33話 九条神琴(2)
「なんじゃ、ようやくお目覚めか?」
「う……」
頭に響いた声に視線を彷徨わせれば、目の前には目元を黒いレースで隠した、着物姿の幼い少女――九条葛の葉が静かに佇んでいた。
……ここはどこだろう?
ひんやりと冷たい石造りの壁に囲まれた、微かなランプしか灯りのない真っ暗な部屋。
こんな部屋、屋敷にあっただろうか?
「――――――っ!」
すると徐々に働いてきた頭が、ここに来るまでの経緯を思い出す。
そうだ、侍女にばあやがいないと聞いた後、侍女の静止を振り切り自室を飛び出して、それで――。
「禁じていた外へ行き、あまつさえ発作まで起こして運ばれるとは。……そなた、名門と謳われ格式ある我が九条家を貶める気か?」
「っ、」
威圧感のある葛の葉の言葉に一瞬たじろぐが、それでも俺は体を起こし、葛の葉を強く睨みつける。
名門だからなんだ! 格式があるからなんなのだ!
もう俺は怒りを抑えることが出来なかった。
「ばあやをどこにやった!? 急に消えたのはアンタの仕業なんだろう!?」
俺の剣幕に、葛の葉が不快そうに眉を顰める。
「ふん。ばあやばあやと、すっかり手懐けられたものよ。そもそもアレは、妾の命でそなたの子守をしていたのじゃ。それをどうしようが、妾の自由であろう」
「ぼくが本当の両親のことをばあやに聞いたから……、だからそれが気に食わなかったのか!? 紫蘭って一体誰なんだよ!?」
声を荒げ激昂する俺を止めたのは、葛の葉の静かな言葉だった。
「死んだ男の名だ。とうの昔にな」
「え……?」
まさか死者の名とは思わず、俺は怯む。
戸惑う俺を見て、葛の葉は口の端を吊り上げた。
「そなた、不思議に思ったことはないか? 何故この屋敷に……いいや、何故一族にそなた以外の妖狐の男がいないのかと」
「…………」
確かにそれはずっと気になっていた。
当主は女性の葛の葉で、屋敷の使用人も全員女性。そしてその使用人の子ども達もみんな娘。見事に女性しかいない。
彼女達の夫は妖狐以外の妖怪ばかりだし、男性の妖狐は同年代どころか、年嵩の者すら見たことは無かった。
だが、その話と紫蘭という男性の死がどう結び付くのか?
訝しげに葛の葉を見ると、葛の葉は楽しげに笑う。その声は鈴を転がすように美しいのに、どこか不気味に聞こえる。
「元々妖狐一族は、男が二十年に一度程度しか生まれぬ女系だ。しかも生まれた妖狐の男は、必ずある病を持って生まれる」
そこまで言って、葛の葉の笑い声がピタリと止んだ。
「……発作的に妖力が体の中で暴れ出し、異常な発熱と呼吸困難に陥る病。当然、紫蘭もその病を患っていた」
「!!」
ドクンと俺の心臓が、大きく音を立てる。
妖力が体の中で暴れ出し、異常な発熱と呼吸困難……。それは紛れもなく身に覚えのある症状で。
じゃあ、紫蘭という人は――。
思い至った事実に、ガクガクと体が震え始め、血の気が一気に引いていく。
葛の葉はそんな俺をジッと見つめ、更に言葉を続ける。
「このことは、妖狐一族でもごく僅かの者しか知らん禁忌。屋敷の者以外には他言は無用じゃ。それと言っておくが、アレには単に暇を出しただけじゃ。そもそもそなたも10歳。いつまでも子守される年齢ではないであろう」
そこまで言うと、葛の葉は踵を返そうとしたので、俺は震える体を叱咤して、その背中に向かって声を上げる。
「――じゃあどうして!!」
「うん?」
こちらを振り返った葛の葉に、俺は思いの丈をぶつけるように叫ぶ。
「じゃあどうして葛の葉は、ぼくを当主にしようとしているんだよ!? 当主になったってすぐに死んじゃうぼくを、どうしてわざわざ養子になんてしたんだよっ……!!」
「…………」
肩を怒らせ興奮する俺を、葛の葉は黙って一瞥し、そして――。
「ただの気まぐれじゃ」
そう吐き捨てた。
◇
「うう……」
葛の葉が出て行った後も、俺は一人真っ暗なこの場所で泣いていた。
泣けばすぐに駆けつけて、「神琴様、どうしたのですか?」と優しく頭を撫でてくれた、ばあやはもういない。
己の迂闊な発言を後悔し、ただばあやの無事を祈ることしか出来ない無力な自分を、俺は呪った――。
◇
