26話 雪女と生徒会と狐の女王
「妾は妖狐一族当主、九条葛の葉。以後見知りおきを願おう」
幼い声で紡がれるその言葉に、私達を取り囲んだ狐面に巫女装束の女性達が、御簾に向かって一斉に平伏する。その異様な光景に言い知れぬ不気味さを感じて、私の背筋がゾクリと震えた。
〝妖狐一族のご当主〟つまり九条くんのお母さんが、まさかこんな幼い声の主だったなんて……。
もちろん姿は御簾で隠れている以上、本当に当主が子どもなのかは判断出来ないし、巷には姿を変える妖術が存在するとも聞く。ならば当主が子どもの姿だとしても、それほど驚くことではないのかも知れない。
でもなんというか、可愛い声と威圧的な言動のギャップが凄いのだ。つい、見えもしない御簾の向こうを凝視してしまう。そしてそれはみんなも同じだったのか、誰も言葉を発しようとしなかった。
「なんじゃ? この妾が名乗ってやったのに、挨拶も無しか? 近頃の者は礼儀知らずよのぉ」
しかしご当主のその嘲るような言葉によって、一瞬にして私達は我に返らされる。
そ、そうだった!! 驚きに固まっていたとはいえ、ご当主が直々に自己紹介してくれたのに、失礼にも私達はまだ名乗っていなかった!! ヤバイ、いきなり気分を損ねてしまったかも!?
「ご当主様。申し遅れてしまったこと、どうかお許しください。私はご嫡男様のクラスの担任をしております、木綿疾風と申します。今日はご嫡男様が体調不良とのこと。ひいては退学も検討していると伺いまして、それほど悪いのかと居ても立ってもいられず、こうして参上した次第であります」
「ほお?」
そこで真っ先に木綿先生がご当主に向かって頭を下げた。すごい、さすが大人! 頑張れ先生!!
「ぞろぞろと童共を引き連れて、教師というのは余ほど暇なのだな。神琴の体調はそなたらには関係の無いこと。分かったらさっさと往ね」
御簾の向こうでしっしっと手を振られたのが、影で分かった。
はあ!? やっとご当主に会えたと思ったら、九条くんにも会わずにこれで帰れって!? 彼の退学までかかってるのにそんなもん、「はいそうですか」と帰れる訳がないじゃない!!
しかもなんだその嫌味な言い方! 木綿先生に失礼じゃないか! 私達のことも童って! 姿は見えないが、そっちの方がよっぽど童じゃないか!!
反論しようと口を開きかけたが、それは木綿先生に遮られてしまう。
「待ってください。私は……いえ、僕は九条くんが自分の意思で退学をするつもりだとは、到底思っておりません」
木綿先生が、御簾の向こう側の存在を真っ直ぐに見つめて話す。
「彼が日ノ本高校へ入学を決めたことは、失礼ですが九条家と学園の関係上、並大抵の決意ではなかった筈です。であれば退学など彼自身が考える筈がない。だからこそ知りたいのです、貴女は九条くんをどうなさるおつもりなのですか?」
「先生……」
今までで、これほど木綿先生が頼もしく見えたことがあっただろうか?
〝生徒を守るのが教師の務め〟なんて茶化して言ってたけど、今の言葉から木綿先生の本気が伝わって、不覚にもじーんとしてしまう。
しかしそんな私の感動とは裏腹に、ご当主は不快そうに鼻を鳴らした。
「黙って聞いておれば、ペラペラとよく回る口じゃのぉ。あやつの決意など、妾には関係の無いことじゃ。そもそもたかが教師がどの立場で物を申しておる? 妾は神琴の親ぞ? 親が子をどうしようが、妾の自由であろう」
はあ!? 今なんつった、この当主! 聞き捨てならないことを言ったぞ! たかが教師って、親だから子をどうしようが自由って……! とんだモンぺで毒親じゃないかっ!!
九条くんがなんでこんな立派なお屋敷に住んでいたのに寮を選んだのか、理由が分かった気がした。
しかも木綿先生の質問にはぐらかして答えないところを見ると、この当主が九条くんに対して何をしでかすか、分かったもんじゃない!
だったらもう、私だって黙っていられない!!
「すみません、ご当主様! 私は九条くんのクラスメイトで、同じ生徒会の雪守まふゆと申します! 九条くんのことでひとつ言いたいことがあるので、聞いてください!!」
「ゆ、雪守さん!?」
いきなり喧嘩腰で当主に話しかけたので、木綿先生が慌てたように私を呼ぶ。雨美くんと夜鳥くんもギョッとして「おいっ」と腕を掴まれるが、私はここで止まる気はなかった。
「ほほっ、〝雪守〟? そうかあの女と瓜二つの顔。そなたが……」
「…………?」
あの女??
