9話 雪女と妖狐の病の真相
「神琴様が……、神琴様が大変なの!! まふゆちゃん、すぐに着いて来て!!」
「わ、分かった……!」
震える小さな手を伸ばし、涙ながらにこちらに縋りつく朱音ちゃんをぎゅっと抱きしめて、私はすぐさま頷いた。
だってこんなに取り乱した朱音ちゃん、見たことない! きっと九条くんが発作を起こしたんだ……!
「部長さん、すみません! 私、行ってきます! でも必ず出番までには戻って来ますから! もちろん九条くんを連れて……!!」
朱音ちゃんを抱きしめたまま振り返ると、部長さんもただ事ではないと察したのだろう。
緊張した面持ちで頷いた。
「そうね、こんな朱音初めて見るもの。すぐに行ってあげて。ここまで頑張って来たんだもの。会長さんも含めて最後までみんなでやり遂げましょう!」
「はいっ! 本当にご迷惑かけますっ!!」
部長さんだけでなく、この騒ぎに不安そうにしていた他の部員達にも頭を下げる。
すると……、
「……あのなぁ」
ちょうど出番を終えて舞台袖に戻って来ていたカイリちゃんが、部員達を掻き分けてこちらにやって来た。
そして私と視線を合わせると、呆れたように溜息をつく。
「別にアンタらがお騒がせなのは、今に始まったことじゃないだろ。舞台の方はあたしらで繋いどくから、気にすんな。まふゆは早く銀髪のとこに行ってあげなよ」
「カイリちゃん……」
驚いて目を見開くと、カイリちゃんはその大きな水色の猫目を三日月のように細めて、ニヤリと笑みを作る。
「場が持たなけりゃ、蛟や鵺達も観客席に居るんだし、最悪アイツらにでもなんか余興させりゃいいじゃん。一反木綿の腹踊りとか超笑えそう」
「もうっ! カイリちゃんってば!」
なんともめちゃくちゃな発言だが、カイリちゃんの不器用な優しさが伝わってきて、じんわりと心が温かくなる。
ありがとう。絶対にすぐに戻るから。
九条くんと一緒に……!
「行こう、朱音ちゃん!」
「着いて来て!」
未だ腕の中の朱音ちゃんにそう言うと、すぐさま彼女はうさぎのように跳ね出して、一気に駆けだした。
「ま、待って……!」
私は慌ててその背中を追う。
必死で追いかけている内に、いつの間にか劇場を抜けて、校舎の中に入っていた。
その間ずっと目の前でふわふわと揺れる、朱音ちゃんのトレードマークでもある綺麗なピンク色の髪。
見慣れたはずのそれに、どこか違和感を覚えるのは何故だろう……?
「…………?」
呼吸を荒げながら、内心首を傾げる。が、今はそれどころじゃない。
私は逸る胸を抑えて、九条くんの元へと急いだ。
◇
「!! 九条くんっ!!!」
結論として、九条くんはいつもの保健室にいた。
まるで初めて互いの秘密を知った時のように、真っ白なカーテンで仕切られたベッドで眠っていたのだ。
でも、その時と違うことがひとつ――……。
「……九条くん?」
「…………」
おかしい。いつもは苦しそうに荒げている呼吸音が全くしない。
それに……。
「何これ、血……?」
本当に微かにだが、九条くんの唇の端に赤いものが付着している。
それは赤黒く、私の目には血にしか見えなかった。
「なんで……」
ザワザワと静まらない胸騒ぎに突き動かされるまま、朱音ちゃんが見ているのも構わず、私は先ほど舞台袖でしたように九条くんの胸に耳を当てる。
すると体はとても熱いものの、トクントクンと鼓動を刻む音がして、私はホッと胸を撫でおろした。
「九条くん、今楽にしてあげるからね」
心を落ち着かせ、いつものように手に氷の妖力を込めて、九条くんの額に触れる。
瞬間、火のように熱かった九条くんの体から、みるみる内に熱が引いていき、症状は鎮まった。
――そう、いつものように。
でも……、
「……九条くん?」
その美しい金色の瞳は固く閉じられたまま。
一向に目を覚まさない。
発作を鎮めても、なかなか目覚めない。
こういった現象が起きるようになったのは、いつからだっただろう?
