5話 雪女と妖狐と新たな日常
「分かった、じゃあこうしよう。私は九条くんの症状を癒やす。九条くんは文化祭の挨拶を含めて、生徒会にちゃんと参加する。守らなかったら、お互い秘密を暴露するなりなんなり自由ってことで」
「了解。契約成立、だね」
今朝早々、世界の平和には全く影響はないが、私の人生の平和には大いに影響がある契約が交わされた。
そう、それが今朝のこと――……。
◇
「ああっ! 神琴さまの横顔、なんてお美しいの? まるで女神像のようだわ……!」
「見て! 神琴さまが熱心に板書を書き取っていらっしゃるわ! 私も神琴さまに使われる筆記具になりたいっ……!」
「…………」
あーお昼ごはん前の4時限目って、お腹が空いて集中できないよね~。分かる分かる。
「はぁ……神琴さま……」
「~~~~っ!」
現実逃避した思考が、すぐにまた女子達のうっとりと陶酔した声によって現実へと引き戻され、私は絶望する。
なんなの!? 授業中だというのに、この桃色ピンクの空間は!? ここはどこだよ!? 教室だよッ!!!
「はぁ……」
一人脳内ノリツッコミをした後、私は隣に座る元凶をちらりと見やる。
すると元凶――九条神琴は、美しく姿勢を正して座り、まるで楽器でも弾いてるかの如く、なんとも優雅な仕草でサラサラと板書を写し取っている。
そしてそれをうっとり見つめる女子達。そんな女子を引いた目で見ている男子達。
更に授業をする男性教師の目は完全に死んでいた。死ぬな! 気をしっかり持て!!
……何故こんなにカオスなのか。
それは私の妖力によってすっかり体調を回復させた九条くんが、なんと「授業に出る」と言い出したからであった――。
◇
『俺、体調さえ良ければ毎日ちゃんと教室で授業を受けたかったんだよね。だから念願叶ったのは、雪守さんのお蔭。本当にありがとう』
『う、うん。どういたしまして。そういえば今まで勉強ってどうしてたの? 授業に出てないのに、よく着いていけてたよね』
本当に嬉しそうにお礼を言う九条くん。
それになんともむず痒い気持ちになりながらも、私は気になっていたことを聞いた。
なにせうちの高校はかなり授業の進行が早いし、出席皆勤賞の私でも着いて行くのが大変だった。なのに九条くんは授業に出ずに学年1位まで取っている。何か特別な勉強法でもあるのだろうか?
『ああ、それは先生方から課題をもらって、体調が比較的マシな時にそれらをこなしていたからかな? 授業に出れない本当の理由を話せない分、実力を示さないと周囲を納得させられないし。毎回テストはかなり気合い入れてた』
『ふーん……』
私だって毎回テストはかなり気合いを入れてる。それはもう、めちゃくちゃ。
なのにただの一度だって私は九条くんに勝てた試しがない。周囲を納得させる為というのも事実だろうが、それ以上に九条くんは相当な負けず嫌いと見た。
◇
――カリカリカリ
隣の席からまた、板書を写す音がする。熱心に授業に聞き入る姿から、授業に出たかったと言うのは本当なのだろうと思った。
この桃色ピンクな空間は全く慣れない。しかしこれからも九条くんが授業に出るのなら、こういった状況は日常茶飯事になる訳だし、こんなことを言い訳に成績を落とす訳にはいかない。目標はでっかく! 打倒、九条神琴である!!
「……よしっ!」
目標も定まったところで、気合いを入れ直す。
そして私も九条くんに負けじと授業に聞き入る内に、いつの間にか周りの声は聞こえなくなっていった。
◇
「雪守さん、俺が奢るから昼一緒に食べに行こう」
桃色ピンクな空間の中、なんとか4時限目は終わった。
ゲッソリとやつれて教室を出て行く先生に心の中でエールを送り、さぁお昼は何食べよっかなと椅子を立ち上がる。するとそんな私に唐突に、九条くんが横から声を掛けてきたのだ。
「え……?」
お昼? いや、無理でしょ。頭ではちゃんとそう言ったのだが、口はとっさに動かず固まる。
「行こう」
「え、あ」
するとそんな私の右手を、九条くんが恐ろしく自然かつスマートに取り、そしてあれよあれよという間に、気がつけば教室の外へと連れ出されてしまう。
その際女子達の絶叫が教室から響いている気がするが、幻聴だと思いたい。……でも絶対幻聴じゃないっ!
あああ! 私の人生の平和の為に九条くんと契約を結んだというのに、これじゃあ意味ないじゃないか!! 私がいじめられたら、100パーセント九条くんのせいだ!!
ていうか、え? 奢る……の? 私に? 誰が? 九条くんが??
