30話 雪女と妖狐とひとつの顛末
「消えた……?」
突然姿を消した当主に、私は目を丸くして辺りを見回すが、どこにも気配は見当たらない。
すると横に立つ九条くんが「ああ」と声を出した。
「妖狐一族秘伝の妖術だね。一度マーキングした場所には妖術を使って飛べる」
「はっ!?」
なんじゃそのチート!? そんな便利な妖術まで使えるのか、妖狐一族というのはっ!! じゃあその妖術があれば、学校から寮までも一瞬で移動出来るじゃん!
「ん? ということは……」
「もちろん俺も朝は使っている」
「やっぱり!!」
私の視線に九条くんが頷く。
思えば九条くんとは帰りは一緒の時も何度かあったが、朝は同じ寮にも関わらず、一緒に登校したことは一度も無かった。
それは私達の間に在らぬ噂が立たないようにとの配慮だと理解していたが、単に妖術を使って飛んでたからだったのか!!
「じゃあ、いつも私より保健室に来るのが早かったのは、転移してたからなの!?」
「そう。何せ朝は特に体調が最悪だからね。転移で飛ぶ方が体が楽なんだよ」
「あ……」
その言葉で私の勢いは一気に削がれた。
そ、そっか。そういう理由なら、「ズルい!」とか言っちゃいけないな。
すんでのところで言葉を飲み込み、誤魔化すように私は口をモゴモゴと動かす。するとそんな私を見て、九条くんがフッと微笑んだ。
「よければまふゆも、朝は一緒に転移していく?」
「えっ!? 術者しか飛べないんじゃないの!?」
「転移する時に俺に触れていれば、一緒に飛べるよ。どうする?」
まさかの有難い申し出に、私は二つ返事で頷く。
「だったら是非お願いする!」
「分かった。じゃあ明日から朝は俺の部屋に来てね」
やった! これで明日からは、通学時間を気にせず朝をゆっくりと過ごせる!
思わぬ朗報に私は顔を綻ばせて、そしてハタと気づいた。
「ん? じゃあ毎朝九条くんの部屋に行くんだし、これからは朝の保健室通いは必要は無くない?」
私の呟きに、九条くんが「そうだね」と頷く。
「まふゆがいいのなら、これから朝は俺の部屋で妖力を使ってくれると助かる」
「そんなの全然いいよ! じゃあ明日から、ね……」
そこまで言って、あれ? と私の思考がピタリと止まった。
もしかして私、かなり大胆なことしてない?
転移の為とはいえ、毎朝恋人でもない男の子の部屋に通うのって、どうなの? 有りなの??
止まった思考がまたぐるぐると回り出す。一度気になってしまったら、ソワソワして落ち着かなくなってしまう。
確かに転移は有り難い。保健室に二人で居るところを誰かに見つかるリスクも消える。
でも、でも……!?
「まふゆ……?」
するとそんな私の様子をどう思ったのか、九条くんが不思議そうに首を傾げる。
「嫌なら無理はしなくていいんだよ?」
「い、嫌なんかじゃ……!」
とっさに言いかけた言葉は、最後まで続かなかった。
何故ならまだ本性を露わにしている九条くんの白銀の狐耳と九つの尻尾が、寂しげにしゅんと垂れているのを見てしまったからである。
「本当に?」
耳と尻尾は無意識なのか、当の本人の表情はいつものように涼しげなまま。だけどもしかして私に拒否されたと思って、実は内心落ち込んでいるのだろうか?
「……ふふっ」
いつもは決して読めない九条くんの思考。
今だけはほんの少しではあるが知れたような気がして、なんだか胸が温かいものでいっぱいに満たされていく。
そうして私は誘われるまま、そっと微かに揺れているフサフサの尻尾へと手を伸ばした。
「――――!!」
指先がちょんと九本の内の一本に触れた途端、九条くんが面白いくらいに飛び上がって、私は驚く。
「えっ!? ごめん! 軽く撫でたつもりだったんだけど、もしかして痛かった!?」
「い、いや……。痛くはないけど、いきなりで驚いたというか……。いいかいまふゆ、妖狐にとって尻尾は……」
「痛くないなら、もう少し触らせて! 私モフモフの生き物大好きなの!!」
いきなりで驚いたのなら、断っておけば触らせてくれるだろう。
そう踏んでモフモフボリューミーな九つの尻尾にまっしぐらに突っ込もうとしたら、非情にも九条くんが耳と尻尾を引っ込めて、人間の姿へと戻ってしまった。何故!?
