18話 雪女と皇帝の不思議な再会
「ほら、まふゆ。こっちのフロランタンは美味いぞ。遠慮せずどんどん食べなさい」
「は、はぁ……」
ここは日ノ本高校の皇族専用貴賓室。
その場に全く似つかわしくないジャージ姿の私は、ちょこんと広々した革張りのソファーの端に腰掛けて、目の前の神々しい威光を放つ黒髪の壮年の男性――皇帝陛下に勧められるまま、お菓子をひとつ摘まんで口にする。
「っ……!?」
お、美味しいっ!! サクサクの生地に香ばしいアーモンドが乗っていて、和菓子とは違うキャラメルの甘さが舌をトロトロにとろけさせる!!
「おお、気に入ったか? それは先日献上されたものなのだが、私もとても気に入っていてな」
「へぇーどれどれ? その〝フロなんとか〟って、そんな美味しいんだ」
そう言って私の横からお菓子の包みに手を伸ばすのは、夏休みから約2か月振りの再会となるお母さんである。
サクサクと軽やかな音を立ててお菓子を頬張ると、膝を叩いて悶絶した。
「あ、うまっ! これいい! 國光! これ今度わたしんちに送ってよ!」
「……風花殿。いくら我々しかいない場とはいえ、あくまでも陛下はご公務中なのですから、私的な呼び名は控えていただきますよう」
「なぁにぃ? 相変わらずかったいわねぇー、〝鬼の宰相様〟は」
「……私には近衛正宗という名がありますが」
「えー? 私的な呼び名は控えろって言ったのは、そっちなのにぃー!」
ケラケラとお母さんがソファーに座る陛下の背後に控えるように立っている、鬼一族の当主であり、日ノ本帝国の宰相でもある、近衛正宗さん(今初めて名前を知った)を指差して笑う。
対して宰相さんは表情こそ変えないものの、辺りには恐ろしいまでの妖力が漂っている。
それに内心では彼が激怒していることを察して、私は恐怖で喉が引き攣った。
「こらこら、正宗。妖気を漏らすな。ただでさえお前は顔が怖いのに、まふゆが怯えるではないか」
「……それは失礼」
陛下の一言ですぐに妖力は収まり、私はひとまずホッとする。
……が、しかしこの状況は一体何!?
なんで私、皇帝陛下とお母さんと宰相さんと一緒に貴賓室でお菓子食べてんの!?
えーっと、事の発端はそう、
体育祭の来賓として我が校に現れた陛下が〝私を呼んでいる〟と学校長に呼び出されたからであった――……。
◇
「……え、皇帝陛下が私を呼んで……ですか?」
――主演舞台にハコハナへの小旅行と、慌ただしく日々が過ぎていった為、すっかり忘れがちではあったが、今日はいよいよ体育祭本番であった。
生徒会は主体で動かなくていいという前置きではあったものの、体育委員会に運営について相談を受けることも多く、結局仕事量は文化祭の時とさして変わらなかったような気がする。
とはいえ無事に当日の前準備も終え、生徒会としての仕事はほぼ終了。
ホッとして九条くんと共にクラスのホームルームに出ようと教室へ向かっていたところに、学校長が慌ただしく私を呼び止めたのだ。
「そうなんですよ! 先ほどご到着された皇帝陛下を私がお出迎えしたら、開口一番に〝雪守さんには会えないのか〟と聞かれて」
「ええっ!!? っ、わぁっ!?」
「おっと、大丈夫?」
「あ、ありがと……」
驚いて転びそうになったところを隣にいた九条くんに支えられ、私は慌ててお礼を言う。
もう付き合っているのだから少し体が触れ合うくらいでいちいち動揺するのはおかしいのかも知れないが、でもドキドキするものはドキドキするのだ。
絶対に胸の鼓動を聞かれているなと思いつつも、その温かな体からそっと離れる。
「あ、そうそう! 実は陛下とご一緒になにやらとてもお美しいご婦人が居られたので、どなたかと尋ねたら、なんと雪守さんのお母様だとおっしゃるじゃないですかっ!! 通りで似てるとは思いましたがっ!!」
「えっ!?」
「風花さんが皇帝陛下と?」
「とぉーっても陛下と仲が良さそうでしたよ! あんな女神みたいな女性とお話なんて、なんとも皇帝陛下が羨ま……ゲフンゲフン、失礼! お二人は一体どういうご関係なんですか!?」
「いや……」
どうと聞かれても私も分かんない。しいて言うなら、同じ生徒会に所属していた友達……?
ていうかお母さん、体育祭に来るとは言ってたけど、陛下と一緒にいるってどういうこと!?
カイリちゃんの編入試験の件といい、分かんないことが多過ぎるんだけど!?
