24話 雪女と妖狐とお母さんのほんとう
「なんで、皇帝陛下がこんなところに……?」
みんなが口々にそう呟く。
どうやら皇帝陛下とお母さんは何か話をしていたようで、立ちすくむ私達に気がついたのか、二人の視線が一斉にこちらを向く。
「……っ!」
瞬間、二つの視線が真っ直ぐに私へと向けられたような気がして、体が勝手にビクリと跳ねた。
「ふむ、もう日暮れか。ではな風花、息災でな」
「はいはい、國光もね」
私達から視線をお母さんへと戻した陛下が、家の前につけられた庶民的な車に乗り込む。
するとそれにお母さんが、かなり気安い様子で陛下に手を振った。
――〝國光〟?
走り出した陛下の車を見つめ、聞き慣れない名前に内心首を傾げていると、九条くんが小声で皇帝陛下の名前だと教えてくれた。
……なんでお母さんが陛下の名前を呼ぶほどに親しげなの?
「どうなってんだ? 今のって皇帝陛下の偽物とかじゃないよな?」
「間違いなく本物でしょ。庶民的な服装だったけど、この間見た時と同じ圧倒的な存在感だったじゃん」
「ゆゆゆ、雪守さんっ!! 風花さんと陛下って、一体どういう間柄なんですかっ!?」
「え、えっと……」
そんなものはこっちの方こそ教えてほしいくらいだ。
私だってお母さんが皇帝陛下と名前を呼び合うくらいに親しいだなんて、今初めて知った。
ずっとずっと、生まれた時から母子二人っきりで暮らしてきて、お母さんのことで知らないことなんて無いと思ってた。
だけど実際はどうだ。
お母さんから妖力を感じないことも九条くんに指摘されるまで全く気がつかなかったし、お母さんが日ノ本高校の卒業生だって知ったのもつい最近だった。
別に親とはいえ知らないことがあるのは当然だし、教えてくれなかったことにどうこう言うつもりは無い。
しかしそう頭を納得させようとしても、やっぱりどこか納得出来なくて無性に苛立ってしまう。
「ああっ!? せっかくなら陛下にサイン貰っとくんでしたぁっ!!」
「いや、芸能人じゃないですし」
誰もが緊張で張りつめた空気の中で、平常運転の木綿先生に呆れつつも、なんだかホッとする。
けれど陛下を乗せた車がすっかり見えなくなっても、私の中にあるモヤモヤはずっと燻り続けた。
◇
「あーら、みんなおかえりー! ティダの海は存分に楽しめたかしら?」
「あ、はい。お陰様で」
「スイカありがとうございました。美味しかったです」
「喜んで貰えたならよかったわ。あのスイカはお得意さんがくれてねー」
今見た光景に動揺を隠せない私達に対して、お母さんはまるで何事もなかったかのようにのん気にスイカの話をしながら笑う。
その様子にまた私は苛立ちが募り、ついに堪え切れなくなって叫んだ。
「……っ、ちょっと!! お母さんっ!!」
「――まふゆ」
声を張り上げた私を止めるように、九条くんが私の肩に手を置く。
そしてそのまま私と視線を合わせて言った。
「夕飯の準備は俺達がしておくから、まふゆは風花さんとゆっくり話すといい」
「えっ……!?」
「そーそー。たまには親子水入らずで話せよな」
「せっかくの雪守さんの帰省でしたのに、僕達が泊まっているから、ずっと親子二人の時間が無かったですもんね」
「まふゆちゃん、夕食作りは安心して任せてね」
「カレーなら簡単だし、ボク達でも作れそうだしね」
「あ、ちょっ……!?」
九条くんの言葉に狼狽えた私に、口々にみんながそう声を掛けて先に家の中へと入っていく。
するとお母さんが「あっ」と声を上げた。
「だったらまふゆに言われて買ってきた材料は、台所にまとめて置いてあるから!」
すると「分かりましたー!」という元気な返事が返ってきて、そのままパタンと玄関扉が閉まり、それにお母さんがクスリと笑った。
