29話 雪女と妖狐と狐の女王
「――して神琴、そなたどこに行く気じゃ? 妾との話はまだ済んでおらぬのだが?」
私達の目の前に立つ九条葛の葉は、黒いレースで隠した目線をこちらへと向ける。
客間で声を聞いた時にも驚いたが、子どものような見た目なのに、老生した話し方が異様に映る。
それにまさか本当に九条家の当主が、こんな幼い女の子の姿をしているなんて……。社交界に全く出て来ないというのは、彼女のこの姿に起因しているのだろうか?
「――葛の葉」
驚愕のあまり当主から視線を外せずにいると、九条くんがそんな私の視界を遮るようにして、一歩前へと歩み出た。
「貴女との話はとうに着いた筈です。俺は学校を辞めないし、貴女の望み通りにもならない。迎えに来てくれた彼女達と今すぐ学校に帰ります」
キッパリと言い切った九条くんに、当主が不快そうに鼻を鳴らす。
「ふん。育てられた恩を忘れ、そのような口を母に聞くとは。なんとまぁ、親不孝に育ったものじゃ」
「〝母〟ではなく、〝義理の母〟でしょう?」
「え……?」
思いも寄らない言葉に、つい声が出てしまう。そのまま九条くんの背中を仰ぎ見るが、微かに見える表情からはなんの感情も読み取れなかった。
義理の母……?
じゃあ九条くんは当主の血筋ではないの? あれ、でもみんな九条くんのこと〝嫡男〟って言ってるし、九条くんが九条家の次期当主なのは間違いないんだよね……?
降って湧いた疑問に頭を悩ませていると、九条くんをジッと見ていた当主が、ポツリと口を開いた。
「……ああ、気に食わない」
その瞬間ザワリと、彼女のまとう空気が変わる。
「ずっと暗闇に囚われていればよいものを。そのいつまでも輝きを失わない金の瞳。……見ているだけで吐き気がする」
忌々しげに言う当主の表情は、九条くんの背に庇われた私からは見えない。……その筈だ。
「――――っ!?」
にも関わらず、まるで彼女に直接睨まれたような感覚が背中を走り、私はゾクリと背筋を強張らせた。
「そなたのせいか」
静かとも言える小さな呟き。しかしその瞬間、ブワッと当主の体から狐耳と九つの尻尾の幻覚が見えたかと思うと、巨大な豪火が現れ一直線に私達へと襲い掛かって来たのだ。
「なっ!?」
とっさに応戦しようと、私は手に氷の妖力を込める。けれどその前に同じくらい……いや、それ以上に巨大な豪火が現れて、当主が出した豪火を一気に呑み込んでいく。
そして二つの豪火が完全に一つになった瞬間、豪火は跡形もなく消え去ってしまった。
「え…………?」
途端にしんと静まり返った室内に戸惑い、今起こったことが理解出来ずに呆然と呟く。
「まふゆ、怪我は無いね」
「あ……」
すると名前を呼ばれたので、そろそろと視線をその声の主へと合わせる。そうして視線がかち合った時、私は九条くんの姿にハッと息を呑んだ。
――美しい白銀の毛並みが輝く狐耳と、同じく白銀に輝く九つある長い尾。
まさかこれが、九条くんの本来の妖狐としての姿?
あの客間で襲ってきた狐面達と違い、人型を保ったまま凛と立つその姿は、白い袴姿も相まって、まるで全身が輝いているかのよう。
彼が本当は神の使いなのだと言われても信じてしまうような、そんな神々しさすら感じる。
「――葛の葉。いくら貴女でも、まふゆを傷つける者は誰であろうと容赦しない」
本来の九尾の妖狐の姿となった九条くんが、ゆっくりと当主の方へ向き直り、射抜くような強い眼差しでそう言った。
「なんじゃ神琴、まさか本気で妾に仇なすつもりか?」
そんな恐ろしいまでに強い妖力をまとう九条くんを前にして、当主は信じられないと言うような口振りで、嘲るように笑った。
しかしそんな当主の様子を意に介さず、九条くんは静かに言葉を返す。
「必要とあれば。どの道、俺の妖力に遠く及ばない貴女には、俺に勝つ余地はない」
「…………」
淡々と答える九条くんに、当主は笑んでいた口元をぐっと歪ませて、その小さな手を握りしめる。目元は黒いレースで見えないが、恐らくはこちらを憎々しげに睨みつけているように感じた。
……九条くんではない。私を、だ。
「そのような戯言を言い出すとは、まさかその小娘にうつつでも抜かしたか? ……本当に、雪女というのはどこまでも忌々しい」
ギリギリと血が出るのではと思うほど、当主はその真っ赤な唇を噛み締め、吐き捨てるように呟く。
なんだろう?
