16話 雪女と妖狐とドキドキ肝試し(1)
「肝試ししようぜ(よ)!」
それはコンテストを終えた日の夜のことだった。
いつものみんなでとる賑やかな夕食の席で、突然雨美くんと夜鳥くんがウキウキと言い出したのだ。
「――え? 肝試し?」
「そうそう、あの何とかの森ってとこでさ」
「ああ、ザンの森ね」
「お、それそれ」
「今夜その森でやろーよ」
浮かれた様子で話す二人に、みんなが食事の手を止めて彼らに注目する。
「?〝ザンの森〟ってなんですか?」
お茶碗を手に持ったまま、朱音ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
そういえば魚釣りの時に朱音ちゃんは別行動だったんだっけ。
「我が家の裏にある砂浜の海岸近くに浮かんでいる小島をそう呼ぶのよ。昔からザン……つまり人魚が流れ着く場所とも言い伝えられているわね」
「人魚が流れ着く場所……ですか。ほほう、それはまた興味深い言い伝えですねぇ」
相変わらずガバガバと際限なく泡盛を飲みながら、お母さんがザンの森について語る。
そしてそのお母さんにお酌をしながら、木綿先生が相槌を打った。
「まぁ最近はあの鬱蒼とした雰囲気が不気味で面白いとかで、若者が肝試しする遊び場になっちゃってるけどね。雨美くん達もどっかでその話を聞いたのかしら?」
「はい。この前釣りをした時に、釣り人が言ってたんです」
「それで今夜肝試しですか」
「うーん、肝試しかぁー。怖そうだけど、ちょっとやってみたいかも」
「え」
朱音ちゃんがそう言いながらフワフワと笑うのを見て、私は危機感を覚えた。
思わず持っていた箸を握り締めて叫ぶ。
「ま、待って!! ねぇ雨美くん、夜鳥くん! あの時釣り人さん達は肝試しよりももっと大切なことを言ってたでしょ! ザンの森を荒らすと、海神様の怒りを買うんだよ!! 肝試しなんてそんな悪ふざけをして、もし何かあったら……っ!!」
「でもそれもただの言い伝えでしょ? 実際に肝試しした人達にその後何かあったりしたの?」
「そ、それは……」
雨美くんの鋭い指摘に私は言葉に詰まる。
た、確かに肝試しをしてから何かあったという話は聞いたことが無い。
やっぱり言い伝えはただの迷信? いや、しかし……。
「ええと、でも……」
「あーん?」
ウロウロと目が泳ぐ私を見て、夜鳥くんが胡乱げな眼差しをこちらに向けた。
「ははーん、なんだよ雪守。もしかしてお前、怖いのか?」
「は……!?」
夜鳥くんのその言葉に私はピタリと体の動きを止め、そして更に叫んだ。
「な、ななな何言ってんのっ!!? 別に怖い訳ないじゃん!! 全然平気だしっ!!!」
ブンブンと首を横に振って否定する私に対し、夜鳥くんがニヤリと口の端をつり上げる。
「だよなぁ? だったら今度はオレの言う事聞けよな。昼間はお前のかき氷早食いに付き合ってやったんだし」
「うぐっ!!」
そこを突かれると痛い。
確かに昼間のコンテストでは、いきなり呼びつけて私が食べ残した大半のかき氷を夜鳥くんに食べてもらったのだ。ルールとはいえ酷い話である。
「で、でもっ!! 地元民としては、神聖な森を遊びに使われるのは抵抗があるっていうか……。 ねっ! お母さんも嫌だよね!?」
「あら、いいんじゃなーい? この際せっかく行くなら、本当に人魚が森に流れ着いてるのか探すのも楽しいかもね?」
「お、お母さーんっ!!」
同意を求める相手を間違えた!! 私は頭を抱えて項垂れる。
「そうですよぉ、雪守さんっ!! 僕なんて皇帝陛下のご尊顔を拝見し損ねたんですからね!! せめて人魚の顔くらいは拝んで帝都に帰りたいですよ!!」
「あ、先生、まだそれ根に持ってるんだ」
雨美くんの言葉に、木綿先生が当然と頷く。
「当たり前ですよぉ!! 庶民が陛下を拝見出来る機会なんて、生涯に一度あるか無いかなんですから!! ああっ!! 何故僕はあの時、二日酔いになってしまったんだぁ……っ!!!」
「まぁまぁ、先生」
身振りを交えて大袈裟に苦悶の表情を浮かべる木綿先生の肩を、お母さんがポンと叩いた。
「そんなに悲観することないわよ。時が巡れば、また会える機会が来るわ」
「?」
お母さんにしては妙に抽象的な励ましの言葉に、私は首を傾げる。
ていうか木綿先生があの日二日酔いになったのって、お母さんが先生に大量の泡盛を飲ませたせいだからじゃ……。
呆れた気持ちで二人を見ていると、不意にお母さんがクルリとこちらを向いて悪戯っぽく笑う。
「さて! じゃあこの後はザンの森で肝試しってことで決まり! じゃあ食事再開! ほら、まふゆ! アンタもビビッてないで覚悟決めな!」
「だから別にビビッてないって!!」
そうお母さんに叫んで、そのまま視線を私の真向かいに座る人物――九条くんへとチラリと向ける。
九条くんはいつもの涼しげな表情のまま、みんなと楽しげに笑っていた。
「…………はぁ」
自覚してしまった自分の気持ち。
なんだか顔を見るのが気恥ずかしい。
こんな気持ち、初めてでどうしたらいいのか分からず、私は小さな溜息をひとつ吐いた。
◇
海に浮かぶ小島であるザンの森へと向かうには、海岸から架かる桟橋が唯一の交通手段である。
しかしこの桟橋、地元民があまり立ち寄らない場所故か手入れが全くされておらず、割と……いやかなりボロい。
それこそ無茶をしたらすぐに穴が開いてしまいそうな程に。
そんな足を置くだけでギシギシと悲鳴を上げる粗末な橋を、私達は縦一列に並んで歩いて行く。
――ギシッ!