「みんな騒がしいけど、いい子達だよね。まふゆ、アンタ日ノ本高校に入ってホントによかったね」
「う、うん……」
しみじみと呟くお母さんになんだかさっきまでの勢いが削がれ、私も素直に頷く。
そしてチラリと目線を空に移せば、太陽はもう沈みかけていた。私達以外誰も外にいないので、静寂に海の波打つ音がここまで響いてくる。
「…………」
困った。二人きりにはしてもらったものの、何から話していいのか分からない。
こんな改まった状況など今までになかったから、お母さん相手なのに妙に緊張してしまう。
「ふぅ……」
「!」
すると不意にお母さんが溜息をつき、それに私はビクリと肩を震わせる。
「……まふゆ、思えばアンタには我慢ばかりさせてきたね」
「え……? 何を突然……」
〝言い出すのか〟と続けようとするが、お母さんの表情が悲しげであることに気づき、私は開けた口をきゅっと閉ざした。
「覚えてる? 今でこそなんとかわたし一人でやれてるけど、家事も仕事も、それこそ昔は何から何までまふゆに頼りっ放しだったじゃない?」
「そうだっけ?」
お母さんの言葉に、小さい頃の記憶が走馬灯のように私の頭を駆け巡った。
「掃除をすれば何故か逆にゴミだらけ。料理をすれば失敗ばかり。仕事だって何をやっても長続きしなくて、結局まふゆに言われてかき氷屋を始めたんだよね」
「ああ、そういえばそうだったっけ」
思い出して苦笑する。
確かに昔のお母さんは、ズボラ以前に家事も労働も本当に何もしたことが無かったらしく、庶民の癖にどこのお姫様かと思うほど、なんにも出来ない人だった。
「そんな不甲斐ない母親、いつ愛想を尽かされたって文句言えないのに、アンタはいつだって一生懸命わたしを助けてくれた。本当に感謝してる」
「お母さん……」
私にとって、お母さんの家事や仕事を手伝うのは当然のことだった。
我慢してるなんて思ったことはないし、ケンカはしても、愛想が尽きるなんてこと、絶対にあり得ないのに……。
「半妖であることを隠すように言った時も、アンタはしっかり言いつけを守ってくれた。それに安堵した半面、わたしの言いつけを守ろうとするあまり、友達も作らず他人と距離を取るアンタを見て、ずっと申し訳ないとも思ってた」
「…………っ!」
思わず驚いて、ウロウロと彷徨っていた視線をお母さんの顔に向けると、私と同じ赤い瞳とかち合った。
「言ったこと自体を後悔したことは無いわ。雪女の半妖であることを隠すのは、アンタを守る為に必要なことだったから」
「それは何から守る為なのって、聞いてもいいの?」
ハッキリと言い切ったお母さんは、いつもの飄々とした姿とは別人のように真剣な顔をしていて。
それに私は何故かぎゅっと心臓が掴まれたような苦しさを感じながら、なんとか言葉を紡ぐ。
「お母さん……。私、お母さんの言う通り、ずっと誰かと関わることを無意識に避けてた。〝隠し事をしている自分が誰かと親しくなってはいけない〟って、心のどこかで思ってた」
「まふゆ……」
「でもね。九条くん達、生徒会のみんなと一緒にいる内に気づいたの。半妖であることを言えなくても分かり合うことは出来るし、友達にもなれるって」
生徒会のみんなに、朱音ちゃん。
それにクラスメイトや文化祭実行委員。日ノ本高校で出会った、たくさんの人達。
それぞれ関係性は違うけれど、彼らとの〝縁〟は私にとって初めて〝向き合ってきた〟と言えるものだった。
「高校に入って色んなことを知って、経験して。お母さんに話したいこと、聞かなきゃいけないこと、たくさん出来たんだよ」
どうしてティダに移り住んだの? 本当に寒いところに住むのは面白くないなんて理由なの?
私が一度も会ったことの無いお父さんは、本当に冒険家だから帰って来ないの?
