20話 雪女と妖狐と体育祭(2)
お昼ご飯タイムに突入し、観客席がザワザワと席を立つ音で騒がしくなる。
今日は父兄も大勢応援に来ているので、この場で一緒に食事をする者や学校周辺のお店に行く者、学食に向かう者等、様々だった。
周りに倣うように、雨美くんと夜鳥くんも席から立ち上がる。
「はぁー飯だ飯だ」
「運動したから、お腹空いたねー」
「あ、もしかして二人はお昼の予定決まってるの? よかったらだけど、ここでみんなでお弁当食べない? 私とカイリちゃんと朱音ちゃんの三人で今朝作ってきたんだ」
そう言って私が持参したカバンから取り出した三段重ねのお重を見せると、二人は目を輝かせて叫んだ。
「ええっ! ホントに!? どうせボク達は親と食べるつもりだっただけだし、雪守ちゃん達の手作りならここで食べたい!!」
「あ、でも不知火も作ったって……」
あからさまにゲッと苦虫を嚙み潰したような顔をする夜鳥くんに、朱音ちゃんがむくれる。
「もうっ! なんですかその、すっっっごく嫌そうな顔!! 失礼ですよっ!!」
「あはは……」
ぷくっとハムスターのように頬を膨らませてむくれる朱音ちゃんは可愛いが、夜鳥くんのデリカシーのない反応も無理もない。
何故なら朱音ちゃんの料理の腕前は、ティダで私の家の台所を爆発させてしまうレベルなので……。
「大丈夫だよ、私とカイリちゃんが一緒に教えながら作ったし」
「うちの下宿先の厨房を破壊されたら堪んないからな。一挙手一投足きっちりと朱音の動きは見張ってたから、まぁ安心して食えよ」
「ええっ!? 二人とも妙にわたしをジッと見てるなぁって思ってたら、そういうことだったの!? もうっ! まふゆちゃんとカイリちゃんまでひどーいっ!!」
「ごめんごめん」
ぷんぷんと憤慨している朱音ちゃんの丸い頬をツンツンしたい衝動を堪えつつ、私はお重の蓋を開く。
すると中身を覗き込んだ面々から歓声が上がった。
「おおーーっ!!」
「なんだ、めっちゃ美味そうじゃん!!」
お重の中身は唐揚げや卵焼き、ウインナーといった定番のおかずに、海苔で巻いた三角おにぎりだ。
男子組は貴族だし、こんな庶民的な具材は口に合わないだろうかとも思ったが、我が家で夏休みを過ごした今、今更だろう。
「いっただっきまーーす!!」
やはり心配は無用だったようで、みんな勢いよくお重に手を伸ばし、おにぎりを頬張る。
「あ、この握り飯すっぺ! 梅だ!」
「ボク鮭だった」
「こっちは昆布だな」
「へぇ、もしかしてみんな中身違うの? 朝早くて慌ただしかったでしょうに、頑張ったわね」
お母さんがおにぎりを食べながら感心したように言うと、カイリちゃんが照れくさそうに首を振る。
「いえ、三人でやったらあっという間でした。下宿先のおじさんとおばさんも手伝ってくれましたし」
「ああ! そうそう、それよ。カイリが下宿先のご夫婦と上手くやれてるか、魚住さん心配してたのよ? でもその様子なら上手くやってるのね。出来れば帝都に居る内にご挨拶に伺いたいけど……」
「それなら今ここに来てますよ、二人とも。ほらあっち」
「え」
カイリちゃんの指差す方を見れば、確かに今朝もお世話になった老夫婦が並んで座り、仲良くお弁当を食べている。今日もお店があると言っていたのに、応援に来てくれたのか。
私達の視線に気づいたのか、二人はにこにこと会釈してくれた。
