12話 雪女と妖狐と文化祭(2)
脱出ゲームを後にした私と朱音ちゃんは、模擬店に寄って買い物を済ませ、他愛ない話をしながら次の目的地へと向かう。
「あ、やってるやってる」
しばらく歩けば、目的のツヤツヤの青い髪の持ち主はすぐに見つかり、お客さんとの話が終わるのを見計らって私は声を掛けた。
「雨美くん、受付ご苦労様」
私の声に受付に座っていた生徒会書記、雨美水輝がこちらを振り向く。
「あー雪守ちゃん! そっちこそお疲れー。聞いたよ、2組の難攻不落過ぎる脱出ゲームで無双したんだってね」
「何その脚色した話、無双なんてしてないし。それよりはいっ! 差し入れ」
「あ、やったぁ! お好み焼き! ありがとー。実はボク、朝から全然食べる暇がなかったんだよねぇ」
言いながら早速容器の蓋を開けている。よっぽど空腹だったのだろう。これほど喜んでくれたら買ってきた甲斐もあるというものだ。
「そっかそっか、いっぱいあるから全部食べな」
ふふふと笑って心温かい気持ちになった時、雨美くんがおもむろにズボンのポケットから七味唐辛子が入った筒型容器を取り出す。
「よかったぁ、ちゃんと持ってきてて」
「ん?」
何を……と思った瞬間、それは一気にお好み焼きへとぶち撒けられた。
ザーーーーッ。
そんなお好み焼きに落ちていく七味唐辛子の音が、やけにハッキリと耳に残った。
「うんっ! あぁー美味しいっ!!」
すっかり真っ赤に染まったお好み焼きを口に入れ、雨美くんは幸せそうに顔を綻ばせる。
そうか、美味しいか。美味しいならいいけどさ……。
「はぇー……」
私の横に立つ朱音ちゃんがポカンとしている。
そりゃそうだ。私も我が目を疑った。
「あ、そういえば君が噂の不知火朱音ちゃんだね! 雪守ちゃんがずっと可愛い! 天使! って騒いでるからどんな子か気になってたけど、本当にふわふわしてて可愛い子だね」
「えっと、あの……」
「はーい、可愛いからって口説くの禁止ー。朱音ちゃんが困ってるでしょ!」
真っ赤なお好み焼きを顔色ひとつ変えずに頬張りながら、雨美くんが朱音ちゃんを見て軽口を叩いた。それに私はすかさず反応して、朱音ちゃんを自分の背に隠して威嚇する。
しかし当の朱音ちゃんは、雨美くんの軽口よりも彼の味覚異常っぷりの方が気になるらしい。目をまん丸にして、真っ赤なお好み焼きが雨美くんの口に次々と吸い込まれていくのをずっと凝視していた。
「じゃあ午後にステージでね。引き続き受付頑張れ」
とにかく目的の差し入れも出来たので、朱音ちゃんを引っ張り足早に雨美くんの元を去る。あんな真っ赤なお好み焼きをずっと見ているのは、精神衛生上よろしくない。
というかあんな辛そうなものを見てしまうと……。
「……なんだかわたし、甘いもの食べたくなってきちゃった」
「私も」
真剣な顔で言う朱音ちゃんが可愛くて、吹き出しそうになりながら私も同意した。
やっぱり私達は似ているみたいだ。
◇
「チョコバナナとイチゴ生クリームでーす」
「おおー!」
「美味しそう!」
雨美くんと別れた足で模擬店に向かい、それぞれ注文したクレープを受け取った私達は、側にあった休憩用の長椅子に腰掛ける。そうして早速クレープにパクつけば、バナナとチョコが絶妙なハーモニーを口の中で奏でた。
「うん、甘うま」
「ね、美味しいね。あ、そういえば……」
「うん?」
