18話 雪女と妖狐とドキドキ肝試し(3)
ホーホー。
遠くでフクロウの鳴く声がする。
月明かりも木々に阻まれて差し込まない真っ暗な森を九条くんの狐火で照らしながら、私達は木に括りつけられた赤いリボンを頼りに進んで行く。
「まふゆ。そこ、木の根が飛び出しているから気をつけて」
「あっ、うん」
私を先導するように前を歩いていた九条くんが、そう言って振り返った。
すると彼の秀麗な顔が狐火に照らされて、それに私は惹きつけられるように目が離せなくなる。
やっぱり九条くんってカッコいいな……。
金色の瞳に狐火の炎が揺らめいて、貰ったホタル石よりも綺麗……。
――って! また何考えてんの!? わた……。
「ホーーッ!」
「ぎゃあああああっ!?」
「ちょっ、まふゆ大丈夫!?」
「だ、だいじょーぶ……!」
「ただのフクロウみたいだよ、ホラ」
また尻餅をつきそうになるのをなんとか堪えると、九条くんがそう言って私の後ろを狐火で照らす。
すると確かにちょうど背後の木から、フクロウらしき影がバサバサと飛び立って行くところであった。
な、なんだよもう、脅かさないでよ。
また私の情けない悲鳴を九条くんに聞かれてしまったじゃないか。
ああもう、思い出すだけで恥ずかしい。
「……ごめん。いちいち騒がしくて」
恥ずかしさを表情に出さないようにしながら謝れば、九条くんが首を横に振った。
「いいよ。むしろまふゆにも怖いものがあるって知れて嬉しいから、気にしないで」
「怖っ……!?」
聞き捨てならない言葉に、思わず声が上擦る。
そしてそのまま反論しようと口を開くが、しかし私は何も言うことが出来なかった。
何故なら九条くんは言葉通り、本当に嬉しそうに微笑んでいて……。
なんだその顔、ズルい。
そんな表情を見せられてしまえば、否定の言葉なんて言えないじゃないか……。
「実は……昔からこういう、いかにも何か出そうな雰囲気の場所は……苦手なの」
結局私は少し躊躇った後、反論の代わりに秘めていた本音をポツリと漏らす。
「そっか。じゃあ俺を探しに九条の屋敷の地下室まで来てくれた時なんて、最悪だったんじゃない?」
その言葉に、私は思わず顔を顰めて頷いた。
「そりゃあもうね。あの地下室は雰囲気といい、造りといい、階段を降りるのにもの凄く勇気が必要だったよ!」
「それなのに、たった一人で来てくれたんだ?」
「そりゃそうだよ! あの時は怖いなんてことよりも大事な――……」
言いかけてハッとする。
そうだ、あの時は今以上に震えそうに怖かった。
一人で未知の場所へと向かう恐怖。
九条くんが無事でいるのかも分からない恐怖。
今でも全部鮮明に覚えている。
だけどあの時の私は、恐怖以上に九条くんを連れ戻すことで頭がいっぱいで。
どんなに怖くても、その一点で頑張れた。
……あれ?
それってもしかして私。
あの時からとっくに九条くんのことを――……。
「――――――ッ!!」
思い至った瞬間、一気に私の体温が急上昇するのを感じた。
ダメだ! 今の私は間違いなく、雪女の癖にタコよりも顔を真っ赤にしているに違いない!!
やっぱり意識しないようになんて出来ないよ!! だって二人きりで肝試しだなんてシチュエーション、もう無理ゲー過ぎるっ!!
「すーはーっ! すーはーっ!」
とりあえず深呼吸して、己の意に反して勝手に上昇する体温や早まる鼓動を鎮めようとするが、全然上手くいかない。
「まふゆ?」
するとやはりというか、なんというか、そんな私の奇行を訝しく思った九条くんが眉を寄せた。
「どうしたの? 何度も深呼吸して。すごい震えてもいるけど、やっぱり怖い?」
「!!」
動揺する私の瞳に、心配そうな顔をした九条くんがこちらに向かって手を伸ばしてくる姿が映る。
いや、待って! 今触れられでもしたら、私、私――……!!
