14話 雪女と妖狐の恋の行方(1)
「じゃあまた明日ね。まふゆちゃん、おやすみなさい」
「おやすみー」
「うん、おやすみ。朱音ちゃん、カイリちゃん」
手を振って、私は割り当てられた自室へと入る。
まだ朱音ちゃんとカイリちゃんは二人でおしゃべりするらしく、向かいにある朱音ちゃんの部屋へと入って行った。
「ふぅ……」
それを横目で見ながら自室の扉を閉め、溜息を漏らす。
――あれから豪華な夕食を終えた私達は、その後もラウンジに移動して日付けが変わるギリギリまで盛り上がっていた。
ついさっきまでとても賑やかだった分、こんなだだっ広い部屋に一人きりというのは、どこか寂しさを感じる。
「寝よう……かな」
夜鳥くんや雨美くん達もまだ遊んでるみたいだけど、明日はハコハナ観光をする予定なのにちゃんと起きられるのだろうか?
確かにこんな高級ホテルに泊まれる機会なんて、もう二度とあるか分からない。ならば目一杯満喫しなければ勿体ない。
私だってそう思うのだが、しかしどうにも今はそんな気分になれなかった。
一瞬今からでも朱音ちゃんの部屋に行くことも頭をよぎったが、結局寝る準備を整えたら、5、6人は眠れそうな巨大なベッドに体を横たえて、私はそっと目を閉じた。
「…………」
――カチコチ、カチコチ。
しかし時計の針が進む音が妙に耳に響いて、眠気は一向にやって来ない。
別に枕が変わったせいじゃない。
実は舞台が終わってからは、ずっとこうなのだ。
……原因は分かっている。
『この病はどんなに高名な医者でも治せなかった、原因不明の奇病です。発症したが最後、発作的に妖力が体の中で暴れ出し、異常な発熱と呼吸困難に陥る。そしてそれは年齢を重ねるごとに重症化し、例外なく二十歳前後で発症者は死に至る』
九条くんの病気。考え込んだってしょうがないのは分かっているのだが、つい一人になると頭に浮かんでしまう。
「はぁ……」
寝返りを幾度か繰り返した後、ついに寝るのを諦めて、私はギジリと音を立ててベッドから降りる。
そしてごそごそとカバンからお風呂セットを引っ張り出して、そっと部屋を出た。
『しかも24時間入り放題な上に、……』
お湯に浸かれば、体が温まって眠気も起きるかも知れない。
昼間の朱音ちゃんの言葉を思い出し、私は真っ直ぐ離れの温泉へと向かう。
――ガラガラ
内風呂を抜けて露天風呂に出ると、昼間と違ってヒンヤリとした空気が肩に触れた。
夏休みも終わり、少しずつ季節が秋めいてきたのを肌で感じる。
「……ふぅ」
体を洗ってちゃぷんと肩まで湯に浸かれば、強張っていた体がホッとほぐれていくのを感じた。
あ、なんかいい感じにウトウトしてきたかも。
しかし瞳を閉じて気持ちよく微睡みかけた、その時だった。
――ガラガラ
「!」
突然誰かが露天風呂に入って来る音がして、慌てて私は目を開ける。もしかして朱音ちゃんか、カイリちゃんだろうか?
そう思って声を掛けようとしたのだが……、
「~~~~っ!!?」
「ま、まふゆ!?」
なんと目の前に居たのは、腰にタオルを巻いただけの姿の九条くん!!
えっ!? なんで九条くんが女湯に!? まさか九条くんが、夜鳥くん化した!!?
あまりの事態に、あわあわと私の頭の中が大パニックになる。
「な、なななな……!?」
「まふゆ、なんで男湯に……?」
「え゛」
困惑したような九条くんの言葉、それが耳に届いた瞬間、混乱で爆発寸前だった私の思考が停止する。
お、男湯……?
「時間ごとにここの温泉は男女で入れ替わるらしいんだ。入り口の札が付け替えられていたの、気づかなかった?」
「あ……」
そういえば24時間入れること以外にも、昼間朱音ちゃんはこうも言っていたっけ?
『男女が時間ごとに入れ替わるから、いつ入っても違う雰囲気が楽しめるんだって!』
「~~~~っ!!?」
彼女の言葉をハッキリと思い出した瞬間、今度こそ私の頭は爆発した。もちろん羞恥で。
バカじゃないの、私っ!! ボーっとしてて、札なんて全然見てなかった!!
これじゃあ夜鳥くんなのは、私の方じゃん!!!
