番外 とある少女のひとりごと
時系列は31話後。
一部内容は、32話33話とリンクしています。
「ふふ。可愛いお手紙」
わたしはピンク地に可愛らしいお花が描かれた便箋を読みながら、目的地の生徒会室へと歩いていた。
〝朱音ちゃんへ〟
そう綺麗な文字で書かれたその手紙には、九条くん帰還記念祝賀会のお知らせと記されている。
「本当にまふゆちゃんって、まめだなぁ。毎日勉強に生徒会のお仕事にとても忙しそうなのに、こうやってお手紙を書いて、祝賀会の準備まで進めていたなんて……」
そう呟いて頭に浮かぶのは、九条家の次期ご当主様であり、わたしがつい最近まで監視対象だった、白銀の髪に金の瞳をもつ美しい妖狐の少年のこと。
あの方もきっと今日の祝賀会を心待ちにしていたことだろう。なんてったってまふゆちゃんが手ずから準備したのだから、彼が喜ばない筈がなかった。
「ふふっ」
その喜ぶ姿がすぐに想像出来て、思わず笑みが零れる。そしてそこでハタと不思議に思った。
ほんの少し前までは神琴様の笑顔なんて想像もつかなかったのに、今ではいくらでも想像出来てしまうなんて……。
「やっぱりまふゆちゃんはすごいなぁ……」
改めて実感する。
だってずっと閉ざされていた神琴様の心を、まふゆちゃんは一瞬にして開いてしまったのだから――。
◇
わたしが神琴様を初めてお見かけしたのは、彼が九条のお屋敷に来て、しばらく経ってからのことだった。
九条家の侍女達は仕事の最中、屋敷に連れて来た子供同士で遊ばせていることが多い。わたしの母もその例に漏れず、わたしにみんなと遊んでいるよう言いつけ、仕事場に向かうのが常だった。
でも……。
「うわっ、朱音じゃん! 聞いたよ、あんた変な力で気に入らない相手の心を操るんだってね!」
「絵ばっか描いててつまんないって言った子に、真っ黒い妖気を放ったんだって! そしたらその子、いきなり魂抜かれたみたいにボーッとしちゃって、今もそのままとか!」
「ゲッ、怖ーっ!!」
「…………」
中庭に続く渡り廊下を進んでいると、すれ違った子達が一斉にわたしを見て引いた。
その理由は明白。わたしのもつ、〝黒い妖力〟のせいだ。
元より身についていた力ではない。
みんなで遊ぶより一人で絵を描いている方が好きだったわたしは、珍しい半妖ということも相まって周囲の輪に馴染めず、よく少女達の揶揄いの対象にされていた。力が発現したのは、ちょうどその時だった。
『朱音って大人しいし、絵ばっか描いててつまんない』
『…………』
『ねぇ、何か言いなよ』
ある日黙々とスケッチブックに絵を描いていたわたしに、一人の少女が絡んできた。
いつもは無視し続ければ諦めるのに、この日に限ってとてもしつこかった。
『あっ!?』
『やーい! 取り返してみろー!』
遂には大事なスケッチブックまで取られて、我慢できずに思わずわたしはこう叫んだのだ。
『返して!! もうあっちに行って!!』――と。
『…………はい』
その瞬間、意地悪く笑っていた少女の表情は抜け落ち頷いた。そしてまるでわたしの言葉に従うようにスケッチブックを手渡され、彼女は静かにどこかへと去って行く。
「……え?」
突然のことに訳が分からず、その小さくなる後ろ姿をわたしは呆然と見つめる。
すると彼女の体の周りを不気味な黒い妖力が渦巻いているのに気がついて、わたしはゾッと身震いし、腕の中のスケッチブックをぎゅっと抱きしめた。
『ねぇ聞いた? 朱音の噂』
『ああ、あの気味の悪い黒い妖力でしょ?』
――そしてこの出来事は瞬く間に屋敷中の噂となり、今までわたしをからかってきた少女達は、みな一様に顔を強張らせてわたしを避けていく。
「ねぇあんまり言うと、あたしらまで操られちゃうよ!」
「怖い怖い。行こ行こ」
「……っ」
少女達の不気味な者を見るような視線に耐えきれず、わたしは逃げるようにして渡り廊下を抜けて、中庭へと急いだ。
◇
「はぁ……」
人気のない中庭に着いて、わたしはやっとホッと息をつく。
そして地面にぺたんと座り込んで俯いた。
どうしてこんなことになったんだろう……?
