2話 雪女と妖狐と季節外れの転入生(2)
「カ、カイリちゃん!? どうしてここに!?」
「お前ティダにいたんじゃなかったのかよ!?」
「そうだよ! 船を買うお金を貯めるって話はどうなったのさ!?」
帝都に居るはずのないカイリちゃんが目の前に現れ、驚いた私と夜鳥くんと雨美くんは彼女に詰め寄る。
「あぁーっ!! みなさん、待ってください! 魚住さんのことは僕が説明しますから!」
するとそう叫んでカイリちゃんの後ろからバタバタと生徒会室へと入って来たのは、ちょうど今は転入生を案内しているはずの生徒会顧問――木綿疾風先生だった。
それに夜鳥くんが怪訝そうに片眉を上げる。
「なんだよ、木綿。居たのかよ?」
「そうですよ。先生は転入生を案内してたんじゃ」
「いやぁ……」
口々に疑問を浮かべる私達に苦笑して、木綿先生がカイリちゃんにチラリと目配せして言った。
「実はその転入生こそが、この魚住さんなんですよ」
「ええっ!?」
「マジか!」
制服を着てここに現れた時点で薄々察してはいたが、予感が確定事項となり、私達はまた驚愕の声を上げる。
『絶対に父さんに新しい釣り船をプレゼントするって夢。その為にいっぱい勉強して、たくさん金を稼いでやるんだ!』
確かに彼女は以前ああ言っていたから、勉強がしたいのは知っていたが、まさか帝都に来るとは思わなかった。
なにせカイリちゃんは、とても熱心に漁師であるお父さんのお仕事を手伝っていたのだから……。
「お父さんのことはよかったの? 帝都には一人で来たんだよね?」
「ああ、父さんのことなら大丈夫」
私の問いに、カイリちゃんがコクリと頷いた。
「むしろ父さんはあたしが帝都に行くのも大賛成で、めちゃくちゃ喜んで送り出してくれたんだ。せっかく勉強するなら、設備や環境がきちんと整ったとこにしろって言ってさ」
「そっかぁ、魚住さんがそんなことを……」
私は麦わら帽子を被った、あの柔和でいかにも人が良さそうな男性の顔を思い出す。
あの優しいお父さんならば、確かにカイリちゃんがやりたい道を全力で応援してくれそうだ。
「でもさぁ。ボク聞いたことあるけど、途中転入って、一般入試よりも難易度高いんでしょ? それを突破するなんてスゴイよね、魚住さん!」
「え、あ。いや、それは……」
「へぇ、そうなのか! 見かけによらず、やるじゃねぇか! ギャル人魚!」
「ちょっ、やめろって……!」
明るく背中をバンバンと叩く夜鳥くんに、カイリちゃんは迷惑そうに顔を顰める。
するとそれを見遣って、九条くんが口を開いた。
「そもそも日ノ本高校は、基本的に途中転入を受け付けていないからね。魚住さんは歌を評価されてということだし、例外中の例外ってことなんだろう」
「でも例外なのも分かるよ! カイリちゃんの歌声、心が揺さぶられるくらい本当にすごかったんだもん!!」
九条くんの言葉に力強く頷いて、私はあのザンの森の入り江で歌っていたカイリちゃんの姿を思い出す。
月明かりに照らされて響く彼女の歌声は、まるでティダの満天の星のように澄んでいて、とても美しかった――。
「あ、だから、いや……」
「?」
しかしカイリちゃんは誉めそやす私達を見て、少し気まずそうに首を横に振った。
「どうしたの?」
それに私が首を傾げると、カイリちゃんは意味ありげにチラリとこちらを見て言った。