差出人の欄に、日ノ本高等学校と書かれた封筒の中身を確認する。
「やった、合格……」
合格通知に俺は喜びを噛み締めながら、初めて送ることになる学校生活に思いを馳せた。
――ばあやがいなくなって早5年。
15歳になった俺は、相変わらず病に悩まされていた。発作の間隔は成長するにつれ短くなっており、最近では最低でも二日に一回。調子の悪い日は、毎日発作が起きることもある。
確実に実感する命の期限に、俺はかねてより憧れていた学校へ通いたいと何度も思うようになっていた。そこで思い切って葛の葉に伺いを立てたところ、意外にもあっさりと了承が返って来たので驚く。
「このまま屋敷の中だけで生涯を終えるのは、少々哀れだと情けをかけただけじゃ」
何か裏があるのかと訝しがれば、すぐに嫌味が飛んで来たが、了承に舞い上がる俺には聞こえなかった。
のちに日ノ本高校が志望校で、なおかつ寮生活するつもりだと葛の葉に伝えると、苦虫を噛み潰したような表情を見せて、苦言を呈された。
しかし既に言質は取ってあったので、俺は構わずに入学準備を進めていく。
日ノ本高校が屋敷から通える距離にも関わらず、あえて寮生活を選んだのは、葛の葉への当て付けも少々ある。
だがそれ以上に、たった5年間ではあったけど、ばあやとの思い出が色濃く残るこの屋敷には居たくない、というのが本音であった。
そういえば俺が〝九条〟だということで、入学許可を巡って学内が揉めたという話を、葛の葉経由で耳に挟んだ。しかし一人の教師が勉学の自由を説き、上層部の反対を捻じ伏せてくれたらしい。
何故九条が入学すると揉めるのかは分からないが、大方葛の葉絡みなのは、葛の葉の様子からも察しがつく。
俺の入学許可が下りたのは、ひとえに上層部を説得してくれた教師のお陰なので、入学したあかつきには必ずお礼を言おう。
そう考えて、俺は合格通知を大事に仕舞った。
◇
「はぁ……はぁ……」
保健室のベッドに寝転がりながら、今日も俺は発作によって引き起こされた、異常な発熱にうなされる。
憧れというのは所詮憧れのままなのだと、日ノ本高校に通って丸一年が経ち、17歳。高校2年生になった俺は身をもって実感していた。
念願の高校生活は、俺の想像とはまるで違っていたのだ。
「はぁ……、っ……」
頻回な発作で授業に出ることもままならず、友人を作ろうにも、九条家の次期当主という話だけが一人歩きして遠巻きにされる。八方塞がりだ。
しかも成績だけは幼い頃からの勉強漬けの成果か、常に学年首位。結果2年となった今年、強制的に生徒会長に任命されてしまった。
くしくも学校に憧れを持つきっかけとなった、小説の主人公と同じ生徒会長となったものの、その実態はまるで違う。
あの小説の主人公は、生徒会の仲間と共に学校を改革すべく、生徒会長として先頭に立っていた。
方や俺は、生徒会どころか授業にすらまともに出られず、日々を保健室で過ごしている情けない男。天と地ほどの差だ。
そういえば副会長になった雪守さんが、俺の代わりに生徒会長の仕事をこなしていると、周囲が話しているのを聞いた。
雪守さんのことはよく知っている。彼女はとても目立つ女生徒だったからだ。
美しい容姿に、人間でありながら妖怪顔負けの頭脳と運動神経。性格も面倒見がよく、サバサバとしていて、妖怪人間問わず彼女に憧れる者は多い。
かくいう俺もその一人だった。
生徒会の仲間と共に、学校を改革すべく生徒会長として先頭に立つ。まさに雪守さんは、あの小説の主人公そのもの。まるでヒーローのような人だった。
そう考えると、彼女に余計な負担をかけている自分は、なんて惨めなのだろう。
「はぁ……っう、……」
呼吸が上手く出来ない。どうやら今日の発作は長引くようだ。
俺はこの先ずっと、妖狐の男にしか現れないという奇病に怯え、症状に身悶えしながら死んでいくのか?
……ならばいっそ、ひと思いに殺してこの地獄から解放してくれ。
そう願って俺は、自身を苛む熱さに耐えきれず、いつの間にか意識を失っていた。
「――――――?」
次にうっすらとまぶたを開いた時、視界いっぱいに映ったのは、とても美しい紫髪の少女だった。
まさか本当に天からの使者が現れたのだろうか?