何故か楽しげな笑い声を出す当主に、私は訝しんで御簾の先を見つめる。
「よい、申してみよ。そなたから見て、神琴がどのように映っているのか興味がある」
「え……?」
意外にも聞く姿勢を取ってくれることに、内心戸惑う。もっと強烈な返しを想定して応戦する気でいたのだが、なんだか勢いが削がれてしまう。
とはいえせっかく許可はもらったのだ。おずおずと私は話し出した。
「その……、私が九条くんと話すようになってからまだ日は浅いですが、それでも彼を見ていれば学校生活をとても楽しんでいることは分かります」
忘れもしない、文化祭のステージ。
あの時九条くんは私を真っ直ぐに見つめて言ったのだ。
『だからこそ、雪守さんにちゃんと言いたいんだ。あの時俺を探してくれて、俺の世界を変えてくれてありがとう』
九条くんは授業に出られること、行事に参加出来ること、本当に心から喜んでいた。
だから――。
「そんな彼が退学なんて望む訳が無いです! 親だって言うなら、彼が悲しむようなことしないでください! 九条くんが何を望んでいるのか、ちゃんと知ってあげてください!!」
「ふむ」
勢いのまま言い切れば、当主が何やら思案するような声を出す。
「なるほど、なるほど。確かに最近の神琴は何者かの力添えか、何かと目立っておったようじゃな。しかしそれはあやつには不必要なもの。あやつは誰の目にも触れず、影のように生きなければならない。――そこにそなたの出番は無い」
「……っ!?」
瞬間、御簾で顔が見えない当主にまるで睨みつけられたような感覚に陥り、体が固まる。
何者かの力添え……。私の出番……。
ヒヤリと私の背中を冷や汗がつたう。
この口振り、当主は知っている。私が九条くんの秘密を知ってしまったことを。
そして何より、私自身の秘密も――。
「だがしかし、そなたの話を聞いて、妾も退学まではあんまりかと思い直したぞ」
「え」
バクバクと心臓が早鐘のように鳴り響き騒がしい耳に、当主の朗らかな声が届く。
「本当ですか?」
一転した当主の言動に戸惑いつつも、態度が軟化したことに私は素直に喜びの声を上げる。
しかし次に発せられた当主の言葉に、私達はまた言葉を失った。
「生徒会とやらから神琴を外せ。くだらない活動に興じている暇などあやつには無い。そうすれば神琴の退学は無しにしてやる」
それでいいだろう? と言わんばかりの言い方だったが、そんなの全っ然よくないに決まっているじゃないか!!
「くだらない活動なんかじゃないです!!」
確かに最初は成績順で集められただけで、生徒会に対する真剣な想いなんてなかった。
でも日々を過ごし、積み重ねていくことで、私の想いはすっかり形を変えた。
「私にとって生徒会は大切な場所で、そこには九条くんだって必要なんです! 外せと言われて外すことなんて出来ない、だって私達は……!」
「「――仲間」」
「!!」
左右から同時に聞こえた声にハッとそれぞれを見る。すると雨美くんと夜鳥くんが笑った。
「ご当主様、無礼を承知で申し上げますが、ボクも雪守ちゃんの言葉に全面的に同意です。ボク達は誇りを持って生徒会活動をしています。それを貴女に愚弄される言われはない。生徒会長も含めて」
「ああ、なんだかんだ言って今更九条様のいない生徒会なんて考えられねぇよ。ご当主様が何と言おうが、オレ達が生徒会なのは変わらねぇし、九条様が生徒会長なのも変わんねぇんだよ」
「みなさん、その通りです!! ご当主様、ここは生徒達に免じて退いてはくれませんか?」
「雨美くん、夜鳥くん、木綿先生……」
みんなの力強い言葉に胸が熱くなる。
うん、そうだよ。今更九条くん抜きの生徒会なんて考えられない。九条くんは私が彼の世界を変えたと言ったけど、きっと九条くん自身も、私達の世界を変えたんだ。
ただのメンバーじゃなくて仲間。みんながいるから、立ち向かえる。頑張れる。
「ほほっ」
そんな強い想いを胸に御簾の先を見つめれば、そこでまた当主の笑い声が室内に響いた。
「ほほっ、ほほほほほ! 何を言い出すかと思えば青臭い。しかもこの妾に退けじゃと? ああ、おかしい。……どうやら誰と話しておるのか、分からせる必要があるようじゃのぉ」
「!?」
そう当主が言った瞬間、ずっと私達を取り囲んだまま平伏していた狐面に巫女装束の女性達が、全身に赤い火の妖力をまとった。
