3話 雪女と妖狐のはじまり(3)
「今のって妖力だよね? もしかして雪守さんって……妖怪?」
九条くんが強大な火の妖力を全身に迸らせ、恐しく平坦な声で問いかけてくる。
「あ……」
それを見ながら私は、「わっ! 九条くんて、まつ毛長いなぁ」とか、「ちゃんと私の名前、覚えてたんだなぁ」とか、明らかに今の状態にそぐわない感想がぐるぐると頭を駆け巡った。
「さぁ、呆けてないでちゃんと質問に答えて。早く答えないと、……力づくで言わすよ?」
「…………っ!」
しかし目の前の相手は現実逃避する暇も与えてくれないらしい。
がっちりと掴まれた両手首が、ギリギリと締まって痛い。どうやらなかなか質問に答えない私に苛ついているようだ。
ちょっと待ってよ! 助けようとしたのに、この仕打ちは酷くない!?
生憎こちとら天敵妖狐のビシバシくる火の妖力に当てられて、内心ガクブルなんだよ! 口の呂律だって上手く回ってないんじゃ!!
……という思いを込めて、渾身の睨みを九条くんにお見舞いするが、もちろん効果は無い。
まぁ確かに? 目が覚めたら親しくもない女が側にいて、九条くんが苛つく気持ちも分からなくはない。けどさ? 私だっていきなりのこの仕打ち。同じくらい苛ついているんだよ!
こんなに元気なら心配して損した! 半妖であることまでバレかけてるし、ほんと大損だ!!
「雪守さん?」
「っ」
早くしろという目。なんなのその上から目線! 貴族だからって庶民に何してもいいっての!?
もうっ、あったまきた!! こうなったら私の怒り、思い知れっっ!!!
――――ゴスッ!!
その瞬間、保健室に鈍い嫌な音が響いた。
「~~っっっー!!」
「~~~~っっ!」
渾身の頭突きが炸裂し、私達は互いに頭を押さえてベッドの上をのたうち回る。
石頭には自信があったが、九条くんもまた石頭であったらしい。あああ、痛い。でも……!
「あっ!」
今の衝撃で九条くんの体勢が崩れた。その隙になんとか腕を振り払い、私は彼の体の下から抜け出す。
痛みは伴ったが、この込み上げる怒りを思い知らせることには成功したようだ。
「え、ええっと……」
「……何?」
「……あの、いきなり頭突きしたのはごめん。けどさっきの九条くん、なんか怖かったし……」
報復(燃やされたくない)を警戒しつつ、未だ頭を押さえている九条くんに恐る恐る声を掛ける。
「はぁー……」
するとさっきまでの苛立った気配は鳴りを潜め、落ち着いた様子で九条くんが深く息を吐いた。
「……いや、こっちこそ怖がらせてごめん。体が急に楽になったと思ったら、女の子が俺の額に手を当てていたから、ちょっとビックリしたみたいだ」
「へぇ?」
〝ちょっと〟ビックリって……。
さっきの勢いはちょっとどころじゃなく、殺気すら感じたんですが、それは。
「そ、そっか。ビックリさせちゃってごめんね。九条くんが随分苦しそうに寝てたから、思わず体温を調べるために額に触れたの。でもすっかり元気そうでよかった」
あくまでも善意の行動ではあったが、九条くんには厄介なファンも多い。勘違いさせてしまったことは申し訳なく思うので、素直に謝っておく。
……私の正体のことも、これ以上追及されたくないしね。
「ごめんね。心配してくれてありがとう。俺の勘違いが悪いんだ。本当に気にしないで。それよりもさっきの君の――」
「ああっ! 大事なことを忘れてた!!」
ちょっとわざとらしいが、うわずった声で私は九条くんの言葉を遮る。
「あのね私、先生から言われて九条くんに頼みがあって保健室に来たんだよね。来月の文化祭の生徒会長の挨拶、先生が九条くんに絶対やってほしいって言ってたよ! あと生徒会にも参加してほしいって!」
このままここに居ては、九条くんの追及から逃れられない。私は笑顔でごり押して、手早く用件を伝える。
「確かに伝えたから、忘れずに来てね! ――って、痛ぁっ!?」
そしてその勢いのまま一気に保健室から脱出しようとしたところで、左肩を思いっきり掴まれた。痛い痛い痛い!!
「待った。まだ雪守さんからさっきの俺の質問の答えが聞けてない。君は何者? 答えるまで絶対に離さない」
「…………」
これは九条くんのファンなら「一生離さないで~!」とか、目をハートにして言いそうなシチュエーションなのだろうか?
だが生憎、私は九条くんのファンではない。有無を言わさぬ完璧な美貌に凝視され、ジワジワと体が溶けるんじゃないかと思う程冷や汗が止まらない。
「く、九条くん……」
逃がして? とばかりに可愛い笑顔を貼りつけて、九条くんを必殺上目遣いで見つめる。
しかし九条くんの神々しさ溢れるご尊顔の前には、付け焼き刃のぶりっ子など意味を無さず。
「うう……、分かったよ……」
結局私は観念するしかなかった。
◇
「……なるほど、雪女の半妖か。通りで今まで気づかなかった訳だ。絶妙に人間の気配が君の妖力を覆い隠している」
「あはは、そうなの……」
九条くんは興味深そうに頷いているが、私は天井や壁に視線を漂わせ、ソワソワと落ち着かない。
天敵とも言える妖狐の九条くんとベッドに二人揃って腰掛けて、話すことは私のこと。なんなんだこの状況?
