2話 雪女と妖狐のはじまり(2)
私は雪守まふゆ。
人間のお父さんと雪女のお母さんの間に生まれた、いわゆる雪女の半妖。だけどそれ以外はどこにでもいる普通の女子高生である。
どれくらい普通かと言えば、お母さんは妖怪だが、別に貴族ではないド庶民だし。お父さんは会ったことが無いので詳しくは知らないが、お母さんの話だとこれまたごく普通の冒険家なのだという。
……冒険家という職業が普通かどうかは、今は置いといてもらいたい。
『まふゆ、いいこと? あんたが雪女の半妖だってことも、妖力を使えるってことも、ぜ~ったいに誰にも言っちゃダメよ』
小さい頃から言い聞かされてきた、お母さんの呪文のような言葉。
昔は幼過ぎてその言葉の理由なんて思いつきもしなかったけど、世間一般的に妖怪と人間が結婚するのはレアケースだ。
やはり共存はしていても、人間と妖怪は種族の違う者同士。たいていは妖怪は妖怪と、人間は人間と結婚する。
更に妖怪と人間の間に子どもは生まれにくいので、〝半妖〟と呼ばれる存在は数える程しか存在しない。まだまだ世間の半妖への認知は薄く、時には口さがない言葉を受けることもあるという。
だからきっとお母さんは私が不当な扱いを受けることを危惧して、雪女の半妖なのだと軽はずみに言わないよう念押ししたんだと、今はそう理解している。
半妖は妖怪と違って妖力が人間の気配に隠れてしまうので、一見するとただの人間にしか見えない。自分から正体を明かしたり、妖力を露わにしているところを見られでもしない限り、妖怪の血が混じっているとは気づかれないのである。なので私が半妖だとバレたことは、16年の人生の中で今のところ一度も無かった。
……とはいえ雪女の半妖である以上、その性質は人間のふりをしていても雪女と変わらない。
分かりやすく言うと、氷の妖力を持つ私は火の妖力が苦手なのである。
『あ』
『君が隣の席の子? 俺は九条神琴、よろしく』
『……っ!』
だから九条くんを初めて間近で見た時は、とんでもない衝撃が走ったものだった。
◇
――九条神琴。
貴族妖怪の頂点である、妖狐一族九条家の次期当主。知識はあったけど、文字通り庶民には雲の上の人で。
そんな人と隣の席になって挨拶を交わす。文字にすれば、たったそれだけ。
なのに彼の金の瞳が私に向けられただけで、恐ろしいまでの妖力に圧倒され、勝手に震え出す体を止められなかった。
妖怪に会ったことは何度もある。お母さんはもちろん、故郷にもこの高校にも妖怪は大勢いる。
だけど九条くんは彼らとは格が違ったのだ。
彼の強過ぎる妖力は、何もしていなくても身体中から溢れ出す程で。それはさながら彼自身が強大な炎といっても過言ではなかった。
隣に座っているだけで感じる、私のちっぽけな氷の妖力がジリジリと溶かされていくような恐ろしい感覚。絶対にこれ以上近づきたくないと思ったことは、今でも鮮明に覚えている。
「はぁ……」
そこまで考えて、自然と溜め息が出た。
なにせ今からその絶対に近づきたくなかった、炎そのものの男と対峙するのだ。憂鬱なのは仕方がない。
私は辿り着いてしまった保健室の扉の前で、ひたすらウロウロしていた。
「それにしても、生徒会メンバーは毎年2年生進級時の成績上位者4名が強制選出って、やっぱり絶対おかしいよね……」
誰だ? こんな欠陥制度考えたヤツ。今まではそれで上手く回っていたのかも知れないが、今年の学年トップはなんと言ってもサボり魔の九条くんなのだ。
しかも順位に応じて役職も決まっているので、自動的に学年トップが生徒会長である。最悪だ。
女子達は九条くんが生徒会長だと無邪気に喜んでいたが、現状彼は生徒会長らしいことを何ひとつ果たしていない。ていうか生徒会室に顔すら出したことも無い! そして案の定というか、そのしわ寄せは全て私のところにやって来た!!
