18話 雪女と妖狐と舞踏会の夜(3)
「神琴さまに水輝くんに雷護くんよーっ!! まさか舞踏会に参加させるなんて、来てよかった……!」
「タキシード姿、なんて美しいの……! 他の男子が石ころに見えるわ……!!」
タキシードを完璧に着こなすキラキラしい三人組の登場に、女子達が沸き立つ。しかし私はといえば、口元がヒクヒクと引きつるのを感じた。
そんな私の横で木綿先生が、「あはは、やっぱり賑やかになりますね」とのん気に笑う。
なんか今日は三人セットが多くない!? もしかして仲良しになったのかな!?
だがそう脳内でツッコんだ途端、九条くん達の方へと女子達がどっと押し寄せて、三人は散り散りになってしまった。
「ん? あれ?」
こういう場合、みんな真っ先に九条くんへと群がるものなのかと思っていたが、意外にも女子達が取り囲んだのは、雨美くんと夜鳥くんの方だった。
九条くんに対してはみんな遠巻きにして、熱い視線を送っているようである。やはり貴族の中でも頂点である、妖狐一族の次期ご当主様には何かと遠慮があるのだろうか? 馴れ馴れしく彼に近づいていく女子はいない。
……ていうか、え? 寧ろ九条くんが私に一直線に近づいて来るんですがっ!? 何故!?
「雪守さん、頑張ってください」
「あ……」
木綿先生がポンポンと私の肩を叩いて去って行く。
さっきの意味深な発言について聞きたかったのに、結局聞けず仕舞いだ。
「ずっと踊らないで料理を食べてたの?」
先生と入れ替わりに私の前に立った九条くんが、料理でてんこ盛りになった私の皿を見て、目を丸くして言う。
「踊るより美味い飯が食いたい」
「正直だな」
私の返しに九条くんがクスッと楽しそうに笑った。
そうしてそのまま自分こそ踊ることなく、「どの料理を気に入ったの?」だの、「これはこう食べると美味しいよ」だの言いながら、私と一緒に料理を食べている。
なんで? お腹空いてたの??
確かに女子達は、私達には決して近づいて来ない。しかしそれでもこちらに向けられる視線は、そりゃあもう鋭いものだ。もし視線が刃ならば、私はとっくに死んでいるだろう。
またもや女子達との溝が深まったことを心の中で嘆く。
本来ならばその元凶である九条くんに、ステージでの件も含めて小一時間文句を言いたいのだが、さすがにこんな場でそれをするのは気が咎める。
じゃあさっきの木綿先生の意味深な発言について、いっそ本人に聞いてみる?
……いや、やめとこう。もし午前の保健室での時みたいに拒絶されたらと思うと、なんか怖いし。
「…………」
しかしそうは言っても、横にいる存在を無視することも出来ないので、とりあえず気になっていたことを聞いてみることにする。
「ねぇ、なんで九条くん達はタキシードなの? 実はドレスアップしてもらえるカードを持っていたとか?」
「カード……は知らないけど、俺達が文化祭の後片づけで生徒会室にいたら、演劇部の部長さんが訪ねて来てね。舞踏会には雪守さんもいるから、みんなで参加しないかと誘われたんだ」
「え……」
その言葉に部長さんの言っていたことを思い出す。
『うふふ。アタシはまだこれからドレスアップしなきゃいけない人達が控えているから、それが終わったら行くわ』
そう確かに別れ際、部長さんは〝自身の手でドレスアップする人達がまだ控えている〟と言っていた。
その人達とはすなわち――。
「――――っ!?」
そこまで思い至って、勢いよく周囲を見渡す。するとすぐに目的の人物は見つかった。
赤い艶やかな着物を着た、ひときわ目立つ大柄な女性。私が凝視すれば、向こうも私に気がついたようで、去り際と同じようにバチンとウインクされる。それに私は思わず倒れそうになった。
いつから謀られていたのか? というかまさか朱音ちゃんも共犯……?
いや、朱音ちゃんは天使。考えないようにしよう……。
「さーあ、みなさん! 場も温まってきたところで、本日のお楽しみ! 文化祭で一番輝いていた男女の発表といきましょーっ!!」
すると頭痛がしてきた頭に、なんとも騒がしい声が響く。そういえばそんな催しもあったっけ。
気がつけば吹奏楽部の美しい演奏も終了しており、先ほどまで上品にしっとりと踊っていた生徒達も司会の声に煽られて、ワッといつもの盛り上がりを見せた。
こういうところはやはり学生のノリである。
「選ばれた男女には、中央に出て来て一曲踊ってもらうのでそのつもりで! ではでは発表しまーす!! まず、男子!」
ジャカジャカジャカジャカとご丁寧に吹奏楽部がドラムを叩いて場を煽る。
ジャジャーンッ!!
「生徒会長、九条神琴さーんっ!!」
発表されたのは、予想通り過ぎる名前だった。
まあそりゃそうだよね。あのサボり魔だった九条くんが、今日はステージで大勢の観客を沸かせたのだ。今年のMVPの座は譲ってやろうじゃないか。
「次は女子の発表です!!」
ジャカジャカとまたドラムが叩かれる。
女子かぁ。女子は私的には朱音ちゃん一択なんだけど、そうなると朱音ちゃんが九条くんと踊ることになってしまうのか。個人的には複雑だ。
ここだけの話、朱音ちゃんは九条くんのことが好きなんじゃないのかと私は睨んでいる。
もちろん本人に確かめたことは無い。けれど朱音ちゃんが真っ赤な顔して首振り人形になるのは九条くんの前だけだし、わりと的を得ていると思う。
もしそうならば私は友達として、朱音ちゃんの恋を応援したい。その気持ちに嘘はない。
「…………?」
なのに何故か心にシコリのようなものを感じて、モヤっとする。
それはきっと、大好きな朱音ちゃんを九条くんに取られたくないから。
でも、本当にそれだけ……?
