19話 雪女と妖狐と体育祭(1)
「皆さん、おはようございます。本日は待ちに待った体育祭です。この日の為に皆さんは――」
学校長の長ったらしい開会の挨拶を皮切りに、ついに始まった日ノ本高校の体育祭。
互いの力を競い合う生徒達の騒がしい声に混じって聞こえるのは、とある人物に対する憧憬の声だった――。
「わあっ! 本当にうちの学校に、あの皇帝陛下がいる……!!」
「すごいっ!! 頑張っていいとこをアピールしないと!!」
「あ、でも、隣に座る鬼の宰相様の顔怖ぇ……。もしかして睨まれてない?」
我が校の陸上競技場。
その観客席の最前列にある、貴賓用の席。そこの真ん中に座る神々しいばかりの威光を放つ黒髪の男性に、みんなが一様に目を輝かせている。
……それもその筈だろう。
毎年皇弟殿下が出席されるのが暗黙の了解となりつつあった体育祭に、今年はまさかの皇帝陛下自らが母校とはいえ、一高校の体育祭に現れたのだ。
しかも宰相さんまで伴って。これで騒がないはずがない。
「あーあ。みんな陛下を見るのに夢中で、全然競技の方を見てないね」
「気持ちは分かるけど、なんだか切ないよね。私達も色々準備頑張ったのに……」
周囲を見回して言う朱音ちゃんに対し、私は溜息をついて頷いた。
すると後ろでドンっと、何かを置くような音がして振り返る。
「ぷはぁ! ま、その分、わたし達がみんなの応援をすればいいわよ。次の競技には夜鳥くんが出るんでしょ?」
「……そうだけど。ねぇお母さん、学校を花見会場か何かと勘違いしてない?」
私は観客席にどっしりと座り、持参したグラスにご機嫌で泡盛を注ぐお母さんをジトッと見つめる。
貴賓室から出た後、競技場に移動して、生徒会のみんなや朱音ちゃん達と観客席で合流した私達。
どうやらさっきの音は、空いた泡盛のビンを地面に置く音だったらしい。
「別にいいじゃなーい! せっかくみんなの晴れ舞台なんだから! あー、青空の下で飲む酒はやっぱり美味いわぁ! 昼間っから飲酒なんて、最っ高! 大人にだけ許された贅沢ね!」
「…………」
それは〝ダメな大人にだけ許された贅沢〟の間違いではないのだろうか?
そう思いながらも今は応援に集中しようと、私は競技場のトラックに視線を向ける。
するとすぐに目立つ黄色いツンツン頭は見つかった。
「おーい、夜鳥くーーんっ!!」
私が声を張り上げて手を振ると、こちらに気づいたのか、トラックのスタートラインで軽く足を動かしていた夜鳥くんが手を振り返してくれる。
更に彼の隣を見れば、他にスタートラインに並ぶ生徒達はみんないかにも凄そうな体躯の面子ばかりだ。
けれどその中に居ても、夜鳥くんの表情は余裕そのものだった。
「なぁ、鵺は何の種目に出るんだ?」
カイリちゃんが視線を夜鳥くんに向けたまま、私に問いかける。
「えーっとねぇー……あっ、〝100メートルの徒競走〟だ!」
「それ去年も一位獲った、雷護の得意競技だよ。なにせ本性は紫電とも謳われる速さを持つ鵺だからね。もちろん水での最速は蛟だけど、地上では一、二を争う速さだと思うよ」
「へー、だからあんな余裕顔なんだ」
「ほえ? 〝さいそく〟??」