「さっき雪守さんが俺の額に手を当てた時、あれだけ引かなかった熱があっという間に引いて、ずっと陰っていた視界がクリアになった。もしかして雪女しか知らない特別な妖術でも使った?」
「え?」
九条くんに問われてキョトンとする。
さっきは無我夢中で九条くんの熱を氷の妖力で冷やそうとしたけど、でもそれだけだ。別に何か特別なことをしたつもりは無い。
「まさか。今までずっと正体を隠してきたし、妖力をまともに使ったのだって、さっきのが初めてだよ。ただ手のひらに氷の妖力を込めて、九条くんの熱を奪おうとしたの。体調が良くなったんなら、それが思いのほか上手くいったんだね」
「…………そう」
私の言葉に、九条くんはまた思案する。
自分の妖力のことを話すのはお母さん以外には初めてなので、言葉を慎重に選んで話した。
なにせ相手は妖怪の中でもトップクラスのエリート様なのだ。そんな人から私のような半妖は、どんな風に見えているのかと考えると恐ろし過ぎる。
「雪女に出会ったのは君が初めてだけど、あんなに一瞬で体が楽になるなんてすごく驚いた。雪守さんの妖力はとても強いんだね。本当にありがとう。正直治るまでずっとここで寝ていようかと考えていたくらい、最悪だったんだ。君のお陰で助かったよ」
「へ……?」
何を言われるかとハラハラが止まらなかった私だが、存外優しい言葉がかけられ驚きでいっぱいになる。思わず九条くんの顔を見れば、なんともまあ心臓に悪い柔らかな笑みを浮かべているではないか。
先程の恐ろしさから一転した優しい微笑みに、不覚にも私の心臓がドキリと音を立てた。
「ううん! 私こそ、自分の妖力が強いなんて初めて知れてよかったよ。それに余計なことしたかなって思ってたから、九条くんの役に立ててよかった」
「余計だなんてとんでもない。お礼と言ってはなんだけど、さっき言ってた文化祭の挨拶の件は引き受けさせてもらうよ。それに生徒会にもこれからは出来る限り参加する。雪守さんには何かと負担をかけてしまって、今まで本当にごめん」
「本当に!? 先生めちゃくちゃ喜ぶと思う! ありがとう!!」
まさかの願ってもない申し出に、私はパッと顔を輝かせる。
九条くんとは隣の席ではあるものの、話したことなんで挨拶くらいしかないし、サボり魔の印象が強くて不良のような人物かと内心身構えていたが、なんだ実は話せば分かる良い人ではないか!
これは先生が聞いたら泣いて喜びそうだ。
「じゃあ私、早速生徒会室に戻って、先生に伝えるね! 九条くんは体調が治ったとはいえ、今日は早く帰って安静にしてね!」
思い立ったが吉日とばかりに私はベッドから立ち上がる。そして九条くんに笑顔で挨拶して扉に手を掛けた時、耳を疑う言葉が彼から放たれた。
「うん、そうさせてもらう。それじゃあ雪守さん、また明日の朝ここで会おう」
「えっ??」
保健室で会う? 何それ??
疑問符だらけの私の顔を見て、九条くんは優し気な笑みをますます深めて言葉を続ける。
「交換条件だよ。俺が生徒会に参加する代わりに、君にはここで俺と会ってほしい」
「はぁ!?」
まさかの発言に、私は目を三角にして叫ぶ。
「何それ!? ヤダよ! もし万が一、二人で居るところを九条くんのファンに見られたらどうすんの!? 私まだ死にたくないよ!!」
「ふーん。じゃあ生徒会への参加も文化祭の挨拶も無しだな。別にそれでも俺はいいよ? 困らないし」
「はぁっ……!?」
この男、なんという言い草だ。
さっきまでの〝話せば分かる良い人〟という私の九条くんへの評価は、一瞬で地に堕ちた。
「一度言った言葉を反故にする気?」
言外に最低だなという言葉を滲ませるが、九条くんは笑んだままその飄々とした態度を崩さない。
「どうとでも捉えてくれて構わない。でも君は俺に従わざるを得ない筈だ。君が〝雪女の半妖〟ってこと、教師も含めてここの学校関係者全員知らないんだろう?」
「っ……!」
「あははっ!」
思わず唇を噛み、真っ赤になってブルブルと震える私を見て、九条くんのとても楽しげに笑う。それはさながら悪鬼のような邪悪な笑みである。
くそぅ、人の足元見やがって……!
というかさっきまでの優しい微笑みはどこ行った!? ちょっとドキッとした私の乙女心を返せバカーーっ!!!
……そんな私の心の叫びは、誰にも届くことはなかった。
◇
ちなみにこの後生徒会室に戻った私は、九条くんに文化祭で挨拶をしてもらう約束を無事に取りつけたことを先生に報告する。
人の苦労も知らず、無邪気に大喜びする先生に若干イラっときたので、事前にこっそり生成した小さな氷を背中に入れてやった。
それに面白いくらい悲鳴上げて騒ぐ先生を見たことで、少しだけ胸がスッとしたことを追記しておく。




