21話 雪女と妖狐と生徒会の夏休み(4)
ギラギラと今日も絶好調で照りつける赤い太陽。
どこまでも清廉に澄み渡る青い空。
更に忘れてはいけないのは、エメラルドグリーンに輝く海。
そんな美しいけれども、ティダではごくありふれた、いつもの見慣れた光景。
その中で一つだけいつもと違うのは、一艘の小さなゴムボートがポツンと海に浮かんでいることだろう。
そしてそのボートを漕いでいるのは――……。
「潮風が気持ちいいね。海面に空が映って、まるで飛んでいるみたいだ」
「う、うん。そうだね」
穏やかな風に吹かれて涼しげに白銀の髪がサラサラと揺れる。
それに髪をかきあげ淡く微笑む九条くんに、私の心臓がバクンと跳ねた。
「あ、まふゆ。あれ熱帯魚の群れだよ」
「ホ、ホントだっ!」
ぎゃあああ!! 顔が近い!! 近い近い近いぃ〜!!
狭いボートの上で九条くんが私に体を寄せて海面を指差すので、私の心臓は壊れたように激しく鳴り響く。
肝試しをした時よりは幾分落ち着いてきたが、自分の気持ちを自覚して以降、私は九条くんをついつい意識し過ぎるようになってしまっていた。
だからなるべくなら二人きりは避けたかったのに、何故かまた私達は一緒にボートに乗っていた。
「あ、見てまふゆ。あっちの群れは黄色に青にピンクだよ。まるで夜鳥と雨美と朱音みたいだね」
「ホ、ホントだっ! 可愛いっ!!」
だ、だから近いってぇ〜〜っ!!
真横でクスクス楽しそうに笑う九条くん。めちゃくちゃ神々しいけど、今の私には目に毒過ぎる!!
うわぁん!! 乗るって言ったのは私だけど、やっぱり恥ずかし過ぎるぅーーっ!!!
……何故こうなってしまったのか?
事の始まりは、あの肝試しから一週間が経った日のこと。
毎度の夜鳥くんの発言がキッカケだった――。
◇
「おいっ!! オレ今、スゲーことに気がついたんだけどよ!!」
夏休みも半ばに差し掛かり、夕食後みんなで宿題に取り組んでいたところで、夜鳥くんが突然そんなことを言い出した。
「どうせくだらないことでしょうけど、一応聞いてあげますよ。どうしたんです、夜鳥さん?」
「いや、辛辣過ぎだろ!?」
「今までの言動を思えば当然ですよね」
相変わらず夏の気に当てられてテンションの高い男を朱音ちゃんが冷たくいなし、その態度に夜鳥くんが狼狽える。
少々不憫だが、朱音ちゃんの言う通り日頃の行いが悪いので、自業自得ではないだろうか。
「な、なんだよ、ノリ悪りぃなぁ……」
周囲の冷たい反応に一瞬だけ落ち込んだ様子を見せたが、そこはやはり夜鳥くん。
すぐに調子を取り戻して、テンション高く言い放った。
「まぁ聞けって! 海だよ海! せっかくティダに来たってのに、オレらまだ海で泳いでなくね!?」
「え」
「あ」
「は」
その言葉に、冷めた表情のまま宿題をしていた私達の手が止まる。
言われてみれば確かにそうだった。
砂浜でバーベキューしたり、水着でコンテストに出たりもしたが、肝心の〝海で泳ぐ〟という行為はティダに来て早二週間が経つというのに、まだやっていなかった。
「そういえばそうだ。水着まで買ったのに、まだ俺達海に入ってなかったね」
「じゃあ早速、明日は朝イチで海に行きましょーよ!」
「はいっ、賛成ー!」
「ほーらーなぁー? どうだよ!? やーっぱオレって、いい事言うだろーが!!」
得意げにふんぞり返ってドヤ顔する夜鳥くんは、なんかムカつくので徹底スルーで。
「私ボートに乗りたいなぁー」
「いいね、海の家で借りようか」
「熱帯魚見れるかなぁ?」
「ならシュノーケルも準備しないとね」
「おおい! 無視すんじゃねーーっ!! 話で盛り上がる前に、誰かまずはオレのことを褒めろよーーッ!!」
わいわいと。
今日も今日とて騒がしい。
――こうして明日の話題に花を咲かせ、この日は平穏に夜も更けていったのだ。
◇
そして翌朝。