「あらっ! なら早速ご挨拶してこなくちゃ! わたしはちょっと行って来るから、みんなはお弁当食べてなさい!」
「あ、だったらボクの親はあっちです」
「オレのはそっち」
「オッケー、了解よ」
雨美くんと夜鳥くんがそれぞれ自身の親が座る場所を指差し、それに頷いたお母さんが足早に駆けていく。
それを目で追ってみるとまずは老夫婦に声を掛けており、互いにぺこぺことお辞儀をし合ったかと思うと、あっという間に意気投合して話に花を咲かせているようだ。こうなったらお母さんはなかなか戻って来ない。
「風花さん、誰とでもすぐに打ち解けて、やっぱりスゴイ人だねぇ」
「なんか朝は皇帝陛下と一緒に居たんだろ?」
「うん。ど緊張して貴賓室に入ったら、私を見るなり陽気に手を振られて一気に脱力したよ。あ、そういえばこれ、その時に陛下から貰ったお菓子。みんなで食べなさいって」
言いながら陛下から貰った〝フロなんとか〟を取り出すと、突然雨美くんと夜鳥くんの目の色が変わり、お菓子の包みを引っ掴んで叫んだ。
「ああっ!? これ皇族への献上品で、オレらでも手に入らねぇヤツじゃねーか!!」
「ホントだ!! うわっ、めちゃくちゃ美味しい!!」
早速包みを開けて、お菓子を堪能する二人。
私達渾身のお弁当よりも嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか……?
「ん? そういやこういう時、一番騒ぎそうな木綿が居ねぇな? どこ行った?」
夜鳥くんがもごもごと口を動かしながら、辺りを見回す。
それに私も首を捻った。
「あれ? そういえばまだ戻って来てないね。学校長に連れて行かれたの、結構前だったのに……」
「学校長のお説教が長いんじゃない? あの人話し出すと止まらないから」
「あーそれな。ホント前の全校集会の時はマジで最悪だった」
「前の?」
はて、いつのことだろうか? いつの全校集会でも学校長の話は長いからピンとこない。
すると雨美くんが「ほら」と私に言った。
「あの賭けが問題になった時のヤツだよ。学校長、おんなじ話を何回も繰り返し喋ってたでしょ?」
「ああー……」
そういえばあったっけ、そんなことも。確か夏休み前の頃だったような。
私と九条くんの成績が賭けの対象にされていて、それで私は九条くんに負けたくなくて完徹で勉強していたのだ。
でもそれが原因で翌日の全校集会で倒れてしまって、気がついたら夕方まで保健室で寝ていて……。
「なんか懐かしいな。九条様が全校生徒一喝して雪守抱えて出て行っちまったから、ホントあの場収めんの苦労した」
「そーそー。でも九条様になんとかしろって言われた手前、ほっとく訳にもいかないからねー」
「え……」
何それ、初耳なんだけど!? そんなことがあの時あったの!?
てっきり私、学校長の長話でみんなが改心したものと思っていたのに……!!
「二人の言ってること、本当なの?」
慌てて九条くんを見ると、困ったように微笑まれる。
「そうだね。あの時はまふゆが倒れて、ついカッとなってしまったんだ。気がついたら後先考えず、体が勝手に動いてた。結果的に賭けの話は一気に消えたし、言ってよかったと思うけど」
「…………っ!」
九条くんの言葉に、ぶわっと頬が熱くなるのを感じる。
だってあの時、目を覚めしたら側に居てくれただけでも嬉しかったのに、まさか私の為に怒ってもくれていたなんて……!
