20話 雪女と妖狐とギャルの秘密(2)
「……でも、死ぬ時に母さんは言ったんだ。〝ティダに雪が降ったら、また母さんと会える〟――って」
カイリちゃんが震える両手をギュッと握り締めて、そう言う。
「雪が……?」
それによって思い起こされるのは、今までのカイリちゃんの数々の言動だった。
『あたしに氷の妖力をもつ妖怪を紹介してくれ!!』
『いい! あたしはあたしの力だけでアンタに勝ってみせる。そして絶対に、氷の妖力をもつ妖怪に会うんだ……!!』
じゃあカイリちゃんが氷の妖力をもつ妖怪を探すことにあれだけ必死だった理由は、お母さんに会いたかったから……?
「…………」
でも、カイリちゃん。
お母さんがそう言ったのは、きっと――。
「あたしはもう一度母さんに会いたい! 会って謝りたいんだ! だからその為にずっとティダに雪を降らせる方法を探して来た。そしてたどり着いたのが……」
「氷の妖力をもつ妖怪に雪を降らせてもらう……か」
カイリちゃんの言葉を引き継ぎ、九条くんが呟く。
確かにそういうことなのだろう。ようやくカイリちゃんのこれまでの行動の理由が理解出来た。
理解出来たが……。
「けれど氷の妖力をもつ妖怪と言えども、この南国のティダに雪を降らせることなんて可能なのかい?」
「うーん……」
九条くんの疑問はもっともだ。正直やってみないと分からない。
まぁ妖術の類いを何も知らない私には、そのやり方すら見当もつかないけど……。
「おい、アンタ」
頭を悩ませていると、カイリちゃんが私を呼んだ。
それに少しドキリとして返事をする。
「な、何?」
「あたしが氷の妖力をもつ妖怪を探す理由はこれでちゃんと伝えたんだ。アンタも約束を忘れんなよ」
「も、もちろん! 帝都に戻ったらちゃんと探すつもり」
「ん。だったらいい」
こくんと頷くカイリちゃんに、また罪悪感で胸が痛んだ。
何しろカイリちゃんには正体から家族のことまで散々話させておいて、結局私は何ひとつ本当のことを言えていないのである。
なんて臆病者で卑怯者なんだろう……。
「じゃあもう話はここまででいいだろ? 立ちっ放しで疲れたし、アンタらもさっさとデートに戻りなよ」
「デッ……!?」
不意打ちにとんでもないことを言われ、またも私の体温が急上昇する。
「違っ……!! デートじゃないからっ!! ただの肝試しだからっっ!!」
「はぁ? さっき来た時、アンタら手ェ繋いでなかった? まぁどうでもいいけど」
「手ッ……は、確かに繋いでたりもしたけど! ほんと違うからっっ!!!」
真っ赤になって叫べば、カイリちゃんがうるさそうに顔を顰めてヒラヒラと手を振った。
「はいはい。分かった、分かった。じゃあそういうことにしといてやるよ。だからさっさと戻れって」
「カイ……っ!」
「まふゆ、そこまでだ」
絶対に分かってないカイリちゃんの態度に、もう一声叫びたかったが、その前に九条くんに遮られてしまう。
「魚住さん、俺達も戻りたいのは山々だが、実は途中で道が分からなくなってしまったんだ。君はさっき一本道だと言っていたが、どこから行けばいいんだい? よければ帰り道を教えてほしい」
「は??」
九条くんの言葉にカイリちゃんが怪訝な声を出して、森の方を指差した。
「教えるも何も、そのでっかい一本道を真っ直ぐ歩けば桟橋に出るだろうが」
「は??」
今度は私達が怪訝な声を出す番だった。
だってカイリちゃんの指を差した先には、当たり前だが一本道ではなく、元来た鬱蒼とした森が広がっているだけなのだから――。
「いやいやいや!! そっちはめっちゃくちゃ複雑で迷路みたいな道なき道だよ!! ここまで来たのも偶然だったんだからっ!!」
「だったら魚住さん、もう一つ教えてほしい。俺達の仲間も一緒に肝試しに来ていたんだが、彼らはここには来たかい?」
神妙な顔をした九条くんの問いかけに、カイリちゃんはあっさりと首を横に振った。
「いいや。ここに現れたのはアンタ達が初めてだよ。今日だけじゃない、過去にもね」
「…………」
それは……、なんと解釈すればいいんだろう? やっぱりこの森には何かあるらしい。
今にして思えば、最初に上空からザンの森を一望したはずの木綿先生が、この入り江の存在を一言も話さなかった。
いや、話さなかったのではない。
気がつかなかったのだ。
どういう仕組みかは分からないが、そう考えた方がしっくりくる。
もしかしたらカイリちゃんの言う姿こそが、本来のザンの森なのだろうか……?