思考がまとまらず戸惑う私をよそに、どうやら目的地らしい学食へと到着してしまう。
「え……?」
「ねぇ、あれって九条様……」
「誰か連れてる」
「て、雪守さんじゃん」
ゴミゴミと混雑した学食に入った瞬間巻き起こる、周囲からの好奇の視線と囁き。
それに対し、「違うんです! 私はこの人とは無関係なんです!!」と一人一人言って回りたいが、しかし九条くんにしっかりと手を取られたままな時点で無関係を装うことは難しいと気づき、またもや私は絶望した。
うわぁん。グッバイ、私の平穏な学生生活。
◇
「いらっしゃいませ、九条様」
「空いてるよね?」
「もちろんでございます」
そんな私の百面相を華麗にスルーした九条くんは、学食の受付の人に何やら金色のカードを見せていた。あのカード……噂だけは聞いたことがある。この高校に通う皇族や貴族のご子息だけが持っているという、いわゆる〝貴賓室〟への入場パスだ。
なるほど。確かに先ほどの授業のように普通に学食で食べていればまた大騒ぎとなるだろうし、貴賓室で落ち着いてごはんが食べたいというところだろうか。
しかしながらカードも貴賓室も、私には一生縁のないものと興味を抱いたことすらなかったが、まさかそんな自分が天敵の妖狐と貴賓室でお昼ごはんを食べることになろうとは。正直好奇心はくすぐられるが、それと引き換えにとんでもないものを失った気がする。はぁ……。
「本日はご利用ありがとうございます、九条様」
学食を2階に上がると、案内役だというウェイターさんに深々と頭を下げられ、ひときわ目を引く重厚な扉が開かれる。
「わぁ……!」
するとなんとまぁ、豪華な装飾の煌びやかな広間が目の前に現れた。
床は赤い絨毯張り、そして広間の壁には、等間隔になにやら花の彫りものが施された上等な扉がズラリと並んでいる。
先ほどの学食内の混み合いが嘘のように、この場所は落ち着いた静寂に包まれていた。
「曼珠沙華のお部屋でございますね」
はしたないがつい珍しいので、周囲をキョロキョロと見回していると、ウェイターさんが九条くんに何事か話しているのが聞こえた。
一瞬なんのこと? と思ったが、曼殊沙華は九条家の家紋となっている花であったことに思い至る。〝曼珠沙華〟〝富貴花〟〝鬼石菖〟……。どうやら壁に並んだ扉の花の彫り物は、部屋ごとに貴族たちの家紋の花が掘られているみたいだ。
てっきりこの広間で食べるのかと思ったが、専用の部屋がちゃんとあるのね。やっぱ貴族って、庶民とはスケールが違うなぁ。
「あー腹減ったぁ。水輝、何食う?」
「うーん、ボクは辛いの食べたいかなぁ」
「お前、いつもそれじゃねぇか……」
「!」
一人貴族事情に納得していると、ちょうど後ろから別のウェイターさんに先導される二人組が現れた。それに私はふと視線をそちらへと向けると、
「あっ!?」
二人とも見知った顔だったので、思わず声が出た。
すると向こうもこちらに気づいたようで、「あっ!」と同じく声を上げる。そして私の隣の人物が誰かを確認し、二人揃ってなんとも微妙な顔をした。
うん、私も今同じ表情をしていると思う。
「雪守ちゃん。九条様と教室を出て行ったのは知ってたけど、まさかこんなところで会うなんて思わなかったよ」
「雨美くん……。うん、私も全然思ってなかった……」
「なんだ雪守、お前ここで飯食うのか? 九条様と一緒に?」
「あ、あはは……。そうだよ夜鳥くん、なんていうか……成り行きで?」
青色のツヤツヤな髪にタレ目で背が小さめの女の子みたいに柔和な雰囲気の男の子が雨美水輝くんで、黄色のツンツン髪にちょっとコワモテの気の強そうな三白眼の男の子が夜鳥雷護くんだ。
二人のことは、そりゃあもうとてもよく知っている。何を隠そう、彼ら二人が我らが生徒会の書記くんと会計くんだからである。
「……雪守さん?」
「あ」
ウェイターさんと話していた九条くんも彼らに気づいたのか、私を呼ぶ。
これはもしかして、一応紹介した方がいいのだろうか……?
「えっと、九条くん。同じクラスだし知っているとは思うけど、生徒会メンバーで書記の雨水くんと、会計の夜鳥くんだよ」
「ああ、もちろん知っているよ。二人とは夜会で一度だけだけど、挨拶させてもらったこともあるからね」
「夜会!」
あ、そっか。雨水くんは蛟の一族で、夜鳥くんは鵺の一族。それぞれ爵位を賜っている由緒正しい妖怪の一族であるし、貴族同士顔見知りであってもおかしくない。
「こうして言葉を交わすのは久しぶりだね、元気にしてたかい? 雨美、夜鳥」
「は、はい……」
「元気です……」
「……?」
しかしキラキラとエフェクトがかかっていそうな完璧な笑みの九条くんに対し、普段はもっと元気のいい雨美くんと夜鳥くんの顔色が悪い。まあ貴族同士だと、上下関係とか色々あるのかも知れないな。貴族もなんだかんだ大変だ。
そう結論づけて、ちょうどいいので二人に報告をしておく。
「ところで二人とも、昨日先に帰っちゃってたから言えなかったけど、今日から九条くんも生徒会に出席してもらうことになったから。これからはちゃんと生徒会長として仕事してくれるんだって」
「「――――」」
言った瞬間、二人の声にならない悲鳴を聞いた……気がした。
一体どんな説得をしたんだと言わんばかりの訴えるような視線を二人からビシバシ感じたが、契約のことは内緒なのでとりあえず笑顔で誤魔化しておく。
「あはは。ところで二人も一緒にごはん食べる?」
それから一応二人も一緒にと食事に誘ってみたが、謹んで辞退された。
そりゃそうだ。こんな強者溢れる妖力がだだ漏れの男と食事だなんて、恐ろしい程の威圧感で食事がまともに喉を通らないに違いない。
……そんな男と私は今から昼ごはんなんですけどね。とほほ。




