16話 雪女と妖狐の初めてのデート
夜が明けてハコハナ旅行も2日目。
昨日高級ホテルのおもてなしをたっぷりと満喫した私達一行は、今日は部長さんの勧めもあって温泉街からほど近い、ハコハナの有名観光名所――地獄谷を訪れていた。
「わぁー! みんな見てみて! 山から白い湯気がいっぱい出てるよ!」
「ホントだ! 温泉街で見た比じゃないじゃん! 硫黄の匂いもすっごい!」
「〝地獄谷〟って、まさに名前通りの景色だよね!」
朱音ちゃんが指差す方を見上げれば、山肌を覆い隠すほどにもくもくと白い湯気が立ち上っている。
「でも地獄谷ってなぁに? 他の山とはどうしてこんなに違うのかな?」
朱音ちゃんが山をスケッチする手を止めて呟くと、真っ先にそれに反応したのは木綿先生だった。
「ふふふ。いい質問です、不知火さん。他の山と何が違うかというと、それはこの地獄谷が活火山であるということですね。その白い湯気は今もなお山が生きている証なんですよ」
「へぇー! そうだったんだぁ!」
「さすが先生、伊達に教師じゃないじゃん」
「ふふふん! でしょでしょ! 僕だってたまには先生なところを見せますよ! なんならもっと褒めてくれても……」
「ちなみに俺達が立っているのは、〝火山が噴火した時に出来た火口の跡〟だね。この谷にあちこちある噴気孔から湯煙が立ち上る様子がまるで地獄の様相だってとこから、〝地獄谷〟って名前の由来になったらしい」
木綿先生が得意げに胸を張ったところで、九条くんが先生の話に補足するように付け加える。
それに朱音ちゃんとカイリちゃんが感嘆の声を上げた。
「ええっ! じゃあ地獄っていうのは、まんま閻魔様の地獄から来てるんですね! おもしろーい!」
「なんだよ、銀髪の方が先生より博識じゃん!」
「いや俺のは本で得た知識だし、そんな褒められるようなことじゃ……」
「うぇぇぇん! 僕だってうんちく頑張ったのにぃーー!!」
「あはは……」
九条くんをきゃっきゃっと持て囃す女子二人に、木綿先生がわっと泣き出す。
それに私が苦笑していると、「雪守っ!」と不意に背後から名前を呼ばれ、振り返る。
「あ、雨美くんに夜鳥くん」
見ればこちらへと飛び跳ねるようにして走って来るのは、私達の輪からいつの間にか居なくなっていた貴族コンビだった。
結局昨日は一晩中遊んでほとんど寝なかったらしいのに、全く元気なことである。
「見てみてよ、コレ!」
「コレだよ、コレコレ!」
「は?? 何?」
二人はまるで某オレオレ詐欺みたいな言い方で、私に何かを差し出してくる。
それにまた何か良からぬことでも企んでいるのかと怪訝な目を向ければ、焦れたように夜鳥くんが叫んだ。
「いいから受け取れよ!」
「あーもー、分かったよ」
仕方なく受け取れば、〝何か〟の正体は何故か見事に殻が真っ黒く焦げた卵だった。
私は呆れた表情で夜鳥くんを見やる。
「あのねぇ、夜鳥くん。食べもので遊んじゃダメなんだよ? まさか卵に雷でも落としたの? こんなに殻が真っ黒焦げになっちゃってぇ……」
「は……?」
私の指摘にポカンと虚を突かれたような顔をする夜鳥くん。
しかしすぐさま一転し、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ちっ、ちげぇよ、バカ!! これは元々こういう黒い殻の卵なんだよ!!」
「えっ? どゆこと??」
「雪守ちゃんはハコハナに来るの初めてだもんね。この地獄谷で温泉卵を作ると、こんな風に真っ黒な殻になるんだよ」
「へ、へぇぇー!?」
雨美くんの説明に私は目を丸くする。
どうやらこの現象が起きるのは、地獄谷だけでハコハナ全体ではないらしい。なんとも不思議な話だ。
「なんでも地獄谷に充満している鉄分が、温泉で茹でた時に卵の殻へと付着するかららしいね」
