22話 雪女と妖狐と勝負と賭け(2)
※途中、夜鳥視点があります。
「いらっしゃい、入って」
「お、お邪魔します」
ノックをすればすぐに扉が開いて、いつもの制服姿ではないラフな格好の九条くんが顔を出した。
そのまま促され、思えば男の子の部屋になんて入るの初めてだとドギマギしながら中に入る。
部屋は当たり前だが、私の部屋と間取りが同じ。
しかしその中でひときわ目を引くものがあった。それは――。
「すごい……! 部屋中、本だらけ」
そう。本、本、本。壁という壁に本棚が設置され、それでも入りきらないのか、床にも何冊も積まれている。かろうじてベッドと机はあるが、それ以外は本しかない。
「これ全部読んだの!?」
「そうだね。何せベッドで過ごす時間が昔から人より多かったから、暇つぶしといえば専ら読書だったんだ」
戯けたように九条くんは笑うが、ベッドで過ごさざるを得ない理由を知る者としては笑えない。
でもそっか。授業にほとんど出ていなかった九条くんがずっと1位だった理由が、なんとなく分かった。
何しろ棚に並ぶ本は、題名だけでも私にはちんぷんかんぷんなものばかりなのだ。悔しいが、理解出来ない内は九条くんに勝つことは難しいのかも知れない。
「あっ!」
しかし一冊だけ、見覚えのある背表紙を本棚から見つけ、思わず手に取る。
「これ私も持ってる! 生徒会長が主役の学園小説!」
確か主役の生徒会長が荒んだ学園を次々と改革していく痛快なストーリーが受けて、7年ほど前に子供たちの間で爆発的なブームになったのだったか。
この本も角が擦り減っており、何度も読み返しているのが見てとれた。
「なんか意外かも。九条くんって、こういう系は読まないイメージだったし」
「そうかな? あ、そういえばこの本の主人公が、まふゆによく似てるなって思ってたんだ」
「え!?」
九条くんにとって私って、そんなヒーローみたいなイメージ??
突然の言葉に目をパチクリさせれば、それを見た九条くんが笑う。
「さぁ、立ち話はここまでにしよう。狭くて悪いけど、とりあえず座って」
「う、うん……」
今の言葉の真意を測りかね戸惑いつつも、本を棚に戻す。そして指で示された備え付けのイスに腰掛けて、持参した参考書を広げた。
するとお茶を机に二人分置いた九条くんが、そのまま参考書を覗き込んで来る。互いの髪が触れ合いそうな距離に、私の心臓が激しく騒いだ。
「ちょっ! ちょちょちょっ、タンマ!!」
「? まだ一言も発してないけど」
「そうだけど、そうじゃなくて!」
距離が近すぎやしませんか!? と叫びたい。しかしそこで部屋を圧迫する本の山が視界に入り、悟った。
そ、そうか! 本で座るスペースが無いから、物理的に至近距離になってしまうんだっ!!
これはなんという試練!! 全然集中出来ん!!
しかも私が突然の試練に耐えている間にも、九条くんの解説は始まってしまう。
「ここにXを代入して――」
サラサラとノートに計算式を書く腕が、私の腕に触れる。
「……っ」
――近い。
こんなに近いと、九条くんの高い体温まで伝わって来てしまう。それはまるで、この間の抱きしめられた時の感覚に似ていて――って、いやいや何思い出してんだ私!? せっかく九条くんが教えてくれてるんだから、いい加減集中しろ!!
いやでも、こうも至近距離だと、九条くんだって集中出来ないんじゃ……?