横でイチゴ生クリームをリスみたいにモゴモゴ頬張っていた(可愛い)朱音ちゃんが、何かを思い出したかように声を上げた。
「まふゆちゃんのクラスの喫茶店にはまだ行ってなかったね。顔は出さなくていいの?」
「あー、んー。生徒会優先だから、当日はほとんど手伝えないことは前から言ってあったしね……」
それに衣装の一件もあって、なんとなく行き難いんだよなぁ……。
しかもうちのクラスの喫茶店はただの喫茶店ではなく、〝執事あんどメイド喫茶〟なのだ。色モノというか、少々いかがわしい感じだし、そんなところに朱音ちゃんを連れて行くのはちょっと気が引ける。
「あ」
「ん?」
そうやってぐだぐだと悩んでいると、いつの間にか朱音ちゃんがある一点を凝視していることに気づく。
「……?」
つられて私もそちらを見れば、そこにいたのは……。
「あれってもしかして生徒会の?」
「うん……」
私達の視線の先では鳥マスクを着けた怪しげな男が、ちょうど店員からクレープを受け取っているところであった。一見誰なのか分からないが、しかしマスクからはお馴染みのツンツンした黄色い髪の毛がはみ出している。
「はぁ……」
それに私は溜息をついて、足音を立てずに鳥マスク男へとそっと近づく。そしてそのまま勢いよくマスクを剥ぎ取ってやった。
「夜鳥くん、何やってんの!?」
「うわぁ、雪守! 折角変装してんだから、マスク取んな!!」
「いや、バレバレだから」
「うるせぇ! 男がクレープなんて買ってたら笑われんだろうが!!」
「いやいやいや……」
鳥マスクの正体は案の定、生徒会会計、夜鳥雷護であった。夜鳥くんはコワモテの三白眼を吊り上げ、鋭い犬歯を見せて威嚇してくるが、赤い顔で片手にクレープを持ったままではちっとも怖くない。
ていうか笑われるって、鳥マスク姿の方がよっぽど笑われると思うのだが、ツッコんでは野暮だろうか?
「ああっ!? その持っているクレープって、トッピング全部乗せの数量限定品、文化祭スペシャルクレープじゃん!!」
「あ!? なんか文句あっか!?」
「いや無いけど」
……この男、通だ。
朱音ちゃんもスペシャルクレープに気づいたのか、「わー、全部乗せすごーい」と目をキラキラさせている。うん、可愛い。すると夜鳥くんも朱音ちゃんに反応を見せた。
「あ? あー……、お前もしかして、雪守がすげぇ騒いでた、あの不知火か?」
「はわっ、はい!」
「ふーん……」
夜鳥くんは意味ありげに、朱音ちゃんをジロジロと見てくる。なんと不躾な。
この男は良くも悪くも人間には容赦ない。もし朱音ちゃんを傷つけるような言動をするならば、刺し違えてでも止めなければ……!
そう心に決め、私は奪った鳥マスクをギュッと握りしめた。
「――お前の描いた看板、見た。力強くていい絵だと思う。お前すごいな」
「え?」
唐突な褒め言葉に、朱音ちゃんがポッと頬を赤らめる。え、何? ロマンス始まった??
予想外の展開に戸惑う私をよそに、夜鳥くんは「そんだけ」と言うと、私の手から鳥のマスクを奪いとり、さっさとどこかへ行ってしまう。
なんなんだ、相変わらず自由な男だな。
「……夜鳥さんて怖い人かと思ってたけど、いい人だね」
「う、うん」
つまり今の行動を推測すると、良くも悪くも能力至上主義の夜鳥くんのお眼鏡に、朱音ちゃんは適ったということなのだろうか?