「えー鉄分が? だからこんな黒いんだ……」
またも博識な九条くんから黒い卵の由来を聞き、私は夜鳥くんからひとつ受け取った卵の殻をパリパリと剥いてみる。
するとなんということだろう! 殻の中からはツルンとピカピカ、真っ白な温泉卵が現れた。
「わー、中身はちゃんと白い! てか固ゆでになってるし! はい、九条くん」
「あ、ありがとう」
全く半熟じゃない温泉卵を半分に割って片方を九条くんに渡すと、受け取った九条くんが口に入れる。それに私は問いかけた。
「美味しい?」
「ゆで卵の味だね」
「あははっ! そのまんまじゃん!」
なんだかおかしくて吹き出すと、同じように九条くんも笑う。
こんななんてことのないやり取りだけど、今日はいつもと違って見える。
具体的に言うと、以前よりもっともっと甘く優しいものに感じてしまうのだ。
……もちろん、その理由はひとつしかない。
それは私達が昨日ついに互いの想いを伝え合い、恋人同士になったから。
だからこんな些細なやり取りの全てが尊くて、素敵なものに感じてしまうのだ。
「ああっ! この先は火山の噴火口だって!」
「えっ、見てみたいんだけど!」
「せっかくだし行ってみよーよ!」
「じゃあ誰が一番速く着くか競走な!!」
「ふふふ、速さでこの一反木綿を超えることは出来ませんよぉーーっ!!」
九条くんと温泉卵を完食した時、ちょうど前方が騒がしくなった。
それに視線を上げれば、私と九条くん以外のみんながどんどんと山を駆け上って行くのが見える。
「えー! みんな走ってっちゃった!」
「なんだかティダの時を思い出すな。俺達も行こうか」
「うん」
元気過ぎるみんなに笑いつつ、着いて行こうと歩き出す。
すると……、
「待ってえぇぇぇ!!」
「えっ、朱音ちゃん!?」
先に走って行ったはずの朱音ちゃんが、何故かこちらに向かって戻って来る。
そしてあっという間に息を切らせて私達の元へと降りてきた。
「はぁはぁ……」
「ど、どうしたの、朱音ちゃん? せっかく登ったのに、また降りてきて……」
「うん……。二人に伝えようと思ってて、すっかり忘れてたのを思い出して」
「? なんだ?」
〝私達二人〟と名指しされ、私と九条くんは互いに顔を見合わせる。
もしかしてまた九条家絡みのことだろうか……?
暗部長さんと接触した件もあるし、あり得る。
内心そう身構えるが、しかし朱音ちゃんの口から放たれたのは、全く違う話だった。
「実は噴火口に行かずにこのまま山を下ると、大きな湖があるんですって。部長さんの話だと、その湖はすっごく青く澄んでいて、とてもロマンチックなんだそうで」
「へぇー! 部長さんがロマンチックって言うなら、本当にすごそうだね! なら噴火口行った後に、みんなで一緒に……」
「――まふゆちゃん」
パッと顔を輝かせて私は言いかけるが、だが次の瞬間、コソッと耳元で囁かれた朱音ちゃんの言葉によって全て吹っ飛んでしまう。
「神琴様と何か進展があったんでしょ? いいからわたし達に遠慮しないで、二人でデート楽しんできなよ」
「えっ!!!?」
「ずっと出てるよ、幸せオーラ」
「!!!!!???」
出てる!? 何がっ!!?
思わず全身を隈なく見分するが、物理的には何も出していないようだ。よかった……。いや、よかったのか??
更には上から視線を感じて見上げれば、噴火口へと走り去ったはずの他の面々までもが立ち止まってこちらを見ており、みんなのその生暖かい表情に一気に羞恥心が込み上げてきた。
えっ、何その顔!? もしかして全員に私達のことが筒抜けってこと!!? えっ、ええっ!!!?
「……いいのか? まふゆを独占しても」
「どっ……!?」
「はい、どうぞ。とういうか神琴様、ずっとお顔がそんな感じの表情してましたもん」
「えっ!?」
そうなの!?