少々ドキドキしつつ、チラッと横目で九条くんを伺えば、いつもの涼しげな表情が見える。
「――――」
瞬間、すんっと頭が冷えた。
「まふゆ? どうしたの? 解らなかった?」
私の表情に何を思ったのか、九条くんが慰めるように頭を軽く撫でて来る。それによって冷えた筈の頭にまた血が上るのを感じて、私は叫んだ。
「解った!!!」
――こうして自分だけが意識している悔しさや羞恥に悶えながらも、私はなんとか九条くんに勉強を教わった。
その教え方がまたすごく上手だったので、木綿先生より教師に向いてるのでは? と思ったのは、ここだけの秘密だ。
◇
翌朝、緊急の全校集会が開かれた。
理由はもちろん、例の賭け事である。
「――賭け事というのは、校内の風紀を害する悪しきものなのです。そもそも我が校は由緒ある――」
学校長が文化祭ではブーイングで満足に話せなかった憂さを晴らすように、ペラペラペラペラとステージで話し続ける。なんと1時間も、だ。
私達生徒会も学校長の後に出番があるので、ステージ上で待機しているが、朝っぱらから1時間も突っ立ったままは身体的にも精神的にも辛過ぎる。
横に立つ九条くんの表情は相変わらず涼しげでいつも通りだが、雨美くんと夜鳥くんは苛立ちを隠そうともしていない。かくいう私も、ぶっちゃけしんどい。
「ふぁ……」
いかん、あくびが出た。実は昨日、私は一睡もしなかったのだ。九条くんに勉強を教えてもらった後、自室に戻ってからも勉強していたら、いつの間にか朝になっていたのである。
そんな訳で今の私は眠いやら気分が悪いやらで、最悪の状態だった。
「――賭け事というのは、校内の風紀を害する悪しきものなのです。そもそも我が校は由緒ある――」
いや、その話さっきも聞いたし! 話すことに夢中で、自分が今何しゃべってんのかも分かってないんかいっ!!
「――――っ」
あ……?
脳内で学校長に勢いよくツッコんだ途端、視界がぐるりと回った。
うう、なんか本気でヤバくなってきたかも。
目の前が、暗く、な……る……。
「――っまふゆ!!」
狭まっていく視界。微かに聞こえるのは、九条くんの声と周囲のざわつく声。それから誰かに抱えられる感覚がして、ふわふわと体が揺れた。
◇
ザワザワと周囲がうるさく騒ぐ。そりゃあそうだろう。くそ長かった学校長の話は、意外な形で終了したんだから。
「雪守ちゃん最近はかなり無理してたけど、まさか倒れるなんて。ボクの発言がキッカケなだけに、悪いことしちゃったなぁ」
「そうだ反省しろ。水輝はいつもロクなこと言わねーんだよ」
「そういう雷護こそ、雪守ちゃんを焚きつけてたじゃん。ロクなこと言わないのはお互い様でしょ」
「ぐっ……!」
澄ました顔で話す水輝の言い草に、勝手にオレまで共犯にすんなと思ったが、確かに雪守に「万年2位女」と罵ったのは事実なので、押し黙る。
そんなオレを一瞥した後、二人が去って行った方向を見つめて、水輝がやれやれと深い溜息をついた。
「しっかし、おっかなかったよねー九条様。あんなに怒っているの、ボク初めて見た」
「ああ……」
言われてオレも、雪守が倒れた直後のことを思い出す。
オレ達の誰よりも早く動き、雪守を抱え上げた九条様は、全校生徒を睨みつけて、こう言い放ったのだ。
『金輪際、俺と彼女を賭けの材料にする者がいれば、容赦はしないからそのつもりで』
低い、地を這うような恐ろしい声に、その場にいた者は全員震え上がった。もちろんこの一言で、九条様達を賭け事に利用した連中は尻尾を巻いて逃げ出しただろう。
そして当の九条様は、今ほど見せた恐ろしさなど露も見せず、腕に抱えた雪守を愛おしげに抱え直し、保健室に行くと言い残して去って行ってしまったのだ。
「あーあ、どうすんのさコレ。みんな九条様の一喝でハイになってて、収集がつかないよ」
「残ったオレらで後処理しろって、九条様も人使い荒いよな」
オレ達は溜息をつき、生徒会長の命令に従うため、ステージを降りる。
ホント雪守はとんでもねぇ人を引っかけたもんだ。
◇
「――――ん?」
パチリと目が開き、視界に飛び込んできたのは、なんとなく見覚えのある天井。はて? どこだっけ??