「その……、あたしの歌を学校側に評価してもらったのは確かなんだが……。実は特別に試験を受けられるよう取り計らってもらえたのは、全部風花さんのおかげなんだ」
「えっ? お母さん? どういうこと??」
カイリちゃんの転入にどうしてお母さんが絡むのか? 私は驚き目を見開く。
するとカイリちゃんがおずおずとしながらも、説明してくれた。
「実は……海神の御成が収束した後、あたしが学校に通おうと思ってること風花さんに相談したんだ。そしたら『わたしは日ノ本高校に〝強いツテ〟があるから任せなさい』って言われて……」
「それで実際に転入試験を受けれるようになったってこと?」
「ああ」
私の問いにこくんと頷くカイリちゃん。
その表情から冗談や嘘を言っているようには見えないし、それは本当なんだろう。
「すげぇな風花さん」
「皇帝陛下ともめちゃくちゃ仲良さげだったし、本当に何者なんだろうね?」
「うん……」
雨美くんや夜鳥くんが探るようにこちらを見てくるのに、私は苦笑する。
長らくティダの田舎に引っ込んでいるお母さんに〝ツテ〟なんてものがあるなんて驚き……と、以前までの私なら思っていただろう。
――でも、今は違う。
『ごめん、まふゆ。アンタの知りたいことは全部分かってるつもり。だけどもう少し……、もう少しだけ待ってて。時期が来たら必ず全部話すから』
お母さんは何か、私が知らない大きな秘密を抱えていた。〝ツテ〟とやらも、その秘密に関わることなのかも知れない。
嘘は言わない人だから、きっと〝時期〟とやらが来れば話してはくれるのだろう。
気にはなるが、今はあまり深く考えてもしょうがないのかな。
「それで、カイリちゃんは今日は校舎の確認に来たの?」
「そう、授業は明日からだな。なんか先生から聞いたけど、朱音と同じクラスらしい」
「あー、それさっき九条くんも言ってたね。いいなぁ。私も二人と一緒なクラスがよかったなぁ」
消しゴムの貸し借りしたり、教科書を見せ合ったり……。
同クラになったらしたいことを思い浮かべて唇を尖らせていると、何故かカイリちゃんが「はぁ?」と呆れたようにこちらを見た。
「何言ってんの? 先生にアンタは銀髪と同じクラスだって聞いたよ。どうせいっつもイチャついてんでしょ? だったらいいじゃん」
「なっ!? だから何度も言うけど、私と九条くんはそんなんじゃ……!!」
「あーはいはい。そうだったね」
「もう! 絶対分かってないでしょ!」
カイリちゃんの言葉に真っ赤になって反論すると、相変わらず投げやりな返事が返される。
それに更に言い募ろうとした時、ポンポンと不意に頭に手を置かれた。
「まぁまぁ。そういえば魚住さんは住むところは決まっているのかい? やっぱり俺やまふゆのように寮へ?」
その手の主はやはり九条くんで。
だからこういう行動がカイリちゃんを誤解させるんだって言いたいんだけど、結局その気安い態度が嬉しいんだから、私も始末に負えない。
「あ、でもそうだよね! カイリちゃん、寮の案内なら私に任せてねっ!」
まだ先ほどの動揺で心臓はドキドキとしたままだが、しかし気を取り直し、私は九条くんの言葉にパッと顔を輝かせる。
なにせ寮生同士で部屋を行き来したり、おしゃべりしたりするのは、同じクラスになったらやりたいことと同様、私の密かな夢だったのだ!
……え? 九条くんはって?
九条くんはその、別枠と言うか。せっかくなら女の子同士でワイワイしたいじゃん!!
