6話 雪女と妖狐と皇帝陛下の事情
ここは日ノ本高校の生徒会室。
今日も今日とて、私は張り切って生徒会のお仕事に励んでいる。
「さぁみんな! 今日こそは体育祭に向けての話し合いをやりましょう!!」
バンっと勢いよく机を叩いて私が叫ぶと、配布した資料を見ていた生徒会の面々が驚いたようにこちらを見た。
「なんだよ、雪守。久しぶりに生徒会に顔出したかと思ったら、やる気満々じゃん」
「だって夏休み明け最初の生徒会で話し合いたかったことが演劇部の舞台稽古でマルっと抜けちゃったんだから、仕方ないじゃない」
「……で、今日はその演劇部の舞台稽古はいいの? 九条様まで」
雨美くんがお誕生日席に視線を向けて言うと、そこに座る九条くんが頷く。
「ああ、今日は明日の衣装合わせに向けて準備をするらしい」
「だから稽古はお休み。私と九条くんは自主練しててって、部長さんに言われたんだよね」
夜鳥くんと雨美くんに説明しながら、私は昨日の練習帰りに部長さんに言われた言葉を思い出す。
『会長さんと副会長さんにはとびっきりゴージャスな衣装をデザインしたから、衣装合わせ期待しててねぇん!!』
『あはは、楽しみにしておきますね……』
今にも踊り出さんばかりにウキウキと話す部長さんに昨日は苦笑するしかなかったが、演劇部の財源ってどうなっているんだろうと今なら思う。
少なくとも学校から支給される部費だけでは、そんな豪華な衣装を用意出来ないはずなのだが……。はて?
「そっかぁ、もう衣装合わせの時期なんだ」
ふと考え込んでいると、雨美くんが感慨深げに呟いた。
「あのポスターが突然貼られた時は学校中大騒ぎだったけど、あれからもう2週間も経つんだね」
「だな。なんだかんだ時が過ぎるのは、はえーよなぁ」
……そうなのである。
早いもので演劇部で稽古を始めてもう2週間が過ぎた。
練習室での読み合わせから始まった稽古も今では舞台へと場を移し、とにかく私は必死で〝人間国のお姫様〟を演じられるよう、昼夜を忘れて舞台に没頭していた。
「ホント早過ぎるよー。なんかもう私、目まぐるし過ぎてここ2週間の記憶がほとんど無いんだもん。記憶と引き換えに、姫の台詞はスラスラ口から出て来るようにはなったけどさぁ」
「あはは、まふゆが毎日俺の部屋に押しかけて読み合わせを強制するから、俺もすっかり王子の台詞を覚えたよ」
「へぇー? 毎日部屋で、しかも二人っきりで、読み合わせ?」
「なんかエロい響きだな」
「はいっ!?」
意味深にこちらを見やる雨美くんと、真剣な顔で言葉を返す夜鳥くん。
それに私は真っ赤になって反論する。
「別に全然エロくないからっ!! そう感じるのは、夜鳥くんが年がら年中そんなことばっか考えてるからじゃない!?」
「おまっ! まるで人を色情魔みてぇに……!」
「純然たる事実でしょ!」
「夜鳥は前科が多すぎるからな。そう思われても仕方がない」
「ですよねー、ボクもそう思います」
「水輝っ! お前だって同じこと考えてた癖に、何一人だけ他人事ぶってやがる!?」
ぎゃあぎゃあと、またくだらないことで言い争いを始める夜鳥くんと雨美くん。
それを楽しそうに見ている九条くんは、2週間前に「時間がほしい」と言っていたのが嘘のように〝妖怪国の王子様〟を完璧に演じられるようになっていた。
『ごめん、少しだけ……こうさせて』
それがあの夜の出来事が契機となったのかどうかは分からない。
けれどあれ以来、九条くんの表情がどこか吹っ切れたものなのは確かだ。
彼の抱えるトラウマのいくらかが軽くなったのだとしたら、やっぱりあの時部屋に押しかけて、無理にでも九条くんの本音を聞き出してよかったのだと思う。
「ま、それはともかく。演劇部の舞台、オレらも観るの楽しみにしてるぜ」
「雪守ちゃんと九条様が主演な上に二人のキスシーンまであるって大騒ぎだから、きっと当日はほとんどの生徒が観に来るだろうね」
「キッ……!!」
不意打ちで喉がゴフッと詰まりそうになる。
なんでキスシーンがあることまで、上演前に既に漏れてる訳!?