モヤモヤの答えを手繰り寄せたその時、ジャジャーンッ!! とドラムの音が響き、司会が叫んだ。
「女子は副会長、雪守まふゆさんっ!!」
「…………は?」
瞬間、出そうになった答えが全部ふっ飛んでしまい、私は思わず気の抜けた声を出した。
「さぁお二人とも、中央へどうぞ!!」
いや、どうぞって何? なんで私が選ばれてるの?? ちょっと待って!? 何が何やら、全然理解が追い付かないんですが!!?
予想外の事態にパニックになっていると、スッと目の前に右手が差し出される。
「……?」
「踊らないの?」
差し出された右手を辿れば、やはり目の前に立っていたのは九条くんだった。
混乱する頭でなんとか聞かれた質問に答えようと、口を開く。
「……私、社交ダンスなんて踊ったことないし」
「俺がリードするから大丈夫だよ」
「…………」
大丈夫と言われても、まず今の状況が理解出来ないのだ。
しかし動いてしまった状況は、私を悠長には待ってはくれない。なかなか中央に出て来ない私達に周囲がザワザワとしだす。
それでも踏ん切りのつかない私に発破をかけたのは、九条くんの一言だった。
「こういう時、場の流れに乗らないのは野暮だよ?」
「…………野暮」
そっか野暮か。野暮だとは思われたくない。
「分かった、リードは任せた」
ようやく私は覚悟を決めて、差し出された九条くんの手に手を重ねた。するとそのまま自然なしぐさで九条くんにエスコートされ、私達はダンスホールの真ん中へと向かう。
自然と人垣が割れ、たくさんの視線を一身に受けて居た堪れない。
ウロウロと視線を彷徨わせれば、女子達の群れから逃れたらしい雨美くんと夜鳥くんが、木綿先生と一緒にこちらを見ているのが見えた。
そしてその隣には、朱音ちゃんと演劇部の部長さんがいて、私に向かって小さく手を振っている。
更に二人の隣には、鬼のような形相でこちらを睨む、うちのクラスの女子達が見え……うん。そっちは見なかったことにしよう。
そうして視線を戻すと、私と同じ状況にも関わらず、涼しい顔で周囲の視線受け流している九条くんの横顔が見えた。
その表情に何故か負けたような悔しさが、私の中に募っていく。
ホールの中心にたどり着くと、吹奏楽部の美しい演奏がまた始まり、その音楽に包まれた私達はゆっくりと踊り出す。
全身に刺さる周囲の視線に圧倒され、慣れないダンスに緊張感で爆発しそうなのに、不思議と私が九条くんの足を踏むことはなかった。
これが〝俺がリードするから〟ということだろうか? また悔しさが募っていく。
だって私はずっと九条くんに守ってもらいっ放しだ。もっと頼ってと言われたが、頼らずとも頼ってばかりなんて、なんて情けないんだろう。
私は九条くんと対等な関係でいたいのに。
だからあの時、九条くんと契約関係になったのに。
「……また何が悩んでる?」
「…………」
ぐるぐるとまとまらない頭に、九条くんの声が優しく響く。
なんで九条くんは、こんな些細な私の変化まで気づいてしまうんだろう? 悔しい。
「私、九条くんにいつも守られっ放しだなって反省したの」
「反省する必要なんて無いよ。寧ろ君はもっと守られるべきだ」
「でもこのままじゃ九条くんに悪いし、何よりされっ放しは私の性に合わない。何か私が出来そうなことがあったら言ってよ」
ちゃんとお礼するから。そう私が言い募れば、九条くんが大袈裟に溜息をついた。む、何その反応?
「雪守さんはそうやって他人のことは気にする癖に、自分のことには無頓着過ぎる。今だってどれだけの男が君を見つめているのか、まるで分かってない。本当に……君は美しくて、可愛くて、無防備過ぎて心配で堪らない」
「は……?」
どこか切なげに言われた言葉に、じわじわと頬に熱が溜まるのが分かった。
踊る私達の小さな声は、きっと周囲には演奏でかき消されて聞こえない。けれどこんな赤い顔をしていたら、何事かと思われてしまうだろうか?
「……っ」
私、変だ。
〝美しい〟とか〝可愛い〟なんて言葉、今日は木綿先生にも朱音ちゃんにも、色んな、色んな人に言われたのに。
なんで九条くんに言われると、こんな――。
「――出来そうなことならしてくれるんだよね?」
「!」
そう言って、金の瞳が私を捉える。
赤い顔を見られたくなくて、思わず視線を逸らした。
「なら、君を名前で呼ぶ権利がほしい」
「っ!」
そんな私の耳に内緒話をするように囁かれ、肩がビクリと跳ねる。
何それ、そんなものの何がお礼なんだ。
そんなのいちいち私に聞かなくても、いつでも勝手に呼べばいいじゃないか。
そう思って気づく。
そうだ、いつだってこの男は私に選択させるのだ。
契約関係を結ぶ時だって――……。
「…………」
コクリと唾を飲んで、逸らした視線を彼に合わせ、そうして小さく呟く。
すると九条くんは花が綻ぶように微笑んで……。
「ありがとう、まふゆ」
そう、囁いた。