雨美くんの説明にカイリちゃんが頷いたところで、背後からムワっと強いお酒の匂いが漂う。
それに顔を顰めて振り返ると、ヨロヨロとお母さんの隣に座る一人の人物が観客席から立ち上がった。
「あー……、そういえば僕も〝ときょーそー〟出るんでしたぁぁ~」
「えっ!?」
真っ赤な顔で呟く人物の名は、木綿疾風。
毎度お馴染み騒がしい生徒会の顧問であり、私のクラスの担任の先生でもある。
その先生がそのままフラフラと覚束ない足でトラックに向かおうとするので、私達は慌てて待ったをかけた。
「ちょっ! ちょっとちょっと、木綿先生! さすがにそんな千鳥足で参加は無理ですよ!」
「そうだよ、もうベロンベロンじゃん!」
「こんな状態で徒競走に参加して、飲酒してるのが学校長にバレたら、さすがにただじゃ済まないかも知れないな」
「ええっ!?」
九条くんの冷静な一言に私が青くなると、お母さんがペロっと舌を出した。
「あーらら。やだわ、すっかり飲ませ過ぎちゃったみたいね」
「もうっ!! 普通の人はお母さんみたいに酒豪じゃないんだから、限度を考えてよねっ!!」
私はお母さんは叱りつけながら、深く溜息をつく。
こんなことになるならば、お母さんと一緒にみんなで観戦なんてするんじゃなかった……。
◇
貴賓室から競技場へと移動した私達は、既に観客席に集まっていた生徒会のみんなや朱音ちゃん達と合流した。
「おーい、まふゆちゃーん! こっちこっちー!」
「あ、風花さん。お久しぶりです」
「お元気そうでよかったです」
「あー! 朱音ちゃんにカイリに、九条くん達も! みんなも相変わらず元気有り余ってそうね」
そこで久々のお母さんとの再会を、みんなが喜んでくれたところまでは良かった。
……が、ちゃっかり他の飲み物に紛れて泡盛を持ち込んでいたお母さんが、木綿先生を巻き込んで酒盛りを始めたのが運の尽き。
あれよあれよという間に、ご覧の有様となってしまったのだ……。
◇
「うふふー、みんなして僕が遅いと舐めていますねぇ~? 実は〝ときょーそー〟に出ることは前から決めていたんです。僕も足には自信があるので~」
「いや、いやいやいや!」
遅いとか速いとか、今はそういう問題じゃない! その真っ赤な顔でへらへら笑ってる姿が問題なのだ!
ちなみに日ノ本高校の体育祭は生徒も教師も垣根無く参加出来るので、木綿先生が生徒に混じって徒競走に出るのはなんらおかしくはない。ないのだが……。
「へーき、へーきれぇーす! うぉぉぉぉ!! 風が僕を呼んでますよぉぉぉ!!」
「あっ、ちょっ!?」
「ああ、行っちゃった……。大丈夫かな? 激しい雄叫びとは裏腹に、恐ろしくフラフラだけど……」
そしてよたよた歩きでトラックに辿り着いた木綿先生は、早速その姿を目ざとく見つけた夜鳥くんに何事かを言われている。
「……夜鳥さん、木綿先生にすっごい絡んでるね」
「こうか?〝止めてくださいよぉぉ!! 夜鳥くぅぅん!!〟」
「ちょっ、カイリちゃん! アテレコやめて!」
歌が上手いと声真似も上手いのだろうか?
あまりにそっくりな声色にみんながドッと沸く。
――パァン!!
