26話 雪女と鬼と告げられた真実(3)
「あ、暗部長……? 三日月さん……?」
ずっと暗部長だと思っていた人は、かつて九条くんの侍女をしていた、ばあやさんだった……!?
……いや、ばあやさんは侍女だけど、暗部長でもあるんだっけ? うーん、ややこしい。
首を捻っていると、暗部長もとい、三日月さんが困ったように眉を下げた。
「混乱させてしまい、申し訳ありません。実は先ほどまでの若い姿はかつての私。実際はこの通りの老婆なのです。あの姿の方が暗部としての仕事がし易かったので、ずっと化けておりました」
「はあ……」
つまり舞台の時は若かりし頃と朱音ちゃん、二つの姿を同時に使い分けていたということだろうか。
幾度と妖狐の変化は目にしてきたが、彼女の能力の高さには驚いてしまう。
「ああ、なるほど。何故姿を変えられているのかと思っていましたが、そんな理由でしたか」
と、そこで宰相さんが、何故か訳知り顔で三日月さんに頷いた。
「分かりますぞ、その気持ち。やはり若い頃に比べると、体力気力に衰えを感じますからな。実は私もまだまだ現役のつもりでいますが、なかなかどうして身体がついていきません」
「まぁ、宰相様も? けれどご活躍は常々耳にしておりますよ。〝つもり〟ではなく、実際にまだまだ現役でしょうに」
「いやいや。それを言うなら、三日月殿だってまだまだ現役でしょうに」
「…………」
え? なんか急にジジババ談義が始まったんですけど?
話に着いて行けずにポカンとしていると、そんな私に気づいた三日月さんがハッとして、今度はぺこぺこと頭を上げた。
「ああっ! 申し訳ありません、皇女殿下! 私ったらつい、話が盛り上がってしまって……!」
「い、いえいえ、いいんです! えっと……一応確認ですけど、三日月さんが九条くんが言っていた〝ばあや〟さん。それは間違いないんですよね?」
姿が変わったからだろうか?
狐面をつけていた時の三日月さんは凛としたデキル女性という印象だったが、今は可愛らしいおばあちゃんといった様子だ。
ほわほわとした雰囲気は、確かに九条くんが心を許してたというのも理解できるような、温かみを感じる。
「はい、それで間違いありません。更に言えば、私は姫様……。いいえ、葛の葉様にも幼少の頃よりお仕えしておりました」
「え、九条葛の葉の!?」
「ええ」
驚く私に三日月さんは頷き、まるで昔を懐かしむかのように表情を緩めた。
「葛の葉様は、それはそれは幼い頃から聡明で立派なお方でした。三大名門貴族の次期当主として恥ずかしくない人物になる。その為に日々研鑽を積んでおられました。そしてそれはご婚約者であった紫蘭様も同じ」
「紫蘭さん……。九条くんのお父さんですね」
「はい。紫蘭様と葛の葉様はいとこ同士であり、生まれながらの許嫁でした」
「いいなずけ?」
生まれながらってことは、自分の意思とは関係なく結婚相手を決められていたってことか。
私には理解しがたい話だけど、皇帝陛下にもお母さんと結婚する前には婚約者が居たって言うし、やっぱり身分が高い人はそういうものなんだろうか?
「……? って、ああっ!?」
そこまで考えてハッとする。
えっ、じゃあ九条くんは!? そんな話一回も聞いたことはなかったけど、九条くんだって生まれながらの婚約者が居てもおかしくないんじゃ……!?
慌てて三日月さんにその旨を話すが、しかし返ってきたのは意外な答えだった。
「落ち着いてください、皇女殿下。神琴様に婚約者はおりません」
「へ」
「当時はそういう時代だった。だが現在は庶民と同じく、貴族の間でも恋愛結婚が主流。貴女のご友人の貴族子息達からも、婚約者の話なんぞ出たことは無いのではないですかな?」
「あ」
宰相さんの言葉に、私は目をパチパチと瞬かせる。
言われてみればそうだ。九条くんは元より、雨美くんや夜鳥くんからも婚約者なんて言葉、一度も聞いたことが無い。
「なんだぁ、そっかぁ……」
私がホッと胸を撫で下ろすと、三日月さんがクスクスと笑った。
「ふふ、安心したところで話を戻しましょうか。葛の葉様と紫蘭様は始まりこそ決められた関係ではありましたが、それでも仲はとても良好でした。常に次期当主として強くあらんと振舞われていた葛の葉様も、紫蘭様と過ごす時だけは素の少女らしい表情を見せていたのです。しかし……」
「? なんですか?」
そこまで朗らかな表情で話していた三日月さんの顔を曇る。
まさか……。
「紫蘭様の病。それが徐々にお二人の関係に影を落とすようになったのです」
「……!」
やっぱりと息を呑んだ私に、三日月さんが頷く。
「お察しの通り、以前皇女殿下にもお話した、妖狐一族男子のみが罹患する原因不明の奇病です。症状は紫蘭様が長ずるにつれて重くなり、一日床に臥す日も増えていきました。本来の紫蘭様は本当に活発な方で、よく皇帝陛下ともあちこち出掛けられておりましたのに……」
「ええ、私も存じております。幼い頃の陛下と紫蘭殿はとんだ悪ガキで、私も何度も手を焼いたものです」
「……っ」
遠い日のことを懐かしむように目を細める二人に、胸がぎゅっと苦しくなる。
紫蘭さん……。こんなにも色んな人が惜しむなんて、本当に素敵な人だったんだろうな……。
「葛の葉様は紫蘭様の病を治す為、あらゆる手を尽くしました。それこそ帝国中の高名な医者を訪ね歩くほどに」
「……九条葛の葉は、それだけ紫蘭さんが好きだったんですね」
「はい。あの真っ暗に閉ざされた九条家で、紫蘭様は姫様にとっての唯一の光でしたから」
「?」
真っ暗……? どういう意味だろう?
