19話 雪女と妖狐と梅雨の日(1)
「なんだかんだと目白押しだった文化祭も終わって、もう一週間かぁ……」
ザワザワと帰り支度をするクラスメイトを見ながら、私は席に座ってぼんやりと物思いにふける。
近頃は帝都が梅雨入りしたこともあり、一日中雨が降っている日が多い。雪女的には雨はちょっと鬱陶しい程度だが、この後に続く高温多湿な帝都の夏については、今から既に憂鬱である。
なにせ去年初めて体験して、あまりの蒸し暑さに水風呂ならぬ氷風呂を自室に作ってなんとか凌いだ程なのだ。南国育ちで暑さには強い雪女だと自負していたが、ティダのカラッとした暑さと帝都のジメジメした暑さは、同じ暑さでも種類が違っていた。
なので今年の夏休みは、早々にティダに帰ることにしようと心に決めている。
「……あれ?」
久しぶりのティダへの帰郷に思いを馳せていると、隣の席から何やら慌ただしく立ち上がる音が響く。見ればちょうど九条くんが教室から出て行こうとするところであった。
「九条くん、今日も生徒会あるよ?」
私の問いかけに九条くんが申し訳なさそうな顔をして振り返った。
「ごめん。今日は用事があるから生徒会には寄れそうに無いんだ」
「そうなんだ。分かった、みんなには言っとく」
「ごめんね。じゃあまた明日ね、まふゆ」
「うん。じゃあね、九条くん」
放課後の教室で交わし合う、ごくごく普通の会話。なのに九条くんを見送る私の心臓は毎回破裂しそうに騒がしい。
別に何かの病気ではない。こうなる原因は分かっている。
「…………」
そして、クラス中から今まさに私に降り注がれている視線の理由も、もちろん分かっている。
常とは違う状況に混乱していたとはいえ、この間の己の迂闊な発言を呪いたい。
「はぁ……」
溜息をついて、突き刺さる周囲の視線から逃れるように窓の外を見つめれば、しとしとと憂鬱な私の気持ちを表すかのように、雨が降り続いていた。
◇
「さぁ、洗いざらい吐け」
「何が?」
生徒会室にて。
用事で来られない九条くん以外の生徒会メンバーと顧問が集まるこの部屋で、何故か私は入るなり、夜鳥くんと机を挟んで向き合う形で座らされた。
そして学食で買ってきたであろうソーダを渡されながら、いきなり「吐け」と迫られたのである。
「何? 新手のいじめ??」
「とぼけるなっ!!」
首を傾げれば、勢いよく机を叩かれ、怒鳴られる。
尋問ごっこ、ノリノリですね。夜鳥サン。
「状況証拠は上がってんだ! 水輝っ、言ってやれ!!」
呼ばれて夜鳥くんの後ろに座っていた雨美くんが、何やら小さい紙を持って立ち上がる。
あんたも結託してんのかい。
「ボクは状況証拠としてこれを提示するよ」
「……?」
そう言って雨美くんが机の上に置いたのは、一枚の写真。
どうやらクラスで私と九条くんが話しているところを写したもののようだ。思わず隠し撮りかよとゲンナリする。写っている窓の外が雨であることから、最近撮ったものと推測できた。
ん? というかまさかこれ……。
「これはついさっき、クラスでの二人を撮った写真だよ。ここで九条氏は、『じゃあまた明日ね、まふゆ』と発言している。そう、文化祭までは確かに〝雪守さん〟だった筈なのに、急に〝まふゆ〟呼び。これは二人の間で何か特別な――」
「わあああ!! わあああああっ!! 黙秘っ! 黙秘を致しますっ!!!」
ガターンッ!! と思いっきりイスを引き倒し、私が絶叫して立ち上がれば、「被告人、静粛に」と夜鳥くんが冷静に言い放つ。
くそう、いつから尋問から裁判になったんだ!?
「ふんっ、まだ吐かねぇか。次! もめんっ、言ってやれ!!」
夜鳥くんに顎をしゃくられ、部屋の隅に立っていた木綿先生が前に出てくる。
おい、顧問。何一緒に遊んでんだよ。
「証言します。僕は舞踏会で見たんです。みんなの前で踊る二人が何事かを囁き合っているのを。こう見えて僕は読唇術が得意なので解読した結果、〝私、九条くんに守られっ放しだなって反省してたの。このままじゃ九条くんに悪いし、何よりされっ放しは私の性に合わない。何か私が出来そうな……〟」
「うわああああ!! 止めろぉ! 止めてくれぇええっ!!!」
なんでそんな詳細に覚えているんだよ!? そもそも読唇術が得意って、なんで!!?
耐えがたい恥ずかしさに、私はのたうち回る。
「吐かねぇ限り、この拷問は無限に続くぜぇ……?」
そんな私を一瞥して、夜鳥くんが悪い顔をする。もはや悪代官ですね。
というか尋問も裁判もすっ飛ばして、私は拷問を受けてたんかいっ!?