「気がついた?」
聞き慣れた声に首を横に動かせば、イスに座って本を読んでいたらしい九条くんがこちらを覗き込んでくる。
九条くんの後ろに見える真っ白なカーテンと薬剤の棚で、ここが保健室であることに気づいた。
どうやら私はベッドに寝かされていたらしい。
「……?」
なんだか妙にスッキリする頭で、何故こんな状況になっているのか思い出そうとする。
「覚えてる? 君、全校集会で倒れたんだよ。今日は妙に顔色が悪いと思っていたら……、もしかして昨日の夜に部屋へ戻った後、また無茶な勉強の仕方していたんじゃないの?」
「…………」
鋭い指摘に私は思わず押し黙る。今ので全部思い出した。どうやら昨日、一睡もせずに勉強していたのが予想以上に体に負担を掛けていたようだ。
九条くんから無言の圧力を感じ、その金の瞳から逃れるように視線を彷徨わせれば、窓から見える景色が赤く染まっていることに気づいた。
あれ? 全校集会は朝だった筈。まさか異様に頭がスッキリしている理由は……。
「~~~~っ!!?」
驚愕の事実に、一気に血の気が引いて叫んだ。
「ご、ごごごごめんっ!!! もしかしなくても私、倒れた上に爆睡していたんだね!!?」
「ビックリしたよ。倒れたと思って慌てて抱き上げたら、ぐっすり寝てるんだもん」
「うわわわわ! それはなんとご迷惑を……」
九条くんの座るイスの側には何冊かの本が積まれている。どうやらだいぶ長いこと、私の側に付き添ってくれていたみたいだ。また守られてしまったことにジクリとした痛みを感じるが、それよりも嬉しさが勝ってしまう。
「えへへ……」
「どうしたの?」
「なんだかいつもと立場が逆転してるから、おかしくなっちゃって」
いつもは九条くんがベッドで寝てて、私がイスに座っているのに。
不思議な上に新鮮で、思わず笑ってしまう。
「そうだね」
すると九条くんも穏やかに笑って同意してくれるから、今ならちょっとだけわがままを言っても許してくれるかな? なんて、思い切って告げてみた。
「手」
「うん?」
「手を私がいつもするみたいに、おでこに当ててよ」
「別にいいけど、俺は君みたいに癒すことは出来ないし。むしろ俺の高い体温は、まふゆには不快なんじゃ……」
「いいから」
困ったように言いながらも、私のわがままを聞いて九条くんはおでこに手を当ててくれる。
「――――」
私には熱過ぎるくらいの九条くんの体温が、おでこから体全体へと伝わって、ポカポカと広がっていく感覚がする。それにふっと張り詰めていたものが緩み、心が落ち着いていくのを感じた。
「……不快じゃないよ」
「え?」
緩く首を横に振って、私は九条くんを見た。
「私……九条くんの高い体温、嫌いじゃないから」
「雪女なのに?」
「そう、雪女なのに」
私の返しに九条くんがクスッと笑った。それに私も笑う。
自分でも不思議だけど、最初は熱くて怖くて堪らなかった九条くんの高い体温と妖力が、今では側にないと逆に落ち着かなくなってしまった。
〝離れたくない。もっとこうしていたい〟
そんな風に思ってしまう。
「……ああ、そういえば」
私のおでこを撫でていた九条くんが、不意に思い出したように口を開いた。
「賭け事の件は今朝の全校集会が効いたのか、ぱったり話を聞かなくなったよ。これで君が無茶な真似をする必要は無くなったね」
「え」
そうなんだ。学校長があれだけ長時間熱弁をしていたので、その熱意がみんなに伝わってなによりである。
「それはよかったけど、でも別に賭けはあくまでもキッカケであって、私が九条くんに勝ちたいのは変わらないし」
「じゃあまたこんな無茶をする?」
「…………うう」
そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。唇を尖らせて唸れば、おでこに当てられていた九条くんの手のひらが私の頭に移動して、ポンポンと撫でられる。
私だって、迷惑をかけたり心配されるのは本意ではないけれど……。
「勝負ならいつだって受けて立つから、だからもう無茶はしないで」
「だったらそれ、ちゃんと約束してよ」
「約束?」
キョトンとする九条くんの前に小指を差し出せば、九条くんが苦笑した。
「ほら早く。約束!」
「……分かったよ」
急かすと観念したのか、九条くんが私の小指に小指を絡めてくる。
「約束する」
ゆびきりをして、そこでようやく私は納得出来た。
「うんっ! 絶対約束だからね!!」
◇
でもそう約束した次の日、九条くんはいなくなってしまったのだ。寮からも。学校からも。
そして、私の前からも――。