嬉しさでドキドキと鼓動が高鳴るのを感じながら、私は九条くんをジッと見つめる。すると誰かがゴホンとひとつ、咳払いをした。
「はいはい、万年バカップル。そのピンクのオーラやめなよ。なんか見ててむず痒くなる」
「なっ、え……!」
振り返れば、呆れたような表情でカイリちゃんがこっちを見ている。それに一気に羞恥心が噴き出して口を開き……、しかし私はそのまま口を閉ざした。
何故なら周囲の観客席で昼食をとっていた他の生徒達が、こちらをチラチラと興味津々に見ているのが目に入ったからだ。
あの目つき、見覚えある。よくみんなが私と九条くんに向ける生暖かい視線を同じ……。
「うぅ……」
夢中になっちゃうと九条くんしか目に入らなくなる癖、なんとかしたいなぁ。
私は恥ずかしさを誤魔化すように、お菓子の包みに手を伸ばす。
――しかし、
「ご歓談中、失礼します」
「!?」
突如目の前に現れた見覚えのある狐面の女性により、恥ずかしくも和やかだった空気は一変した。
「おいっ! その狐面は忘れもしねぇ! 九条家の暗部じゃねーかっ!!」
「な、なんで学校に……!?」
「…………」
警戒心を露わにして叫ぶ、雨美くんと夜鳥くん。
しかしそれには何も答えず、狐面を被った女性――暗部長は、九条くんへと何かの包みを差し出して首を垂れた。
「神琴様、主様より差し入れです」
「は? 葛の葉……?」
意外な人物の名を出されて困惑した顔をしつつも、九条くんはその包みを受け取る。
「何が入ってるんだろう?」
「うん……」
私の言葉に頷いて、九条くんが包みを解いた。
すると中からは黒いお重が現れて、その蓋を開けると入っていたものは――……。
「え……何これ」
「いなり、寿司……?」
漆塗りの立派なお重の中にぎっしりと敷き詰められていたのは、黄金色のお揚げに酢飯を包み込んだ、見るからに美味しそうないなり寿司だった。
さっき〝差し入れ〟って言ってたし、まさかこれ、昼食にってこと……?
「……なんで」
「え、うそ……」
「?」
しかしいなり寿司を凝視する九条くんと朱音ちゃんの様子がなんだか変だ。二人とも明らかに動揺を隠せずにいる。
そしてそのまま、朱音ちゃんが暗部長へと詰め寄った。
「あ、暗部長……! これ……、どうして……?」
「先ほども言ったではないですか、〝主様から神琴様へ〟渡すよう言われたのですよ。朱音、貴女も暗部を離れて久しいですが、くれぐれも暗部としての勘は鈍らすことのないよう」
「それは、どういう……?」
朱音ちゃんは困惑したように暗部長さんを見上げる。
「では私の用件はこれで済みましたので、任務に戻ります。神琴様、午後からもご活躍をお祈りしております」
「あ……」
けれどそんな彼女から暗部長さんは顔を逸らし、九条くんに美しく礼をしたと思ったら、そのままあっという間に消えてしまった。
そのあまりの早業にみんなしてポカンとしていると、お重を見つめたままだった九条くんがポツリと呟いた。
「ばあやのいなり寿司……。どうして……」
「え?」
〝ばあや〟? それって……。
『……多分、神琴様はこの〝ばあや〟の体験がトラウマになってる。自分の不用意な行動が相手に齎す影響を、とても恐れていらっしゃるの』
確か九条くんが幼い頃、あのトンデモ当主によって行方が分からなくなってしまったという、九条家の侍女だった人のことだ。その人がこのいなり寿司を作ったと?
「なんで分かるの? ばあやさんはもうずっと屋敷には居ないんだよね? ならこれは別の人が作ったものなんじゃ……」
「いや」
私の言葉を否定するように、九条くんが首を横に振る。
「見てご覧、油揚げが裏返っているだろ。これはばあやが作るいなり寿司の特徴なんだ」
「はい、わたしも見覚えがあります。これは間違いなく、〝ばあや〟さんによって作られたもの……」
「そんな……」
であるのならば、どうやって?
そしてどうして今、こんなものを寄越してきたのか?
九条くんにとって大切な思い出であろう、この〝いなり寿司〟を――。
『そなた、まふゆと言ったな? 風花に伝えておけ、このままでは終わらんとな』
私の脳裏に、あの地下室での九条葛の葉の言葉が甦る。
「っ」
それに私はゾッと身を震わせた。




