21話 雪女と妖狐と借り物競争(1)
『ばあやのいなり寿司……。どうして……』
突然九条家当主から届けられた、いなり寿司。
それはかつて、九条くんの侍女を務めていた女性が作ったものだった。
どうしてずっと昔に失踪したはずの人のいなり寿司が、ここに今あるのか?
そしてそれをわざわざ差し入れと称して、九条くんに渡した理由は?
あのトンデモ当主、一体何を考えて――……。
「おっ! なぁにそれ? 美味しそー! いなり寿司じゃなーい!!」
「ぎゃあああ!?」
考え事をしている最中に突然背中から両肩を掴まれて、私は悲鳴を上げる。
みんなが残された〝差し入れ〟に困惑して沈黙しているというのに、この空気を読めない態度。
やるのはたった一人しかいない……!
「ちょっと何やってんの!? お母さんっ!!」
「お、さすがご名答ー。……て、ん? あらあら、どうしたの、みんな。神妙な顔して黙りこくちゃって」
振り返れば、案の定お母さんがご機嫌で笑っていた。
しかしすぐさまみんなの様子が変であることに気づいて、お母さんは不思議そうに首を傾げる。
「えーっとね。お母さんは挨拶に行ってたし、見なかったのかも知れないけど、今……」
「あ、美味しい」
動揺しながらもなんとか先ほど起こった出来事を説明しようとしたところで、九条くんが持つお重に伸びた指先が、ひょいといなり寿司を摘まむ。
そしてそのままパクリと口に含んだお母さんに、またもや私は悲鳴を上げた。
「お、おおおお母さん!!? ほんと何やってんのっ!! それ、九条葛の葉から貰ったいなり寿司なんだよ!! 何入ってるか分かったもんじゃないんだから、すぐに吐き出してっ!! 早く!!!」
「ええ? 葛の葉ぁ?」
ガクガクと肩を揺さぶって叫ぶと、お母さんは一瞬キョトンとした後、何故かケラケラと笑い出した。
「いやぁね、まふゆったら! 葛の葉のプライドは日ノ出山よりも高いのよ? 食べ物に何か混ぜるなんて、そんな姑息な真似は絶対しないわよ。これは単に九条くんへの差し入れでしょ? こんなに美味しそうなのに、食べないなんて勿体ないじゃない」
「う、ううん……?」
プライドが日ノ本帝国一高い日ノ出山よりも高いから、異物混入なんてしない。
フォローしてるのか微妙な説明だが、なんだか納得出来るような、出来ないような……?
思わず首を捻って唸っていると、九条くんからお重を受け取ったお母さんがそれを私に差し出してくる。
「ほら、まふゆも食べてみなさいよ。すっっごく、美味しいわよ」
「ううう……」
ずいっと目の前に突き付けられるお重。
確かにお揚げがツヤツヤと輝いていて、とても美味しそう。
「ほら、ほらほら」
「……分かったよ」
結局黄金色の誘惑に負け、私は意を決していなり寿司を頬張った。
「……!」
するとなんということだろう!
お揚げの甘辛い味付けとまろやかな酢飯が、口の中で絶妙なハーモニーを奏でている!
これは学食のなんて比べ物にならない! とびっきりのいなり寿司だ……!!
「お、美味しいぃ……!!」
「え、マジ!?」
「ボクも食べたてみたい!」
「あ、あたしも!」
さっきまでの張りつめた空気はどこへやら。
私の声を皮切りに、次々とみんなの手がいなり寿司へと伸びる。
「ホントだ! ちょーうめぇ!」
「さすが九条家のいなり寿司。格が違うね」
「いなり寿司に格とか意味分かんないけど、確かにそう言うのも理解できる美味さかも」
「〝ばあや〟さんのいなり寿司。わたしずっと食べてみたかったけど、こんな形で叶うとは思わなかったな……」
「朱音ちゃん……」
みんなが美味しそうに頬張る横で、しんみりといなり寿司を口に運ぶ朱音ちゃん。
それに何も言えずにいると、その隣で九条くんもお重に手を伸ばす。
「…………」
「どう?」
思わず問いかけると、いなり寿司を咀嚼した九条くんは、ふっと息をついた。
「……間違いない。昔食べたばあやの味だ」
「そっか……」
実際にばあやさんのいなり寿司を食べたことのある九条くんがそう言うのなら、やっぱりこれは彼女が作ったもので間違いないのだろう。
だとすれば、彼女は今も生きている。
そして九条葛の葉は、〝彼女の行方を知っている〟ということだろうか……?
