34話 元雪女と妖狐もどきの優雅なお茶会
曼珠沙華の家紋を戴く、広大な敷地に建つ美しい寝殿造のお屋敷。
そこにある葛の葉の私室へと招かれたわたしは、優雅に緑が美しいお抹茶と、繊細な花を模した上生菓子を嗜んでいた。
「はぁー、さすが九条家。お茶とお菓子まで美味しいわぁ~。この前國光が持ってきた〝フロなんとか〟も良かったけど、やっぱり日ノ本人なら和菓子よねぇ~。ねっ、葛の葉!」
「……何故妾がそなたと茶なぞ飲まねばならぬのじゃ」
わたしを部屋に通した張本人の癖に、何が気に入らないのか、葛の葉はブツクサと文句を言う。
それになんだか昔を思い出して、わたしはケラケラと笑った。
「まぁいいじゃないの! 22年振りの同窓会と思えばさ!」
「殺されかけておいて、実にのん気なものじゃなぁ」
葛の葉が呆れたように深い溜息をつく。
畳張りの床に凛と背筋を伸ばして座るその姿は、わたしより一回り以上も小さい。
その見た目はまるで10歳くらいの小さな女の子のようで、わたしが知る彼女の過去の姿とは大きく異なっている。
きっと当時の気品ある、たおやかな和風美女だった葛の葉を知る者なら、誰もが驚くに違いない。
「そういえば知ってる? 当時のわたし達の担任、今は学校長になってたわよ。わたしを見ても全然ピンときてなかったみたいだけど」
「それはそうじゃろう。今のそなたは完全に人間。元雪女だと気づける者など、そうおらん」
「…………」
言って葛の葉が静かにお茶を啜る。
〝元雪女〟と〝妖狐もどき〟
22年前とは大きく変わってしまったわたし達。
……ううん、わたし達だけじゃないか。國光も。
そして、紫蘭も――……。
「ありがとうね、葛の葉。屋敷に上げてくれて。正直言うと、門前払いも覚悟してたから」
「……ふん。紫蘭の仏壇に手を合わせたいと言われれば、断る訳にいかんじゃろう」
「ふふ」
素直じゃない物言いにわたしは微笑む。
相変わらずツンデレよね。そういうとこ、ちょっとカイリっぽいかも。
……まぁ年季が入ってる分、葛の葉の方が何倍も厄介で、拗らせてはいるけどね。
「なんじゃ、ニヤニヤ薄ら笑いしおって」
「んー? なーんか、うちの店で働いてくれていたアルバイトちゃんを思い出してねー」
「はあ?」
葛の葉はわたしの言葉に首を傾げ、少しして「ああ」と呟いた。
「そういえば風花、そなたティダで店舗を営んでおったのだったな。立場上労働など何も知らなかったろうに、國光の助けもあったであろうが、よくやっていけていたものじゃな」
「あら、國光の助けなんてほとんど受けてないわよ。あまり接触すると、わたしの居場所が葛の葉に知られる心配があったからね。まふゆよ。あの子が何もかも助けてくれたのよ」
それこそ家事も労働も。
親としては情けない話だが、人としての営みをわたしは全てまふゆから教わったに等しい。
誰に似たのか、あの子は小さい頃から頭が回るし、周囲のこともよく見ていた。
「……そうか、あの娘が」
呟いて目を細める葛の葉に、わたしはイタズラっぽく笑う。
「嫁入りしても、いじめないでよ?」
「するか。神琴を救ってくれた大恩人に対し礼を欠くような真似、妾の矜持に関わる。そうなった暁には、一族を上げて丁重にもてなさせてもらうさ」
「そういうとこ、やっぱ義理堅いわよねー。葛の葉は」
まぁこの様子なら気が早いけど、嫁姑問題は安心ね。
密かに心配していたことが解消し、安心してお菓子を頬張ると、葛の葉がわたしを見た。
「ところで、そなたも皇宮に移るのであろう? お披露目の儀の準備は進んでいるのか?」
「んー……、まぁボチボチ? とはいえティダでの暮らしもすっかり慣れたし、完全に手放すのは惜しいのよねぇー」
「雪女の一族のことも妹君に丸投げなのだろう? 顔を出さなくてよいのか?」
「手紙も届かない僻地だしね。しかもめちゃくちゃ排他的だから、人間になったわたしを見たら、それこそ門前払いよ。あの子が元気に当主をやってるのか、それだけは知りたいんだけどねぇー」
もう22年会ってない妹の顔が浮かび、ずしんとわたしの気は重くなる。
葛の葉とのことはひと段落したが、まだまだ考えることは山積みだった。
そういえば今度まふゆが修学旅行でカムイに行くんだっけ。
その時に偵察でも頼もうかしら……?
