32話 九条神琴(3)
長くなったので前後編に分けました。1話増えて34話完結です!
「まふゆ、準備は出来たかい?」
「もうちょっとー!」
寮にある彼女の自室のドアをノックすると、まふゆの慌てたような声が返ってくる。
それが微笑ましくて笑っていると、ギィっとドアが開いた。
「ごめんごめん、お待たせ!」
ホタル石のネックレスを胸元で揺らしながらまふゆが部屋から出て来る。
その姿は普段と違い、長い紫色の髪を緩く巻いていて、とても可愛らしい。服装も普段シンプルなものを好むのに、今は女の子らしい淡い色合いのものを着ている。
「可愛いねその服。新しく買ったのかい?」
俺が問いかけると、まふゆは嬉しそうにはにかんで頷いた。
「うん、朱音ちゃんとカイリちゃんが選んでくれたの。……その、九条くんとデートするって、言ったら……」
「っ、」
真っ赤に頬を染めて告げられ、俺の頬にも熱が溜まっていくのを感じる。
まふゆと晴れて付き合うことになって、もうすぐ二ヶ月。
少しずつこの新しい関係にも慣れてきたところだが、未だ胸のざわめきは鎮まりそうにない。
「じ、じゃあ行こうか」
「……うん。えへへ、遊園地なんて初めて。嬉しいなぁ」
「俺も」
手を差し出せば、当たり前のようにまふゆを俺の手を取ってくれる。
それに湧き上がるような嬉しさを感じながら、俺は数日前のことを思い出していた――……。
◇
「神琴様、今週末はまふゆちゃんとお出かけですか?」
「? いや、特に予定はしていないが……」
昼休みに話があると、わざわざ俺を空き教室に呼び出した朱音。
九条家のことで急ぎの用かと思いきや、取り留めのない雑談に、俺は内心首を傾げつつもそう答える。
「なんですか、それぇ!!」
すると朱音は突然目の色を変えて、柔和な態度を一変させた。
「ダメじゃないですか、神琴様!! そんなにへにょへにょじゃあ!!」
「へ……、へにょへにょ……?」
酷い言われように口元が引き攣るのを感じるが、そんな俺の様子などお構いなしに朱音が叫ぶ。
「せっかく神琴様は、まふゆちゃんのお蔭で不治の病を克服出来たんですよ!! ならそれをもっと謳歌しないと!! まふゆちゃんだって、休日だっていうのに遊びにも連れてってくれない人なんて、すぐに飽きちゃうかも知れないですよ!!」
「っ……!!」
鬼気迫る様子の朱音に思わず後ずさるが、その言葉にギクリとしたのも事実。
なにせ先日の葛の葉が引き起こした事件の最中、まふゆが皇帝の娘……つまり皇女であったことが発覚したのは記憶に新しい。
お披露目の儀はまだの為、皇女の顔を知る者は今は僅かだ。しかし大々的に発表されしまえば、もう彼女は今までのように自由に外を出歩くことは難しくなるだろう。
恐らく、彼女を狙う者だって……。
「元々まふゆちゃんは、あんなに美人で性格も気さくです! その上皇族だって知られたら、いくら神琴様と付き合ってるって言っても、横から掻っ攫おうとする人が現れてもおかしくありませんよ!?」
「分かってる……」
痛いところを突かれ、溜息をつく。
すると朱音は何かのチケットを俺に差し出してきた。
「……? これは?」
「帝都の遊園地の入場チケットです! わたしが買っておきました」
「は?」
「ここのマスコットは、モフモフのクマちゃんとウサギちゃんなんです! まふゆちゃんモフモフ好きだから、絶対喜びますよ!!」
「…………」
モフモフ好き……。
確かに以前まふゆが俺の尻尾に顔を突っ込んでいた時は、本当に幸せそうだった。
……遊園地か。こういう賑やかな場所には縁遠かったから考えたこともなかったが、クマやウサギの着ぐるみに喜ぶまふゆの姿は容易に浮かんだ。
「……そう、だな」
言われるがままに動くというのはなんとなく癪だが、まふゆに飽きられる恐怖はそれにも勝る。
熟考の末、結局俺は朱音の目論見通り、そのチケットを受け取ったのだった――。
◇
「わぁーーっ! 可愛いーーっ! モフモフだぁーーっ!!」
チケットを受付に渡して園内に入場するなり、まふゆは一目散に駆け出した。目当てはもちろん、来場客を出迎えていたクマとウサギの着ぐるみだ。
そしてそのまま抱き着くのかと思いきや、控え目に着ぐるみの体を撫でて、幸せそうに頬を緩めている。
「九条くんもおいでよー! モッフモフだよー!」
着ぐるみには興味は無いが、まふゆの弾けんばかりの笑顔に引き寄せられるように近づくと、俺の手を取ったまふゆが着ぐるみの体へと触れさせた。
「ねっ? ふわふわで気持ちいでしょー?」
「あ、ああ……」
正直人工的な着ぐるみの毛並みより、まふゆの少しひんやりとした柔らかな手の方がよほど気持ちいい。
……なんて。言ったら引かれそうだから、絶対に口にしないが。
「モフモフふわふわ。幸せー」
当のまふゆは着ぐるみに夢中で、俺の心境など気にもしていないようだ。
そのまま彼女の気の済むまで撫でさせてあげよう。
「あの、すみませーん……」
「!」
するとその時、カメラを持った見た目20代くらいの女性が一人、俺達に声を掛けてきた。
それにまふゆが慌てたように着ぐるみから離れる。
「あっ、すみません! すっかりこの子達独占しちゃってました! もう十分堪能したんで、お次どうぞ!」
「えっ。いえいえ、違うんです! そうじゃなくて、その……。図々しいお願いなんですが、お二人のことを撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?」
てっきり着ぐるみと撮りたいのかと思ったら、俺とまふゆを撮りたいらしい。何故?