「あー……」
けれどそんな私の夢は、次のカイリちゃんの言葉によって一瞬にして露と消えてしまう。
「いや、あたしは寮じゃなくて、帝都に住む父さんの知り合いの家に下宿させてもらってるから」
「ええっ!? 何それ!? 知り合いって、どんな人!?」
まさかの言葉に私が叫ぶと、カイリちゃんが淡々と教えてくれた。
「魚料理のシェフやってるおじさんとその奥さん。父さんの卸す魚を気に入ってわざわざティダから方舟使って取り寄せてくれてて、結構長い付き合いなんだ」
「へぇー、そんな店が……」
ティダの魚を使ったお店が帝都にあっただなんて、知らなかった。
夏休みの間にみんなすっかりティダの魚を気に入っていたし、これは是非一度食べに行ってみたいところだ。
「えー、でもそっかぁ。カイリちゃんも寮なら、毎日部屋に遊びに行こうと思ったのになぁ……残念」
「それ聞いて寮を選択しなくてよかったと、今心の底から思ったよ」
しょんぼりとする私に対して、カイリちゃんはツンとそっぽを向く。
このすげない感じ、なんだか懐かしい。
「えへへへ」
「いやなんでそこで嬉しそうにニヤついてんだよ? ほんとアンタって、相変わらず変なヤツだよね……」
「うん、その下宿先のお店にも絶対行くからね」
「言うと思った。けど絶対やめて」
呆れたように溜息をついているが、その目は困ったように泳いでいる。
そう言うカイリちゃんこそ、素直じゃないのは相変わらずみたいだ。
そうして和やかな空気が部屋に流れたところで、木綿先生が「さて、みなさん」と声を上げた。
「積もる話は尽きないでしょうけど、時間も押してますし、そろそろ僕達はお暇しますね」
「あ」
先生の言葉に時計を見れば、確かにカイリちゃんが来てから既に30分以上が過ぎていた。
今日の生徒会の議題は体育祭の話の予定だったが、これは明日以降に持ち越しかな。
「ごめんねカイリちゃん、長々引き留めちゃって」
「いや、こっちこそ生徒会の邪魔して悪い。でもアンタらと話せてよかったよ」
「次はどこ行くんだ?」
木綿先生と共に生徒会室を出て行こうとするカイリちゃんに、そう夜鳥くんが投げかける。
するとカイリちゃんが何故だか微妙な顔をして、それに答えた。
「あー……。次は演劇部、ですよね? 先生」
「はい、部長さんが部室で待っているそうですよ」
「え?」
「もしかして魚住さん、演劇部に入るの?」
同じことを思ったのだろう。
雨美くんが問いかけると、カイリちゃんが「ああ」と頷いた。
「入部するつもり。とゆーか、演劇部に入部するのが入学の条件でもあったというか……」
「? というと?」
九条くんが不思議そうに首を傾げる。
するとどういう訳か、そこで木綿先生が苦笑して話し出した。
「なんでも演劇部では、ちょうど優れた歌い手さんを探していたそうです。それで魚住さんが入試を受けている時に、たまたま演劇部の部長さんも彼女の歌を聞いていたらしく……」
「試験が終わるなり、『アナタの歌に一目惚れしたから、ぜひ演劇部にっ!!!』って、ものすごい圧で言われて、断るに断れなくなったって訳」
「あはは、そっかそんな経緯が……。なんかその光景、目に浮かぶかも」
疲れたように溜息をつくカイリちゃんを見ながら、なんだか朱音ちゃんが入部した時を彷彿とさせるような話だなぁと思う。
なにせ演劇部の部長さんといえば……、
『ダメよっ!! 舞踏会に出る女にとって、ドレス選びは命そのものよ!! いい加減な真似は許されないわっ!!』
もはや懐かしい後夜祭の際には、私も体を剥かれ、揉まれ、締め上げられ、……(以下略)本当に色々お世話になったものだ。
思わず遠い目をして、野太い声と大柄が特徴の、優しいオネェさんを思い出す。
でもキャラが濃いだけじゃなく、なんだかんだすごいんだなぁ、あの部長さん。
朱音ちゃんといい、次から次へと優秀な人材を演劇部に引き入れてる。
「ま、入ると決めたからには経緯はどうあれ頑張るさ。早速今月末にやる舞台からあたしも出るから、よかったらアンタも観に来てよ」
「うん、もちろん行くよ! その舞台の準備は、朱音ちゃんも前々から張り切ってたしね!」
「ああ、そういえば朱音も演劇部なんだったな。夏休みも本当なら、その舞台の準備があったんだっけ」
「そうなの!」
夏休み前から舞台の話は、朱音ちゃんからちょくちょく聞いていた。
差し入れを持っていく度に、立派なセットが出来上がっていくのもこの目で見ている。
その彼女が手がけた舞台セットでカイリちゃんが歌うのだ。どんな風になるのか、今からめちゃくちゃ楽しみで仕方がない。
私はぎゅっと拳を握り、満面の笑顔でカイリちゃんに告げた。
「絶対に絶対に観に行くから、頑張ってね!! カイリちゃんっ!!」
◇
――しかし翌日の放課後。
学校中に貼り出された演劇部の舞台告知ポスターを見て、私は絶叫することになる。
何故ならひときわ目を引くクソデカフォントで書かれていたのは……。
〝主演、九条神琴・雪守まふゆ〟
「はあああああああああっ!!?」
なんと私と九条くんの名前だったのだ……!!




