4話 雪女と妖狐の秘密の契約
「はー……嫌だ嫌だ嫌だ」
翌朝。登校した私は、保健室の扉の前で昨日と同様、ひたすらウロウロとしていた。
『うん、そうさせてもらう。それじゃあ雪守さん、また明日の朝ここで会おう』
昨日の九条くんの人を嘲笑うかのような発言を思い出し、私はギリギリと顔を歪める。
正直あんな一方的な約束に従う義理も無い。だけど文化祭の挨拶をすっぽかされるのはまずい。
何より私の秘密をあの男に握られてしまっている。これが一番、非常にまずい。
「…………」
多分、私をここにおびき寄せる交換材料に使うくらいだから、そう無闇やたらに言いふらすとは思わない。とはいえ信頼に足る人物とは到底思えないので、ヤツの口車に乗るのは癪だが来てやったのだ。
「朝っぱらからわざわざ呼び出して、一体何をやらされるのやら」
ヤツの悪鬼のごとき邪悪な笑みが脳裏を過ぎる。そういえばムカついてたとはいえ、昨日わりと不敬な態度をとってしまったような……。
私の中の九条神琴の評価が地に堕ちたことは事実だが、それでもヤツは本来雲の上の存在なのだ。なんとか我慢して、大人な対応をしないと。
「はぁ……」
考える度に憂鬱さは増すが、この扉を開かない選択肢はない。朝はまだ保険医は常駐外の時間。つまり中には九条くんしか居ない。
「……覚悟するか」
私は周囲に誰も居ないことをサッと確認し、素早く保健室の中へと入った。
「来たよ、九条くー……」
わざとズンズンと足音を立て、強気に声を張り上げたのだが……、
「え……、ええっ!!?」
目の前に飛び込んできた光景に、思わず私は素っとん狂な声を上げてしまった。
「……うるさい。あんま大きな声出さないで。頭に響いて余計に目が回る」
嫌そうな声を上げながら、自身の右腕で両目を覆い隠すようにして、九条くんが昨日と同じベッドに横になっていた。呼吸はやはり、はぁはぁと荒い。
苛ついているのか、昨日ほどではないが、九条くんの全身からは火の妖力がバチバチと漏れ出ていて、本能的な恐怖に私は身をすくめた。
なんだかそれすらもまるで昨日のようだと、軽い既視感を覚える。
「は、え? 何? また具合が悪くなったの!?」
とりあえずベッドまで駆け寄り、彼の様子を伺う。
了解を得て軽く額に触れれば、昨日以上に発熱しているのが分かった。見ればベッドには汗がじっとりと染み込んでいる。
「ええ……?」
一体九条くんはいつからここで寝ていたのだろう……?
訳の分からないことだらけだが、かなり辛いだろうということは間違いない。とりあえず話は体調が落ち着いてから聞こうと心に決め、私は昨日と同じように手のひらに氷の妖力を込めた。
「――――」
そうしてそのまま九条くんの額に手を当てれば、みるみると彼の呼吸音は落ち着き、まるで紙のように白かった顔の血色も戻ってくる。
こうして治っていく過程を目の当たりにしても、実に不思議だ。自分としてはちょっと冷やすだけの感覚なのに、まさかこれ程の威力を発揮するなんて。にわかには信じがたかった。
九条くんは私の妖力が強いと言ったけど、本当なのだろうか……?
「…………ふぅ」
動けるようになったのか、深く息を吐いた九条くんは、両目に乗せていた右腕を下ろした。
現れた金の瞳が私を捉える。
「どう? 楽になった?」
「ああ、ありがとう。君がお人好しで助かった」
「なっ!?」
ベッドから上体を起こして、九条くんが軽口を叩く。仮にも助けられた相手に対するとは思えない言い草に、口元が引きつるのを感じる。
しかしここは大人にならねば。九条くんは皮肉が言えるくらい回復したのだ。そう前向きに捉えて、私はなんとか怒りを鎮めた。
「……えーと、もしかして私にここに来いって言ったのって、昨日のあれ一回切りじゃなかったからってこと?」
聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず一番気になることを確かめておく。
「そう。俺は5歳の時からずっと今みたいな症状が出続けていて、基本的に毎日ベッドで寝ている時間の方が長い。学校もかろうじて通学は出来ているが、ほぼ保健室で寝ているだけだし、家にいるのとたいして変わらないかな」
「5歳から……」
九条くんはなんでもないことのように淡々と話しているが、それは相当辛いのではないだろうか。
さっきまでの怒りもどこかに吹き飛んで、一瞬で彼に同情的になってしまう。これでは本当に九条くんの言う通りお人好しだろうか?
