5話 雪女と妖狐と妖怪国の王子様(2)
「待ってよ!! 九条くんっ……!!」
私はバタバタと九条くんに駆け寄り、部活棟の廊下を歩くその背中に声を掛ける。
すると九条くんが足を止めて、こちらを振り向いた。
「まふゆ……」
「どうしたの? みんなの前でいきなりあんな風に言って飛び出すなんて、九条くんらしくないっていうか……」
言葉を選びながらおずおずと問うと、九条くんが困ったように苦笑する。
「ごめん、余計な心配させたね」
「ううん! 余計とかないから! そんなのは全然いいんだけど……!」
申し訳なさそうなその様子に、私は慌ててぶんぶんと首を横に振って否定するが、九条くんはそれに対して小さく溜息をついた。
「……引き受けた以上、本番までには出来るようにする。でも、さっきも言ったように少し時間が欲しい。今日のところは六骸部長には悪いけど、先に帰ると言っておいてくれないかな」
「う、うん。それはもちろん伝えておくけど……」
なんだか九条くんの顔色が良くない。
もしかして部屋を飛び出したのは〝役が出来ない〟だけじゃなく、別の理由があるんじゃ――。
「もしかして具合……、悪くなった?」
「――――っ」
伺うように問いかけた瞬間、九条くんはぎゅっと顔を歪め、私は余計なことを言ってしまったのかも知れないと悟る。
「あ、違うならいいの! ただ、なんで〝出来ない〟なんて言ったのか、気になっちゃって……」
慌てて言い募ると、しばしの沈黙の後、九条くんの声が耳に届いた。
「俺には妖怪国の王子の気持ちが理解出来ないんだ」
「……え?」
理解出来ない? それってどういうこと?
キョトンと目を瞬かせた私を見て、九条くんがふっと自嘲気味に笑んだ。
「重い病を背負い、いつ死ぬかも分からない。にも関わらず、何故姫を好きと言えるのか」
「そ、それは……」
「俺には絶対に出来ない選択だ。現に王子を喪って姫は泣いてた。俺はいずれ相手を悲しませ傷つけると分かっていて、自分の幸せだけを追い求めることなんて――絶対に、出来ない……!」
「っ」
語気を強める九条くんの様子に、思わず息を呑む。
だからさっき、途中で台詞を読むことを止めてしまったの?
理解出来ないものを演技するのは難しいから……。
「……ごめん。驚かせて」
「あ……」
ただ呆然とその姿を見つめることしか出来ない私に対し、九条くんがバツが悪そうに顔を背け、そのまま本校舎の方へと歩いて行ってしまう。
結局それを呼び止めることも出来ず、私はその場に立ち尽くした。
『ああっ、いやああ!!! 王子様!! どうか目を覚まして!! お願い、起きて……!!』
確かに物語の終盤、二人森へと逃げおおせた先で、不運にも王子は発作を起こして命を落とす。
添い遂げることは叶わない。そう覚悟はしていても突然のことだ。深い悲しみが彼女を苛んだのは間違いない。
でも、九条くんの言う通り姫は傷ついたのだろうか?
だって彼女は最後――……。
「まふゆちゃん」
「!!」
考え込んでいる最中に突然背後から声を掛けられて、私は慌てて振り返る。
するとそこには朱音ちゃんが立っており、彼女はそのまま私のすぐ側まで歩いて来た。
さ、さすが九条家の元暗部。全然気配に気づかなかった……。
「神琴様、帰っちゃったの?」
「うん、少し時間が欲しいから今日は帰るって。あと部長さんにごめんって言ってた」
「そっか……」
朱音ちゃんは少し考え込むような仕草をした後、私を見上げて小首を傾げる。
「――ねぇ、まふゆちゃん。ちょっとだけ二人で話さない? 読み合わせは一旦休憩になったから」
「? うん、いいよ。でもどんな話?」
「うーん……」
聞くと曖昧に微笑まれて、これはあまり気持ちのいい話でないことは察した。
恐らく流れ的に九条くんのことなのだろう。
私はここでこれ以上問いかけるのを止め、朱音ちゃんと共に部活棟の屋上へと向かうのだった。
◇
「わぁーっ! いい見晴らし! 屋上からだと、皇宮がハッキリ見えるんだねぇ!」
「う、うん……」
もう放課後ということもあり、屋上には私達以外の人影はない。
朱音ちゃんの視線の先を辿れば、森のように広大な木々に囲まれた緑青の屋根が目を引く巨大なお城が見えた。
――皇宮。
それは皇帝陛下の住まいは元より、祭事を行う宮殿、更には多くの宮仕えが働く庁舎も併設された日ノ本帝国の中枢と言える場所。
私も帝都に来た当初は、噂に違わぬ巨大で立派なお城に心躍らせたものだ。
でも今はそれどころじゃない。朱音ちゃんが何を話そうとしているのか、気になって気になって仕方がなかった。
「あの、朱音ちゃん。話って……」
景色に歓声を上げる朱音ちゃんに、私は思わず急かすように尋ねてしまう。
すると朱音ちゃんはこちらを振り向いて、「うん……」と苦笑した。
「まだまふゆちゃんには話したことなかったよね。神琴様の、日ノ本高校に通われるまでの……過去」
「それは……」
ドキリと心臓が跳ねる。
今まで断片的にしか聞きかじったことがなかった、九条くんの過去。
あの九条家の地下室での一件を見るに、三大名門貴族の次期当主として生まれながらも、それに相応しい扱いはあまり受けてこなかったことが伺えた。
「ごめんね。さっきの二人の会話、途中からだけど聞いていたんだ。神琴様、さっき〝王子様の気持ちが理解出来ない〟って言ったけど、それはあの方の過去が関係していると思うの」
「……それって、どんな過去なの?」
「昔ね。神琴様が5歳の時に、彼付きの侍女が居たの。神琴様は彼女のことを〝ばあや〟って呼んで、とても懐いていらっしゃった」
「ばあや……さん?」
――彼女はそのあだ名の通り、白髪のおばあちゃんだったらしく、まるで本物の九条くんの祖母のように彼のことを可愛がっていたそうだ。
けれどある日、九条くんが自身の両親のことをばあやさんに尋ねたことがあり、その日以降、ばあやさんは屋敷から忽然と姿を消してしまったのだという……。
「そんな……それってどう考えても……」
「……うん。葛の葉様が何かしたのは間違いないんだろうね」
「っ、」
あのトンデモ当主、やっぱり九条くんが小さい頃からトンデモだったのか……!
