14話 雪女と執事とご主人様
「あ」と思った時には、男の手は目前に迫っていて。
――けれど、その手が私に触れることはなかった。
「うわぁぁああっ!!!」
何故なら私に触れる前に、男が教室全体に響き渡るような絶叫を上げたから。
そしてそうさせたのは――。
「申し訳ありませんが、当喫茶店のメイドは接触厳禁ですので、節度ある行動をお願い致します。……ご主人様?」
言いながらも、私の左腕をしっかりと掴んで前方に立つ九条くんの左手からは、炎が噴き出していた。
対して顔面にモロに炎を浴びせられ、先ほど叫び声を上げた大柄な男は、衝撃に身を縮こませ、顔を青ざめさせている。
すると先ほどまで男にまとっていた筈の黒い妖力も、いつの間にか消えているようだった。
「う、ううう……」
九条くんの圧倒的な妖力を前にして、すっかり戦意喪失した様子の大柄な男に、私に絡んできたグループの他の客達が駆け寄る。
そしてこちら振り返り、指差して怒鳴ってきた。
「オ、オレ達は客だぞ!! ここの生徒は客に対して妖力を使うのか!? このことは訴えて……!」
「――訴えて……、なんです?」
突然のピリッとした声に、教室内が張り詰める。
そして人だかりの中から、一人の人物が歩み出た。
「な、なんだお前は!?」
「このクラスの担任教師の木綿です。生徒達から事情は聞きました。一人の女子生徒に接客の範疇を逸脱する程、しつこく貴方がたが絡んでいたとね。……出るところに出たら不利なのは、貴方がたの方では?」
「くっ……!」
普段のボケボケな言動からは考えられない、もめん先生の威圧感のある言葉に、すっかり顔色を無くした客達がたじろぐ。
「え、えっと……?」
展開の早さに着いていけず、私は縋るように左腕を掴む九条くんを見上げる。するとバサリと私の肩に何かが掛けられた。見れば執事服のジャケットであることに気づく。
「……?」
「とりあえず着てて。君のその姿は……、男にとって目の毒だ」
「???」
毒ってなんだ? 毒々しいってこと?
まあでも、上着はありがたい。このジャケットなら腰まですっぽり覆い隠せるし、やっぱりこのメイド服は恥ずかしかったのだ。
というか今更気づいたけど、九条くんは今、執事服を着ているんだ。
前は執事っていうよりご主人様っぽいって思ったし、今もそう思っているけど、それでも彼の白銀の髪に黒い燕尾服はとても映えて似合っている。着方も完璧なあたりさすが上位貴族だと、こんな状況なのに場違いにも感心してしまう。
でもそもそも……。
「どうしてここに九条くんが? それにもめん先生も――」
なんでここに? と言いかけた時だった。
「ウウ……」
「ググ……」
「ウガアァァァ!!」
「!?」
突然先ほど九条くんに炎を浴びせらた大柄な男が、そして木綿先生の叱責で大人しくしていた客達が不気味な雄叫びを上げた。
しかも消えていた筈の黒い妖力が再び噴き出すようにして彼らから現れ、男達は一直線に私へと向かって来る。
「――――――!?」
バッとすぐさま九条くんの背に庇われ、そしてすぐに起きた爆発音に、思わず次に上がるであろう悲鳴を想像して、ぎゅっと目を瞑る。
しかし聞こえたのは悲鳴ではなく、よく聞き慣れた声だった。
「そりゃあこんだけ男どもがこぞってここに集まってりゃ、誰だって異変に気づくだろ」
「まぁそれにも気づかないくらい、雪守ちゃんは必死だったってことなんだろうけどね」
「へ……?」
二つの声に私は瞑っていた目を恐る恐る開く。
すると目の前には、雷に打たれたように黒焦げになった上に、水に濡れてビショビショになっている客達がいて。まるで折り重なるような格好で全員倒れて気を失っていた。
どうやらまたも黒い妖力は消えてしまったようだ。
そしてそんな客達の向こうに立っているのは……。
「雨美くん! 夜鳥くん! 二人までなんで!?」
叫んだ私を、夜鳥くんが呆れたように見やった。
「お前なぁ……。学校中で大騒ぎになってんぞ。紫髪のメイドが一人で接客してるって聞いて、慌てて来てみりゃ……」
「紫の長い髪をハーフアップにして、雪の結晶を模した銀細工のバレッタをつけた赤い瞳の女の子。なーんて、学校中探しても雪守ちゃんしかいないしね」
そう言う二人も、きちんと執事服で身を包んでいた。そっか、まさか外でそんなに大騒ぎになってたとは全く気づかなかった。
二人だって忙しいだろうに騒ぎを聞いて駆けつけてくれたなんて、嬉しいけど申し訳ない。それに九条くんと木綿先生にも迷惑をかけてしまった。
「ごめん……」
「まったく。君は早めにステージに行くと言っていたのに、時間が近づいても待てど暮らせど現れないじゃないか。そりゃあ何かあったと思うだろう? 忘れてるみたいだけど、俺達もこのクラスの一員なんだからね? 困った時は頼ってって言ったのに」
「う……」
「まーまー九条様、そこは頼れなかった事情もあるんでしょうから察してあげないと」
「それは分かるが……」
九条くんの小言にぐうの音も出ない。雨美くんはフォローしてくれるが、今回は完全に自分の能力を見誤った私が悪いのは明白だった。
「とりあえず、気を失っているこの客達は一旦保健室に運ぼう」
「……うん」
九条くんの言葉に、木綿先生と数人の男子達が、完全に伸びている客達を教室から運び出す。その様子をぼんやりと見つめながら考えてしまうのは、やはりあの不気味な黒い妖力のことだ。
親衛隊の時も今も、まるで私を狙っているかのように思えてしまう。
でもそれは一体、誰が何のために――?