どうして私を守る為に半妖であることを隠さなきゃいけなかったの? そもそも何から私を守るの?
九条家当主にはどうしてあんなに憎まれてるの? 男を巡ってって、本当にそうなの?
――そして、皇帝陛下。
「私この間みんなでお城に行った時、陛下に〝まふゆ〟って呼ばれたの。どうして陛下が会ったこともない私の名前を知ってたの? お母さんはどうして陛下とさっき一緒にいたの!?」
全てをぶつけるように問いかけると、じっと私の言葉を聞いていたお母さんがポツリと「……よかった」と呟いた。
「え?」
意味が分からず聞き返せば、お母さんがポツポツと話し出す。
「まふゆを日ノ本高校に入れたのは賭けだった」
「〝賭け〟……?」
「わたしの目が届かないところに行かせる訳だからね。正直気が気じゃなかった。でも、國光にまふゆの気持ちを尊重させるべきだって言われて……」
「陛下に?」
なんでそこで皇帝陛下? 訝しんで眉を寄せると、お母さんがまた溜息をついた。
「國光は……、日ノ本高校の同級生だったの。國光とわたしと、葛の葉と……そして紫蘭。わたし達は同じ生徒会役員だった」
「はっ!?」
そんな濃い面子で生徒会だったことも驚きだが、それ以上に気になるのは――!!
「紫蘭さんって、前に陛下も話してた! 子どもの頃からの友達だって!」
「ええ、そうよね。國光と紫蘭はいつもバカばっかりやって、こっちが羨ましくなるくらい仲が良かったわ。本当に……」
「良かった……?」
――また、だ。
またドクンドクンと痛いくらいに私の心臓が波打つ。
だってお母さんも陛下も、まるで紫蘭さんをもういない人みたいに言うんだもん。
どうして――?
「ねぇ、お母さん! 紫蘭さんは今何してるの!? 陛下は病気だったって言ってたけど、元気なんだよね!?」
「まふゆ……」
「ねぇ、教えてよ! ねぇ!」
必死に言い募る私に、お母さんは驚いたようにこちらを見つめて、そして――。
「わ、わわっ! 何っ!?」
突然ぐしゃぐしゃと思い切り頭を撫でられて、私は悲鳴を上げる。
そして真剣に話してるのにとキッと睨みつければ、お母さんはドキッとするくらいに穏やかな目で私を見ていた。
「お、おか……」
「まふゆが九条くんを連れて来た時、ホントはめちゃくちゃ驚いたけど、同時に安心もした。ねぇ、まふゆ。九条くんとの〝縁〟大切にしてね」
「え……?」
紫蘭さんの話をしていたのに、どうしてそこで九条くんの名前が出て来るんだろう?
戸惑っていると、お母さんがニヤッといつもの調子で笑った。
「ていうかアンタ達本気で付き合ってないの? 朱音ちゃんに聞いたわよぉ? そのネックレス九条くんからなんだってね? これで付き合ってないなんて、怪しいわ〜」
「はっ!? え、な、何!? いきなり!?」
バッと胸元で揺れるホタル石を手で隠す。
すると真っ赤になった私を見て、更にお母さんがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
「お? 何その反応。こっちに来た時は無自覚っぽかったのに、さては最近何かあったな?」
「だ、だから何!? いきなりなんなの!?」
「はっはっは。こうして娘と恋バナするのが、わたしの密かな夢だったのだよ」
「お母さんっ!」
真面目にしろと怒鳴ると、お母さんはフッとニヤニヤ笑いを止めてこちらを見た。
「ごめん、まふゆ。アンタの知りたいことは全部分かってるつもり。だけどもう少し……、もう少しだけ待ってて。時期が来たら必ず全部話すから」
「お母さん……?」
また真剣な表情で言われ、私は言葉に詰まる。
一体、お母さんは何を抱えているの……?