幼い子どもが自分の実の両親について関心があるのなんて当然だろうに。
本当につくづく、次会う機会があったら落とし前をつけてやりたい気分である!!
……まぁ、とはいえ次なんて正直ご免被りたいが。
「でもそのばあやさんの話と、舞台の役。何が関係あるの?」
「……多分、神琴様はこの〝ばあや〟の体験がトラウマになってる。自分の不用意な行動が相手に齎す影響を、とても恐れていらっしゃるの」
「だから病のせいでいつ命を落とすかも分からない状況にも関わらず、姫に想いを告げた王子の行動が理解出来ない?」
「うん、恐らくね」
「…………」
『俺には絶対に出来ない選択だ。現に王子を喪って姫は泣いていた。俺はいずれ相手を悲しませ傷つけると分かっていて、自分の幸せだけを追い求めることなんて――絶対に、出来ない……!』
王子は重い病に蝕まれており、姫と添い遂げることは無理だと初めから分かっていた。
『姫、病は確実に私の身体を日々苛んでいる。恐らく貴女と添い遂げることは叶わないでしょう。けれどそれでも私は貴女に伝えたい。姫、私は貴女を愛してる』
だからそんな〝未来〟が曖昧な存在が、人を愛してはいけない。
想いを伝えてはいけない。
きっと九条くんはそう言いたかったのだろう。
「――――」
でも、私は――……。
◇
――コンコン
「はい……、え?」
学生寮二階の一番奥まった部屋。
その部屋のドアをノックすると、ドアから少しだけ顔を覗かせた九条くんが私を見て目を丸くした。
そりゃあそうだろう。
同じ寮に住んでるとはいえ、普段は転移と妖力を使う時以外、決して私は九条くんの部屋を訪れたりはしないのだから……。
「どうしたの? あ、今日のことは本当にごめん。読み合わせの途中で帰っちゃって」
「ううん、それはいいの。それより……」
すっかり夜も更け、九条くんは普段のシャキッとした制服姿と違い、今は少しだるっとした部屋着を着ている。そのギャップにほんのり心ときめくが、今はそれどころではない。
私はキリッと表情を引き締めて、腕に抱えていたものを九条くんの前に差し出した。
「せっかくだし、この前ティダで買ったお菓子一緒に食べない? ジュースもあるから話しながら、ねっ!」
「え、いや俺は……」
「いいから、いいから!」
困ったような九条くんを押しのけて、ぐいぐいと私は彼の部屋へと侵入する。
そして相変わらずの本だらけの部屋に辛うじてある小さなテーブルに、腕に抱えていた箱と缶をドンッと置いた。
「あ、それシークヮーサージュース? レモネードにも入ってた」
どっかりと座り込んだ私に九条くんも観念したのか、向かいに座って私が置いた缶を一本手に取る。
「うん、私結構シークヮーサー好きなんだよね。酸っぱいけど」
「俺も好きだな。うん、美味い」
プシュっとプルタブを開けて九条くんがシークヮーサージュースを飲む。
それを微笑ましく眺めながら私も箱からちんすこうを取り出し、ボリっと齧った。
ああ、美味しい。お店には色んな味のちんすこうが売ってたけど、私は塩味が一番好きかな。
「……あ、」
詮無いことを考えていると、不意に足に何か冷たいものが当たる。
それに不思議に思って視線をテーブルの下へと向けると、見覚えのある古びた四角い缶箱が置いてあった。
これは……、
『んだ。なんでも開けずに、おまいさんの母に渡してほしいと言ってたな』
ティダで魚住さんに渡された、九条くんのお父さんである紫蘭さんが彼に託したものだった。
九条くんのお母さんにということだったけど、一体中には何が入っているんだろう……?