最初に気づいたのはティダだった。皇帝陛下に貴賓室へと連れられた時。
そしてそれは帝都に戻って以降も度々起こり、むしろその時間は確実に延びている。
「っ、」
不安な気持ちを落ち着かせるように、首にかけたホタル石を衣装の上から撫でる。
と……、
「……まふゆちゃん」
「あっ! ごめんね、朱音ちゃん。九条くんはきっと、もう少ししたら目を覚ますはずで……」
「――――ええ」
朱音ちゃんも一緒に居たことを思い出し、私は慌てて彼女を振り返る。
しかしその瞬間、彼女のまとう空気が突如一変した気がした。
「雪守まふゆ殿。神琴様の治癒、感謝します」
「!?」
驚き身構えるが、遅い。
朱音ちゃんだったはずの人物は、一瞬にしてあの九条家で見た狐面を被った巫女服の女性へと姿を変えていたのだ。
「……っ!? どういうこと!? 本物の朱音ちゃんはどこなの!?」
目の前の狐面に、私は警戒心を露わにして叫ぶ。
「朱音ならば先ほどの騒ぎを聞きつけて、今頃は必死で貴女を探している頃でしょうね」
「…………!」
じゃあ最初から私が朱音ちゃんだと思っていた人物は、この狐面だったってこと……!? 通りでどこか違和感があると思った。
でも、一体どうして……?
疑問が顔に出ていたのか、目の前の狐面はスッと私に向かって美しい礼をとる。
「私は朱音の後任を主様より仰せつかった、九条家の暗部でございます。神琴様が舞台袖から離れた後に発作を起こされましたので、急ぎ貴女を朱音の姿に化けて呼び出させて頂きました。ご無礼を働きまして、誠に申し訳ございません」
「そ、そうなんだ……」
妙に丁寧な物言いに調子が狂う、が……。
『興がそがれた。妾も忙しいのじゃ、そなたらにこれ以上付き合ってはおれぬ。勝手にするがよい。……精々一日一日を大切にすることじゃな』
あのトンデモ当主、屋敷に乗り込んだ時はそんな風に言っていたけれど、しっかり朱音ちゃんの後任は用意していたんだ。
じゃあ夏休みに九条くんをティダへ連れ出したことも、筒抜けなんだろうか。
というかまさか、ずっと一緒に居た……?
「っ……!」
頭をよぎった想像にゾッと身を震わせるが、今はそれどころではない。
とりあえず九条くんの危機を真っ先に知らせてくれたのだから、少なくともこの狐面は私と敵対する意思はないのだろう。
警戒を解いてじっと目の前の人物を見ると、私の心の内が伝わったのか、狐面の女性はポツポツと話し出す。
「……主様の意向はどうあれ、私個人としては雪守殿の存在を有難く思っております。なにせ折角ご念願だった学校に通われているのに、寝たきりで終わってしまうのは忍びない。もうそう長くないお命なのですから……」
「え……」
淡々と紡がれる言葉。
しかし一点、聞き捨てならないものがあった。
何……? この人は今、なんと言った……?
〝もうそう長くないお命〟……?
「――――――」
「……おや?」
言葉が出ない私の様子に、狐面の女性は驚いたように首を傾げる。
「その反応、もしや朱音は神琴様の病の詳細を貴女に伝えていなかったのですか? ……いや、違うか。あの子はまだ幼い。主様が気遣われて、朱音には伏せられていたのか……」
「……伏せられ……?」
まるで独り言のような小さな呟きを聞いた瞬間、今までに感じていた数々の違和感が、頭の中を走馬灯のように駆け巡る。
『そうか……親友。私達は親友だったのだな』
『ええ、そうよね。國光と紫蘭はいつもバカばっかりやって、こっちが羨ましくなるくらい仲が良かった。本当に……』
『ティダに来て、俺は初めて外の世界を見れた気がするんだ。だからこの旅行を一生の思い出にしようって思ったら、無意識に声が……』
気づいてしまえば簡単なこと。
……ううん、違う。本当はずっとどこかでそんな予感はしてた。
でも、それが真実なのだと知るのが怖くて、私は気づかない振りをしていたんだ……!