するとその時、レースの開始を告げる号砲が耳に響く。
どうやら笑ってる間に徒競走が始まってしまったようだ。慌てて私は視線をトラックへと戻した。
「あ、見て! 一気に雷護が飛び出したよっ!」
「じゃあやっぱり一位は夜鳥さんで決まりですか?」
本人の宣言通りの快足に、私達は歓声を上げる。
「……いや」
しかし九条くんがそう呟いた瞬間、レースの先頭を走る夜鳥くんを白い何かが一瞬にして抜き去り、その人物が一気にトップへと躍り出た。
「!? なっ……!?」
「えっ!? 今のって、まさか……!!」
「うん。一反木綿になった木綿先生だね」
「ゴーーーール!! 一位はなんと前回覇者の夜鳥氏を大きく抜いて、木綿先生だあぁぁっ!!!」
まさかのダークホースの登場に興奮したアナウンスに、ワッと観客席も盛り上がる。
けれどそこで、お母さんが泡盛を飲みながら不思議そうに首を傾げた。
「あら? でも妖怪が本来の姿で出場するのは、NGじゃなかったかしら? 人間との公平を期する為に」
「はい、その筈です」
「え、じゃあ……」
「あ、やばっ!」
「え?」
慌てたような雨美くんの視線を辿ると、ちょうど般若のような顔をした学校長が、木綿先生へと近づいて行くところだった。
「くぉら!! 木綿先生っ!!!」
「ひっ!? がっ、学校長!!?」
「君は一体何をやっとるんだ!? 生徒達のお手本とならなければいけない立場でルールを破り、あまつさえ就業中に飲酒までしておるとは! 特に今日は皇帝陛下の御前なのだぞ!! ちょっと弛んどるんじゃないのかね!?」
「い、いえ……、そんな……、滅相もないですぅぅ……」
「言い訳はいいから、ちょっと学校長室に来なさいっ!! 君にはしっかりとお説教だっ!!!」
「そ、そんなぁ~!!」
二人の大声は観客席にまで響いており、学校長に引き摺られてドナドナされていく木綿先生の姿は、注目の的となった。
もちろん皇帝陛下もバッチリ見ており、楽しそうにケラケラと笑っている。
……その横に座る宰相さんの表情はあまりに怖すぎるので、見なかったことにしよう。
「えー……、発表します! 審議の結果、今の木綿先生の記録は取り消し! 取り消しです!! その結果繰り上がりまして、二位の夜鳥氏が100メートル徒競走の一位となります!!」
学校長と木綿先生が去った後、発表されたアナウンスにまたワッと観客席が盛り上がる。
そして大きな拍手と共に、夜鳥くんの首に金色のメダルが掛けられた。
「ふふ、結局は順当な結果だったねぇ」
「うん。夜鳥くんかなり張り切ってたから、よかった」
木綿先生については学校長は話し出すと止まらない人なので少々不憫であるが、仕方ない。私達はちゃんと止めたのに、自業自得だ。
心の中で木綿先生に合掌していると、ちょうど夜鳥くんが観客席に戻って来る。
「おーいっ!」
「あ、一位のご帰還だ」
「おめでとー! はい、スポーツドリンク。お母さんからの差し入れだって」
「おおっ! ありがとうございます、風花さん!」
「いいのよー。いっぱいあるから、どんどん飲んじゃって」
自分こそ泡盛をグビグビ飲みながらお母さんが上機嫌に笑う。
差し入れにちゃっかり自分用のお酒まで混ぜて持ってくるだなんて、お母さんらしいと言えばそうだけど、なんとまぁ呆れてしまう。
「てかお前ら、ちゃんとこのオレの勇姿を見てたのかよ? まぁちょっとばかし、木綿に水刺されちまったけど……」
「あはは。レース的にはそれはそれで盛り上がったんだし、いいじゃん」
その興奮と引き換えに、木綿先生は学校長による無限説教地獄編に突入してしまったが……。
しかしその元凶であるお母さんはそんなことどこ吹く風で、体育委員達が次の種目の準備を進めているトラックをキョロキョロと見回している。
「次はなんの競技かしら? まふゆはいつ出るの?」
「えーと……。あ、私次のだ。パン食い競走」
「ホント!? それわたしもだよ!」
「え、アンタらも出るの? あたしもだよ」
「おー、女の子組全員かぁ。頑張ってらっしゃい」
ポンと私の背中を押すお母さんの表情はいつもの明るいもので、先ほど貴賓室で見せた様子は夢だったのかと思うくらいだ。
『九条くんのこと。楽観的なことは何も言えないけど、でも今日でなんらかの決着は着けるから。だからもう少しだけ待ってて』
うーん、あの言葉の真意。聞きたいのは山々だけと、今は聞けないよなぁ……。酔ってるし。みんなの前だし。
「……うん、ありがと。いってきます」
後ろ髪を引かれながらもお母さんにそう答えて、私は朱音ちゃんカイリちゃんと共にトラックへと向かう。
――そしてそんなこんなで瞬く間に体育祭は進行し、時計の針はあっという間に午後12時。お昼ご飯タイムに突入したのだった。