「九条くん……」
「頭が混乱してきた。俺はずっとばあやは死んでしまったものかと……。確かにあの時、葛の葉は彼女を〝暇に出しただけ〟と言っていた。そんなこと当時は信じられなかったが、まさか本当に――……?」
九条くんは難しい顔で考え込んだ後、朱音ちゃんの方を振り向き、彼女を呼んだ。
「――朱音」
「! は、はいっ!!」
「……頼みがある」
「なんなりと! 神琴様のお願いなら、なんでもお承りします!」
「じゃあまふゆ、俺達はちょっと寮に行ってくるから」
「え、あ?」
ブンブンと力いっぱい頷く朱音ちゃんを伴って、九条くんが観客席を立つ。
え? 寮って……、なんで? まさか忘れ物……は無いか。
「はぁー、食った食った」
「結局全部食べちゃったね」
「まぁ、めちゃくちゃ美味かったからな」
「最高のいなり寿司を食べた後に食べる、國光のお菓子もまた格別だわー」
「…………」
どうやら私が九条くん達と話している間に、他のみんなでいなり寿司をすっかり完食してしまったらしい。
綺麗に空になったお重を見て、私はまた考える。
『……いなり寿司は俺にとって、思い出の料理なんだよ』
仮に本当に純粋な好意であったとして、どうして九条葛の葉は〝ばあやのいなり寿司〟を差し入れに選んだのだろう?
九条家の地下室で対峙した時の態度を見るに、九条くんの好みなんて何も知らなそうな、殺伐とした関係に見えたけれど……。
『さあ? 葛の葉はああやって相手の不安を煽るのが好きだからね。言うならば、俺に対する当て付け……かな?』
〝当て付け〟……?
「いや……まさか、ね」
以前九条くんが呟いた言葉を不意に思い出し、しかしそれを振り払うようにして、私は首を横に振った。
◇
「みなさん、お昼休憩は終わりです。午後の第一種目、借り物競争を始めますので、参加者の方はトラックのスタートラインまで集合してください」
各自お昼ご飯を食べる為に散っていた生徒達が観客席へと戻り、午後の部開始のアナウンスが競技場に流れる。
そしてそれに反応したのは、ちょうど朱音ちゃんと共に寮から戻って来ていた九条くんだった。
「あ、俺が出る競技だ」
「えっ!? 九条くんって借り物競争だったっけ!?」
「うん、行ってくる」
「あ、ちょっ……!」
すくっと席から立ち上がった九条くんを私は慌てて呼び止めるが、聞こえなかったのかそのまま行ってしまう。
どうしよう、九条くんがあの借り物競争に出るだなんて、マズいんじゃ――。
「きゃああああああ!!!」
そんな私の危惧は、すぐさま的中する。
九条くんがトラックのスタートラインに現れるなり、観客席が一気にさざ波のように騒めき始めたのだ。
「えっ!? まさか神琴さまが借り物競争に出られるの!?」
「うそぉ! もしあたしが借り出されたらどうしよう!?」
「やだっ、あたしかも!?」
昼食後ということもあり、大人しかった観客席が黄色い声で溢れる。
それを聞いた夜鳥くんと雨美くんが、やれやれと肩をすくめた。
「おわぁー、がぜん女子達が色めきだってるぞ。おっかねぇー」
「九条様って人気だけど近寄りがたいって、大抵の女子は遠巻きに眺めてるだけだからね。でも〝借り物〟だったとしたら、堂々と九条様と手を繋げる訳だ」
「ああ、日ノ本高の借り物競争って〝物〟は借り出されないからねぇ」
……そうなのだ。
我が校の借り物競争のルールでは、〝学校で一番面白い人〟や〝クラスで一番優しい女子〟等、借り出されるのは〝人〟に限定されている。
そして借り出された人と一緒にゴールするのが、毎年の伝統なのである。
これがキッカケで付き合ったカップルもいるって話だし、例年盛り上がる人気種目ではあるが、それにまさか九条くんが参加してしまうなんて……。