「ひどいっ! モフモフしたかったのにぃぃ!!」
「……ごめん、それは俺がもたないから勘弁して」
よく分からないが切実な顔で言われて、私は大人しく引き下がるしかなかった。
くそぅ、絶対どこかでリベンジしてやる。
固く決意をして、ふっと息をつく。不思議だ。ついさっきまで緊張で張り詰めていたのに、今はこんな風に軽口を言い合ってる。未来のことを考えている。
そう思った途端、視界がぐるりと回った。
「……っ、」
「わっ、と!! まふゆ!? まさか怪我して!?」
「ち、違うの。なんかホッとしたら、急に力が抜けたっていうか……」
倒れかけたところを九条くんがすぐに手を伸ばして、まるで抱き寄せられたような体勢で支えられる。九条くんは焦ったように眉を寄せていたが、私が大丈夫だと笑いかければ、ホッとした表情を見せた。
「はぁ……、君は本当に……」
そうしてそのまま、私の背中をゆっくりと撫でてくれる。
その高い体温の手のひらが心地よくて。私は九条くんの胸に頬を寄せたまま、静かに目を閉じた。トクントクンと彼の心音を刻む音が聞こえる。
それがすごく安心するのに、何故だかまた泣きそうになった。
「大丈夫? 地上まで運んで行こうか?」
私の様子を伺い、九条くんが聞いてくる。
心配そうに背中を撫でる手は優しくて。いつまでもこうしていたい、なんて思ってしまう。
「大丈夫」
目を閉じたままポツリと告げる。
「でも、もう少しこうしていたい」
素直に告げてぎゅっとしがみつけば、九条くんもぎゅっと抱きしめ返してくれる。
私よりずっと高い九条くんの体温を心地いいと感じるようになったのは、いつの頃からだっただろう? そんなに前じゃない筈なのに、随分と遠くに感じた。
穏やかな空気に今なら聞いてもいいかと、思いきって九条くんを見上げ、口を開く。
「……さっき」
「ん?」
「当主に変なこと言われてたでしょ? 〝楽しい時間にも終わりが来る〟とか。あれどういう意味なの?」
「さあ? 葛の葉はああやって相手の不安を煽るのが好きだからね。言うならば、俺に対する当て付け……かな?」
「……?」
なんだそれは、当て付けとか普通息子にすることか?
まぁこんな暗い地下室で、手枷に繋いでおく時点で普通ではないが。九条くんは当主のことを〝義理の母〟って言ってたっけ。仲も良さそうには見えなかったし、九条くんの病のことといい、色々複雑なのだろうか?
まだそんな深いことまで聞く勇気はないけれど、いつか話してくれる時が来るかな? 話してくれるといいなぁ。
そして脳裏を過ぎるのは、当主が残したあの言葉。
『風花に伝えておけ、このままでは終わらんとな』
「……当主が雪女を嫌うのは、なんでなんだろう? 私が雪女だから、朱音ちゃんに妨害を命じたってことなのかな?」
「分からない。義理とはいえ、俺の母親ではあるんだけど、葛の葉のことはほとんど何も知らないんだ。何故あの姿なのかも含めて」
「……そっか」
〝風花〟
当主からその名前が出たことの意味するところはなんだろう?
瞳を閉じれば思い出すのは、繰り返し何度も言われたあの言葉。
『まふゆ、いいこと? あんたが雪女の半妖だってことも、妖力を使えるってことも、ぜ~ったいに誰にも言っちゃダメよ』
生まれてしまった胸騒ぎは、いつまでも消えそうになかった――。




