8話 雪女と妖狐ともうひとつの秘密
校舎を出ると、すっかり外は真っ暗になっていた。
「はぁ……、今日はどっと疲れた」
「途中から会議になってなかったしね。まだ決めなきゃいけないことも多いし、明日続きを頑張ろうか」
「…………」
溜息をついた私に対して飄々とそう話すのは、先ほど全てを燃やし尽くして会議どころでなくした張本人である。
〝お前が言うな〟という思いを込めて、私がその完璧な美貌をジトっと睨みつけると、九条くんがキョトンと不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうしたの? 早く帰らないと、夕飯に間に合わないよ?」
「わっ、分かってる!!」
クスクス笑いながら言われてしまい、恥ずかしくなって私はわざと大声を出した。
そうして九条くんに促されるまま、私達は並んで夜の街を歩き出す。
「もうすぐ寮の門限になるな、急ごうか」
「……ぅん」
なぜ私が九条くんと一緒に帰ることになったのか?
それは数分前に遡る――。
◇
「はぁー九条様やべぇー。燃えた、超燃えた」
「もぉー制服煤だらけじゃーん。雷護のせいなんだからね」
「みなさん、気をつけてお帰りくださいね。そして僕は保健室に行って来ます」
「み、みんな、今日はお疲れ……」
九条くんによって全てを燃やし尽くされ、今日の生徒会はしっちゃかめっちゃかで終了した。
みんながヨロヨロと体をふらつかせて解散していくのを引きつりながら見送っていると、九条くんに声を掛けられる。
「雪守さん、もう遅いし送るよ」
「いや寮まで近いし、わざわざ悪いから大丈夫」
「俺もその寮に住んでるから気にしないで」
「はぁっ!!?」
断わりの言葉を探していたら、不意打ちで飛び込んできた耳を疑う発言に、驚きのあまりバカでかい声で叫んでしまった。
しかし九条くんは動じるでもなく、涼しい顔のままだ。
「そういう訳だから、ほら行こうか」
「え!? ちょっ……!?」
九条くんが私の右手を恐ろしく自然かつスマートに取り、そしてあれよあれよという間に、気がつけば校舎の外へと連れ出されてしまう。
待って! このパターン今日二回目なんですけど!?
毎回九条くんのペースに流されっぱなしで、情けないことこの上ないが、しかし毎度毎度爆弾発言をするこの男が悪いんだから仕方がない。
一体どれだけ秘密があるんだ、この男は。
〝俺もその寮に住んでる〟って、通常寮に入るのは私のように実家が遠方にある者か、経済的な理由で寮に入らざるを得ない者かのどっちかである。
それでいくと九条家のお屋敷は高校からもほど近い帝都内にあると聞くし、日ノ本帝国トップクラスのお金持ち一族が経済的に困窮などあり得ないだろう。
つまり九条くんには、寮に入る理由なんて本来何ひとつ無いのだ。何か訳ありなのだろうか?
「……なんで寮生活なのかって、聞いてもいいの?」
横を歩く九条くんを見上げる。その涼しげな横顔からは、なんの表情も読み取れない。
「まぁ、普通気になるだろうしね。ちゃんとした説明は出来ないけど、〝家庭の事情〟……かな」
「ふぅん?」
家庭の事情……ね。無難に誤魔化されたな。
なんか昨日も保健室でそれっぽい含みのあることを言っていた気がするが、それにしてもまさかあの九条くんが寮に入っていたなんて、まだ信じられない。
「いつから寮生活なの? 最近?」
「入学当初からだよ」
「!?」
まさかの一年以上前から……!?
私も入学当初から寮暮らしなのに!!
「全然、気がつかなかった……」
素直にそう言えば、九条くんが笑う。
「噂になるのを避けたかったからね。特別に食事も風呂も部屋で済まさせてもらっているんだ。何より通学する以外は、体調が悪くて部屋から出ないことの方が多いし、雪守さんが気づかなくても当然だよ」
「そうなんだ……」
基本的に寮生は寮内の食堂でみんな一斉に食事をとる。お風呂も大浴場があるので、備え付けの浴室はあまり使わない。
こんな名門一族の次期当主様が寮暮らし。そりゃあ知られれば騒ぎになりかねない。
そんなリスクを冒してまで寮生活をする家庭の事情とやらがどんなものなのか、私には皆目検討はつかない。……まぁ検討がついたところで、私が九条くんに何かしてあげられる訳ではないけれど。
なら別に九条くんの事情を知る必要は無い。無いはずなのに……。
「…………」
なんだかさっきから、胸の辺りがムカムカモヤモヤする。でも別に食あたりではない筈だ。
だったら私、どうしちゃったんだろう……?
「雪守さんは部屋は何階?」
「一階。九条くんは?」
「俺は二階の一番奥だよ」
考えている内に高校からそう遠くない場所にある学生寮に到着した。遅い時間だから寮生はもう部屋に戻っているようで、玄関には寮母さんしか居なく、しんと静かだ。
木造2階建のごくごく普通の寮。私にとってはなかなか快適だが、貴族が住む場所ではないのは明らかだ。体のムカムカモヤモヤが広がっていく。
「じゃあ明日も保健室で待ってる」
そう言い残し、慣れたように寮母さんに挨拶をして、九条くんは2階に上がっていった。その様子に本当にここに住んでいるんだと、ようやく実感する。
「あらあら、神琴くんがまふゆちゃんと。しかもあんなに楽しそうに学校から帰って来るの、はじめて見たわ」
「え……?」
寮母さんの言葉に目をパチクリさせる。
「楽しそう……でしたか?」
確かに笑顔も見せてはいたが、楽しそうだったかは疑問である。
しかし私の微妙な顔をよそに、寮母さんは嬉しそうに話を続けた。
「神琴くんね。この寮に来た当初から、学校へ行く時も帰って来る時も、いつも辛そうな顔をしてたの。だからお節介だけど、学校で上手くいってないんじゃないかって、心配で堪らなくてね。でもまふゆちゃんと仲良くなったのね。なんだか安心したわ」
「そう、なんですね……」
にこにこと笑う寮母さんに曖昧に微笑んで、私は1階の自室へと向かう。
「――――――っ」
部屋に入った途端、行儀は悪いが私は靴を履いたままベッドに思いっきりダイブした。粗末な作りのベッドが私の体重を受け止めて、キシリと鈍い音を立てる。
寮の家具は備え付けだから、きっと九条くんも同じベッドで寝るんだ。こんなちっぽけな部屋で。
そんなの私だって同じなのに、何故か考えると胸がムカムカモヤモヤどころかキュウっと苦しくなった。なんだこれ。
きっと余計なことを考えてしまうのは、今日は色々なことがあったから疲れているせいだ。
朝から九条くんに妖力を使って契約関係になって、一緒に授業を受けてお昼ごはんを食べて、生徒会室では燃やされそうになって。
「思い返してみると、とんでもない一日だったのね……」
でも楽しかったなぁなんて思っている自分に少し驚いて。なのに不思議と納得して。
「ああ、晩ごはん……」
食べに行かなくちゃって思うのに、ベッドの柔らかくひんやりとした感触が心地良くて、体が思うように動かせない。
「…………」
そうやって微睡んでいる内に、いつの間にか私の意識は完全になくなっていた。
今日は一日よく頑張った。
明日もまた、頑張ろう。




