25話 雪女と生徒会と狐のお城
一反木綿姿の木綿先生に乗った私達は、あっという間に九条家前へと到着した。もちろん速さの代償は小さくはなかったが……。
「はー、はー……。死んだ、100回は死んだ」
「ぎぼぢわるい。吐きそ……」
「雪守ちゃん、吐くならそこに丁度いい布があるよ」
「僕の体に向かって吐かないでくださいぃぃっ!!」
えずいた私を見てすぐさま人型に戻り、涙目で叫ぶ木綿先生はほっといて、私達は目の前にそびえる建物を見上げた。
「こ、ここが、九条くんの家……」
いや、自分で言っといてなんだけど、家はまだ全く見えてない。見えているのは遥か遠くまで伸びている塀と、関所ですか? と言いたくなる立派な門だけだ。
私の中の家という概念を根本からぶち壊すとは、貴族……それも三大名門貴族、半端ねぇ……。
雲の上、雲の上とは常々思っていたけど、こんなすごい場所で育った人と私は今までフツーにしゃべっていたのか。だからなんだとは思うが、少々カルチャーショックを受けてしまった。
「おらっ、ビビってねぇで早く入るぞ!」
「あたっ!」
バシッ! と背中を思いきり夜鳥くんに叩かれ、思わず恨めしげに睨む。
しかし明確な九条くんとの身分の差を突きつけられて、少々気持ちがささくれていた私を慰めようとしてくれたのは分かるので、文句は我慢しといてやろうと飲み込んだ。
◇
「どちら様ですか? 主様は本日予定がありますので、どうぞお引き取りを」
曼珠沙華の家紋が掲げられた関所っぽい門の中に入ると、居たのは一人の女性。巫女装束に狐面をしており、どこか異様な雰囲気がある。
〝主様〟って、つまり九条家のご当主のことだろうか? いきなり門前払いとは、一筋縄ではいかないと覚悟していたが、初っ端から出鼻を挫かれてしまった。
「いえ。ご当主様ではなく、ご嫡男様のお見舞いに参りました。申し遅れましたが、僕たちは日ノ本高校の教師と生徒です」
そこですかさず木綿先生が狐面の女性に名刺を渡す。木綿先生! 普段はボケボケだが、こういうところはさすが大人っ! 頑張れーっ!!
「……確認します」
そうして少しの会話の後、狐面の女性は名刺を握りしめてどこかへと行ってしまった。おおっ!?
「先生すごい! もしかして中に入れてくれるかも!?」
「うーん、どうでしょうね? 確認というのも、一体なんの確認なのやら……」
「お待たせしました」
「!!」
ヒソヒソと話していると、すぐに狐面の女性が戻って来たので、私は慌てて姿勢を正す。
「主様が中へ案内せよと仰せです。まみえる際は失礼などありませぬよう」
「え……」
――ええぇっ!!?
抑揚のない声で淡々と言われたが、〝主様とまみえる〟それってつまり、九条家のご当主と会うってことじゃ……っ!?
なんで急に? ていうかじゃあさっき、〝本日は予定がある〟とか言っていたのは、嘘だったんかい!?
想定はしていたものの、さながら序盤でラスボスにぶち当たった勇者の気分だ。
なにせ私は日ノ本帝国の一番南にある島で生まれ育った超庶民。そんな田舎者が名門貴族のご当主様に会うのである。緊張して当然と言えよう。
「雨美くん、夜鳥くん。私、貴族の作法ってよく分からないし、もしご当主様に何か失礼なことしそうになったら言ってね!」
やはりここは餅は餅屋に。頼もしいことに、私には雨美くんと夜鳥くんという生粋の貴族が同行しているのだ。彼らならばきっと、余裕な澄まし顔をしているに違いな……。
「お、おう! しゃーねーな雪守は! オレらが貴族の作法ってヤツを見せてやるよ! なっ、水輝!!」
「も、もちろん! ご当主様への対応は、ボク達に任せて、雪守ちゃんは話を聞いているだけでいいからね!!」
「う、うん……」
頼もしい言葉と裏腹に、私は見てしまった。ガチガチという効果音が聞こえてきそうな程に緊張した二人の顔を。ええっ!? 大丈夫か、貴族コンビ!? 一抹の不安が脳裏をよぎる。
「あ、そうだ! 木綿先生もさっきみたいな頼もしい対応、期待していますからねっ!」
よぎった不安を解消するように、私は先ほど大人らしい対応を見せた木綿先生を振り返り、そう言った。……が、
「…………」
「え……、先生? せんせーい??」
顔の前で手を振っても無反応。あ、ダメだ、白目剥いてる。さっきは頼もしいと思ったのに、一転してコレだ。
「はぁ……」
こんな調子で大丈夫なんだろうか?