なんだか嫌な予感しかしない。
「おい、まふゆ! そんなの許してもいいのか!?」
「ぅえっ!?」
「そうだよ、まふゆちゃん!! もし借り出されたのが女子だったら、絶対舞い上がって勘違いするよ!!」
「え、え……」
楽しそうにはしゃぐ女子達の様子を微妙な顔で見ていると、突然カイリちゃんと朱音ちゃんが叫んで私に詰め寄った。
それに目を白黒させていると、更に二人は言い募る。
「もしかしたらこれを機に、増長するヤツも現れるかも知れないぞ!!」
「そうそう! 『神琴さまと付き合ってるの、あたしー♡』とか言って!!」
「あ、あはは、それはさすがに……」
「――甘いわね」
二人の大袈裟な物言いに苦笑していると、そこで何故かお母さんが呆れたように首を横に振った。
なんだその、〝分かってないわね、こいつ〟みたいな態度……。絶妙にムカつくな。
「な、なに、お母さん? 甘いって……」
「いいこと? 女の子ってのは、些細なキッカケで夢と妄想を膨らませるものなのよ。朱音ちゃんに聞いたわよ、アンタ九条くんと付き合ってること学校では隠してるんですってね」
「そ……、それがなんだっていうの?」
「だったらアンタ達二人の関係を誰も知りようがないんだもの。カイリ達の言う通り、この借り物競争を機に行動がエスカレートする子も居ても、なんらおかしくはないわね」
「う」
妙に説得力のある話に反論も出来ず、言葉に詰まっていると、更に追い打ちをかけるように朱音ちゃんが叫んだ。
「まふゆちゃんっ、風花さんの言う通りだよ! 『九条くんの彼女は私です』って、ちゃんと釘差しとかなきゃ!! まふゆちゃんは、神琴様が別の女の子と仲良く走っててもいいの!?」
「うう……」
確かに競技とはいえ、九条くんが私以外の別の女の子と仲良く……。
想像しただけでなんだかムッとするし、胸がモヤモヤする。
で、でも、もう今更九条くんに出場を止めてもらう訳にもいかないし、そもそも女子が借り出されるって決まった訳じゃ――。
「うぉーーっ!! 行けーーっ!!」
「頑張れーーっ!! 九条様ーーっ!!」
「!?」
と、そこで夜鳥くんと雨美くんの大きな叫び声が聞こえて競技場に視線を戻すと、なんと九条くんが走っている!! もう借り物競争が始まってしまっているではないか!!
慌てて席から立ち上がって見ると、九条くんはグングンと加速して、後方を追いかける選手達との距離を着実に広げていく。
「さすが九条様。やっぱ妖狐は足はえーな」
「問題はこの先のクジで〝誰を借り出すか〟だね」
――そう。100メートル走った先に設置されている、借り出し用のクジ。
引いた内容によって難易度も変わり、順位はまだまだ変動する余地がある。
そこに真っ先に辿り着いた九条くんは、すぐさまクジ箱の中に手を突っ込んだ。
それに観客席の女子達から黄色い悲鳴が上がる。
「きゃあああああ!! 神琴さま! わたしを借り出してーーっ!!」
「いいえ、あたしよ! 神琴さまぁーー!!」
「違うわッ!! 神琴さまに選ばれるのは、このあたしなんだからぁ!!」
ぎゃいぎゃいと騒がしく言い争う声を遠くに聞きながら、私はドキドキとクジを開く九条くんを見つめる。
すると九条くんがクジから顔を上げ、金色の瞳と視線がかち合った。
「――まふゆ!!」
瞬間、ザワッと揺れる競技場。
その場に居る全員の視線が、私へと向かう。
「来てくれ!!」
「――――っ」
差し伸べられた手をすぐにでも取りたくて、朱音ちゃん達に背中を押されたのを感じながら、私は九条くんの元へと一直線に駆け出した。




