のビーを抱きしめた。


「ビー、あなたもみんな、みんな、私は愛しているわ。私にはこんな時間稼ぎしかできないけれど。私が死んだらシーズクリフは悲しむでしょうね。でも時間がきっと癒してくれるわ」

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