「けど、そういう葛の葉の方は? 当主を降りるって聞いたけど、これから何するか当てはあるの? 世間じゃ初老とか言うけどさ、実際40なんて、まだまだ隠居するような年齢じゃないでしょ」
「…………ううむ」
尋ねると葛の葉は困ったように首を捻る。
やはり何も考えてなかった。
というか、〝何をしたらいいのか分からない〟と言った方が正しいか。
――葛の葉は体育祭での騒動の責任を取る為、九条家当主の座を降りことになった。
次代はもちろん九条くん。まだ17歳と若いが、きっと彼なら葛の葉が望んだ〝新しい九条家〟を創り上げてくれるだろう。
この処遇は、皇帝の命を狙っておきながら甘いと言う声も上がったようだが、わたしとまふゆのお披露目の儀の件でうやむやになった。
それでいいと思う。
いい加減、葛の葉は自由になっていい。
わたしも國光も、そう願っている。
……とはいえ、いきなり自由と言われても、当人が困るのも事実。
「ねぇ、もしよかったらティダに来ない? 噂に違わぬ良いところよー。うちのかき氷屋さん、なかなかに繁盛店だから、閉店するのは惜しかったのよねぇー」
「まさか妾に店舗経営をしろと?」
「んー……、まぁ可能性の一つとして?」
「……」
ギロリとこちらを睨む眼力の強さに内心冷や汗を浮かべながら言うと、しばらく推し黙った後、葛の葉は呟いた。
「……それも良いのかもしれんな。紫蘭が巡ったティダの地。妾も実際に歩いてみたい」
「お」
ダメ元だったので、思わぬ色よい返事にわたしは目を見開くが、理由を聞いて納得する。
九条くんは助かった。
けれど、それでも葛の葉が負った深い心の傷は、簡単に癒えるものではない。
ティダの穏やかな気候と美しい自然に囲まれて、いつか彼女が心から笑える日が来ればいいと思う。
「ところで、九条家の奇病……。神琴くんの代で消えると思う?」
「――――」
チラリと葛の葉の表情を伺うと、その金色の瞳が不安げに揺れる。
しかし次の瞬間、凛とした九条家当主らしい顔でわたしを見て言った。
「それは分からん。……じゃが、神琴とまふゆの縁が、暗闇だった九条家に光をもたらしたのは確かじゃ」
「……そうね」
時代は恋愛結婚が主流といえど、三大名門貴族みたいな格式を重んじる一族は未だ政略結婚も多い。
にも関わらず葛の葉が九条くんに婚約者の類いを用意しなかったのは、単に病気の件だけじゃなく、近親婚を繰り返す閉鎖的な一族の未来を切り開く為でもあったのかも知れない。
「姫様、失礼します」
そう一人納得していると、声と共にスッと襖が開き、今は白髪のおばあちゃんの姿をした三日月さんが現れる。
そして見るからに美味しそうな黄金色のいなり寿司が、彼女の手で机に並べられた。
「あら、美味しそう」
「もうお昼ですので。風花様もどうぞおつまみください」
「さっすが、気が利くー! 聞いたわよ、葛の葉。こんな人を、神琴くんが小さい頃に屋敷から追い出したんですって?」
「はあ?」
まふゆから聞いたことをそのまま告げると、何故か葛の葉は呆れたように眉をしかめた。
「そなたは何を言っておる? 追い出したんじゃない。単に暇を出しただけじゃ」
「当時娘のお産に立ち会う為に、私は姫様に休暇を申し出ていたのです。後から神琴様に死んだと思われていると知った時は、それはもう愕然としましたけど」
「それは神琴の早合点じゃ。妾は三日月が死んだなどと、一言も言っていない」
「その言葉の足りなさが、拗れた原因でしょうに……」
三日月さんが困ったように眉を下げながらも、湯呑に緑茶を注いで手渡してくれる。
あー有難い。お抹茶もいいけど、お寿司にはやっぱり緑茶よねぇ。
しかしそんな様子を見咎めた葛の葉が、三日月さんに苦言を呈する。
「なんじゃ三日月。この者に余計な気など回さぬともよいぞ。むしろさっさと帰ってほしいくらいじゃ」
「ひどーい! いいじゃない、たまには一日中思い出話に耽ったって。あ、美味しい」
「はぁ……」
ぱくりと一口でいなり寿司を頬張ると、葛の葉が呆れたようにまたも深い溜息をついた――。
◇
『まふゆが九条くんを連れて来た時、ホントはめちゃくちゃ驚いたけど、同時に安心もした。ねぇ、まふゆ。九条くんとの〝縁〟大切にしてね』
あの時の言葉は紛れもなくわたしの本心。
でもその結果、まさかこんな縁を運んでくるとは思わなかった。
ハッピーエンド? 大団円?
そんなもの、あの子達にはまだまだ先があるんだから分からない。
でもね。きっと二人が起こした奇跡が、この先のあの子達の行く末を素敵なものにしてくれるって信じてる。
もちろん、わたし達のこともね。
わたしは葛の葉の胸元で揺れる不器用なホタル石のネックレスを見て、そっと微笑んだ。
最終章 眠れる妖狐と目覚める雪女の力・了
終わりました!
2020年10月から始めた本作。
当時から読んでくださっている方にはかなり、本当にかなりお待たせしてしまいましたが、ようやくの完結です!
なんとか無事に当初から考えていたラストまで辿り着けて、本当にホッとしています。神琴を幸せに出来てよかった…。
それで今後の予定としましては、とりあえずしばらくは完結の余韻を噛み締めて、落ち着いた頃に修学旅行のお話を続編として連載したいなと思っております。
雪女一族の掘り下げや、カムイではしゃぐ生徒会の面々。まふゆと神琴のその後。結構まだまだ書きたいことが多いので、始めた際はよろしかったら読んで頂けたら嬉しいです。
それでは40万字超えの長編となりました本作を最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
また連載中は感想、ブックマーク、評価、いいねも本当にありがとうございました!書く励みになっております!