「もうっ、それはいいから!! 時間無いんだし、いい加減体育祭に話を戻すよっ!!」
熱いくらいの頬を冷まそうと、私はブンブンと首を振る。
すると雨美くんと夜鳥くんが、その様子をニヤニヤとやらしい笑みを浮かべて見ていることに気づいた。
こ、こいつら……。他人事だと思って……。
「んー、しかし体育祭? そういやそんな話してたけどよぉ。でもわざわざ生徒会で決めるようなことがあんのかよ?」
「確か運営は毎年、体育委員会が主体だよね」
「そうだな。生徒会がやることといえば、体育委員の手伝いくらいで……」
「まさにそれっ! 体育委員の手伝い! 生徒会発案の種目を体育祭の目玉にしたいから、今までに無いような新しい種目を考えてほしいって頼まれてるの!」
「新しい種目ぅぅ??」
九条くんの言葉に乗っかって私が言うと、みんなが微妙な顔をした。
「なんでそれが体育祭の目玉? 種目増やしたいんなら、体育委員会で考えればいいのに」
「まぁそうなんだけど。ぜひ生徒会にって、体育委員やってるうちのクラスの女子達に頼まれちゃって……」
私が頬を掻いて苦笑すると、夜鳥くんが大きく目を見開いて叫んだ。
「はあー!? あいつら、またかよっ! 雪守! お前文化祭のボイコット事件を忘れたのかよ!? あいつら想像以上にしたたかだぞ!? またいいように使われやがって!」
「雷護、言い方。まぁ気持ちは分かるけどさ」
「あはは、もちろん私だって最初は少し警戒したよ? でも体育委員会が体育祭の準備を頑張ってくれてるのは本当だからさ。何か手伝えるならやりたいって思って……」
九条くんを慕う女子達とは色々あった私だが、実は彼女達との溝も少しずつではあるが埋まりつつある。
キッカケは夏休み前の九条くん退学騒動。
それを防いだ立役者ということで、女子達の私への株がぐっと上がったらしい。
「まぁまふゆがそう言うなら、新しい種目のアイデアと考えようか。アイデアだけで、準備は全部体育委員会がやってくれるんだろ?」
「うん。具体化する為の交渉とかは、全部そっちでやってくれるって」
「ふーん、なら協力してやってもいいかもな。つまりは自分がやってみたい種目を言えばいいんだろ」
「でもそんなのある? 元々メジャーな種目は全部あるじゃん」
言いながらも、それぞれ思いついた種目を次々口に出していく。
「徒競走、リレー、大縄跳び、玉入れ、障害物競走……」
「うーん、綱引きとか?」
「今出た種目、全部既に体育祭にあるよ」
「ならパン食い競争」
「それもある」
九条くんが私が渡した資料――昨年の体育祭種目一覧を見て、私達の思いついた種目をすげなく却下していく。
うーん……。目玉になるような新しい種目なんて、案外そう浮かばない。
どうやら難題を安請け合いしてしまったようだ。
そのままぐだぐだと定番の種目を言っては却下を繰り返し、小一時間が過ぎた頃――。
「おっ! じゃあこういうのはどうだ!?」
ついに夜鳥くんが何か閃いたのか、顔を輝かせた。
「はい、採用」
「いやまだ何も言ってねぇし!?」
「だーって、ボクもう考えるの疲れたもん。それでいいよー」
「だからって聞いてから言えよ!」
「あはは、まあまあ。……で? 夜鳥くん、どんな種目を思いついたの?」
だるんと机に突っ伏している雨美くんに噛みつくのをどうどうと宥めながら聞くと、機嫌を取り戻した夜鳥くんがドヤ顔で鼻を鳴らした。
「この際〝鬼ごっこ〟はどうだ? 体育祭にありそうでなかったろ? 見てる奴らも楽しめるし、結構盛り上がりそうじゃね?」
「鬼ごっこか。確かに鬼の数で難易度も自由に変えられるし、いいアイデアだな」
「うん、私もいいと思う。明日女子達に言ってみるね!」
「おう、あいつらに言っとけ。このオレの発案だってな」
ドヤ顔は少々気になるが、今回ばかりは夜鳥くんを素直に褒めたい。さすが普段ふざけてる男だ。こういう娯楽に関するアイデアは豊富らしい。
まぁともあれ、出せる案が決まって良かった。
あまりに決まらな過ぎて、今夜は生徒会室に泊まり込みかと危惧していたところだったのだ。
「ねぇ、そういえば」
と、そこで机に伏していた雨美くんが口を開いた。
「木綿先生はどうしたの? また居ないじゃん」
「え?」
「あ?」
「……本当だ」
言われてようやくあの騒がしい声をまだ聞いていないことに気づく。
一度ならず二度までとは……。木綿先生って案外影薄い?