「ごっ、ごめんっ!! すぐ出てくからっ!!」
「あ、まふゆっ!?」
「ぎゃあっ!?」
濡れるのも構わず、慌てて湯船の側に置いておいたバスタオルを体に巻きつけて温泉を出る。
しかしその拍子に足を滑らせてしまい、私の体がぐらりと傾いた。
「っ!!」
「大丈夫かい!? まふゆ!!」
「あ……」
ゆっくりと目を開ければ、息遣いまで感じるほどに近くにある九条くんの綺麗な顔。どうやら倒れる前に助けられたらしい。
「……っ!!?」
ちょーーっ!!? ていうか、九条くんの素肌が私の体に密着しちゃってるんですが!?
助けてもらったんだから、当然ちゃっ当然だけど、さすがに恥ずかし過ぎるっ!!
「あああ、ありがとう!! ごめっ、本当にすぐ出るから……くしゅっ!!」
ぎゃあ、今度は思いっきりくしゃみをしてしまった!
更に恥ずかしさで居た堪れなくなっていると、不意に九条くんが私の肩を湯船へと押した。
「え?」
「まだ入ったばかりだったんだろ? 温まりきってないのに出たら、湯冷めする。どうせこの時間に入ってくるのは俺達以外いないだろうし、別に男女間違って入っていても誰も気づかない」
「い、いやいやいや! でも……!」
そこは気づく気づかないの問題じゃない気がするの!
真っ赤になって私は首を横に振る。
「いいから」
「あ……」
しかしいざザプンと湯船に身を沈めると、途端に広がる心地良さに抗えず、結局私はそのまま温泉に浸かる。
すると九条くんも温泉の中に入ってきて、私の胸の高鳴りは最高潮に達した。
えっ!? 何この状況!?
なんで九条くんとお互いタオル巻いてるとはいえ、一緒に温泉に浸かってるの!!?
またまた頭が爆発しかけ、これでは湯冷めどころか茹だりそうだ。
火照った体を冷ましたくて、さっさと湯から上がってしまおうと、腰を浮かせる。
――が、その時私に背を向けて温泉に浸かっていた九条くんがボソリと呟いた。
「……月が綺麗だね」
「へっ……えっ!?」
慌てて九条くんを見れば、その視線は真っ直ぐ夜空に浮かぶまあるいお月様へと向いている。
そっか、今日は満月なんだ。
な、なんだ、てっきり私に言われたのかと……。
「……っ!!」
そこまで考えて、また私は顔を赤くする。
いやいやいや! 〝月が綺麗〟って、別に九条くんのはそのまんまの意味で、深い意味なんてないんだから!! 何勝手に都合のいい解釈してんの!?
一人で脳内ツッコミをしてあわあわしていると、「まふゆ」と、今度は九条くんが私の名前を呼んだ。
「何……?」
ドキドキと騒がしい胸の内を隠すように、私は極力ポーカーフェイスで九条くんを見る。
するとそんな私にふっと微笑んで、九条くんは言った。
「温泉から上がったら、少し外を歩かないか? まふゆに話したいことがあるんだ」
「…………」
淡く笑う九条くん。
その月明かりに照らされる姿は、奇跡のように美しい。
実は神様の使いなのだと言われても、あっさりと信じてしまいそうだ。
――でも、
九条くんはそんな遠い人なんかじゃないのは、私自身がよく知っている。
今まで数え切れないくらいピンチはあったけど、絶対に九条くんは私を助けに来てくれた。
『交換条件だよ。俺が生徒会に参加する代わりに、君にはここで俺と会ってほしい』
『はぁ!? 何それ!? ヤダよ! もし万が一、二人で居るところを九条くんのファンに見られたらどうすんの!? 私まだ死にたくないよ!!』
契約から始まった私達の関係。
最初は嫌で嫌で仕方なかったのに、いつの間にかこんなにも離れがたい、誰よりも大切な存在になってしまった。
……そしてそれは、きっと九条くんにとっても。
こんな風に誘い出されて、その意図が何も分からない訳じゃない。
以前は自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、それに気づく余裕もなかったけれど。
今なら九条くんが私と同じくらいこの状況にドキドキしているのだって、自惚れじゃなくてちゃんと分かっている。
九条くんも私と同じ気持ちだって、そう思ってもいいんだよね――……?
「…………うん」
早鐘のように騒がしい胸を抑えながら、私は頷く。
「私も……九条くんに話したいことがあるの」
初めての私の恋の行方。
その答えが出るのは、きっともう間もなく。




