27話 雪女と妖狐と少女の真実
「わたしだよ、まふゆちゃん」
その姿を見た時、追手の罠かと思った。
でも、そのふわふわしたピンク色の髪に愛らしい顔立ちは間違えようもなく、私の知る朱音ちゃんで――。
「ここ、物置として使ってる部屋だから、しばらく追手は来ないと思うよ」
「そ、そっか、それはよかった……じゃなくて! どうして九条のお屋敷に朱音ちゃんが居るの!?」
バクンバクンと心臓が嫌な音を立てる。
だって、朱音ちゃんが着ているその巫女装束は……。
「ごめんね、ずっと黙ってて」
私が叫ぶと、朱音ちゃんは俯いて、所在なげに両手を揺らした。
しかし次の瞬間には目に強い光をたたえてその顔を上げ、それに私の肩はビクリと震える。
「わたしの本名は九条朱音。九条家当主、葛の葉様直属の暗部に所属している、妖狐の半妖だよ」
「え……?」
九条朱音。暗部。妖狐の半妖。
一気にもたらされた情報に、私の頭は混乱する。
「ちょっと待って! じゃあ不知火って名乗ったのは……?」
「不知火は父方の姓。父が人間なの」
「それじゃあ暗部って」
「文字通り諜報とか、あまり表立っては言えない仕事ってことかな」
「なら妖狐の半妖」
「うん、さっきも言った通り父が人間。だからわたしは幼い頃、妖狐一族から爪弾きにされてた」
「え」
爪弾き……?
妖怪と人間の間に子どもは生まれにくく、〝半妖〟と呼ばれる存在は数える程しか存在しない。
だから世間の半妖への認知は薄く、時には口さがない言葉を受けることもあるとは知っていたけれど……。
「同じ一族なのに、いじめられてたってこと?」
「うーん。いじめっていうより、〝怖がられてた〟が正しいかなぁ? でもわたしの力に興味を持った葛の葉様がわたしを暗部として取り立ててくださったら、それもピタリと収まったの。だからわたしは葛の葉様に多大な恩がある」
「…………」
朱音ちゃんが半妖。
私達はどこか似ているって以前から思っていたけど、もしかして同じ半妖ってことも関係していたのだろうか?
「で……でも、じゃあ待って! あの当主の直属の暗部ってことは、朱音ちゃんと私が出会ったのは、九条くんが突然いなくなったのは、全部――」
そこまで考えた時、冷え切っていた両手が温かく柔らかいものに包まれる。見ればいつの間にか私の腕を掴んでいた朱音ちゃんの手は、私の両手を包み込んでいた。
「朱音ちゃん」
「あのね、まふゆちゃん。わたしのしたことは許さなくていい。だけど聞いてほしいの、わたしの話を」
「…………」
真剣な表情で言う朱音ちゃんに私がこくんと頷くと、ふっと表情を緩めて、彼女は「ありがとう」と笑う。
「わたしが葛の葉様に与えられた任務は、神琴様の監視。わたしは幼い頃から、ずっと彼を監視していたの。彼に何かあれば逐一報告するようにとも命じられていた」
「監視に、報告……」
そっか、だからあの当主は学内のことを把握していたんだ。そして恐らく、私が雪女の半妖だと当主に伝えたのは――。
「うん、わたしだよ。まふゆちゃんがあの日神琴様を探して保健室に来た時、わたしもあそこで神琴様を監視していたの」
「えっ……? 嘘っ、あの場に!?」
私と九条くん以外の人の気配なんて、あの時まるでしなかった……!
