2話 雪女と妖狐と母との再会(1)
「ほんじゃ達者でなーっ! ご両親に認めて貰うんだぞぉー!!」
私達を実家の前に降ろした後、天狗のおじさんは盛大に勘違いをしたまま、舟を動かし去って行った。
「……元気な人だったね」
「……うん。なんかどっと疲れた」
小さくなる方舟を見つめて私は溜息をつく。
〝空飛ぶ方舟〟は三大名門貴族のひとつ、天狗一族の鷹司家が経営する、航空会社が行う運輸サービスである。運転手を務める天狗さん達は、悪い人ではないが癖のある人物が多くて有名だ。
とはいえ風の妖力で通常よりも高速で長距離を移動出来るので、日ノ本帝国では空の交通手段として方舟が広く普及しているのではあるが……。
「――へぇ、ここがまふゆの生家か」
九条くんの声にハッと見上げると、目の前には石積みの塀で囲われた赤瓦の屋根が特徴の小さな家――懐かしの我が家が半年前と寸分変わらず建っている。
「すごい。奥にもう海が見えてる。周囲に民家も少ないから、景色を独り占め出来るね。あ、本当に屋根に獅子の置物がある」
「あはは。九条家のお屋敷みたいに立派じゃないし、大したもてなしも出来ないけど、環境だけは最高だからさ。日々の疲れをリフレッシュすると思って、ゆっくりしていってよ」
「うん、ありがとう」
珍しそうに周囲を見回す九条くんの様子が心なしかウキウキしているように見えて、やっぱり連れて来てよかったと思う。
そうだ、お母さんにどう思われてもいいじゃないか。冷やかしよりも九条くんが夏休みの間中、部屋に閉じこもっている方がずっと嫌だ。
「あーしかしこの暑さ。少し忘れかけてたけど、思い出したわ」
いつまでも突っ立っていては、暑さに茹だってしまいそうだ。帝都のジメジメした夏はしんどいが、やはりティダのギラギラと照りつける太陽も雪女には堪える。
早く家に入ろうと、持っていた旅行用カバンを持ち直そうとしたところで、カバンが手から消えていることに気づいた。
「え……、あ」
見れば九条くんがいつの間にか私のカバンを手に持っており、彼自身のカバンもあるので、両手にカバンを持ってウチの玄関へと歩いている。それに私は慌てて駆け寄った。
「九条くんっ! 私のカバン重いでしょ? 自分で持つよ!」
「これくらい重い内に入らないよ。それより玄関扉が開けっ放しだけど、これがティダでは普通なのかい?」
「え?」
言われて玄関に目を遣れば、確かに扉が開けっ放しである。周囲に民家は少ないし、帝都に比べればティダの治安は遥かにいいが、見知らぬ観光客もこの辺をウロつくのだ。さすがに不用心過ぎる。
私は顔を顰めて、開けっ放しの玄関を覗き込んで叫んだ。
「お母さーん!! ただいまーっ!!」
しかし少し待っても、返事は返って来ない。
「……あれ?」
「留守かい?」
「うーん玄関開いたままだし、ズボラなお母さんとはいえ、さすがに近くにいるとは思うんだけど……」
首を傾げた九条くんに、私がそう答えた時だった。
「――――まふゆ?」
ふと後ろから聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、私は振り返る。そしてその声の主を視界に収めた瞬間、私は絶叫した。
「お、お母さんっ!? なんなのその、バカでかい魚はぁーーっっ!!?」
目の前に立っていたのは、タンクトップに短パン姿のかなりラフな格好をした、私と同じ紫の長い髪を高くひとつに結んだ女性。
つまりは私のお母さんが、何故か身の丈程もあるバカでかい魚を片手で担いで、こちらを不思議そうに見ていたのだ!
「何? アンタ今日帰って来るんだったの? だったら先に言ってくれなきゃダメじゃない。今日はこれ捌いて、一人で晩酌するつもりだったのにー」
「いや、事前に帰るって手紙送ったし! 単にお母さんが読んでなかっただけでしょ!! ていうかその魚、一人で食べんの!?」
登場するなりめちゃくちゃなことを言い出すお母さんに、ツッコミが追いつかない……!
既に疲れていた体が、更に疲れるのを感じる。
しかしそんな私をよそに、更にお母さんがマイペースに話を続けた。
「あー……手紙、来てたっけ? ごめんごめん。そんなカッカしないでよ。……にしてもアンタ、春休み以来だけどますます成長したんじゃない?」
「は?」
そうしみじみ呟いたお母さんは、私の顔――ではなく、首の下をジッと見つめていて……。
えっ、ていうかその視線の位置は。
「も、もぉーっ! どこ見て、何言ってんの!? 九条くんの前で変なこと言わないでよねっ!!」
「〝九条〟……?」
言わんとすることを理解して、とっさに胸を両腕で隠した私は、急いでお母さんを怒鳴りつけた。
しかしお母さんはそんな私の様子など意に介さず、隣に立つ九条くんに釘付けになっている。
「あっ」
そ、そうだった! お母さんに九条くんのこと、説明しなくちゃいけないんだった!!