「!!」
慎重に歩みを進めているが、それでも朽ちた木特有の鈍い音は歩くと必ず響いてしまう。
そしてその音が鳴り響く度に、私の背中からはヒヤリと冷や汗が流れた。
「まふゆ、大丈夫? 手を貸そうか?」
「い゛っ、いいっ!! 自分で歩けるし!!」
前方を歩いていた九条くんが心配げに私を振り返り、手を差し出す。
しかしそれをとっさに拒否してしまい、私はハッと青ざめた。
ぎゃああ! せっかく九条くんが心配して言ってくれたのに、何感じ悪く断っちゃってんの私!?
しかも声まで裏返ってたし、動揺し過ぎだバカ!!
「ご、ごめん! でも本当に自分の力で渡れるから……!」
「そう?」
なんとか絞り出すようにして謝れば、対する九条くんは私の先ほどの態度をどうとも思っていないのか、あっさりと差し出した手を引っ込めた。
「~~~~っ」
それになんとも言えない八つ当たりめいた気持ちが渦巻いたが、拒否をしたのは他ならぬ自分なので文句など言える筈もない。
「はぁ……」
とにかく気を取り直して早く桟橋を抜けよう。
そう心に決めて歩みを進めた瞬間、突然視界がガクガクと激しく震え出した――!!
「はあ!!?」
「うぉぉっ!! めっちゃギシギシ鳴ってる!! 超オモシレェーーッ!!」
「バカ雷護!! ギシギシどころかメキメキ言ってんだけどっ!?」
「きゃあっ!! わざと揺らさないで〜!!」
「ちょっと夜鳥くん!! 朱音ちゃんが怖がってるからやめなさいよ!!」
「あははははーーっ!!」
私の怒鳴り声などものともせず、夜鳥くんが楽しげに桟橋を揺らす。
笑い声は無邪気だが、やってる行動は全く可愛くない。
なにせ桟橋の下は真っ暗な夜の海。一度落ちれば捜索するのは困難である。絶対に落ちたくない!!
「わはははははーーっ!!」
「やめっ……!!」
こうなったら力づくであの夜鳥を止めるしかない!!
――そう考えた時、
「夜鳥くん、悪ふざけもそこまでですよ」
聞き慣れた木綿先生の声と共に、フヨフヨと白くて薄っぺらい布が夜空を浮遊してこちらに飛んで来たのだ。
「ふぅ。やっぱり若者は元気よねぇー。けど壊しちゃダメよ。壊したら本当に海神の怒りを買うかも知れないからね」
「えっ……?」
今度はお母さんが頭上から響き、みんなが一斉に空を見上げる。
「はぁい、みんな」
「!!」
すると一反木綿姿になった木綿先生の背中に乗ったお母さんが、私達に笑顔を向けてこちらへと手を振っていたのだ!
「ああっ!! 風花さんだけズルい!」
「ボク達も乗せてよー!!」
ブーブー文句を言う私達に、お母さんはケラケラと笑う。
「はっはっは。若い頃の苦労は買ってでもしろってね。楽していいのは大人の特権よ。アンタ達はちゃんと自分の足で来なさい。じゃ、わたしと先生は先に森の入り口で待ってるから」
「あ、待った風花さん! さっきの海神の怒りがどうとかって、それは夕飯の時に迷信って話になったんじゃ……?」
夜鳥くんの言葉にお母さんがニヤッと悪い顔をして、首を横に振る。
「あら、わたしは迷信とは言っていないわよ? 〝海神〟というのは、ティダの海に長きに渡って君臨する人魚一族の当主のこと。つまり実在の人物よ。そしてその海神の活動海域内でもある、ザンの森を荒らせばどうなるか――……後は分かるわね?」
「は、はい」
悪い顔から一転して真剣な表情で語るお母さんに、夜鳥くんが顔色を悪くしてコクコクと頷く。
するとそれに満足げに頷いたお母さんは、「じゃあそういうことで、お先にぃー」と手を振って森へと飛んでいってしまった。
「ふぅー、怖ぇぇ〜」
夜闇に紛れてすっかり見えなくなってしまったお母さん達を見つめて、夜鳥くんがそうこぼす。
それに私は目を見開いた。
「え、意外。夜鳥くんってあんまり迷信とか気にしなさそうなのに」
「いや、真剣な顔した風花さんが怖かった」
「それ、お母さんが聞いたら怒るよ……」
だよなぁ。この男に恐怖なんて文字なさそうなんだもん。
「はぁ……」
的外れなことを真剣に言う夜鳥くんに、私は一気に脱力した。
◇
心霊スポットと名高いザンの森での肝試し。
海神様の怒りを買う不安。
――そして、
ついに自覚してしまった私の気持ち。
目下の悩みだったコンテストが終わっても、まだまだ私の悩みは尽きることが無さそうだ。