「それにしても雪守さんのお母様、私どこかで見た覚えがあるような……? しかしあんな極上の美女をこの私が忘れる筈が……っと、ああっ! 今はそれどころじゃありませんっ! さぁ、とにかく急いで! 陛下を待たせる訳にはいきません!! そんなことをしたら、あの恐ろしい形相の鬼の宰相様に殺されてしまいますっ!!」
「え、あの……っ!?」
普段話がバカ長い学校長が手短に話を終わらせようとするとは、本当に急いでいるということだ。〝鬼の宰相様〟恐るべし。
ていうかあの宰相さんも一緒にいるんだ……。
あの人、学校長じゃないけど怖そうでちょっと苦手なんだよなぁ……。
ふぅと溜息をつくと、私の憂いが伝わったのか、九条くんに軽く肩を叩かれた。
「俺も貴賓室の前までだけど、一緒に行くよ」
「うん、ありがとう」
その言葉に一瞬で不安な気持ちが安心へと置き換わる。
はぁ、手を繋ぎたいなぁ。
ああでも、学校長の前だし我慢しなきゃ。
私と同じジャージ姿の九条くんは、去年は不参加だった体育祭に今年は参加するらしい。
本当はずっと参加してみたいと思っていたのだと、昨日寮の自室で笑って言っていた。
一緒に参加出来るのは嬉しい。
でも、やっぱりちょっと不安。
私の氷の妖力は、いつまで九条くんを癒してあげられるのだろう?
もっともっと大きな力が私にあれば、九条くんをこれ以上苦しめなくて済むんじゃないだろうか……?
「あああ、雪守さん!! 甘い雰囲気はいいですから、とにかく急いでっ!!!」
「甘っ……!? いいえ、全然甘くないですからっ!!」
むしろ我慢して甘い雰囲気を作らないようにしてるのに、何言ってるのこの人!?
そう思いつつも、ぐいぐいと学校長に急かされるまま、私は貴賓室へと向かうことになったのだけれど……。
◇
「まふゆ、こっちのフィナンシェも美味いぞ! 遠慮せずどんどん食べなさい」
「はぁ……」
最初こそ緊張したものの、異様にフランクな陛下に毒気を抜かれたというか、気持ちが緩んだというか。
なんだろう、本当に。
陛下とお母さんが友達だから、その友達の子供も可愛いってやつ?
まさか本気で私にお菓子を食べさせる為だけに、ここへ呼んだんだろうか……?
「そういえばまふゆ、さっきの見てたわよ。九条くんにここまで送ってもらっちゃってぇ。なんか漂う雰囲気も2か月前と違って甘ったるかったし、まさか何か進展でもあったの?」
「へぇっ!!?」
油断していたところにいきなり九条くんの名前を出されて、声が裏返ってしまった。
すると案の定面白いものを見たというように、お母さんが目を輝かせて、からかいモードへと突入する。
「何々? まさかくっついたの!? ついに!?」
「ついにって……、やっぱりお母さん、私の気持ち知って……あ゛」
またティダのパンケーキ屋さんの時と同じ墓穴を掘ってしまった……! は、恥ずかし過ぎる……!
私は頭が真っ白になって固まる。
すると目の前に座る陛下までもが何故か顔色が変わり、持っていたお菓子の包みをポトンと膝に落とした。
「く、くっつくって、何だー!? まさかまふゆに男が出来たのか!? しかも先ほど風花は〝九条くん〟と言っていたか……!?」
「え、ええっと……?」
突然めちゃくちゃ据わった目で陛下にそう問いかけられ、反応に困る。
え、なんで陛下はそんなに私の彼氏の有無に必死なの?
「陛下こそお嬢さんを怯えさせていますよ」
「そうよ。ただでさえウザいおじさんに敏感な年頃なのに、あんまり詰め寄ると嫌われちゃうわよ」
「おじっ……!? 嫌われ……!? そうなのか、まふゆ!?」
「い、いいえ! 陛下を嫌うなんて、滅相も無い!」
あまりの圧にブンブンと首を横に振れば、陛下がホッとしたように息をつく。
え、何これ? だからなんで陛下はこんなに私に好かれるかどうかで必死なの?