意味深が言い方が気になるが、三日月さんはそれについては何も語らず、話を続ける。
「医師を訪ねたこと事態は、決して無駄足ではありませんでした。発作の間隔を細かく調べ、素早く発作を鎮める呼吸法などの知識も得られましたから。しかしそれらは進行を緩やかにする為の気休めでしかない。病は着実に紫蘭様のお身体を蝕んでいきました」
「…………」
「もはや打つ手なし。姫様は決して涙を見せることはありませんでしたが、心ではずっと泣いていたのでしょう」
「っ、」
三日月さんの言葉に私はぎゅっと自分の両手を握り締める。
大切な人が目の前で苦しんでいるのに何も出来ない歯がゆさ、悔しさ。
それを九条葛の葉も体験していた……。
『それもご明察。そうじゃ、あの狐面の暗部は妾が化けたもの。見たか? 風花の苦痛に歪んだ顔。いつも飄々としている女が膝をつく様は全く傑作じゃったなぁ』
だったら何故、あんなことが出来たの?
大切な人を喪う痛みがどんなものかを知っている、そんな人が――。
「……転機はやはり22年前。高校の卒業を間近に控えたある日の朝のことでした。私がいつものように姫様の身支度を手伝っている時に、あの方は言ったのです。〝紫蘭の病を治す方法が見つかった〟と――」
「ええっ!? それってどんな方法なんですか!?」
それが本当なら、九条くんだって救えるかも知れない!!
私が食い気味に尋ねると、その問いに答えてくれたのは三日月さんではなく、宰相さんだった。
「〝代々皇族に伝わる一子相伝の秘術〟……ですな」
「え? 皇族に伝わる秘術……?」
何やら凄そうな響きだが、意味も分からずただ言葉を繰り返す。
するとそんな私に宰相さんは重く頷いた。
「皇女殿下はご存じですかな? 皇族は人間でありながら、妖怪のように術を行使する能力があると言われていることを」
「え、あっ……!」
『……皇族は人間でありながら、妖怪のようにいくつかの〝術〟を使うと言われている。もしかしたら陛下も何か相手の秘めたものを暴く術をお持ちなのかも知れない』
そういえば以前ティダで皇帝陛下に会った後、九条くんがそんなことを言っていたような。
あの時は九条くんも確証はなさそうだったけど、じゃあ本当に皇族は術を……?
「と言っても、かつて妖怪と人間が争った時代とは違い、今は能力を持つというだけで形骸化していますがな。そしてその中でも葛の葉殿が目をつけたのが、〝全能術〟だった」
「ぜ、全能術……? 聞くからに凄そうな名前ですね」
「実際とてつもない代物です。何せ全能術ならば、いかなる事象をも変えることが出来るのですから」
「そっ……!」
それは確かに奇跡みたいな術だ。
トンデモ当主が目をつけたのも理解出来る。
「じゃあ九条葛の葉は、その術で紫蘭さんの病を治そうと?」
「はい、姫様はそう考えたようです。けれど……」
言い淀む三日月さんの後を、宰相さんが引き継ぐ。
「陛下はその頼みを断りました」
「!? どうして!?」
紫蘭さんが助かるのなら、術を使えばよかったのに!!
そんな気持ちで叫ぶと、宰相さんは重い息を吐き、目を閉じた。
「……分かりません。陛下もこの件については何も語ろうとはなさらなかった」
「それだけはありません。紫蘭様も全能術を自身に使うことを拒否されたのです」
「!? そ、そうだったんですか!?」
「望みを断たれ、救おうとしている当人にまで拒まれ、姫様のお心はズタズタに引き裂かれました。それからです、誰の言葉も耳を貸そうとなさらなくなったのは」
「…………」
手の届く場所に紫蘭さんを救える術があるのに、届かない。
それはなんの手立ても無かった頃よりも、よほど辛かったのではないだろうか。
彼女の嘆き悲しみは、聞いているだけでも容易に想像出来てしまう。
「もしかしてそれで陛下とお母さんに復讐を……? でもなんでお母さんまで?」
「実は葛の葉殿が全能術のことを聞いたのは、風花殿からだったようです」
「えっ……!?」
お母さん……!