――そう、思い至った時だった。
「おーいっ!! 雪守ーー!! 九条様ーー!!」
「!!」
遠くの方で微かに聞こえた声に、私と九条くんはハッと顔を見合わせる。
「今の声聞いた!?」
「ああ、夜鳥だな!」
「みんなが私達を探しているのかも! 急いで戻らなきゃ!!」
そうして声の方を目指して駆け出そうとして、私はハッとカイリちゃんを振り返る。
するとカイリちゃんが小さく手を振って、頷いた。
「よく分かんないけど、アンタら本当に迷子だったんだな。ほら、早く仲間のところへ行きなよ」
「うんっ! ありがとう!」
それに私も頷き返すが、ふと頭にあることが浮かんで、私はカイリちゃんに尋ねた。
「……そういえばカイリちゃんは、海神様に会ったことってあるの?」
「はぁ? 海神ぃ? 無いよ。人魚の半妖って言ってもあたしは陸育ちだし、母さん以外の人魚にも会ったことはないから。……それが何?」
「あ、ううん! 別に大したことじゃないんだけど、海神様の姿を見たら〝一つだけなんでも願いが叶う〟って言い伝えがあるらしいの。それでカイリちゃんは会ったことあるのかなぁって、ちょっと思っただけ」
「ふぅん……」
カイリちゃんが微妙な顔をして呟く。
とっさに思いついたまま言っちゃったけど、子ども染みた迷信を信じてるヤツと思われたかも知れない。なんか恥ずかしくなってきた……。
「まふゆちゃーん!! 神琴様―!!」
「あ」
今度は朱音ちゃんの声が聞こえる。そうだった、早く戻らないと!
「行くよ、まふゆ!」
「うん! 変なこと聞いてごめんね、カイリちゃん!」
「別にいいよ、じゃあな」
そんなカイリちゃんの声を最後に、私達は入り江を後にした。
夜空を彩る美しい満天の星が、また生い茂った森の木々によって覆い隠されていく……。
◇
「――――え?」
「あれっ?」
夜鳥くん達の声を頼りに森を駆け抜けて、飛び出した先に現れたのは、あの行きの時に渡ったオンボロ桟橋であった。
「え? ここって森の入り口だよね……? なんでいきなりここに出たんだろ?」
「分からない。けど魚住さんは、桟橋まで一本道だと言っていた。もしかしたら……」
思案顔で九条くんが何かを言いかける。
しかしそれは、背後から響く大きな声によって掻き消されてしまった。
「おいっ!! いたぞっ!!」
「ホントだ! 風花さーん! 雪守ちゃん達を発見しましたーーっ!!」
「まふゆちゃん、神琴様!! はぁぁ~、よかったぁ〜〜!!」
森の方からバタバタと夜鳥くんに雨美くん、それに朱音ちゃんが走って来る。
「ああーーっ! お二人ともぉ! 本当によかったですぅ~〜!!」
「やれやれ、無事に戻って来たのね」
更に空からふわふわと降りてくるのは、見慣れた薄っぺらな白い布……。
「お母さん! また木綿先生に乗って……て、え!? ていうか、その後ろに乗ってるのは……!?」
私は一反木綿姿となった先生に乗るお母さんの後ろを指差して叫んだ。
何故ならそこにいたのは――。
「うわぁぁ!! 雪守じゃねーか!!」
「頼む!! この人達を宥めてくれよぉーーっ!!」
なんと以前かき氷を買いに行った際に私に声を掛けてきた、自称中学の同級生二人組ではないか!!