……えーと、色々ツッコみたいことはあるが、とにかくこの一言に尽きる。
さすが私の朱音ちゃん。
◇
「まふゆちゃん、この後はどうしようか?」
「うーん……。ステージの様子も確認しておきたいし、一度戻ろっかなぁ」
クレープを食べ終えて、これでうちのクラスを除いた一通りの巡回は出来た。
時計を見ればまだ午後のステージまで余裕はあるが、念のため早めに待機した方がいいだろうか――。
「うあっ!?」
なんて思案している最中、いきなり右腕を掴まれ、変な声が出てしまう。
「だっ、誰!?」
慌てて振り返れば、目の前に飛び込んで来たのは、見慣れた白銀の髪に金の瞳。
それに私は大きく目を見開く。
「やっと見つけた。ついて来て」
「え? 九条くん!? ちょっ、何……っ!?」
いつになく強引な様子に思わず顔を顰めるが、すぐに私の腕を掴む手が尋常じゃなく熱いことに気づく。
「不知火さん、ごめん。雪守さんを借りてくね」
「は、はいぃっ!!」
「ご、ごめんね。朱音ちゃん!」
九条くんに声を掛けられ、またもや顔を真っ赤にしてカクカクと首振り人形状態になってしまった朱音ちゃんに謝り、私は九条くんに腕を引っ張られるまま保健室へと向かった。
「はぁ……」
「ねぇ大丈夫? なんだか最近、体調が悪くなるペースが早まってない?」
保健室に着くなり妖力を使い、九条くんが落ち着くのを見計らってから問いかけた。
だって絶対におかしい。
契約関係になった当初は朝に1回妖力を使えば一日元気そうだった。なのにあれから一月経った今は一日2回、多い日は3回妖力を使うこともある。
考えられるのは私の妖力が弱まっているか、もしくは私の妖力が効きづらくなっているかだろうか?
「……そんな不安そうな顔しないでよ。君の妖力の強さは変わっていないし、俺に効きづらくなっているなんてこともないから」
「じゃあなんだっていうのっ!?」
思わず責めるように叫んでしまい、唇を噛む。
別にこうなっているのは九条くんのせいじゃないのに、怒鳴ってどうするんだ私。
「ごめん。君が疑問に思うのは当然だけど、それを言うことは出来ない。契約を交わしておいて不誠実だとは思うけど、言えないんだ」
「…………」
分からないじゃなく、言えない。
つまり九条くんはこの病の原因が何か分かっているということだ。
何も言えないのは、私が信用されていないから? なし崩しに始まった契約関係だけど、それでも少しずつ九条くんを知って、心の距離が縮まった気になっていた。
「そうなんだ……」
だからか拒絶されたような九条くんの言葉が思ったよりもショックで、そのまま動けなくなってしまう。
すっかり黙り込んでしまった私を九条くんはしばし見つめた後、脱いでいたブレザーを羽織って立ち上がる。
「ありがとう。本当に助かった。それじゃあ俺は一足先にステージで準備しているから」
「……分かった。私も早めに向かう」
頷いた私を見て、九条くんがふと思い出したように口を開く。
「そういえば君、一人であちこちの模擬店のトラブルを解決して回っていたんだってね? 君が有能なのは分かっているけど、どうか無理はしないで。本当に困ったら絶対俺を頼ってよ」
そう言い残し、九条くんは私の頭をポンポンと撫でて、静かに保健室を出て行った。
なんだカッコつけて。
「自分だって頼ってくれない癖に……」
呟いた言葉は誰にも届かず、ぽつんと消えていった。
◇
ガラガラと扉を開け、保健室から出る。
そういえばここの保険医、いつも不在だよなぁ。今日もいなかった。
「はあ……」
なんで私、こんな落ち込んでんだろ?
別にいいじゃん、私だってただの契約関係の相手にベラベラなんでも話したりしないし。
そう思うのに、自分でも理解不能な気持ちに戸惑う。
「~~~~っ!」
あーもう、ダメダメ! 午後からはステージだってあるんだし、気持ち切り替えないと!! 両頬をベシベシと叩いて気合いを入れ直す。
これからさっさとステージに行って、進行チェックして、それからそれから――。
「雪守さーん!!」
「っ!?」
突然大声で名前を呼ばれ、考えていたことが全部吹き飛んでしまった。と、同時に何やら嫌な予感が胸を駆け巡る。
「あ~! よかった、こんなところにいた!!」
「雪守さん、大変だよぉ~!!」
「え……?」
ドタバタと走って来たのは、執事服を着たうちのクラスの男子達。そんな大人数で抜け出して、喫茶店は大丈夫なのだろうか?
しかし私がそれを問いかける前に、男子達が息を切らしたまま大声で叫んだ。
「女子達が急にボイコットして、どっか行っちゃったんだよ!!」
「お客さんも多いのに、男子だけじゃ回しきれねぇよ!!」
「え……、ええっ!!?」
ひとつ片付いたら、またひとつ。
どうやらトラブルはまだまだ尽きないようである。