……あ、でも。
「氷の妖力を使えば、一時的とはいえ症状が治るって分かったんだし、お医者さんで氷の妖力が使える妖怪っていないかな? 私じゃ完治はさせられないけど、きっともっと強い妖力を持った人なら、完治も夢じゃないかも……!」
名案とばかりに目を輝かせる私に対して、九条くんが微妙な顔をした。
「……いや、そもそも本来俺には氷の妖力はもとより、ほとんどの妖怪の妖力は効かないんだ。俺に相手の妖力が届く前に、俺自身の妖力が全て燃やし尽くしてしまうからね。だから昨日は驚いた。俺に妖力をかけられて、なおかつそれで長年悩まされていた症状が一時的でも消えたんだから」
「え? そうなの?」
意外な言葉に目を丸くする。でも同時に納得もした。
確かに九条くんの妖力は常に体から溢れ出すほど強大で、他の妖怪と比べても別格の強さだ。大抵の妖力は彼の妖力の前には塵も等しいのだろう。
「ん? ということは、やっぱり私の妖力ってすごいのかな? なんで九条くんに効いたんだろう……?」
「それは俺の方が知りたいよ。だから昨日も聞いただろ? 〝雪女しか知らない特別な妖術でも使った?〟って」
「あー……」
そういえばそんなことも聞かれたっけ?
でも本当に私は雪女に関することも、妖術に関することも、何も知らない。お母さんはあまり私にそう言った話を聞かせたくないような節があったからなぁ……。
「ごめんね。私に知識があったら、九条くんの病気を治す手掛かりになったかも知れないのに……」
「あ、いや」
しゅんとして謝ると、九条くんは戸惑ったように首を横に振った。
「いや、これは俺の問題であって、雪守さんが責任を感じる必要はない。……ごめん。こんな話をすれば、人のいい君はあっさり俺に協力してくれそうだとは思った。だから昨日の時点では言いたくなかったんだ」
「…………」
妖力が効かない九条くんに対し、何故か私の妖力は効く。そして九条くんの症状を鎮めることが出来るのは、今のところ私だけ。
つまり私が来なければ、九条くんは今日も保健室で病に苦しみながら、一日を過ごすつもりだったということだろうか?
以前と違い私という回復手段があることを知ってしまったのに、なおもひたすらベッドの中で一人耐える苦痛はどれ程だろう?
なんだか、九条くんて……。
半ば脅しではあったが、交換条件を提示したことといい。私に選択権を与えようとするなんて、九条くんは存外不器用だ。
貴族なんだから、庶民に命令すれば簡単なのに。
そして私も彼の言う通り、どうしようもないお人好しなのかも知れない。けれど事情を知ってしまった以上、何もしないのは私自身がモヤモヤして精神衛生上悪いのだ。
そう、だからこれは九条くんのためじゃない。
あくまでも私自身のため。
「……病気のことは、私以外で知ってる人はいるの?」
「家の者以外は知らない。これでも世間では九条家の跡取りで通っているからね。醜聞は避けたいらしい」
「……?」
そう言って九条くんが自虐的に笑う。
何やら含みのある言い方が気になるが、聞いたところではぐらかされそうだし、そもそも人の家の事情に首を突っ込む趣味はない。
「分かった、じゃあこうしよう」
私が九条くんを見つめれば、九条くんも私を見つめ返す。金の瞳と視線がぶつかった。
「私は九条くんの症状を癒やす。九条くんは文化祭の挨拶を含めて、生徒会にちゃんと参加する。守らなかったら、お互い秘密を暴露するなりなんなり自由ってことで」
図らずも九条くんにも私と同様、周囲に知られたくない秘密があることを知ってしまった。
ならば不本意ではあるが、私達は運命共同体。協力し合う方が、お互いにメリットがあるだろう。
「――どう? いい交換条件でしょう?」
ニヤリと笑って見せれば、私の話を黙って聞いていた九条くんがふっと笑った。
悪鬼じゃない、優しい微笑み。そのあまりの美しさに、思わず見惚れてしまう。
「了解。契約成立、だね」
――こうして。
この日、秘密を持つ者同士の密やかな契約は、ここに交わされた。
私はイケメン妖狐様の癒し係となったのである。
キャラメモ1 【九条 神琴 くじょう みこと】
高校2年生で生徒会長
三大名門貴族のひとつ、妖狐一族九条家の次期当主
白銀の髪に金の瞳が特徴の、全方位無双のイケメン
欠点は体が弱いこと(みんなに秘密)
家庭環境は複雑……?




