21話 雪女と妖狐と勝負と賭け(1)
「さぁー! 今日も張り切って生徒会のお仕事頑張りましょーっ!!」
今日の議題を記した書類を配って拳を振り上げれば、書類を見ていた全員の視線が一斉に私に向いた。
「なんだよ雪守? ちょっと前まではぁはぁ辛気臭ぇ溜息ばっかついてた癖に、今日はイヤに元気じゃねーか?」
「そこは〝心配してたけど、元気になってよかった〟でいいんじゃない? 相変わらず雷護は素直じゃないね」
「は!? そーゆー水輝こそ、〝何か元気づけられないかな……?〟とか、女みてーにオロオロしてた癖に!」
「あ゛? 今なんつった?」
「まぁまぁ二人とも、ケンカはダメですよ! なんと言っても、今日は久しぶりに我らが生徒会長が出席してくれたのですから!」
木綿先生の言葉に、今度は全員の視線がその〝生徒会長〟に向けられる。
「はは、なんだかこの雰囲気、随分懐かしく感じるよ。まだ俺が生徒会に参加して1ヵ月しか経っていないのに、不思議だよね」
そう言って、九条くんは照れ臭そうに笑った。
◇
――あの雨の日から数日が経ち、「どこにもいなくならない」と九条くんが言ってくれた通り、今日は久しぶりに生徒会メンバー全員での活動と相成った。
ジトジトと毎日煩わしかった雨も、梅雨明け宣言と共にサッパリ降らなくなり、あの日以降九条くんが早退することも無くなった。
するとそれに比例するように、私の抱えていた鬱屈とした気持ちもすっかりどこかへと消え去っていて。しばらく振りに絶好調な私は、いつになくやる気に満ち満ちているのである。
「他意見ありますか? なければ次の議題に移りますが――」
「はい」
さぁお仕事お仕事と、私が議題を読み上げようとした時、隅に座る木綿先生が手を上げた。
「じゃあ先生、どうぞ」
「議題とは逸れるんですが、みなさん。生徒会のお仕事も大事ですが、来週からは学期末テストなので、そちらも頑張ってくださいね」
まぁ君達のことですから、心配はしていませんがねと木綿先生が笑う。
なんだ木綿先生、まるで教師みたいなこと言って……。あ、教師だった。
「なんだよ木綿、まるで教師みたいなこと言うな」
「いやいや! 僕、教師ですからね!?」
私が脳内で考えていたことまんまを、夜鳥くんが木綿先生にツッコむ。
まさか夜鳥くんと思考が被るとは……。なんだか謎の敗北感を感じる。
「ふーん、学期末テストねぇ……。そういえば最近、面白い話を聞くことが多いね」
「?? 面白い話?」
すると雨美くんがおもむろにそんなことを言いながら、意味ありげにこちらを見てきて、私は首を傾げた。
こういう時の雨美くんの話はロクでもないことが多いので普段は適当に流すのだが、いかんせん今日の私はやる気に満ち満ちている。
つい、なんでも聞いてやんよ! とばかりに問い返してしまった。
これが失敗の始まりだったのだが……。
「生徒会長と副会長。〝本当に頭が良いのはどっちか〟って、学期末テストの順位で賭けが行われているんだって!」
「へぇー……、へっ!?」
か、賭けだと!? 学生の分際で言語道断だ。必ずや摘発しなければ!! ……いや、じゃなくて!
「……生徒会長と副会長って、九条くんと私?」
「もちろん」
「……私達のどっちが頭良いかって?」
「そう」
「…………」
それは私の傷に塩を塗りつける、新手の辱めだろうか? 認めるのは業腹だが、やはりそれは――。
「んなもん、賭けるまでもなく九条様じゃん」
夜鳥くんがつまらなそうに、背もたれに体重を掛けながら言い放つ。
〝んなもん、賭けるまでもなく九条様じゃん〟
それは普段なら同意して笑い飛ばしていたであろう、夜鳥くんのいつもの軽口だった。
しかしその言葉が脳に伝わった瞬間、私はイスから勢いよく立ち上がって、夜鳥くんに向かって叫んでいた。
「そんなのやってみなきゃ分かんないし、勝手に決めつけないでよ! 今回は私だって自信あるんだから!!」
「何言ってんだよ!? 万年2位女の癖に!!」
「なんだとーーっ!!」
「待った! 二人とも落ち着くんだ!」
ヒールアップする私達に、九条くんが待ったをかける。しかし私は止まらない。
またもや夜鳥くんと思考が被った絶望感と、ハッキリ事実を突きつけられる羞恥。そして比べられている相手に宥められているという屈辱に、久しぶりの絶好調で力が有り余っていた私は、勢いのまま宣言する。
「絶対、ぜぇ~ったいっ、学期末テストでは1位になってやるんだからっ!! 九条くんは首を洗って待ってなさいよーっ!!!」
指を突きつけ絶叫する私にポカンとする九条くん。ブスッとしている夜鳥くん。楽し気に笑う雨美くんに、オロオロとする木綿先生。カオスな状況に、もはや生徒会どころでなくなってしまう。
そうして程なくして、九条くん復活の記念すべき本日の生徒会は早々にお開きになったのだった……。