――なんて、本人が聞いたら大泣きしそうなことを思った瞬間……、
「ぎゃあああああああっ!!! みなさあああんっ!!!」
噂をすればなんとやら。
大絶叫を上げながら、扉を引き倒す勢いで木綿先生が生徒会室へとなだれ込んで来た。
「居ねぇと思ったら、すぐこれだ。来て早々うるせぇぞ、木綿っ!!」
「あああ、大変なんですよおおおおおおおおっ!!!」
夜鳥くんの罵倒も聞こえていないのか、木綿先生は叫び続ける。
「今年の来賓が決まったんですよお!!! なんと、皇帝陛下だそうですっっ!!!!」
「――――は」
瞬間、騒がしかった生徒会室がしんと静まり、
「はああああああああああああああああ!!!?」
次には、先ほどの木綿先生にも負けない絶叫が学校中に響き渡った。
「はあっ!? 陛下?? なんで!!?」
「分かりません! 僕も来るということしか聞いてないんです!!」
「本気でなんで陛下なんだよ!? 去年は陛下の弟である皇弟殿下が来られてたじゃねーか!!」
「そうなんですよおお!! ちなみにその前の年も、そのまた前の年も皇弟殿下でした!!」
詰め寄る雨美くんと夜鳥くんに、木綿先生が涙目で返す。
……そうなのだ。
体育祭の来賓は、例年陛下の次に皇位を継がれるという、年の離れた陛下の弟である皇弟殿下が来られている。
皇弟殿下のお姿は私も去年の体育祭で初めて見たが、柔和でとても親しみやすい雰囲気のお方だった。皇帝陛下が思わずひれ伏してしまうような圧倒的な存在感を放つのとは対照的である。
しかし公務だって忙しいだろうに、どうして慣例を破ってまで陛下が??
『これでも親だしね。アンタがどんな風に学校生活を過ごしているのか気になるのよ』
ふと、脳裏にお母さんの言葉が浮かぶ。
ティダから一度も離れたことの無いお母さんが、わざわざ帝都まで体育祭を見に来る。
まるで二人が示し合わせたように感じるのは、私の考え過ぎだろうか……?
「てゆーか陛下の後を継ぐのって、なんで皇弟殿下なんだろうな?」
そこで夜鳥くんが発した唐突な呟きに、みんなの動きが一斉に止まる。
「夜鳥くん。どうしたんです、急に?」
「いや、別に理由はねぇけど、純粋になんでかなーと思って」
「それは……陛下にお子様がおられないからじゃないの?」
私がそう答えると、九条くんが「いや」と首を横に振った。
「陛下はご結婚されていることは明言されてるけど、お子様の有無については明かされていない」
「そうなの?」
「ああ。しかも陛下は愛妻家を公言して憚らないのに、当の皇后様の詳細は不明。一度だって公の場に出て来たことはない」
「へぇー……」
ずっとティダの片田舎に住んでいた私には知るよしも無かった情報。
そういえばお城で陛下に会った時、あの怖い鬼の宰相さんに「私は妻一筋だ」と言っていたっけ。
「日ノ本帝国の情勢が安定したここ数百年はずっと、皇帝の第一子が皇位を継いできたのにね。お子様の有無も公表されないなんて、確かに前代未聞かも」
「やっぱりお子様がおられないからじゃねーか? 居て隠す理由がねぇもん。それか皇后陛下が人間じゃなく、実は妖怪だから公表出来ねぇとか……?」
「え……」
「雷護、それは絶対無いでしょ! 人間と妖怪の均衡を崩さない為に、皇族は代々人間としか婚姻を結ばない〝しきたり〟なんだからさ!」
「だよなぁ!」
「もーっ! 夜鳥くんは時々突拍子のないことを言いますねぇ!」
変なこと言っちまったなと夜鳥くんが笑うと、それにつられてみんなもドッと笑う。
――でも、
『やっぱりお子様がおられないからじゃねーか? 居て隠す理由がねぇもん。それか皇后陛下が人間じゃなく、実は妖怪だから公表出来ねぇとか……?』
何故だか私は笑えず、生徒会が終わっても、寮に帰っても、ずっと夜鳥くんの言葉が耳に残っていた。