不穏な様子に気圧されるが、しかしそれでもひとつだけ、今すぐに確認しておきたいことがあった。
「待って、言えないのは分かった。じゃあ全部答えなくていいから、ひとつだけ聞かせて」
「何? 話せる範囲でなら答えるけど」
私も真剣な表情でお母さんを見つめ、ひとつ深呼吸する。
改まって聞くことに酷く緊張するが、これだけはどうしても知りたかった。
「……お母さんから妖力を感じない理由は何?」
「え……」
「もしかしてお母さんは雪女じゃなくて、本当は――……」
その先を言うのが怖い。
震える唇からなんとか声を絞り出そうとするが上手くいかない。
更に私の言葉にお母さんの驚いた表情が目に入って、それを見たくなくてぎゅっと目をつぶる。
すると次の瞬間、ふわりと体全体が柔らかいものに包まれるのを感じた。
「……?」
それに閉じた瞳をそっと開けば、お母さんに抱きしめられていることに気づく。
「おか……」
「バカね、いつから気にしてたの? わたしがもし雪女じゃなく人間だったら、雪女の半妖であるアンタの母親は誰なんだろう……とでも考えてた?」
「……っ!」
図星を指されて固まった私の耳に、カラカラとお母さんの笑い声が響く。
「本当にバカな子ね。こんなにわたしと瓜二つで、髪と目の色もおんなじなのに」
バカと言いながらも、私を抱きしめる手はとても優しい。
それに幼い頃、嫌なことがある度にこうやってお母さんに抱きしめられたことを思い出し、知らず涙腺が潤んでいく。
「まふゆ、わたしが雪女であることは間違いないわ。ただし、元が付くけれどね」
「……? それってどういう……」
意味が分からず顔を上げれば、お母さんはどこか遠いところを見て懐かしむような表情をしていた。
「お腹にまふゆが宿った時、妖怪であることを隠して生活する必要があった。だから妖力も妖怪であることも、全部捨てたの」
「捨てたって……」
妖力ってそんな気軽に捨てられるものなのだろうか? というか、捨てようとして捨てられるものなのか?
疑問は尽きないが、何よりも〝雪女である〟という自分自身の根幹を捨てたとお母さんは言ったのだ。他ならぬ私の為に。
……後悔は無いのだろうか?
「無いよ。後悔なんて一度だってしたこと無い。だって一番の宝物が、こうして元気に育ってくれたんだから」
そう言い切ったお母さんの表情は、言葉通り晴れ晴れとしている。
まだまだ聞きたいことだらけだし、謎は更に深まるばかり。
――だけど、今はその言葉だけで十分だった。
「お母さんっ……!!」
「あーもー、泣かない泣かない。全くアンタの泣き虫はいつまで経っても治らないんだから」
「外じゃ滅多に泣いたりしないから、泣き虫じゃないし!」
「あーはいはい。そうだったわね」
すかさず反論する私に、お母さんは呆れた声を出しながらも私の背中を宥めるように撫でてくれる。
それに私も甘えるようにして、ぎゅっと抱きつく力を込めた。
懐かしい。昔はいつもこんな感じだった。
お母さんお母さんって、何かある度に泣きついてたっけ。
今だけはちょっとだけ、昔に戻ってもいいよね……?
それから少しの間そのままでいた時、不意にお母さんが「あ、そうそう」と声を上げた。
「……何?」
「ひとつだけ、アンタに教えておくわ」
「?」
そう言ってお母さんは私の耳元に口を寄せ――、
「――――――――」
「!?」
囁かれた言葉に驚いて、思わずお母さんを凝視する。
「なっ!? なんで私が悩んでるって知って――」
――ドカーーンッ!!!
叫んだ瞬間、同時に家の中から酷い爆発音が響き、あまりのことに私達は顔を見合わせた。
窓からはモウモウと黒い煙が上がり、「米が吹っ飛んだぞーーっ!?」と叫ぶ声までが響いてくる。
「ねぇ……。今のって台所からよね?」
「……カレー、食べられるかなぁ?」
この時の私の予感は見事に的中した。
結局ボロボロに破壊されて使い物にならなくなった台所での調理を断念し、その日の夕ご飯はカレーから屋台のタコライスに変更になったのであった。