朱音ちゃんの言葉に慌てて九条くんを見ると、彼も一瞬だけ驚いたような顔をして、やがて苦笑した。
「なんだかんだ朱音にはお見通しなんだな」
「ふふ。これでも10年以上、神琴様を見守ってきましたから」
「そうだな……」
呟いて九条くんは目を閉じ、そして次に目を開いた瞬間、私の肩を抱いてくるりと朱音ちゃんに背を向ける。
「え、く、九条く……!?」
「せっかくだし、みんな好意をありがたく受け取ろう。その湖に行ってみようか」
「! う、うん……!」
みんなにお膳立てされたものにそのまま乗っかるというのは少々恥ずかしいが、それでも九条くんと二人きりで過ごせるのはとても嬉しい。
素直に頷くと、それを見た九条くんの顔が何故か赤らんだ。
「九条くん?」
それに首を傾げると、九条くんがボソリと呟く。
「本当にまふゆは表情で感情が丸わかり過ぎる。なんでそんなに可愛いのかな……」
「っ、……!!」
それはこっちの台詞だと思う。
照れた九条くんが可愛すぎて、心臓がもたない……。
◇
「わぁ……!」
「確かにまるで絵の具を垂らしたみたいに、見事に鮮やかな青だな」
「うんうん! すっごく綺麗!」
朱音ちゃんに言われた通りに山を下ると、美しく大きな湖にすぐに辿り着いた。
どうやら私達が知らなかっただけで巷では人気のスポットだったようで、湖には遊覧船がいくつも走り、湖畔には出店がずらっと立ち並んでいる。
「あっ! 山あいに日ノ出山が見える! こっちからはお煎餅のいいにおーい!」
温泉街や地獄谷とはまた違った情景に心躍らせ、視線をあちこちに移す。
するとそんな私の手に、温かな九条くんの手が触れた。
「!」
「あんまりはしゃいでると、湖に落っこちるよ」
「さ、さすがにそこまでドジじゃないもん!」
「どうかな? ティダでボートに乗った時、危うく海に真っ逆さまだったのは誰だったかな?」
「うっ!」
わりと新しい情報を出され、返す言葉もない。
でもそれにクスクス笑う九条くんが悔しくで、私はなんとか言い返す。
「あれは動揺していたの! 事故なのっ!」
「へぇ? じゃあ何に動揺してたの?」
「そ、それは……!」
九条くんの水着姿……。有り体に言えば、剥き出しの素肌にドキドキしていました。……なんて、素直に言えば変態認定されそうで言えない。
思わず口篭っていると、九条くんが堪えきれないというように吹き出した。
「はははっ! 本当にまふゆって、嘘がつけないなぁ」
「うう……」
これは言わずとも伝わったというやつだろうか?
恥ずかしくて俯く私に、九条くんがポツリと呟く。
「俺だってあの時、同じくらい動揺していたよ。だってまふゆの水着姿は想像はしていても、実物の破壊力はやっぱり凄まじかったから」
「そ、想像!?」
「そりゃ好きな子の水着姿くらい、想像するよ。俺だって男なんだし」
「〝好〟っ……!? ……そ、そうですね」
「なんで敬語?」
「……なんとなく?」
「はははっ!」
九条くんは本当に楽しそうに笑っていて、それが無性に嬉しい。
まるでお互いの楽しいが伝染するみたいに、いつまでだって幸せな気持ちが溢れている。
「まふゆはまず何がしたい?」
「うーん、そうだぁ……」
――それからの時間はあっという間で、一緒に遊覧船に乗ったり、匂いにつられて出店のお煎餅を食べたり。いっぱい、いっぱい二人っきりの時間を満喫した。
でもこんなんじゃ全然足りなくて。
もっと、もっともっと、こんな風に笑い合いたい。話をしたい。一緒にいたい。……いつまでだって。
そう、願ってしまう。
でも――……、
「っ、ごほっ!」
「九条くんっ!!」
ゴホゴホと激しく咳き込む九条くんの背を、私は慌ててさする。
そして周囲に誰もいない静かなベンチに座らせて、手に氷の妖力を込めた。
「……っ、はぁ、……ごめん、まふゆ」
「ううん。いいの、謝らないで」
肩で息する九条くんの背中をさすって、私は笑う。
……けれど上手く笑えているだろうか?
だって見てしまったのだ。
『この病はどんなに高名な医者でも治せなかった、原因不明の奇病です。発症したが最後、発作的に妖力が体の中で暴れ出し、異常な発熱と呼吸困難に陥る。そしてそれは年齢を重ねるごとに重症化し、例外なく二十歳前後で発症者は死に至る』
九条くんの手のひらに付着した、吐血の痕を。
「大丈夫? 落ち着いた? 少し水で首とか冷やすと、楽になるかも。私、ちょっとハンカチ濡らしにお手洗いに行ってくるね」
「ああ、うん。あ、まふゆ……」
九条くんが何か言いかけたのも構わず、私はすぐさまお手洗いへと駆け込んでザバザバとハンカチを水で濡らす。
ポタポタと手を濡らしていく、水以外のものを気にしないようにしながら。
「……っ」
泣くなバカ。泣き虫。
苦しいのは、辛いのは、他ならぬ九条くんなのに……!!
弱気にならない、絶対に九条くんを諦めたりしないって決めてるのに……!!
「ううっ、ああ……っ!!」
分かっているのに……ダメだ、涙が止まらない。