あんな不気味な妖力がわたしのものだなんて、信じたくない。
「…………」
そう思うが、右手をかざして現れるのはやっぱり不気味な黒い妖力。
「……お絵かきしよう」
気落ちした心はまだ回復しないが、なんとか気分を変えようと、わたしはスケッチブックを開く。そしてふと視線を上げた時、わたしは息が止まるような衝撃を受けた。
「――――っ」
渡り廊下に佇む、それはそれはとても綺麗な子を見つけたのだ。
お日様の光でキラキラと輝く白銀の髪と、まるで琥珀のような金の瞳。お人形のように整った顔立ちは高貴さすら感じて、まるでどこかのお姫様のようだった。
だけどその子がお姫様ではなく男の子なのだと分かったのは、彼が着ている袴が赤色ではなく、白色であったからだ。
「わぁ……」
そのまま男の子に見惚れていると、彼の後ろから現れた年嵩の侍女が何事かを彼に話して、二人は渡り廊下を去っていく。
その姿が見えなくなってもなんだか名残惜しくて、ぼぅっと彼の立っていた場所を見ていた時だった。
「神琴が気になるか?」
「っ!?」
急に背後から聞こえた声にビクリと体を震わせ、わたしは慌てて後ろを振り返る。
するとどこから現れたのか、長い黒髪に黒い着物。それに両目を黒いレースで隠した、わたしよりも少し年上に見える女の子が一人、佇んでいた。
「あ、あの……」
誰? と聞こうとして、ハッと母に言われていたことを思い出す。このお屋敷で一番偉い当主様は、〝黒い着物を着て幼い女の子の姿をしている〟と。
「当主……様……?」
恐る恐る女の子に問いかけると、女の子は感嘆したような声を上げた。
「ほぉ、妾が誰か分かっておるのか。その歳にしてはしっかりしておるな。……ふむ。半妖にのみ現れる特殊な妖力が目当てであったが、利口であることも都合が良い」
「…………?」
ジロジロと観察されながら呟かれる言葉の意味の半分も理解出来なくて、わたしはひたすら居心地悪く身を縮める。……そして、
「――よし、決めた。神琴の監視役、そなたが適任じゃ」
この当主様の言葉によって、わたしの運命は大きく動いていくことになる――……。
◇
物音を決して出さないようにして、神琴様のお部屋の天井裏からこっそりと彼の様子を伺う。どうやら今日は神琴様が〝ばあや〟と呼ぶ、年嵩の侍女が作ったいなり寿司を食べているようだ。
モゴモゴと口いっぱいに頬張る姿はとても可愛い。
あの日、偶然妖狐一族の当主様であられる葛の葉とお会いしたわたしは、神琴様の監視役という任務を与えられ、九条家の暗部部隊に所属することになった。
使用人の中でも特に優秀な者しか所属することが出来ない暗部にわたしが所属すると聞いて、母はとても喜んだ。わたしを気味悪がっていた子達も、訓練によってわたしが自由に黒い妖力を操れることが分かると、「すごいね!」と一転して褒めてくれるようになった。
だけど本当は、わたしは厳しい訓練を受けるのは嫌だったし、監視をすることによって、大好きな絵を描く時間が無くなることも嫌だった。
それでも監視役を続けられたのは、ひとえに監視対象が神琴様だったから。
わたしはあの渡り廊下で神琴様を見かけた時からすっかり彼に夢中になっていたようで、神琴様をずっと見ていられるのなら、嫌なことだっていくらでも耐えられた。
今思えばそれは、わたしの淡い初恋だったのかも知れない。
「あのピンク色の髪の女の子は誰?」
「!!?」
考え込んでいた目に、不思議そうにこちらを見上げる神琴様の金の瞳がかち合って、わたしの心臓が飛び出しかける。
ま、また失敗してしまった……。鬼のように怖い暗部長をはじめ、先輩達の顔が脳裏に浮かぶ。
本来監視役は監視対象から気取られてはならないと徹底的に教え込まれている。しかしまだまだ未熟なわたしは、上手く天井裏に隠れることが出来ないでいた。
「あの子は神琴様の護衛です。まだ幼く未熟ですのでああやって姿を見せてしまうこともありますが、本来護衛は神琴様の視界には一切入らないようにするものなのですよ」
「ふぅん」
わたしが焦っていると、〝ばあや〟が上手くフォローしてくれ、ホッとする。
「あの子もいなり寿司が食べたくて、忍び込んで来たのかと思ったよ」
「……!」
まさかの食いしん坊だと思われていた事実に顔が真っ赤になるが、美味しそうにパクパク油揚げが裏返しになったいなり寿司を食べる神琴様を見て、確かにちょっと食べてみたいなと思った。
――そしてそんなわたしの淡い想いは、あの日を境に急速に変化していく。
◇
「誰かっ! 誰か助けてっ!!」
わたしが大声で叫ぶと、近くに控えていた狐面をつけた暗部仲間が姿を現す。
「どうした!?」
「神琴様が発作を起こしたの!!」
屋敷近くの路上でグッタリと意識を失っている神琴様は、意識が無くてもなお病に苛まれているのか、呼吸が荒く、体は火傷しそうな程に熱い。
「一体何があった? 神琴様は主様に外へ出ることを禁じられているだろう?」