驚きに目を見開いて朱音ちゃんを凝視すれば、朱音ちゃんはどこか自嘲気味に笑んだ。
「まふゆちゃんが雪女の半妖だって知った時は驚いたけど、まふゆちゃんの妖力によって、並の妖力は効かない神琴様の症状が一時的にとはいえ治ったことはもっと驚いたの。わたしはずっと、あの方が苦しむ姿を最も間近で見てきたから」
「ずっと? そういえば九条くん、症状は5歳の時から始まったって……」
「うん。見ているだけでわたしには何も出来なかったけど、治してあげられたらどんなにいいかって、ずっと思っていたよ」
「朱音ちゃん……」
当時のことを思い出しているのか、悲しみを堪えた様子の朱音ちゃんに、私は胸がぎゅっと苦しくなる。
「まふゆちゃんと出会って、神琴様は変わった。授業に出て、生徒会に参加して、たくさん笑うようになった。わたしはそんなあの方を見るのが嬉しくて、葛の葉様に報告してしまったの。――〝まふゆちゃんの力があれば、神琴様は病を克服出来る〟って」
そこで私の手を包む朱音ちゃんの両手が震え出す。
「その報告の後に、まふゆちゃんの監視と……妨害を葛の葉様に命じられた」
「〝妨害〟?」
「まふゆちゃんは不思議に思わなかった? ここ数ヶ月で起きたトラブルには必ず黒い妖力が付きまとっていたことを」
「それって……」
真っ先に思い出されるのは、文化祭の準備をしていた時、九条くんの親衛隊に校舎裏に呼び出されたあれだ。途中まで普通に話していたのに、黒い妖力をまとった途端に彼女たちが豹変したことは記憶に新しい。
「それこそが葛の葉様が興味を持たれた、わたしだけの力。この黒い妖力には人の感情を操る力がある。わたしは彼女達を使って、まふゆちゃんを襲わせた。……それから文化祭で喫茶店に来ていたお客さんも」
そこで朱音ちゃんが私の両手から手を離し、右手を私に掲げて見せる。
するとその白く細っそりとした柔らかな手から、見覚えのある黒い妖力が噴き出すようにして現れた。
「…………っ!」
まさか九条くんのことのみならず、何から何まで朱音ちゃんを中心にして繋がっていたなんて。
なんて言っていいのか分からず、私はただただ呆然と朱音ちゃんを見つめる。
「……わたしはたくさんの人を傷つけて、何よりもまふゆちゃんを傷つけてしまった。本当にごめんなさい。もうこんなことしかわたしには出来ないけど、どうかこれを受け取って」
「え……」
そう言って朱音ちゃんにそっと渡されたのは、何かの小さな鍵。私はまじまじとその鍵を見つめる。
「これは……?」
「屋敷にある地下室の鍵。神琴様は今そこに閉じ込められているの」
「!?」
ハッと思わず朱音ちゃんの顔を見れば、彼女はいつものようにふんわりと微笑んだ。
「そ、そんなの私に渡したのがあの当主にバレたら、朱音ちゃんはどうなるの!?」
「大丈夫、わたしのことは心配しないで。これでも暗部だから、逃げ切るのは得意なの。それよりも制服姿じゃ目立つから、まふゆちゃんはわたしの巫女服を着て、地下室に行って。わたしがまふゆちゃんのフリをして追手を撒くから」
「――――っ」
受け取った鍵をぎゅうっと握りしめて、私は唇を噛みしめる。どうして、どうして――。
「――っとに、朱音ちゃんのバカァッ!!!」
「…………え?」
いきなり怒鳴った私に朱音ちゃんがポカンとする。そんなこと言われると思ってもみなかったって顔だ。それがとても悔しい。
「朱音ちゃんは全部自分が悪いって抱え込んでるけど、それは当主の命令に従っただけでしょ! 当主に恩があるっていうなら裏切れないのも当然だし、そんなの朱音ちゃんが謝る必要無い!!」
「それは違うよ。恩があったって、わたしは拒否することは出来たの。にも関わらず手を下すと決めたのはわたしだし、それでまふゆちゃんのこともいっぱい傷つけて……」
「傷ついたよ、当然じゃん! 朱音ちゃんが辛い思いしてたのに、側にいたのに、〝友達なのに〟全然気づけなかった自分にムカついて悔しくて、どうしようもなく鈍感な自分が情けなくて、心がズタズタに傷ついているよっ!!」
「あ……」
ポロリ。
大きく目を見開いた朱音ちゃんのチョコレート色の瞳から一粒の涙がこぼれ、それからポロポロと次から次へと溢れ出す。
「まふゆちゃん、わたし……」
「うん」
頷いて先を促せば、ポロポロと涙と共に朱音ちゃんの言葉もこぼれ落ちる。