てっきり無関係なのかと思ったら、ガッツリ事情に関わっていたんだ……!!
「ぬか喜びさせられた挙句、当の本人の隣には陛下がいる。絶望の淵に立たされた自身に対し、幸せを謳歌する二人を見て、憎悪を滾らせてもなんらおかしくはないでしょうな」
「…………」
「そして姫様の憎悪はお二人だけに留まらず、紫蘭様、ひいては妖狐一族全体にまで及びました」
「い、一族全体……?」
それはどういうことなのだろう?
ゴクリと息を呑んで続く言葉を待っていると――……。
「――そこまでです、暗部長様」
冴え冴えとした声と共に地下室の中にいくつもの火が現れ、狐面の巫女服達が次々と姿を表す。
それにビクリと肩を震わせると、宰相さんがサッと私の体をその背に隠した。
「出たか、九条家暗部」
「貴女達……」
突然現れた狐面の集団を三日月さんがぐるりと見回す。
すると暗部達は申し訳なさそうにしながらも、臨戦態勢を崩さず話し出した。
「申し訳ありません、暗部長様。しかし我らが為すべきことは、主様のご命令を厳守すること。それこそがあの方への恩返しになる。例え相手が貴女様であろうとも、皇女をここから出す訳にはいかない。阻ませて頂きます」
「そう……」
三日月さんが狐面をそっと顔につけ、その姿が一瞬で白髪の老女から若い女性へと変わる。
「――いいでしょう。かかって来なさい」
瞬間、一斉に暗部達が飛び掛かり、激しい攻防が始まった。
狐火が地下室のあちこちに飛び交って、私は悲鳴を上げて逃げ回る。
「ひぇぇぇぇ!! 熱ッ!!」
「皇女殿下! うろちょろせず私の後ろに居なさいっ!」
「ぐえっ!!」
宰相さんに思いっきり首根っこを掴まれて、私の喉からカエルが潰れたような声が上がる。するとそんな私をギロリと睨みつけ、宰相さんは深い溜息をついて言った。
「いいですかな、皇女殿下。庶民育ちと言えども、貴女は皇女なのです。緊急事態の時こそ、どっしりと構えていなさい」
「いやいやいや! それ知ったのたった今だし、そんな急に高貴な立ち振る舞いなんて出来ませんよ!! ていうか早く三日月さんに加勢しないと!!」
「心配せずとも、三日月殿は九条家最強のアサシン。下手に手を出す方が彼女の邪魔になります。……それに」
「!?」
私達を取り囲む暗部達を見て、宰相さんがニヤリと笑う。
は、初めて笑うところを見たけど、めちゃくちゃ邪悪な笑みだ……!!
「陛下が寄越したのが、私と三日月殿だけと思いましたかな? いるのだよ、もう一人」
「へ……?」
宰相さんがと三日月さん以外にもう一人……?
「な、何?」
「そんな者、一体どこに?」
予想外の言葉にざわつく私と暗部達。
それを面白そうに眺めながら、宰相さんがピュっと指笛を吹いた。
するとその瞬間……。
――バァァァァァァン!!!
「ぎゃあああ!!?」
凄まじい勢いで部屋を封じていた鉄扉が吹っ飛び、私は叫んだ。
「ぐぅ!!」
「うう……」
「ひぇっ!?」
吹っ飛んだ鉄扉は見事暗部達にヒットしたようで、一気に彼女達はなぎ倒されてしまった。
狐面でその表情は見えないが、苦痛に歪むうめき声を聞いているだけでも痛そうだ。敵ながらなんと気の毒な……。
「さぁ暗部のみなさん!! この僕が来たからには、ここまでですよぉぉぉ!!!」
「!?」
私が暗部達に同情していると、突然ランプの灯りだけの薄暗かった室内に一筋の光が差す。
すると逆光ではあるが、見覚えのある三人のシルエットが扉の前に見えた。
「えっ、うそ……!?」
ま、まさか夢……? 一瞬そう思うが、けれど夢なんかじゃない。
「雪守さぁん!! 正宗様ぁ!! ご無事ですかぁ!!?」
「まふゆちゃーーん!! よかったぁぁぁ!!」
「おー、ちゃんとまふゆ達を避けて命中。ぶっつけだったけど、なかなか上手くなったじゃん。あたしの妖力捌きも」
「ええええっ!!?」
現れたのはなんと、木綿先生に朱音ちゃんにカイリちゃん!!
な、なんで三人がここに……!?
キャラメモ14 【九条 三日月 くじょう みかづき】
九条家の暗部長、通称〝ばあや〟
普段は変化してるが、実は白髪の老女
かつては神琴の世話係をしていた
得意料理はいなり寿司