すると頭からは狐耳、体からは尻尾がじわじわと生え、人型ではなく獣へと姿を変化する。
「こ、これって、妖狐本来の姿に戻ったってこと!?」
突然の事態に私があわあわと叫ぶと、本性を露わにした女性もとい妖狐達は、ジリジリと私達への包囲を狭めてきた。
「言うこと聞かねぇなら力づくってか!? まさか最初からそのつもりで、コイツら置いてたのかよ!?」
「分からないけど、ご当主が交戦的な人物であるのは確かみたいだし、あながち皇帝陛下の件も嘘じゃないのかもね。どうやらかなりの手練れ揃いみたいだ。さすが妖狐一族、隙が無い」
「言っている場合じゃ無いですよぉぉ!! 大、大大大ピンチじゃないですかぁ~!!!」
涙目で絶叫する木綿先生の声を聞きながら、私はどうやってこの状況を打開するか焦る頭で思案する。
しかし完全に包囲されている上に、地の利も数も向こうが圧倒的に有利な状況。どうすれば切り抜けられるのか皆目検討もつかない。
「……っ!」
まさに絶体絶命――そう思った時だった。
「うぅっ!?」
「ぐくっ……!」
「!?」
突然私達を取り囲んでいた妖狐達の一部が苦しみ出したかと思うと、あのいつか見た黒い妖力が突如発生し、彼女達を包み込んだ。
「ウウ……」
「アア……!!」
「くっ、この妖力まさか……!?」
「よせっ、しっかりしろ!!」
そうして黒い妖力をまとった彼女達は呻き声を上げて、何故か同じ仲間である筈の妖狐達へと攻撃を仕掛けたのだ。
「へ……?」
「何が起こっているんでしょう……?」
何故またあの黒い妖力が現れたのか?
そして何故妖狐達が同士討ちを始めたのか?
理由は分からないが、これは私達にとっては絶好の好機だ。
「おしっ! なんだか知らねぇが今がチャンスだ!! いくぞっ、水輝!! もめん!!」
叫びながら夜鳥くんが両手に妖力を込める。すると手からはバチバチと稲光りが現れ、けたたましい音を上げて稲妻が妖狐達を蹴散らした。
「はぁっ!!」
雨美くんが両手を合わせ、妖力を込める。すると轟音と共に、間欠泉のように床から巨大な水柱が噴き出した。
「うぉぉお!! 僕だって負けませんよーっ!!」
叫んで一反木綿姿になった木綿先生が、妖狐達を薄っぺらい体を使ってぐるぐる巻きに拘束する。
すごい! 派手な技は無くても、めちゃくちゃ効果的なやつだ!
「ここはボク達に任せて、雪守ちゃんは行って! 戦闘は妖怪の本分だからね!」
「雪守は九条様を探せ! 屋敷のどっかにいるのは間違いねぇんだ!」
「頼みました、雪守さん!」
みんなに促され、私も頷いて叫ぶ。
「分かった! みんな絶対に無事でいてね! そして九条くんも含めて早く帰ろう! 学校に!!」
そのまま客間を出て駆け出せば、後ろから激しい爆発音が響き、不安で押し潰されそうになる。
しかしみんながくれたチャンスだ。無駄にする訳にはいかない! 早く、早く九条くんを見つけないと……!!
「……ふん、あやつめ。裏切ったか」
客間を出る瞬間、鈴を転がすような声で紡がれたその言葉が、爆発音に混じって妙にハッキリと聞こえた。
◇
「いたぞっ!! 捕まえろ!!」
「ひぇっ!?」
バタバタと、獣姿となった狐面達が追って来る。
どうやら客間にいた狐面以外にもまだいたらしく、私はひたすら妖狐達に捕まらないよう逃げ惑っていた。
「もぉーっ! しつこいっ!!」
寝殿造のだだっ広い屋敷は、まるで迷路のようで。走って走って、とにかく走って。
しかし目の前の渡り廊下の角を曲がろうとしたところで、突然何かにものすごい力で引っ張られた。
「〜〜〜〜!?」
何!? やめてよ! 私はここで捕まる訳にはいかないんだから!!
全力で抵抗するが、しかし相手の方が力は上らしく、結局私は勢いよくどこかの部屋へと押し込められてしまう。
これはまずいと焦って、なんとか腕を掴む手を振り解いて逃げようとするが、そんな私の耳によく聞き慣れた声が届いた。
「わたしだよ、まふゆちゃん」
「――――え」
ふわふわとした優しい声。その声に誘われるまま、私は振り返ってその声の主に視線を合わせれる。
すると視界に入ったのは、見慣れたふわふわのピンクの髪にチョコレート色の瞳。
私が大好きな女の子。
「朱音ちゃん……」
狐面達と同じ巫女装束をまとった朱音ちゃんが、私の腕を掴んで静かに微笑んでいた。