私達は早起きして、我が家の裏にある例の浜辺へと繰り出していた。
「はぁー! 今日もいい天気ー!」
「絶好の海水浴日和だね!」
海の家の更衣室で水着に着替えた私と朱音ちゃんは、白い砂浜をサクサクと音を立てて歩く。
まだ早い時間だからか観光客も少ないし、これなら思いっきり遊べそうだ。
ちなみに朱音ちゃんの水着は、赤いのフリルで縁取られた可愛らしいデザインのビキニである。
ふわふわのピンクの髪は緩くポニーテールにしており、その姿はさながら真夏の海に降り立った天使のよう。
そんな天使がこちらを見て、可憐に微笑む。
「風花さんもお仕事お休みだって言ってたし、来たらよかったのにね」
「まぁお母さんの場合、ティダの海は毎日飽きるほど見てるからね。その代わり、これ」
「わっ、スイカ!?」
目を丸くする朱音ちゃんに私は笑って、持っていたスイカを掲げて見せる。
「お母さんが持ってけってさ。せっかくだから、これ使ってスイカ割りもやろーよ!」
「わーやろうやろう! わたしスイカ割りなんて初めて! 楽しみだなぁ!」
「おーい!」
話しながら波打ち際を歩いていると、先に水着に着替え終えていた男子組がレジャーシートを砂浜に敷いて、こちらに手を振っているのが見えた。
「おーい、遅かったじゃねぇか!」
「ごめんごめん、準備に手間取っちゃって!」
パタパタと急いでそちらに駆け寄れば、何故か私を見た男子達がポカンとした表情をした。
え、何? あんまりジロジロ見ないでほしいんだが……。
「あれ? 雪守ちゃん、なんか水着がコンテストの時のと違くない?」
「え? ああ」
なんだ、それでみんなこっちを見てたのか。
そう私が納得して説明する前に、朱音ちゃんが口を開いた。
「ふふふ、驚きました? 実はコンテスト用とは別に、もう一着水着を選んでいたんです! どうです? 真っ白なホルダーネックのビキニがまふゆちゃんの白い肌に映えて、とっても綺麗でしょう!!」
朱音ちゃんが私をみんなの前に押し出すようにして熱弁する。
いやあの、褒めてくれるのは大変嬉しいんだが、あまりにも持ち上げ過ぎじゃないだろうか? 正直みんなの視線が私に集中して居た堪れない。
そもそも水着に白い肌が映えて綺麗なのは、朱音ちゃんの方で――……。
「――まふゆ」
「!!」
考え事をしている内にいつの間にか九条くんが私の目の前に立っており、ビクンッと肩が跳ねる。
「コンテストの時のもよく似合ってたけど、今日のは一段とまふゆの雰囲気に似合ってるよ。すごく綺麗だ」
「あ、ありがとう……」
優しく微笑まれ、心臓がドキリと跳ねる。
き、綺麗! 綺麗って九条くんに言われた!!
どうしよう。ビキニなんてスースーするし、すごく恥ずかしいのに。私、九条くんに褒められたことが震えそうに嬉しい……!
ていうか九条くんこそ、水着が似合い過ぎててビックリなんだけど!?
昔から病気で寝込みがちっていうから、てっきりもっとヒョロっとしてると思ってたのに、結構筋肉質なんだなぁーなんて――って、何変態みたいなこと考えてんの私!?
「すーはーっ!! すーはーっ!!」
恥ずかしいくらい邪念が頭をよぎるので、考えを散らそうと目を閉じて深呼吸する。
「っ、」
すると不意に首元が軽く引っ張られるような違和感を感じ、私はそっと目を開いた。
「――――っ!?」
その瞬間、視界いっぱいに飛び込んできた九条くんのドアップに、私は声にならない悲鳴を上げる。
「!? !?」
「このネックレス、ずっと着けてくれているんだね。太陽の光が反射して、ちょうど今のまふゆの瞳の色と同じになっている」
「え、あ……ぅ……」
九条くんが私の首に掛けているホタル石を手に取って、太陽に透かしながら言う。
その息づかいまで聞こえてきそうな距離に、のぼせ上がった頭では返事をする余裕もなくて、コクコクと頷くことしか出来ない。
――あああ、こんなの無理っ!! 心臓がもたないっっ!!!