「おい、お前らもそこで固まってないで、さっさと出て来いよ」
「うっさい! 分かっているわよ!!」
「?」
出せない答えに私が頭を悩ませていると、夜鳥くんが誰かに声を掛けた。
そうして、その呼びかけに応じて現れたのは――。
「みんな……」
喫茶店をボイコットした筈の女子達だった。
彼女達は気まずそうしながらも、へたり込む私の元へと歩いて来る。
「あ、あの……」
どうしよう。
会ったら言いたいことは色々あった筈なのに、さっきの騒ぎで全部吹き飛んでしまって、言葉が見つからない。
「…………」
そしてそれは彼女たちもだったのか、私達は互いにしばし沈黙し、見つめ合う。
するとその様子に焦れたのか、夜鳥くんが助け船を出してくれた。
「そいつらずっと廊下でお前の様子を伺ってたんだと。ほら、雪守に言いたいことあんだろ? ちゃんと言えよ」
「わ、分かっているわよ……!」
夜鳥くんの言葉に、女子の一人が叫ぶ。そして勢いよく振り向いて、私を睨みつけた。
歯噛みした顔がいかにも悔しそうで、その勢いに気圧された私の体が無意識に後退する。
「べ、別に私達だって、こんな大事にするつもりはなかったんだからね!? 寧ろすぐに神琴さま達に助けを求めると思っていたのに、一人で頑張っちゃってさぁ! 見てるこっちがハラハラしたわよ!!」
「え」
「そうよ! ただいつも澄ましてる雪守さんが少し困ればいいって思っていただけなのに! これじゃあ私達が完全に悪者じゃないっ!!」
「いや、元々完全に悪者だろ」
「夜鳥くんは黙ってて!!」
冷静にツッコむ夜鳥くんに、女子の一人が噛みつく。
「とにかくっ! あれだけの客を一人で捌いた根性だけは認めてあげるわ!! でもだからって雪守さんが気に食わないのは変わらないんだから、勘違いしないでよね!!」
「は、はぁ……」
口々に女子達に捲し立てられて、ポカンとする。
えっとこれ、とりあえず仲直りした……のかな?
「お前ら捻くれてんなぁ」
「うるさいっ!」
またも夜鳥くんの呆れたような呟きに、女子が叫んだ。そしてそのまま私の手から、持っていたメニュー表を奪い取られる。
「あ……」
「サボった分、きっちり働いてあげるわよ。雪守さんはこの後大事なステージがあるんでしょ? ここはもういいから、さっさと行きなさいよ」
そう言って、しっしっと手で追い払われる。するとそれが合図となったように、他の女子達も次々と後に続く。
そして何事も無かったように、今の騒動に戸惑っているお客さん達を席に案内して、注文を取り始めた。
「え、ええっと……」
「口は悪いけど、さすがに今回のことはやり過ぎたって反省してるみたいだよ。午後担当のメンバーにも予定より早く入ってもらうから、男子共々休憩しててってさ」
「そうなんだ」
状況が飲み込めず、戸惑う私に雨美くんが説明してくれる。
そういうことならば、お言葉に甘えてステージに急いだ方がいいだろう。図らずも生徒会メンバー全員がここにいるが、本来ならば集合予定だった時間を大幅に過ぎてしまっている。
「今の時間って、学校長の挨拶が始まるくらい?」
「ああ。俺達の出番はその次だけど、学校長は話し出したら止まらない人だから、30分の枠を取ってある。今から行けば余裕だろう」
九条くんの言葉にホッとして、「よし、じゃあ急ごう」とみんなを見た時だった。
「うわぁぁああ!! みなさん大変ですよぉぉっ!!!」
さっきまでのシリアスモードはどこへやら。
保健室から戻って来たらしい木綿先生が、青い顔をしていつもの調子でうるさく騒ぎながら教室へと入って来たのだ。
キャラメモ6 【雪守 まふゆ ゆきもり まふゆ】
高校2年生で副会長
雪女の半妖(みんなに秘密)
紫の髪に赤い瞳、ハーフアップに銀細工の雪の結晶を模したバレッタ
誰が見てもグラマラス美少女なのに、何故か本人だけは気づかない




