10話 雪女と妖狐と九条くん親衛隊
「すみません、ソーダ一杯お願いします」
「はいよ」
学食にて。いつものように受付のおばちゃんに注文すれば、すぐにソーダが差し出される。
「ありがとうございます」
それにお礼を言って受け取り、席に着いてゴクゴクと一気に飲めば、シュワシュワと刺激的な喉越しとスッキリとした爽快感が身体中を駆け巡った。
「はぁ~っ、生き返った!」
生徒会室での夜鳥くんとのやり取りの後、私は引き続きせっせっと針を動かして数着の執事服を縫い上げていた。
調子いいので更にもう一着と思ったのだが、何やら肩が重く感じ、そろそろ休憩でもしようかと学食までソーダを買いに来たのである。
「ふぅ……」
椅子にもたれかかりホッと一息つけば、強張っていた体がゆっくりと緩んでいくのを感じた。
ちなみに学食で売っているソーダは少々凝っていて、色は鮮やかな青いグラデーション。飲むとほのかにラムネの味がする、隠れた人気メニューである。バニラアイスをトッピングするのもオススメだ。
「ああ、もう飲み終わっちゃった……」
空になったコップを見て名残惜しさを感じながら、これから何をしようかと思案する。
そのまま生徒会室に戻って衣装作りを続けてもいいが、各班の様子も見に行っておきたい。特に朱音ちゃんのポスター制作は気になる! 気になり過ぎる……!
「よしっ、朱音ちゃんのとこに行こう!」
そうと決まれば、思い立ったが吉日。私はコップを返却し、食堂を後にしようと席を立つ。
しかし……、
「雪守さぁ~ん」
唐突に背後から投げかけられた聞き覚えのある猫撫で声に、一瞬にして体が凍りつく。そして次に湧き上がったイヤ〜な予感に、声の主のことは無視しようと思い至った。
でも無視したらしたで、後が面倒くさいことになるのでは……?
「…………」
結局無視は思いとどまった私は、熟考の末に〝にこやかに返答する〟という結論を導き出した。
「あ、実行委員の。……何かな?」
振り返れば案の定声を掛けてきたのは、文化祭実行委員改め、九条くん親衛隊のみなさんである。
リーダーらしき例の猫撫で声をした妖怪女子が、人間女子を何人も後ろに引き連れていた。予想通り過ぎる展開にゲンナリするが、にこやかな笑顔は意地でも崩さない。
「ちょっと雪守さんに教えてほしいことがあるんだぁ。時間あるよねぇ~?」
「…………」
即座に「ねぇよ」と言ってやりたいが、穏便に済ますためにも、ここは素直に従った方がいいだろうか。
学食で揉め事が起きてしまったら、他の生徒もいる手前マズい。
「……分かった」
私が大人しく頷けば、彼女達はこっちに来いとばかりに合図するので、黙って従う。
そうして後について行き、到着した先は……。
「ここなら誰にも邪魔されないわねぇ」
「…………」
やはり校舎裏だった。
こういった呼び出しの時の場所は、学校の校舎裏か屋上と相場は決まっている。
確かに人気はないが、「ベタだなっ!」とツッコんだ方がいいのだろうか? 寧ろツッコまれる為に、校舎裏を選んだ可能性は……?
「あ、」
しかし私がツッコむより先に、ぐるりと周囲を親衛隊に取り囲まれてしまい、一気に場がヤバ気な雰囲気に包まれる。
「え、えっと」
それをどうにか崩したくて、私は笑顔のまま親衛隊のみなさんに尋ねた。
「それで教えてほしいことって……」
……何? と続く私の言葉は、しかし途中のまま言い終えることが出来なかった。
何故なら――。
「なんでアンタみたいなど庶民の人間ごときが、神琴さまに構われてんのよっ!! 私だってまともに話せたこと無いのにぃぃ!!!」
「そうよそうよ!! 神琴さまはどんな女を前にしても、クールな態度を崩さない孤高の方なのよ!! なのにアンタ、さっき笑いかけられてたでしょっ!?」
「しかもイチャイチャと、二人でポスターの図案を決めていたわっ!! もう羨まし過ぎて、絶対に許せないっっ!!!」
私の言葉などまるっとスルーされ、親衛隊の罵詈雑言が校舎裏に響き渡る。100パーセント予想通りの展開に、乾いた笑いが出た。あな恐ろしや。校舎裏に着いた途端にこの豹変とは。猫撫で声はどこ行った。
それに私はイチャイチャなど断じてしていない。全くの言いがかりで誤解である。
どうしよう? 誤解さえ解ければ、この場を穏便に収めることが出来るのだろうか……?