私達を見ている朱音ちゃん達のどこか生暖かい視線にも居た堪れないし、恥ずかしい。
とにかくどうかバクバクとうるさい心臓の音が九条くんに聞こえてませんように!!
私はひたすらそれだけを祈った。
◇
「はぁ……」
初っ端から精神的大ダメージを受けてしまった。
九条くんって実は天然なのかな? 行動がいちいち凶器過ぎる……。
しかしいつまでも恥ずかしがってはいられない。
気を取り直して海に入るべく、私は砂浜で準備体操を始める。
「ふぁああ〜」
「?」
するとレジャーシートの方から大きな欠伸が聞こえたので見れば、ちょうど木綿先生が砂浜に寝っ転がっているところであった。
私は側にしゃがみ込んで、声を掛ける。
「あれ? 先生は泳がないんですか?」
「あはは。実は僕、昨日も風花さんと酒盛りしてて、ほとんど寝れてないんですよー。なので日光浴がてら少し寝ようかなと思いまして」
そう言いながらまた欠伸をする先生は、確かにとても眠そうだ。
「ごめんなさい先生。いつもお母さんに付き合わさせちゃって……」
「いえいえ、付き合わさせるなんてとんでもない。むしろ風花さんと飲むのは楽しくて、ついつい飲み過ぎちゃうんですよねー……」
その言葉を最後に、木綿先生はすぐに寝入ってしまった。
楽しいとは言っているが、酒豪のお母さんに付き合うのはさぞや骨が折れたはずだ。このまましばらく寝かせてあげよう。
そう考えて準備体操を再開するべく立ち上がった瞬間、後ろからバサバサという音が響いて私は振り返る。
するとそこにいたのは――。
「ちょっ、夜鳥くん!? 何先生に砂かけてんの!?」
私はギョッとして、いつの間にか居た夜鳥くんに悲鳴を上げる。
「いや何、ちょっとしたサンドアートにしてやろうと思ってな。木綿のヤツ、起きたらきっと泣いて喜ぶぞ」
そこは泣いて怒るの間違いではないだろうか?
こちらを向いた夜鳥くんがニヤリと悪い顔をして、ぐっすり眠る木綿先生の体にどんどんと砂をかけていく。
次から次へと、よくもまぁ。
このバイタリティだけは心底尊敬する。
「あ、面白そうだね。ボクもやろーと!」
「だったらわたしも! サンドアートって前から興味があったの!」
「あ、朱音ちゃんんん!!?」
雨美くんはともかく、まさかの朱音ちゃんまでが夜鳥くんと一緒に悪ノリとは。
ここしばらく生徒会の面々と過ごす内に、朱音ちゃんも少しずつ毒されてきたのかも知れない。
少々複雑ではあるが、弾けんばかりの笑顔で楽しそうに砂を木綿先生にかける姿を見せられれば、私には何も言うことは出来ない。
木綿先生。尊い犠牲だった。
それにしても海で泳ぐ為に来たのに、いきなりサンドアートでいいんかい、アンタ達……。
「だ、大丈夫かな……」
「朱音もいるし、無茶はしないさ。それよりもどうする? ボートを借りてきたけど、先に俺達で乗る?」
「!?」
完全に独り言のつもりだった呟きに返事をされて、私が慌てて振り返れば、九条くんが真後ろに立っている!
そしてその九条くんの後ろには小さなゴムボートが一艘……。
そ、そっか。居ないと思ったら、私が昨日乗りたいって言ったから海の家でわざわざボートを借りてきてくれたんだ。
で、でも、九条くんと二人きりでボートって……!
やっと落ち着いてきた心臓が、またバクバクと高鳴り始める。
以前までの私ならきっと、何も考えずに二つ返事で乗っていたに違いない。
でも今は違う。
気持ちを自覚した今、ちょっとした接触にも頭が真っ白になって、正直二人きりになった時にどんな態度でいればいいのかも、まだよく分からない。
けど、それでも――。
「乗る」
九条くんと二人でボートに乗ってみたい。
恥ずかしさよりも、気まずさよりも、そう思う気持ちが私の中で勝った。