「――――ダメっ!!!」
「……まふゆ?」
「…………あ」
ドッドッドッと心臓が酷い音を立てる。
気がつけば九条くんの手を私は振り払っていて、それを自覚した瞬間、一気にのぼせ上っていた頭から血の気が引いた。
「…………」
シンと辺りが静まり返り、元々不気味だった森が一層不気味さを増す。
狐火の薄ぼんやりとした光の中、九条くんが自分の払い除けられた手と私を交互に見ている。
ど、どうしよう。
九条くんの手を思いっきり払い除けてしまった……。
恐らく私の顔を見ているであろう、その顔を見ることが出来ない。
怒ったかな? 嫌われたかな?
謝らなきゃと思うのに、次々と勝手に頭に浮かぶ嫌な想像に振り回されて、感情が上手くコントロール出来ない。
口もまるで縫いつけられたかのように動かなくて、結局いつまで経ってもモゴモゴしたままだ。
「まふゆ」
するとそんな私にもう一度九条くんが手を伸ばし、今度こそ私の手は九条くんの手にそっと包まれた。
「あ……」
先ほどは触れられた瞬間どうにかなってしまいそうだと思ったのに、実際には手から九条くんの高い体温がじんわりと伝わってきて、ホッと心が落ち着くのを感じる。
それは最初は怖かった、でも今は心地いい感覚。
揺蕩うようにうっとりと目を閉じると、九条くんが私の手を握ったままゆっくりと口を開いた。
「まふゆ。君が今日のコンテスト終わりからどこか俺に対して様子がおかしいことは、気がついているつもりだ」
「!」
その言葉にハッと目を開けば、その金の瞳はジッと私を見つめている。
それに全てを見透かされるような感覚に陥り、私はギクリと肩を強張らせた。
しかし同時に、そりゃそうだろうとも思う。
なにせ自分でも分かるくらい、露骨に態度がぎこちなく変だったのだ。九条くんが気づかない訳がない。
「きっと……俺のことでまた何か悩んでいるんだろうし、その悩みをすぐに取り除いてあげたいとも思うけど、君はそれを俺に話すつもりはないんだろう?」
「それは……」
鋭い言葉にまた胸がドキリとする。
そんなことまで分かってしまうなんて、まさか本当に私の気持ちを見透かされているんだろうか?
「だったら無理に聞き出したりはしない。でも君が話したいタイミングで、いつか話してほしい。前にも言った通り、俺はいつだってまふゆに頼ってほしいと思っているんだから」
「九条くん……」
心配そうな顔。
様子を察するに、どうやら私の気持ちまでは悟られてはいないようだ。とりあえずホッと安堵する。
しかしそれ以上に、私の心は嬉しさでいっぱいだった。
些細な私の変化にも気づいてくれるのが嬉しい。
心配して、頼ってほしいと言ってくれるのが嬉しい。
そして何よりも――。
私を思って九条くんが心を砕いてくれることが、こんなにも嬉しい。
「……うん。きっといつか言う。絶対に」
――私、やっぱり九条くんが好き。
自覚した想いを噛み締めるようにして、そう心の中で呟いた。
◇
「あれ……?」
「どうしたの?」
「変だな。風花さんが括り付けた筈のリボンがこの木で途切れてる」
「えっ!?」
あれからしばらく歩いて、不気味な森にも少しずつ慣れてきた頃。
木に括り付けられた道しるべの赤いリボンが、ある地点から途切れていることに九条くんが気づき、眉を顰めた。
それに私も驚いて周りの木を見渡すが、確かに目の前の木を最後に赤いリボンがどこにも見当たらない。
「ええええっ!? まさかお母さんってば、途中からリボンを結ぶの忘れたとか……!?」
「いや木綿先生も一緒だったんだし、二人して忘れたとは考え難い。それよりも誰かに外されたと考えた方がしっくりくるような……」
「だ、誰かって、」
一体誰だって言うんだ。
怖いことを言わないでほしい。
すっかり忘れていた恐怖心がまた蘇ってきて、私はぶるりと肩を震わせる。
「――――……」
「……え?」
ハッと九条くんを見上げるが、彼が声を発した様子は無い。
キョロキョロと周囲を見回す私を見て、九条くんが首を傾げた。
「? どうしたの?」
「いや、なんか歌? みたいのが聞こえて……」
「歌? 俺は何も聞こえなかったけど……」
「う、嘘!? けど確かに今、女の人の声で誰かが歌ってたような……!?」
あ、なんか自分で言ってて怖くなってきた。
だっておかしいよ。こんな鬱蒼とした森の中で、一体誰が歌なんて――。
「――――――」
「!! また……っ!!」
「え?」
今度はさっきよりもハッキリと聞こえた歌声に、私はゾッと身を竦ませた。
しかしやっぱり九条くんには歌は聞こえていないのか、震える私を見てキョトンとしている。
一体なんなの、もうっ!!