「お二人を見て、素敵なカップルだなーと思いまして……」
「…………」
怪しい。
いくら良く見えたとしても、わざわざ他人の写真なんて撮りたいものだろうか? まさかこの女、まふゆが皇族だと知る新聞記者だろうか?
であれば、写真を撮らせるのはよくない。
しかし下手に断って隠し撮りでもされたら?
警戒しながら、俺がどう答えるべきか悩んでいると……。
「いいですよ、別に。あ、じゃあせっかくなんで、着ぐるみと一緒に撮ってもらってもいいですか?」
「え」
「もちろんです! わぁ、ありがとうございます! じゃあはい、チーズ!」
「ほら九条くんも」
「え、え」
――パシャリ
戸惑う俺をよそに、軽快なシャッター音が響く。
「これ、その場で現像出来るタイプのカメラなんで、お礼に一枚どうぞ」
「わっ、ありがとうございます!」
女から写真を受け取り、上機嫌なまふゆ。手を振ってなんと別れの挨拶までしている。
「九条くん、見て見て! すっごくよく撮れてるよ!」
「……」
そう言って差し出された写真を見ると、確かに着ぐるみに囲まれて嬉しそうに笑うまふゆの姿がよく撮れていた。その彼女の隣に俺が写っているのも、まぁ悪くない。
明らかに怪しい人物に対して警戒心ゼロなのは心配になるが、それが彼女のいい所であるのは、もうよく分かっている。
「……全く、まふゆはすごいな」
「え? 何それ?」
意味が分からないとキョトンとするが、「乗り物に乗ろうか」と言うと、すぐさまワクワクとした表情で頷いた。
そのくるくる変わる表情があまりにも可愛くて、つい口から笑い声が漏れてしまう。
「乗ろう、乗ろう! いっぱい乗ろう!」
「何乗りたい?」
「うーんと、あっ! あれ!」
まふゆが指差したのは、滝から急転落下する乗り物。乗り物が滝つぼに落ちる度に、激しい水飛沫と共に、「ギャー!」という断末魔のような悲鳴が聞こえてくる。
「すごいな、まふゆ」
先ほどとは違った意味合いで呟くと、まふゆはもじもじと恥ずかしそうにして言った。
「えっと、せっかくだし普段経験しないようなものに乗ってみたいなぁ……。なんて思って」
「そうだな、俺もそう思う。よし、じゃああれに乗ってみようか」
「ほんと!?」
俺の言葉に少し自信なさげにしていたまふゆの表情が、息を吹き返したように明るく輝いたものになる。
そんな可愛い彼女の手を取れば、嬉しそうに握り返され、俺達は悲鳴がこだまする乗り物目指して歩き出した。
◇
「はぁーーっ!! 楽しかったぁ!!」
「そうだね」
乗り物に乗り終えて出口から出た俺は、興奮したように先ほどの乗り物について語るまふゆを微笑ましく見ていた。
「じぇっとこーすたー? って、いうんだよね? 怖いのかなって思ってたけど、すっごく面白かったぁ!! 滝つぼに落ちる瞬間なんて、両手上げてはしゃいじゃったよ!」
「怖さで言うなら、木綿先生の背中に乗る方がよっぽど怖いかもね」
「あー言えてる! しかもあっちはめちゃくちゃ揺れるから、気持ち悪くなるし!」
「……けど、それにしても結構濡れたな」
滝つぼに落ちたのだから無理もないが、せっかくの可愛い姿が台無しだ。
取り出したハンカチでまふゆの長い髪を拭うと、「ありがとう」と彼女は微笑む。
「……」
濡れた紫の髪がなめらかな頬に張り付いて、いつもよりほんの少し煽情的だ。自然と視線が吸い寄せられ、〝このままずっとまふゆを見ていたい〟そんな気持ちが俺の中で溢れていく。
――しかし次の瞬間、そんな俺の気持ちは見事に全部吹っ飛んでしまった。
「うぷっ」
「おぇ」
不快なえずく声。
見れば俺達よりほんの少し離れた場所に、全員目深に帽子を被り、マスクにサングラス姿の奇妙な5人組の集団が体を丸めてえづいている。
もしかしてあの集団も今の乗り物に乗って、乗り物酔いでもしたのだろうか?
最初に出会ったカメラ女といい、やたら怪しい人物が目につく。
まさか皇女の正体を嗅ぎつけた奴らが、遊園地内を闊歩しているのだろうか?
「…………」
「九条くん、どうしたの?」
唐突に黙り込んでしまったことに不安を覚えたのか、まふゆが俺の服を少し引く。
それに余計な心配はさせたくないので、俺は笑って首を横に振った。
「いや、なんでもない。それより次は何に乗りたい?」
「ん? うーん……。あっ、じゃあ、あれ!」
まふゆが指差したのは、グルグルと座席が回転しながら猛スピードでレールを走る乗り物。これも〝ジェットコースター〟とやらの一種らしい。
よほどさっきの乗り物が気に入ったのだろう。
まふゆの目はキラキラと輝いている。
「いいね、乗ろうか」
「うんっ! 早く行こっ!」
「っ、」
まふゆが上機嫌で、ぎゅっと俺の腕に抱き着いてきた。体を密着させ、俺を見上げるその姿はとても可愛い。
……だからきっと、腕に押し当てられている柔らかいものについては指摘しない方がいいのだろう。
だって下手に口に出して、離れられてしまっては勿体ないじゃないか。
結局絡められた腕をそのままに、俺達は次なる目当ての乗り物へと向かったのだった。