すごい不安になってきた……。
◇
「どうぞお進みください」
狐面の女性に案内されて関所っぽい門を通り抜ければ、遥か遠くに寝殿造のお屋敷が見えた。一瞬自分の遠近感が狂ったのかと思ったが、やっぱりめちゃくちゃ遠くに屋敷があるのは間違いない。
えっ!? 敷地広過ぎない!? 門から屋敷の距離がこんなに遠いとか、生活に不便じゃないの!? しかも脇に見えてる庭園の池の方が、私の実家より広そうなんですけど!!?
ひたすら屋敷に向かって歩きながら、私は物珍しさから見るもの全てに反応していた。しかし一本道を延々と歩かされていれば、いい加減それも飽きてくる。そうしてすっかりゲンナリした頃、ようやく屋敷に辿り着いたのだった。
「履き物はこちらへ。くれぐれも私から離れませぬよう。はぐれれば何が起きても保証しかねます」
なにそれ怖い。淡々と言うのがまた恐怖を誘う。さすがによそ様の家で失踪事件なんて洒落にならないので、私達は大人しく狐面の女性に従い、彼女の後をついて行く。
「こちらでお待ちください」
それからたいした時間も掛からず、広めの客間と思しき部屋へと通される。関所と屋敷の間もこれくらい短くしてほしいものだ。
静かに襖を閉めた狐面の女性が去っていくのを見送って、人数分置かれている分厚い座布団にそれぞれ座る。
「…………?」
女性が去り室内をキョロキョロ見渡していると、部屋の奥が壁ではなく、御簾で区切られていることに気づいた。
何か意味があるのだろうか? なんとなく興味を惹かれて、私はどうにか御簾の先が見えないものかと目を凝らす。
「茶をお持ちしました」
「っ……!?」
するとその時、いきなり音も無く襖が開いて、心臓が飛び出しそうになった。どうやらさっきの狐面の女性が、お茶を持って来てくれたようだ。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
バクバクとまだ心臓が激しい音を立てる私の目の前に、高級そうな茶器に入れられた緑茶と、美しい花を模した上生菓子が並べられる。
そうして全員に配り終えると、また狐面の女性は出て行ってしまった。
「…………ごくり」
あ、いかん。喉が鳴った。瞬間、左右から呆れたような視線を感じる。
だってだって! こんな高級そうなものを口にする機会なんて庶民にはそうそうないし、是非食べてみたいじゃないか!!
そろりと左側を伺うと、目が合った雨美くんに咎めるような視線を向けられてしまう。うう、分かってるよ。何が入っているか、分かったもんじゃないって言いたいんでしょ! 仕方ない、勿体無いがここは諦めよう……。
ついでに右側もチラッと見ると、夜鳥くんと目が合ってしまった。なんだその、いかにもバカを見たみたいな表情は? 夜鳥くんの癖に生意気だぞ! そう言ってやりたいが、バカにされる原因は私にあるので、今日のところは見逃すことにしよう。
ちなみに既にお気づきだと思うが、屋敷の中に入ってから私達は全く会話をしていない。これはもちろん意図的である。
なにせこの屋敷の雰囲気は異様だ。これだけ広い建物内に、さっきの狐面の女性以外の気配が全くしないのである。こんな物音ひとつしないところでいつもの調子でしゃべれば、恐らく屋敷中に会話が筒抜けになってしまう。
九条家のご当主に関わる話の真偽は不明ではあるが、万が一ということもあるので、迂闊な言動は慎んでいた。
「ふぅ……」
それにしても、ずっと正座するの辛いなぁ。ご当主様とやらは、いつになったら現れるんだろう? 早く九条くんに会って連れて帰りたい……。
そう考えて、私が溜息をついた時だった。
――ボーンボーン、ボンボンボン。
「!!?」
突然鼓を叩く音が聞こえたかと思うと、ボッと部屋に火の玉が出現する。
それはひとつではなく、ふたつ、みっつ、次から次へと出現し、あっという間に私達をぐるりと囲んだのだ。
「おいっ!?」
「これは……、狐火!?」
「ヘタに動かないでください! 様子が変です!」
慌てる私達をよそに、その火の玉はジワジワと形を変え始め、それはやがて狐面を被った巫女装束の女性達へと姿を変えていく。
「……っ」
その光景に私は言葉を発することも出来ず、身を固くすれば、現れた女性達が高らかに声を上げた。
「主様のおなーりー」
「おなーりー」
女性達の口々に発する言葉に合わせて、鼓の音も激しくなり、そして――。
「我がせがれに用があると申すのは、そなたたちか?」
――御簾の向こう側。
聞こえたのは鈴を転がすように美しい、幼い少女のような声。しかし、その老生した言葉遣いにはまるで幼さを感じず、むしろ威圧感すら感じる。
「〝せがれ〟って……」
まさか九条くんのこと?
突然現れた狐面の女性達に囲まれ、事態が飲み込めずに呆然と呟けば、幼い少女と思しき声の主は小さく笑い声を出す。
「そうじゃな、少々唐突過ぎたか。まずは挨拶をしておこう。妾は九条神琴の〝母〟で、妖狐一族当主、九条葛の葉。以後見知りおきを願おう」
そう言って、御簾の奥から微かに見える小さな影が揺らめいた。