そんな心のツッコミは誰にも届くことはなく、結局抵抗も虚しく、私は観念することとなったのだ……。
◇
「……ふーん。やっぱ舞踏会かぁ」
「もうこれぐらいで勘弁してください。憤死します」
「あーよしよし、泣かないでよ雪守ちゃん。ごめんね、雷護ってガサツだから」
「なんでそこでオレだけのせいになるんだよ!?」
えぐえぐと泣きながらソーダを飲む私を、雨美くんがよしよし撫でてくれる。この優しさをさっきまでに発揮してほしかった。
「あーあ、けどこれは九条様に負けた気分だなぁ」
「?」
雨美くんの不思議な言葉に、ソーダを飲むのを忘れて思わず見上げると、青い瞳とかち合って雨美くんが困ったように苦笑した。
「名前呼び。ボクらの方が先に雪守ちゃんと親しくなったのに、後から来た九条様が一足飛びに達成したって聞いて、さすがだなぁと思う半面、悔しくてね」
「? 別に名前ならいつでも呼んでくれたらいいのに」
「そういうんじゃねぇんだよ」
純粋に不思議でそう口にしたら、夜鳥くんが不貞腐れたような表情をして、額を小突いてきた。
「もぉー、何?」
額をさすりながらみんなを見ると、木綿先生まで苦笑している。
え? もしかして意味分かってないの、私だけ??
「けどまー、前ほどは悔しくはないんだけどな。なんかここ最近あの人と絡むことが増えたからか、印象が変わったっつーか、あんまオレらと変わんねぇんだなって思ったし」
「そうだね。ほとんど社交界にも姿を現さない人だから、それこそ色んな噂があったし」
「噂って何?」
「雪守ちゃんは知らなくていいこと」
「むー!」
話の流れからして九条くんの噂だというのは分かるけど、詳しく教えてくれる気は無いらしい。
以前言われた夜鳥くんの言葉、舞踏会で聞いた木綿先生の言葉、そして九条くん自身の言葉。全てを線で繋げば、答えが見えてきそうな気がするが……。
しかしピースが足りていないせいか、まだ何も見えてこない。
ちょっと前までは、よその家庭の事情に首は突っ込まないって思っていた筈なのに。今は知らないことが、こんなにももどかしいなんて……。
いつの間に私は、九条くんのことをもっと知りたいと思うようになっていたのだろうか?
◇
明くる日も、相も変わらず雨が降り注ぐ。
今日は生徒会が無い日なので、普段なら街へショッピングに出るところなのだが、こうもずっと雨が降っていると、なんだか出掛ける気にはならない。ならば2週間後の学期末テストに備えて、早めに寮に帰って勉強しようかな。なんて考えながら、ふと隣の席を見る。
するとまだ3限が終わったところなのに、九条くんが机の上を片づけて帰り支度をしていたのだ。
「えっ? 早退するの?」
「うん。用事があってね。……体調は問題ないから、そんな顔しないで」
「……」
動揺した私を慰めるように、九条くんが笑う。しかし一度宿った不安は消えてくれない。
文化祭の頃から九条くんに使う妖力の頻度が増えた。理由は思い当たると九条くんは言っていたが、じゃあなんで何も言ってくれないの?
ここ最近毎日続く、〝用事〟って何?
聞きたいことも知りたいこともたくさんあるのに、拒絶されるのが怖くて。何より、九条くんを困らせるようなことはしたくなくて。
溢れ出そうになる言葉を、私は必死で飲み込んだ。
「ごめんね。じゃあね、まふゆ」
「……うん。じゃあね、九条くん」
そうして今日も私は何も出来ず、ただ彼の背中を見送る。
「はーい、国語の時間ですよー。教科書開いてー」
それからすぐに木綿先生が教室に入ってきて、4限目が始まった。
私の隣の席が、ポッカリと空いたまま。
◇
「――ねぇあれ、もしかして九条家の車じゃない?」
「ホントだ。曼珠沙華の家紋だ」
授業中。ヒソヒソと囁かれる声に反応し、つられて私も窓を見る。
すると確かに校舎の前に曼珠沙華の家紋を掲げた黒塗りの車が一台停まっていて、そこに現れた人影に思わず「あ」と小さく声が漏れた。
しとしとと降り続ける雨の中、先ほど早退した九条くんが傘も差さずに車に向かって歩いているのが見えたのである。そして九条くんはそのまま車の後部座席へと乗り込み、程なくして車が動き出す。
「…………」
その様子を息を詰めたまま見つめて、また浮かび上がる疑問に頭の中がぐるぐると渦巻く。
九条くんは一体どこに行ったんだろう?
九条家の車ということは、家に帰ったということだろうか? それもこの場合、家と言っても寮のことではなく、帝都の真ん中にあるという九条家のお屋敷の方を指す。
九条くんは〝家庭の事情〟で寮生活をしていると言っていた。なのにその家に帰るというのは、一体何を意味するのだろう……?
すっかり黒塗りの車が見えなくなっても、私はそこから視線を外すことが出来なかった――。