それに思い至った瞬間、私は弾かれたように叫んだ。
「教えて!! 九条くんは一体なんの病を患っているっていうの!?」
こちらの剣幕に狐面はゆっくりと頷き、息をつく。
「いいでしょう。もはや貴女も無関係とは言えない。……話しましょう、神琴様の病がどういったものなのかを」
静かにそう告げると、狐面はゆっくりと歩を進める。
そして未だ目覚めない九条くんの頬へと手を伸ばし、唇の端に残る血の跡をそっと拭った。
じっと彼を見つめるその表情はお面に隠されていて見えないが、その手つきは酷く優しい。
まるで九条くんを心から慈しんでいるかのようだ。
「あなた、は……」
その優しい様子は以前屋敷で相対した狐面達とはまるで異なり、私は戸惑う。
するとそんな私にチラリと視線を向け、彼女は話し出した。
「ご存知でしょうか? 元々妖狐一族は、男が二十年に一度程度しか生まれぬ女系であることを。以前貴女が屋敷を訪れた際にも、男性の妖狐には会わなかったでしょう」
「え、あ。そういえば……」
確かにあの時相対したのは、巫女服を着た女性の妖狐のみ。男性の姿は無かった。
「けど女系であることと、九条くんの病気……。それが一体どう関係するっていうの?」
「実は一族にとってとても希少な存在である妖狐の男には、必ずある病を持っているという宿命があるのです」
「宿命……? その病っていうのが、まさか……」
「ええ、神琴様が患われている病。そして以前には神琴様の御父上である、紫蘭様も患われていた病でございます」
「……っ!」
やっぱりそう繋がるのか。
――〝紫蘭さん〟
お母さんや皇帝陛下と同じ日ノ本高校の生徒会役員だった人で、何よりも九条くんのお父さんである人物。
そして……。
『これをおまいさんがいつかティダに来たら渡してほしいと、10年以上前にある旅行者に渡されたんだべ』
魚住さんを通じて、九条くんの元に何かを渡るように動いていた人。
「この病はどんなに高名な医者でも治せなかった、原因不明の奇病です。発症したが最後、発作的に妖力が体の中で暴れ出し、異常な発熱と呼吸困難に陥る。そしてそれは年齢を重ねるごとに重症化し、例外なく二十歳前後で発症者は死に至る」
「――――……」
淡々と告げられる病の詳細。
それに私はまるで頭を殴られたような衝撃を感じ、その後の記憶がまるで無い。
狐面の姿が見えなくなってもただただ、私は呆然と立ち竦んでいた。
「――まふゆちゃんっ!!!」
「あ……」
そんな私が我に返ることが出来たのは、朱音ちゃんに肩を大きく揺さぶられたからだ。
朱音ちゃんはふわふわのピンク色の髪を揺らし、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「本……物……?」
思わず間抜けな言葉が口をついて出たが、朱音ちゃんは笑いもせず真剣な表情で、「もちろん!」と頷いた。
「騒ぎを聞いて舞台袖に行ったら、みんながまふゆちゃんはわたしに連れられて神琴様のところに行ったって言うからビックリしたよ! すぐに暗部長の仕業だって気づいて、気配を探って保健室に入ったら、まふゆちゃんはぼうっとしてるし、神琴様は眠ったままだしで、何かされたんじゃって本当に心臓が止まりそうになったよ……!」
「ごめん……、でも何もされてないよ。むしろ九条くんが倒れたのを知らせようとしてくれたみたいで……」
というかあの人、暗部長だったんだ。
それがどんな立場なのかは不明だが、〝長〟と付くくらいだし偉いんだろう。通りで以前相対した狐面達とは雰囲気が違う訳だ。
ぎこちなく笑顔を作って微笑むと、朱音ちゃんが戸惑ったように私を見た。
「……まふゆちゃん。もしかして暗部長以外のことで、何かあった?」
「え……」
氷のように冷え切った私の手に朱音ちゃんがそっと触れて、優しく握られる。
その柔らかな温もりに絆されて、今し方聞いたことを全て話したい衝動に駆られた。
でも……、
「何も……、何も無いよ……」
先ほど暗部長が朱音ちゃんは九条くんの病気の詳細を何も知らないと言っていたのを思い出して、私は慌てて首を横に振る。
私ですらこんなにもショックなのだ。幼い頃から九条くんの側にいた彼女が知ってしまったらと思うと……、とても怖い。
決して訝しがられないように平静を装うが、聡い朱音ちゃんは何か言いたげに口を開いた。
するとその時――、
「……ぅ……」
「あ! 神琴様っ!!」
九条くんの意識が戻って、朱音ちゃんがそちらに顔を向ける。
それにホッとして、私も九条くん達の方へとゆっくりと振り返り、思う。
――裾の長いドレスを着ていてよかった、と。
『そしてそれは年齢を重ねるごとに重症化し、例外なく二十歳前後で発症者は死に至る』
だって今にも崩れ落ちてしまいそうに震えるこの脚を、全て上手に覆い隠してくれるのだから……。