どうしたことか、彼らは縄でグルグル巻きにされて、今は木綿先生の背中で泣いている。
なんでこの二人がこんなところに……。
そんな疑問が顔に出ていたのか、夜鳥くんと雨美くんが説明してくれた。
「コイツらもオレらと一緒で、仲間と肝試しに来てたんだと。けど途中で木綿を見て驚いた拍子に、こいつらだけ仲間とはぐれて森の中に取り残されて迷子になったらしい」
「ほら、覚えてる? 森から桟橋までスゴイ勢いで走って行った人達。あの人達が、この二人のはぐれた仲間だったんだってさ」
「ああ……」
もちろん覚えている。確か彼らは、木綿先生を海神の怨霊か何かだと勘違いしたのだったっけか。桟橋が壊れるかと思うほど、ものスゴイ逃げっぷりだった。
しかし二人がここにいる理由は分かったが、もう一つ気になることがある。
「なんで二人は縛られてんの?」
「それがねぇ! この人達酷いんだよ!!」
首を傾げた私に、朱音ちゃんが憤慨しながら教えてくれた。
「見て! せっかく木に結んでた道しるべのリボンを、この人達ってば外して回ってたの!!」
そう言って朱音ちゃんが私に赤いリボンを見せてくる。それは確かに木に結ばれていたリボンで、私は驚きに目を見開いた。
まさかリボンが途切れた原因がこの二人の仕業だったとは……。これは思いもよらない。
「どうやら森の中をあちこちウロついて、目についたリボンを片っ端から外してたみたいだね」
みんなが厳しい視線を向けると、二人は弁解するかのように必死に首を横に振った。
「そのリボンが目印だとは思わなかったんだよぉ!!」
「そうだよ!! 海神の怨霊に会って気が動転してたんだ!! 海神がつけた呪いの印かと思ってもおかしくないだろ!?」
二人組が必死に私達に向かって叫ぶ。
まぁ恐怖のあまり気が動転して正常な判断が出来ないのは、一理ある。
同じ怖いものが苦手な者として、こうも責め立てるのは可哀想になってきた。
トラブルもあったが、こうしてみんな無事に森から出られたんだし、そろそろ縄くらいは解いてあげてもいいんじゃないのかな?
そう私が言おうとし、しかしその前にお母さんが深い溜息をついた。
「アンタ達ねぇ……、別にわたしらはリボンを外したことを怒ってるんじゃないよ。途中でばったり出くわした朱音ちゃんをしつこくナンパしてたんでしょ? それでどの口が海神の怨霊だなんて言うんだか。はぁ、全く困った悪ガキ共だよ」
「はぁ!?」
やれやれとお母さんが首を振るが、今聞き捨てならないことを聞いたぞ!
朱音ちゃんにちょっかい出すとは、さっきは一瞬仏心を出しかけたが前言撤回だ!
この先一生ぐるぐる巻きの刑でも生ぬるいくらいである!!
「ま、そんな訳でわたしらは悪ガキ共をこのまま親御さんの元に送り届けるから、アンタ達は先に帰ってなさい」
「ではみなさん、お気をつけてー!」
「わーん!! 親にだけは言わないでくださーいっ!!」
「雪守ぃー!! この間のことは謝るから、取り成してくれぇーーっ!!」
二人の断末魔が聞こえた気がしたが、もちろんスルーして、木綿先生達が小さくなるまで見送る。
そして姿が完全に闇に紛れて見えなくなったところで、朱音ちゃんが私を見て言った。
「それでまふゆちゃん。無事だったのはよかったけど、二人はどうやって目印もないのに森から出られたの?」
「そうそう、オレら散々森の中は探したんだぜ? なのに全然見つからなくて」
「かと思ったら、いきなり森の入り口に二人して立っていたんだもん。ビックリしたよ」
「それは……」
あの入り江での出来事をみんなに伝えていいものかと思案して、私は森を振り返る。
ザンの森は相変わらず不気味で鬱蒼としており、この先にあの美しい入り江があったことなど到底信じられない。
だけど確かにあの場所は存在していた。
……半妖の人魚と共に。
ザンの森。
人魚が流れ着く場所と呼ばれるこの森は、確かに不思議で神聖な場所だった――。