「おかっ……!」
私は慌てて口を開こうとするが、しかしその前に九条くんがスッと前に出て、お母さんに頭を下げた。
「いきなりお邪魔してしまい申し訳ありません。僕は九条神琴と申します。まふゆさんとは友人として親しくさせて頂いております。これ、つまらないものですがどうぞ」
「あらあら? ご丁寧にどーも。さすが名門貴族、若いのにしっかりしてるわ。ふふ、まふゆったら、男と一緒に里帰りなんてやるじゃない」
どうやら名字で九条くんがあの妖狐一族九条家の人物だと、気がついたようである。
上機嫌で見るからに高級そうな菓子折りを受け取ったお母さんは、私に意地悪げな眼差しを向けて、からかうように言う。それに私は顔を真っ赤にして反論した。
「違っ!! 九条くんとは同じ生徒会仲間ってだけで、別にそんなんじゃっ……!!」
「あーはいはい。じゃあ一応そーゆーことにしておいてあげるわ」
慌てふためく私を見てケラケラ笑った後、お母さんは九条くんにもう一度視線を戻した。
「ま、お貴族様には手狭な家で悪いけど、歓迎するよ。頭が固ーいまふゆが連れてきた男なんて、興味あるしね」
そう言ってお母さんは玄関に入ろうとして、「あ」とこちらを振り向いた。
「そうそう。申し遅れたけど、わたしはまふゆの母で雪守風花ね。さ、突っ立ってないで入った入った!」
そう言って片手に菓子折り、もう片手にバカでかい魚を持ったお母さんが、鼻歌を歌いながら家の中へと入っていく。
「風花……?」
九条くんはそう呟いて、私を伺うようにして視線を向けてくる。それに私は微妙な顔をして頷いた。
『風花に伝えておけ、このままでは終わらんとな』
夏休み前、九条のお屋敷で九条家当主――九条葛の葉と対峙した時に上げられた名前。
雪女で風花という名の人物は、世界広しといえどもお母さんしかいないだろう。それなら私が当主に名乗った際に、〝雪守〟という名字に反応していたのも納得がいく。
実は今回の帰省の目的のひとつとして、お母さんにその辺の事情も聞き出すつもりでいる。
とはいえ下手に墓穴を掘って、私が雪女の半妖であることを九条くんや九条家当主にバレてしまったことは知られたくないので、不審に思われない程度にそれとなくではあるが……。
「――まふゆ」
目標が定まり、よしっと気合いを入れ直していると、九条くんに肩をトントンと叩かれた。それに「何?」と振り返れば、九条くんが戸惑ったような顔でこちらを見ていて、私は首を傾げる。
「? どうしたの?」
「……まふゆ。君のお母さんは、雪女で間違いないんだよね?」
「うん? そりゃもちろん間違いないよ。九条くんだって私が雪女の半妖なこと、知ってるでしょ?」
何を今更と笑えば、九条くんが視線を彷徨わせ、言い淀みながらも口を開く。
「まふゆは今まで気がつかなかった? 風花さんから、妖力が全く感じないことに」
「え……?」
九条くんの言葉に一瞬時が止まる。
お母さんから妖力を全く感じない……? 半妖ならともかく、純粋な妖怪がそんなことあり得るのだろうか?
今まで思いもしなかったから、全く気がつかなかった。
「本当に風花さんは雪女なの?」
「あ……」
その問いにすぐさま言葉が出て来ず、ぐるぐると私の思考が回る。
――その時だった。
「まふゆー! 九条くーん! そんなとこで突っ立ってたら、全身真っ黒けになるわよぉ!! 早く入っておいでってー!!」
「!!」
陽気なお母さんの声が、玄関先から響いてハッとする。そしてそれは九条くんも同じだったようだ。
「……とにかく、家の中に入ろうか」
「うん……」
九条くんに促され、私達は家の中へと入る。
『本当に風花さんは雪女なの?』
もしお母さんが雪女じゃないのなら、じゃあ私は一体――……。
◇
「ちょっとお母さんっ!! なんなのこの、汚ったない部屋はぁーーっ!!?」
とりあえず気を取り直して玄関を抜け、居間に足を踏み入れた瞬間、あまりの光景に私は絶叫した。
足の踏み場もないくらいに服やら雑誌やらが散らかっていて、とてもじゃないが客を迎えるような状態じゃない。
どうせズボラなお母さんのことだから、家が汚部屋になっていることは想像していた。
しかしこれは、想像以上じゃないかっっ!!!
「えーそお? そんな汚い? 別にフツーじゃない?」
肩を怒らせて怒鳴りつける私を一瞥すると、おどけたようにお母さんが笑う。
そして反省の色もなく、九条くんが持ってきた手土産のお菓子を早速開けて食べているのだ。
「はぁ……」
そんなマイペースな様子に、怒る気も削がれて脱力する。言っても埒が明かないので、私はお母さんは無視して部屋を片付け始めた。
「俺も手伝うよ」
すると九条くんが床に散らばった雑誌を片付け始めたので、私は慌てて静止する。
「や、それはさすがに悪いから! 九条くんはそっちのイスに座っててよ!」
「いや、それはこっちこそ今日から泊めて貰うのに悪いよ。それに一人でやるより、二人の方が早く終わるでしょ」
「でも……」
「そーそー、一宿一飯の礼ってね。やっぱり男の子って、頼りになるわぁーー!」
いけしゃあしゃあとそう嘯き、またお菓子の包みを開くお母さんに、ヒクリとこめかみが動いた。
「そう言うお母さんも、食べてないで片付けを……」
「あーまふゆ。片付けついでに、その魚もいい感じに捌いといてよー」
私の言葉を遮って、お母さんは机の上を指差す。するとそこに放置されていたのは、先ほどお母さんが担いでいた、あのバカでか魚で――。
その魚を見た瞬間、私の頭の血管がブチ切れた音を聞いた気がした。
「お母さんっっ、ズボラも大概にしろーーっっ!!!」
この時の私の怒鳴り声は、遠く離れた隣家にまで届いたという。反省。