さっきから当主は九条くんにというよりも、私に対して激しい怒りを湛えているように見える。
しかし私は今日初めて会った人物に、これほど嫌われる覚えはさすがに無い。
あ、いや……。確かに客間ではケンカ売るようなことは色々言ったし、そもそも当主の意に反して九条くんを連れて帰ろうとしている時点で、敵認定されてもおかしく無いのかも知れないけど。
けれども〝雪女〟と言っている辺り、もしかして当主は何か雪女に恨みでもあるのだろうか……?
「……葛の葉」
とそこで九条くんが、先ほどよりは幾分か柔らかな声で、当主の名を呼んだ。
「貴女が何故それ程まふゆを、……いや雪女を嫌うのかは分かりませんが、俺はまふゆに出会って変わることが出来ました。病のことだけじゃない。彼女と過ごす時間が、暗闇だった俺の世界を照らしてくれる。貴女に理解までは求めません。でも、彼女や仲間達と過ごすことは見逃して頂きたいんです」
「九条くん……」
その言葉が素直に嬉しくて、私は彼の袴の袖をきゅっと掴んだ。すると九条くんも応えるように、袖を掴む私の手を取ってくれる。
「……分かっておるのか? その楽しい楽しい時間にも、必ず終わりが来ることを」
「?」
九条くんの言葉にしばし沈黙していた当主が、なんだか物騒なことを言い出した。
それはまるで、九条くんに何かを確認するような口振りだ。
「元より覚悟はしています。そういうものだということも理解しています」
「………………そうか」
さっきよりも長い沈黙の後に、ポツリと当主が呟いた。
「……?」
二人の会話が何を示しているのか、私にはさっぱり分からない。
でもなんだろう? あまり良くないような、この予感は。後で九条くんになんのことか聞いてみよう。
ーーザリザリ
そう考えていると、また草履が地面に擦れる音がする。見れば当主が私達に背を向けて、立ち去ろうとしているところであった。
「葛の葉」
「興がそがれた。妾も忙しいのじゃ、そなたらにこれ以上付き合ってはおれぬ。勝手にするがよい。……精々一日一日を大切にすることじゃな」
呼び止める九条くんに当主はそう言い残し、小さな影遠ざかって行く。
「ああそうじゃ、ひとつ言い忘れておった」
しかしその途中、不意に当主がこちらを振り向いた。
「そなた、まふゆと言ったな? 風花に伝えておけ、このままでは終わらんとな」
「え…………」
当主の言葉に私は石のように固まる。
どうして妖狐一族の当主がその名前を……?
嫌な胸騒ぎに、心臓が早鐘のように鳴り響く。
「中庭に出たら、とっとと帰れ。お仲間とやらも門の前に出すよう暗部共に伝えておく」
「あ……」
動揺する私をよそに、当主はまた私達に背を向け、そしておもむろに指先をパチンと鳴らした。
ーーボワッ!
すると音と共に当主の体は一瞬にして火に包まれ、その姿は跡形もなく消えてしまったのだ。
キャラメモ7 【九条 葛の葉 くじょう くずのは】
妖狐一族九条家当主、神琴の義理の母
見た目は10歳の幼い少女だが、話し方は老生
長い黒髪に黒い着物、目元は黒いレースで隠している
雪女を嫌っている?