「嬉しかったの。生まれて初めて自分の描いた絵を褒めてもらえて。一緒に色んなことおしゃべりして。何よりまふゆちゃんと友達になれて。初めて、〝楽しい〟ってこういうことなんだって思ったの」
「うん」
震える朱音ちゃんの両手を、今度は私が包み込む。
「そう思ったら、もっと楽しいことが知りたいってどんどん欲張りになった。でもこんな、まふゆちゃんをずっと裏切っていたなんて知られたら、絶対に嫌われる、友達じゃいられなくなるって怖くて、本当は早く言いたかったのに、こんなことになってしまうまで、いつまでも言えなかった……!!」
ボロボロと泣き濡れた朱音ちゃんの瞳を真っ直ぐに見つめて、私は静かに話す。
「私がそれを知って、理由も聞かずに朱音ちゃんを嫌うようなヤツだと思った?」
「…………」
ヒクッとしゃくり上げながら、朱音ちゃんが顔を隠すように俯いたので、私はその両頬にそっと手を当てて、こちらへと視線を合わせさせる。
「大丈夫だよ。朱音ちゃんが誰だって、何をしていたって、関係ない。だって私は知ってるもん。朱音ちゃんは頑張り屋さんで、ふわふわ可愛くて、いつだって私のことを心配してくれていたのを」
――そう、朱音ちゃんは〝裏切っていた〟なんて口では言っていても、今だって自分の立場が危うくなるにも関わらず、私を助けに来てくれた。
さっき客間に現れた黒い妖力の正体だって、間違いなく――……。
「変わんないよ。私は朱音ちゃんが大好きで、ずっとずっと友達なんだから!!」
「……っ、まふゆちゃんっ!!」
言い切って笑って見せれば、勢いよくぎゅうっと朱音ちゃんに抱きしめられる。いやこの場合、朱音ちゃんに抱きつかれていると言った方が正しいのかな?
ポンポンと大丈夫だよという思いを込めて頭を撫でれば、より一層朱音ちゃんはしがみついてくる。
「……まふゆちゃん」
「うん?」
「わたしも、わたしもまふゆちゃんが、大好きだよ……!!」
「うんっ!!」
そっと震える朱音ちゃんの背に手を回す。それから涙が収まるまでの少しの間、私達はぎゅっと抱きしめ合っていた。
◇
――パタパタパタ
極力足音を出さないようにしながら、渡り廊下を走る。赤い袴の裾が両足にまとわりついて走り難いが、せっかく朱音ちゃんが貸してくれたのだ。なんとか地下室に辿り着かねば。
「いたぞっ!!」
「!!」
渡り廊下の反対方向にある庭園から、追手達の声が聞こえたので振り返る。すると制服を着て、私そっくりに変化した朱音ちゃんが走り去るのが見えた。
さすが妖狐一族。まさか本当に何かに化ける妖術を、この目で見る日が来ようとは。
〝朱音ちゃんが私に化けて追手を撒く〟
初めは戸惑ったのだが、しかし客間に残り妖狐達に応戦している先生達のことを考えれば、迷っている暇は無かった。
「待てっ!!」
追手は見事に朱音ちゃんを私と勘違いしているようで、こちらには誰も向かって来ない。
私と朱音ちゃん。共に半妖同士で、一見すると人間の気配しか感じられないのが功を制したようである。
「……それにしても」
走りながらポツリと呟いて、手の中の鍵を力一杯握りしめる。ぶっちゃけ私の怒りメーターはもうマックスどころか振り切れていた。
九条くんのことといい、朱音ちゃんのことといい、どういうつもりなんだあの当主は!! 人を苦しめるのが趣味なのかと、小一時間問い詰めてやりたいっ!!
「いつかあの当主には落とし前をつけてもらわないと……!」
そう決意して、まずは最優先の九条くん奪還を目指す。
『地下室は渡り廊下を突き当たった先の中庭。そこの一番大きい松の木の後ろの地面に、地下室への入り口があるの』
そう教えてくれた朱音ちゃんの言葉を思い出しながら、私は地下室を目指す。すると見えてきた中庭に、一際目立つ大きな松が生えているのが確認出来た。すぐに松に駆け寄って地面を調べる。
「うーん、松の後ろ……。あ、この辺りかな?」
松の後ろに回って地面の砂や苔を除けると、現れたのは石で作られた蓋。その蓋を開けてみれば、人ひとりが通れる大きさの階段が下へと続いていた。
「こ、ここが地下室への隠し通路……」
ジトジトと仄暗い雰囲気に、思わずゴクッと喉が鳴る。しかし今は怖がっている場合ではない。
「~~~~よしっ!!」
パンっ!! と思い切り自分の両頬を叩き、気合いを入れ直した私は、そろそろと階段に足を乗せた。