「それは……」
ポツポツと、わたしはさっきまでに起こった出来事を話し出す。
――そう、それは昨日の出来事だった。
◇
『どうしてぼくはこの屋敷に連れて来られたの? どうしてぼくは養子になった? ぼくは、本当の両親に捨てられて――』
『神琴様っ!!!』
昨日、神琴様が強い剣幕で〝ばあや〟に詰め寄っていた。その日の神琴様は朝から書庫に篭って読みたい本を選ばれていて、特に変わったことは無かったように思う。なのに自室へ戻って来た途端、こうなってしまった。
理由は神琴様の本当のご両親についてみたいだけど、詳しいことは何一つ知らないわたしは、ただただこの嵐が早く鎮まるよう祈り続けることしか出来ない。
――けれど、結局わたしの祈りは届かなかった。
翌日になって〝ばあや〟が消えたのだ。
『昨晩から姿を消しました』
侍女に〝ばあや〟の失踪を告げられた途端、神琴様は扉を蹴破る勢いで屋敷を飛び出してしまう。
それに慌ててわたしも後を追いかけるが、一気に興奮したせいなのか、屋敷を出てすぐのところで神琴様は発作を起こしてしまったのだ。
『うっ……!? は、……ぁ……!』
『神琴様っ!!』
◇
「……なるほど、理由は分かった」
そこまでわたしが話し終えると、この件はすぐに葛の葉様へと報告が上がった。
彼女の「神琴を地下室へ連れて参れ」との命令に、暗部仲間達がぐったりとした神琴様を運び上げる。
「あっ、わたしも一緒に……!」
「それはならんと主様のご命令だ」
「っ、」
地下室にわたしがついて行くことは許されなかった。
一体葛の葉様と二人きりで、神琴様に何を話されているのだろう? 不安ばかりが募っていく。
そうして明るかった空に夜の帳が下りた頃。ようやく姿を見せた神琴様は、すっかり人が変わってしまったように見えた。
〝ばあや〟という甘えられる相手を失ったからか、幼さが消え大人びた表情をするようになった神琴様は、ますます読書と勉学に没頭していく。
それは日ノ本高校に入学してからも変わることはなく、決して他者と交わることはなかった。
わたしはそんな神琴様を見守る内に、いつしか彼の母親であるかのようなことを願うようになっていく。
〝どうか健やかに、神琴様を想い、彼の傷ついた心を癒やしてくれる人が現れますように〟――と。
……そしてその願いは、意外な形で叶うことになったのだけれど。
◇
「あ」
昔のことを思い返している内に、いつの間にか生徒会室の前に辿り着いていた。実は中に入るのは初めてなので、少々緊張してしまう。
「まふゆちゃん、来たよ」
コンコンと扉を控えめにノックする。しかし返事が無い。
「……?」
不思議に思っていると、何やら扉の向こうから話し声が聞こえてくる。もしかして話に夢中で、今のノック音に気づかれなかったのかも知れない。
「失礼します……」
いつまでも扉の前で立っている訳にもいかないので、わたしは思い切って扉を開いて生徒会室へと足を踏み入れる。
「――――え」
すると目の前に広がっていた光景に、わたしの目は点になった。
「う~ん、モフモフ最高~」
「あのね、まふゆ……」
「えへへ」
「…………」
風船や花で室内を可愛く飾り付けられ、〝九条くん帰還おめでとう〟と横断幕が掲げられた生徒会室の真ん中に、まふゆちゃんと神琴様がいた。
他のみなさんは見当たらないし、どうやらまだ来ていないみたい。しかしそれよりも気になるのは、二人のその姿だった。
何故か神琴様は妖狐の耳と尻尾を生やした本来の姿を露わにされていて、その九つの尾にまふゆちゃんが顔を思いっきり突っ込んで幸せそうにスリスリしている。
一方神琴様はそんなまふゆちゃんを横目で見ながらも、目は完全に死んでいた。
……どうしてそうなったの?
「ふわぁ、やっぱモフモフっていいよね。九条くん! これからも定期的にモフらせてねっ!」
「え。これを繰り返すのは、俺の精神的なダメージが……」
「九条家のことで迷惑かけたから、お礼になんでもしてほしいこと言ってってさっき自分で言ったんじゃん! 私はまだモフり足りない!」
「まさかこんなことを言われるとは思わなかったんだよ……」
そう言って両手で顔を覆う神琴様に構わず、またまふゆちゃんはモフモフとその尾に顔を突っ込む。
「うふふ、ふわふわ……」
確かに神琴様の尾は、妖狐の中でも一際美しい白銀の柔らかな毛で、尾の一本一本にしっかりとしたボリュームがあるので、触り心地は極上に違いない。
うっとりと尾に頬を寄せるまふゆちゃんの表情は、まるで愛玩動物を愛でる姿にも似ていて。そんなまふゆちゃんに複雑そうな表情をしながらも、それでも決して拒否はせず、大人しくされるがままの神琴様に、わたしは心の中でエールを贈った。
――神琴様、頑張ってくださいっ!!
◇
もうわたしに神琴様監視の任は無い。
それでもわたしはこれからも、二人の友人として彼らを見守っていくつもりである。
番外 とある少女のひとりごと・了