まさか本当に愛人にするつもり……は、無いか。奥さん一筋だって言ってたもんね。
「しかしまふゆに男……。ああ、頭が……」
「10代後半の思春期に青春はつきものです。陛下ご自身も思い当たるところがあるのでは?」
「うるさいっ。それとこれとは話が別だ。言わずとも察しろ、頭の固いヤツめ」
「ふーん、でもそうなんだぁ。九条くんと、ふーん……」
「うう……」
なんで私の彼氏の話題でこんなに盛り上がってるの? い、居たたまれない……。
羞恥のあまりソファーの隅で小さく縮こまっていると、陛下がコホンとひとつ咳払いをした。
「そうだ、時にまふゆ。その、くだんの……九条家の彼の様子はどうだ? 先ほども少しだけ姿を見たが、表情だけでは分からん。何か変調は無いのか?」
「え」
「ティダでは発作を起こして倒れていただろ」
「あ、ああ!」
そうだった。陛下には九条くんの病気のことを、詳しく聞きそびれたままだったんだ。
結果的に九条家の暗部長であるという狐面の女性によって知ることとなってしまったけど、この人は九条くんのお父さんである紫蘭さんとも仲がよかった人。
お母さんも紫蘭さんとは同じ生徒会だったというし、色々尋ねるいい機会かも知れない。
――でも。
「…………」
チラリと陛下の背後に立つ宰相さんに視線を向けると、それを見た陛下が微笑んだ。
「心配せずとも、正宗も九条家の奇病の件は承知している。気兼ねせず話すといい」
「そうなんですね」
その言葉にホッとして、私は口を開く。
「えっと、九条くんは……、以前陛下が立ち会われた時よりも症状は進行しています。……確実に」
「そうか……やはり」
「それで実は陛下にお聞きしたいことがありました。その、紫蘭さんはやっぱりもう……?」
端的な問いだけで私が言いたいことを理解したのか、陛下が頷く。
「うむ。アイツは当時まだ26歳。かの病を患った者の中では長命な方ではあったのだろうが、それでも誠に早すぎる死だった。妻と幼い息子を残していくのはさぞ無念であっただろう」
「〝妻〟……」
そうだ。
紫蘭さんととても仲が良かったという陛下なら、九条くんのお母さんのことを知っているかも知れない。
あのトンデモ当主じゃなくて、彼の〝本当のお母さん〟を――。
「あの、九条くんのお母さんってどんな方なんですか?」
「え?」
陛下に向かって尋ねると、それに先に反応したのは、私達の話を横で聞いていたお母さんだった。
何故か不思議そうに首を傾げている。
「どんなって、まふゆも会ったって言ってたじゃない。葛の葉よ。九条葛の葉」
「じゃなくって、本当のお母さん。だって妖狐一族の当主は、義理の母なんでしょ? 九条くんが前にそう言ってたもん」
「え……」
――コンコン
私の言葉にお母さんが目を見開いた瞬間、扉をノックする音が室内に響いた。
「皇帝陛下、そろそろお時間です。競技場に向かうご準備をお願い致します」
「……時間か」
扉越しに聞こえた学校長の声に、陛下が立ち上がる。
「話の途中ですまないが、ここまでだな」
「あ……」
「ではな、まふゆ。色々話せて楽しかったぞ。その机にある菓子は全部持っていくといい。友達と食べなさい」
「え、わわっ!?」
陛下は以前の去り際と同じようにグシャグシャと私の頭をかき回すようにして、豪快に撫でてくる。
そしてそのまま着ている羽織を翻し、宰相さんを後ろに従えて、あっという間に部屋を出て行ってしまった。
「…………」
ああ、また決定的なことは聞きそびれてしまった……。
陛下の後ろ姿に妙に寂しさを覚えて、扉が完全に閉まった後も、ぼんやりと見つめる。
「まふゆ」
「え?」
すると不意にお母さんに私の名を呼ばれ、それに振り向けば、唐突にぎゅっと強く体を抱きしめられた。
「……お母さん?」
「…………」
どうしたんだろう?
少しだけ震えている両腕が不思議で問いかけると、呟くようにお母さんが言う。
「……九条くんのこと。楽観的なことは何も言えないけど、でも今日でなんらかの決着は着けるから。だからもう少しだけ待ってて」
「え……?」
それってどういう意味?
口元までそんな言葉が出かかる。
しかし実際に問いかける前に、お母さんはいつもの調子で元気よくソファーから立ち上がって伸びをした。
「ん~! さて、じゃあわたし達も競技場に移動しましょっか! あ、お菓子忘れずにね。カイリや朱音ちゃん達の活躍、楽しみだわ~」
「う、うん……」
先ほどの思い詰めたような様子を一変させ、ルンルンと貴賓室を出て行こうとするお母さん。
なんとなく質問出来ない雰囲気を感じながら、私もその後を慌てて追いかける。
「…………?」
何? お母さんは今日、一体何をしようとしているの?
今の言葉の真意も気になるが、もう一つ引っかかるのは、九条くんのお母さんの話題を出した時の反応。
『じゃなくって、本当のお母さん。だって妖狐一族の当主は、義理の母なんでしょ? 九条くんが前にそう言ってたもん』
『え……』
九条葛の葉のことを〝義理の母〟と私が言った時、お母さんは心底驚いたような顔をしていた。
それは、一体なぜ……?
キャラメモ12 【國光 くにみつ】
日ノ本帝国の皇帝陛下
黒髪に黒い瞳で趣味は冒険
風花や葛の葉、紫蘭とは学友だった
何故かまふゆに親しげだが……?