「ままままさか、夜鳥くん達じゃないよね!? 私達を驚かせる為にリボンを外したとか!?」
「いや、彼らが反対側のルートに向かったのはハッキリと見ていたし、いくらなんでも俺達を先回りをしてリボンを回収したとは思えない」
「そんな……」
じゃあ誰の仕業だって言うんだ!? まさか本当に海……。
「――まふゆ」
「ぎゃああああああっ!!?」
考え事をしている最中にいきなりポンと肩を叩かれ、またも情けない悲鳴を上げてしまう。
慌てて横を見れば、九条くんが驚いたように目を丸くしていた。うう、恥ずかしい。
「ごめん。脅かすつもりは無かったんだけど……」
「う、ううん! 気にしないで! それよりどうしたの?」
「うん。まふゆが聞いた歌声って、どの方角からするかは分かる?」
「…………なんで?」
ものっすごく嫌な予感がするが、一応聞いてみる。すると九条くんは、やはり案の定なことを言い出した。
「この森に俺達以外の誰かがいるなら会ってみたいと思って。だってほら、この森は〝人魚の流れ着く場所〟なんでしょ?」
「く、九条くん。みんなが話してる時は淡々としてたのに、実は気になってたんだ……」
「そりゃあね。俺だって普通じゃお目に掛かれない人魚には興味あるさ。まふゆだってそうだろ?」
「それは……」
確かに無いと言えば噓になる。
でもそれはただの言い伝えで、実際先ほど木綿先生が空から見た時は人魚らしき姿は見なかったと言っていたではないか。
そう私が煮え切らずにブツブツ言うと、九条くんが「それに」と目の前の赤いリボンが結ばれた木を指差した。
「道しるべのリボンがここで途切れている以上、闇雲に歩いても迷子になるだけだよ。そして引き返したところで、森の入り口までリボンが残っている保証も無い。なら人魚かはともかく、誰かと合流出来るならそれに越したことはないと思わない?」
「うぐ」
悔しいが一理ある。私だってこんな不気味な森で遭難なんて絶対に御免である。
「ほら」
「うう……、分かったよ」
目の前に差し出される手に手を重ね、ようやく私は腹をくくった。
「えっと、確か……歌声はこっちからだったと思う」
私は九条くんの手を引いて、一緒に歌声の主のいる場所を辿った。
時々聞こえる歌声は、まるで私を導くように森の奥へ奥へと誘う。
そして、辿り着いたのは――。
◇
「――――え?」
「まさか森の奥が、こんな場所に繋がっていたなんて……」
歌声を頼りに歩くこと少し。
突然目の前に現れたのは、小さな入り江だった。
澄み切った星空に、ザーンザーンと静かに波が打つ音が響いて、言葉では言い表せない程になんとも美しい。
「まふゆ、あれ」
景色に目を奪われる私に、九条くんが静かな声である一点を示す。
「あ」
見れば入り江の端。海に浮かぶ岩場の上に、私達を背にして誰かがひっそりと腰掛けていた。
「――――――」
「!」
すると耳に流れてくるのは、森で聞いた時よりもずっと間近に聞こえる歌声。
その声は星空のように美しく澄んでいるのに、どこかもの悲しい。
間違いない。
あの岩場に腰掛けた人物から歌声は響いている。
「――――――」
そのまま私達は誘われるように、ゆっくりとその歌声の主へと近づく。
ジャリっと砂浜を踏みしめる音がしても、歌に夢中なのか目の前の人物は私達に気づかない。
そうしてついにその背中を目前に捉えた時、私は歌声の主が見覚えのある水色のショートヘアだということに気づいて、驚きに目を見開いた。
「カ、イリ……ちゃん……?」
「――――っ!?」
思わずこぼれた言葉に、歌声の主は驚いたように歌うのを止め、勢いよくこちらへと振り返る。
そして目が合った瞬間、目の前の人物は呆然と呟いた。
「アンタ達……、なんでここに……」
元々大きな水色の猫目をより大きくし、こちらを食い入るように見つめるのは、やはり紛れもなくカイリちゃんで。
そして振り返った拍子に見えた、彼女の腰から先にすんなりと伸びるもの。
それは、美しい水色のヒレだった――。