そうぼんやりと考えていると、ひんやりと額に何かが触れる気配がした。すると途端に、触れた箇所から高熱も、息苦しさも、妖力の暴走も治まっていく。
そうして朦朧としていた意識が一気に覚醒した瞬間、俺は目の前の存在を逃さないよう、急いで手を伸ばした。
「今のって妖力だよね? もしかして雪守さんって……妖怪?」
天からの使者だと思っていた少女は、紛れもなく副会長であり、隣の席の雪守まふゆであったのだ。
そしてこの出来事がきっかけとなり、彼女に導かれるようにして、暗闇だった俺の世界が一変することを、この時の俺はまだ知らない――。
◇
「あああああーっ!! また2位だったなんてーっ!!!」
生徒会室の机に伏しながらまふゆが大袈裟に泣き叫ぶ。それに横に座った夜鳥が「ほれ見たことか」と煽って、更にまふゆは大泣きしてしまう。
以前の騒動の火種にもなった、学期末テストの結果が夏休みを明日に控えた今日、貼り出された。
結果はいつも通り、俺が首位でまふゆが2位。
あれだけ勉強に力を入れていた分、ショックも大きかったらしく、生徒会が始まってもまふゆはずっとこの調子だった。
「う……うう……」
まふゆの泣き声に罪悪感でいっぱいになる。俺はまふゆの涙にとても弱い。
「……はぁ」
どうしたものかと溜息をつけば、周囲から厳しい視線を感じた。
見ればまふゆを囲むようにして座っている、夜鳥に雨美に木綿先生が、「お前のせいだろ、なんとかしろ」という視線を送ってくる。
彼らも俺同様、まふゆの涙には弱いのだ。
何せまふゆは、その儚げで女性らしい容姿とは裏腹に、さっぱりとした明るくパワフルな性格の持ち主で、こんな風に悲しみを露わにすることは稀である。
稀であるにも関わらず、ここ最近は泣かせてばかりだったことを思い返し、ますます罪悪感が募る。彼らの無言の訴えの通り、早くまふゆに泣きやんでもらわなければ。
「まふゆ、まふゆ」
「…………ぐすっ」
俺の呼びかけにようやくまふゆが顔を上げ、俺を見上げる。興奮していたせいか頬は赤みを増し、大きな赤い瞳は涙で濡れて、ポロリと一雫が溢れ落ちた。
「なぁに?」
「……」
本当にまふゆは無防備だ。今自分がどんな表情をして、目の前の男にどんな風に思われているかなんて、考えもしないんだろう。
まぁ、それが彼女の魅力のひとつでもあるのだけれど。
「前に何度だって受けて立つって言ったのに。そんなに今回2位だったのが嫌だった?」
優しい口調を心掛けて涙の理由を引き出そうとすれば、まふゆが「だって……」と呟いた。
「私が勝てば九条くんだって悔しくて、私を負かすまでどこにも行かないかなって思ったから。だから今回は絶対に勝ちたかったんだもん」
「っ」
思わぬ理由に一瞬息を呑むが、それはおくびにも出さずに安心させるように微笑む。
「心配しなくたって、もう急に消えたりしないよ」
「分かってる。でもなんか、九条くんって危うげで信用出来ないっていうか……。うーん、じゃあ本当に絶対に私が勝つまで勝負だからね! 嘘つかないでね!!」
「うん」
もちろん、ずっと、何度だって受けて立つ。
……卒業するまでは。
そう誰にも聞こえないように呟けば、まふゆがまだ訝しげに見てくるので苦笑する。
「――さぁ、そろそろ夏休み前最後の生徒会を始めよう。副会長、今日の議題は?」
◇
……俺は、ずっとずっと欲しかった日常を、まふゆに導かれて手に入れることが出来た。
それは以前の自分ならば羨んで仕方ない今なのだが、かくも妖怪とは欲深い生き物だ。
君に想いを告げて、もし君も想いを返してくれたとしたら、きっともっと幸せだろう。そんな風に夢想する。
でもそれが実現する日は来ない。俺は彼女を泣かせる未来など耐えられない。
『精々一日一日を大切にすることじゃな』
葛の葉に言われるまでもない。
期限つきでもいい。ようやく手に入れた君と過ごす日常を、俺は今日も大切に生きていく。
第一章 はじまりの契約と妖狐の秘密・了
これにて第一章本編が終了です。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました! 31日間、毎日更新を続けられたのは、ひとえに読みに来てくれる人が居るんだと実感していたからこそです。
感想にブックマークに評価も、本当にありがとうございました! 今日も更新しなきゃと背中を押して頂けました。本当に感謝しかありません。
二章も面白くなるよう全力で頑張ります!
日が空きますが、二章は12月27日から開始します。是非また読みに来てくれましたら、嬉しいです。