……お察しの通り、学年2位の私が副会長なのだが、本来ならば生徒会長がやるべき仕事が全部私のところに来たのである。もちろん副会長の仕事も私。
なのに先生は日々の業務は私にやらせておいて、文化祭での挨拶という晴れの舞台は、九条くんがやるよう説得しろと言う。
いいところは横取りかよ!! と、声を大にして叫びたい。貴族と庶民といえども、九条くんを怒りに任せて殴ってしまっても許されるのではないかと感じる。
……まあ殴った後の報復(主に燃やされたくない)が怖いので殴らないが。
「でもこの際だから、文句のひとつくらいは言う! ……絶対言う!」
少々ビビりながらもそう心に決め、私は保健室の扉を意を決して開いたのだった。
「失礼しまーす! 九条くんいますー?」
ガラガラとわざと大きな音を立てて扉を開いたが、返事はなく保健室は静寂に包まれる。保健医もいないようで、一見すると無人である。
「…………」
だが悲しいかな、雪女の本能がジリジリと天敵の気配を感じる。この焼けつくような妖力。間違いなく左奥のきっちりと閉じられたカーテンの向こう側に、九条神琴がいる。
「えーと……、ちょっとカーテン失礼しまーす!」
返事はないが、とりあえず一言断って恐る恐るカーテンを開く。
鬼が出るか蛇が出るか。まさにそんな気持ちだった私だが、カーテンの中を見た瞬間、無意識に「うっ!」と、胸に何かが詰まったような声が出た。
「う、うわぁぁ……」
結論から言えば、九条くんは寝ていた。
しかしその寝顔が凶器過ぎた。恐しく整った美貌はそのままに、時に恐怖すら感じる力強い金の瞳が閉じられていることで、普段にはない無防備さが全面に現れているのだ。
――こりゃあ、あながち武勇伝のひとつ、保健医鼻血事件は作り話ではないのかも知れない。
そんなことが一瞬頭に浮かんだが、私の目的は寝顔ではない。いかんいかんと頭を振って、気合いを入れ直す。そうしてもう一度彼の顔をじっと見て、はたと気づいた。
「……はぁ、はぁ……はぁ……、……」
「……?」
「はぁ……はぁ……」
随分と呼吸が荒い。顔色も青を通り越して、紙のように白かった。更に額には玉のような汗もたくさん浮かんでいて……。
「……もしかして、具合が悪い?」
九条くんが保健室で過ごすのは単にサボりだと思っていたが、まさか今までもサボりでなく、本当に具合が悪かった? それとも今日はたまたまなのだろうか?
「うーん……」
疑問は尽きなかったが、しかしこのままでは文化祭の挨拶を頼むどころではない。……出直す?
「いやでも……」
「……はぁ、……はぁ……」
明らかに具合の悪そうな相手を前に、このまま立ち去るというのも目覚めが悪いではないか。
――だからそう、これはあくまで人助け。
そう自分に言い訳して、九条くんの額にそっと手を伸ばした。
「~~っ!!?」
しかし額に手を置いた瞬間、ジュッと蒸発するような音がして、私は慌てて手を引っ込めた。
「こ、これ……」
熱い。普通の発熱ならあり得ないくらい、九条くんの体が燃えるように熱い。火の妖力を宿す妖狐だから、元々体温も普通より高いのかも知れないが、それにしたっておかし過ぎる。
彼の苦しそうな顔を見るに、これは九条くんにとっても良くない状態なのは間違いなかった。
「はぁ、はぁ……!」
「!?」
更に九条くんの息が荒くなる。吐き出された息が火でも吹かれたように熱い。
私はとっさに、彼の体を冷やそうと手のひらに氷の妖力を込めて、もう一度彼の額に手を伸ばした。
『まふゆ、いいこと? あんたが雪女の半妖だってことも、妖力を使えるってことも、ぜ~ったいに誰にも言っちゃダメよ』
瞬間、その言葉が脳裏を過らなかった訳じゃない。
でも何故かこの時の私は、先生を呼ぶでもなく、病院に連れて行くでもなく、〝私が助けなきゃ!!〟と思ったのである。
そしてこの判断が全てのはじまりだった。
私は舐めていたのだ、この九条神琴という男を。
――半妖は妖怪と違って妖力が人間の気配に隠れてしまうので、一見すると人間にしか見えない。自分から正体を明かしたり、妖力を露わにしているところを見られでもしない限り、妖怪の血が混じっているとは気づかれない――。
眠っていて意識がなく、しかも高熱にうなされていて、私のことなど考える余裕も無いだろう。そう私は判断した。
――甘かったが。
「――――っ!?」
次の瞬間には私の視界は反転し、ベッドに仰向けになる。
その拍子に、髪をまとめている雪の結晶を模した銀細工のバレッタが後頭部を押して、痛みに顔を顰めた。……が、
「今のって妖力だよね? もしかして雪守さんって……妖怪?」
落ちてきた声に目を開けば、目の前には私に馬乗りになる絶世の美貌。
「あ……」
強大な火の妖力を全身から迸らせながら、九条くんの金の瞳が私を捉え、本能的な恐怖にビクリと肩が跳ね上がった。
あれ? もしかして私、詰んだ……?