◇
「勝つ、勝つ、勝つ、勝つ……」
「あの、まふゆちゃん? まふゆちゃーん?」
「はっ!?」
顔の前で手を振られて私は我に返る。
目の前には心配そうに眉を下げた朱音ちゃんが立っていた。いかん、朱音ちゃんに声を掛けられているのに気がつかないなんて一生の不覚。
「ご、ごめん! ぼーっとしてた!」
素直に謝れば、朱音ちゃんが首を横に振った。
「ううん。それよりも勉強するのはいいことだと思うけど、さすがに根を詰めすぎだよ。こんなこと続けてたら、まふゆちゃん倒れちゃう」
そう言って朱音ちゃんは、机にうず高く積んだ参考書の壁を指差す。私の前を通る人が、みな一様に机の上を見てギョッとした顔をする。
そういえば集中し過ぎて忘れていたが、私は今図書室で勉強しているのだった。
「心配してくれてありがとう。でも、こんなことぐらいで音を上げてちゃ、九条くんに勝てないし!」
「う。確かにそれぐらいしなきゃ、あの九条さんに勝つのは難しいのかも知れないけど、でも……」
朱音ちゃんの視線がウロウロとあちこちをさ迷う。
……うん、やっぱり朱音ちゃんも私が九条くんに勝つのは難しいと思っているんだね。
「よしっ、ありがとう朱音ちゃん! 気合い入ったよ! 私頑張る!!」
「もう……、まふゆちゃんたら……」
打倒九条を胸に更に勉強に没頭し始める私。それに朱音ちゃんが溜息をつくのが耳の片隅に聞こえた。
◇
「――ふゆ」
「んー……」
なんだこの数式……どう解くんだ? ……こうか? いや、……こうか??
「まふゆ!!」
「んんっ!?」
いきなり至近距離で名前を呼ばれて驚きに飛び上がれば、目の前には呆れたようにこちらを見ている九条くんが立っていた。
「は、え……?」
なんで九条くんが?? あれぇっ!? さっきまで朱音ちゃんがいたと思ったのに!?
慌てて周囲を見渡せば、いつの間にかたくさんいた人はいなくなっており、居るのは私と九条くんだけ。しかも窓の外はどっぷりと暗くなっていた。
「え……、今何時?」
「もう夜の7時過ぎだよ。夕方にまふゆの様子を見に来てみれば、不知火さんが君の側で困っていたからね。彼女は先に帰して、俺が後を引き継いで君の勉強が終わるのを待っていたんだ」
しかし待てど暮らせど終わらない私に痺れを切らせて、声を掛けたと。
「それは……」
朱音ちゃん共々申し訳ないことをしてしまった。でも別に、私のことなんて放って帰ればよかったのに。そう口から出掛かったが、すんでで飲み込んだ。
……だってきっと逆の立場なら、私だって九条くんを待っていたと思うから。
「ごめん。待っててくれて、ありがとう」
「いいよ。それよりここももう閉めるみたいだし、早く帰ろう」
「うん」
促され、机を片づけて図書室を出る。
そうして並んで歩けば、なんとなく気まずさを感じた。
なにせ九条くんに啖呵を切ったあの日以来、私は九条くんとまともに話さず、勉強の鬼と化していたのだ。
つい最近まで九条くんと会えなくて寂しいと思っていたのに。いざ近くにいてくれるとなるとこの調子とは、我ながらゲンキンなヤツ過ぎる。
これでは九条くんに呆れられて当然じゃないか。
「…………」
なりゆきとはいえケンカを売るような真似をしたことを後悔し、そっと隣を伺う。――と、
「何に唸ってたの?」
「へぇっ!!?」
いきなり予想だにしないことを聞かれ、肩がビクついた。
「参考書広げて、んーんー言ってたでしょ? もしかして何か悩んでるのかと思って」
「あ、ああうん。ちょっと解んない問題があって……」
素直に答えてハッとする。
これから勝負しようという相手に、何故自ら弱点を晒すような真似をしたのかと。
まずいっ! 今のは忘れるように言わないと……!
しかし急いで口を開こうとする私より先に、九条くんが話し出した。
「だったら俺が教えるから、夕飯食べたら俺の部屋に来なよ」
「え……」
「じゃあ後でね」
「え!?」
そのままスタスタと二階に上がっていく九条くんを呆然と見送って、ハッと気づく。
「あれっ!?」
「あら、まふゆちゃんおかえり。今日も神琴くんと一緒だったんだね」
「!!?」
キョロキョロと辺りを見回せば、いつの間にか寮の玄関に立っていて、寮母さんに声を掛けられる。
なんてこと!? 話に夢中で、いつの間にか寮に帰って来たのに気がつかなかった!!
ていうかあの話の流れじゃ私、九条くんの部屋に行くの決定じゃん!! いや、嫌じゃなくてむしろ気になるけど!! でも今は敵だし!!
「~~~~っ!」
それからひたすら堂々巡りをした後、とりあえず部屋着に着替えて寮母さんの夕飯を食べに行く。
そして気がついたら、勉強道具を持って九条くんの部屋をノックしていた。
「…………」
いや、だって、うん。
好奇心に負けた。