気になってついジッと見ていると、「まふゆ」と九条くんが私を呼んだ。
「それでどうしたの? わざわざ俺の部屋まで尋ねてくるなんて、よっぽどだろ」
「ん、うん……」
やはり私の考えなどお見通しだったらしい。
一旦缶箱のことは忘れ、ごくんと口に入っていたちんすこうを飲み込んで、向かいに座る九条くんを改まって見た。
「あのね、実は私。九条くんが帰った後、朱音ちゃんから九条くんの過去……ばあやさんのことを聞いたの」
「! ああ、そうなんだ……」
驚いた表情の九条くんに気まずくなり、私はガバッと頭を下げる。
「ごめんね! 勝手に自分の過去を知られて、いい気はしないよね!」
「いや、いいんだ。顔を上げて。朱音がまふゆに話すと判断したんだ。俺も別にまふゆに知られて構わない」
「…………」
それになんと返していいのか分からず、おずおずと顔を上げた後はしばし沈黙が続く。
すると少しして、九条くんがポツポツと話し出した。
「……前に〝いなり寿司は俺にとって、思い出の料理〟って言ったこと、覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ」
忘れもしない、まだ私が九条くんに対して警戒心バリバリだった頃。
私は九条くんに連れられて、学食の貴賓室でお昼ごはんを食べたのだった。
『良いことと悪いことが混ざり合った思い出……かな』
『うん?』
あの時、どんな思い出なのかと聞いた私に対して返した九条くんの言葉。
その大切に何かを懐かしむような様子に、結局私はそれ以上何も聞くことは出来なかったんだっけ。
「もしかして、いなり寿司にまつわる思い出って……」
「うん、全てばあやのことだ。いなり寿司はばあやの得意料理だったんだ。俺は彼女の作るいなり寿司が大好きで、幼い頃は毎日のように食べていた」
「そっか……」
〝良いことと悪いことが混ざり合った思い出〟
『……多分、神琴様はこの〝ばあや〟の体験がトラウマになってる。それで自分の不用意な行動が相手に齎す影響をとても恐れていらっしゃるの』
九条くんの言葉がキッカケで、ばあやさんは姿を消した。
それは幼い彼にとって、どれほどショックなことだっただろう。
年月が過ぎた今でも、九条くんは未だ癒えない傷を負っている。
だからこそ、伝えたい。
「――ねぇ、九条くん。私はね、なんで王子様がお姫様に自分の気持ちを伝えたのか、分かるんだ」
「え?」
私の言葉が意外だったのか、九条くんの金色の瞳が大きく見開く。
それにドキリと胸が跳ねたが、構わず続ける。
「だって、一度自覚したら止められないんだもの。〝好き〟って気持ちは」
「――っ、」
九条くんは信じられないというように顔を歪ませる。
いつだって余裕そうな表情ばかり見てきたから、そんな彼の顔を見るのは初めてだった。
「〝止められないから〟……なんて、都合の良い言い訳だ。相手を置いていくと分かっていて、想いを告げるなんて卑怯だ。だって自分自身はそれで満足でも、残された相手はどうなる? 傷つかないか? 悲しませないか?」
相手を想って怒る九条くんは優しい。その気持ちは痛いほど分かる。
でも、だからこそ私は伝えたい。
「もっと九条くんはワガママになってもいいと思うの」
「は……」
九条くんは虚を突かれたように固まり、私を見つめる。
「だって王子様はたまたま病気だったけど、健康な人だっていつ死ぬかなんて分からないじゃない? それこそカイリちゃんの両親みたいにお互いそれを承知で夫婦になった人達だっているし、うちのお母さんは生きているにも関わらずお父さんとずっと会えてないけど、幸せだって笑ってる」
「……っ、それは……!」
「王子様が病気だからって想いを伝えることを遠慮して、それで本当にお姫様は幸せ? むしろそっちの方が傷つかない? 悲しまない? だってお姫様は王子様のことが好きなんだよ。きっと短い間だったとしても王子様に愛されて幸せだったと思うよ、お姫様は」
だからボロボロに泣き崩れていた彼女は最後に笑ったのだ。
楽しい時間を、幸せを、『ありがとう』――と。
「――――」
「あ……、」
ふと視線を落とすと、ポタッと床に水滴が落ちる。
それが九条くんの涙だと気づくのには、しばし時間を要した。
「く、じょ……くん……」
「っは、はは……」
「!」
声を掛けるとトンッと、九条くんの頭が私の肩にぶつかる。
笑う声は震え掠れていて、顔を見なくても泣いているのだと分かった。
「くじょ……」
「ごめん、少しだけ……こうさせて」
「…………」
どうしてそんな、泣くほどに思い詰めているの?
本当に九条くんの中でトラウマになっているのは、ばあやさんのことだけ?
まるで本当に〝妖怪国の王子様〟であるかのようだった、九条くんの読み合わせ。
それに言い知れぬ不安が脳裏をよぎる。
でも――、
「……うん」
今は何も聞かない。……ううん、聞けない。
じんわりと肩口に染みていく涙。
それに気づかないフリをして、私はそのサラサラな銀髪をそっと撫でた。