「なんでアンタが!!」
「アンタなんかが……!!」
「あーもーっ!」
キーキーとしつこく罵倒を繰り返され、さすがに気分が悪い。とにかく一旦宥めようと、私は口を開いた……が、
「――アンタナンカガイナケレバ」
「っ!?」
場の空気が突然変わり、私の背筋がゾッと冷たくなる。
――何?
リーダーであろう妖怪女子が、急に地を這うような低い声を発したかと思うと、彼女の全身が何か不気味なドス黒い妖力をまとっているのが見えた。
何、何、何?
「アンタナンカガイナケレバァァァ!!!」
「!?」
まるで咆哮のような絶叫を上げ、ドス黒い妖力が彼女の全身から放たれる。
「アンタナンカイナケレバァァ!」
「イナケレバァァ!!」
「……っ!?」
すると放たれた黒い妖力は彼女の周囲に居た人間女子達に降りかかり、もろに妖力を浴びた女子達は一様にギリギリと血走った目で私を睨みつけた。
「アンタナンカイナケレバヨカッタノニィィ!!」
な、何これ……?
異様とも言える彼女達の豹変に気圧されて、私はじりっと後ずさる。
しかし元々囲まれていたため、逃げ出すことは叶わず、逆にどんどんと包囲が狭まっていく。
「ソウヨ、アンタナンカイナケレバァァ!!」
「ミコトサマニマトワリツイテ、メザワリナノヨォォ!!」
「消エテシマエェェェッッ!!!」
「っ――――!?」
彼女たちの絶叫と共に巨大な火球が現れ、私は言葉を失う。
嘘でしょ!? こんな高等妖術、どうやって……!?
「……って、言ってる場合じゃないっ!!」
一直線に向かって来る火球に応戦しようと、私は氷の妖力を手に込める。でも……!
『まふゆ、いいこと? あんたが雪女の半妖だってことも、妖力を使えるってことも、ぜ~ったいに誰にも言っちゃダメよ』
ここで妖力を使ってしまえば、半妖だとバレることが避けられない。お母さんとの、約束が……。
「あ……」
迷っている間にも、あっという間に火球が迫る。
視界いっぱいに広がる炎に、最悪の事態が頭を過ぎり、そして――。
――ドオォォォォンッ!!!
次の瞬間、とてつもない爆発音が耳をつんざき、私の体は強烈な爆風にあおられた。
「っ……!」
体を縮めて歯を食いしばり、どうにか衝撃をやり過ごす。そしてどれだけそうしていただろうか? ようやく辺りがシンと静まりかえったのを見計らい、私は恐る恐る目を開く。
「あ……」
すると視界いっぱいに広がるのは、先ほどの火球ではなくて……。
「雪守さん、……無事?」
息を荒げた九条くんが、私を庇うようにして立っていた。
「ど、して……」
ここに居るの? いや、それよりも体が悪い癖に、そんなに息を切らして大丈夫なのだろうか?
「……?」
周囲を見渡せば、あれだけの爆風だったにも関わらず、校舎の窓ガラスはただの一枚すら割れていない。それに九条くん以外には、爆発音を聞いても駆けつける人はいなかったようだ。
でも、それもそうか。学内での妖怪と妖怪の諍いはわりと日常茶飯事なので、校舎には常に結界が張られているし、わざわざ他人の争いに巻き込まれに来る物好きもいない。
ならば九条くんは、私が校舎裏にいると知って駆けつけてくれたのだろうか?
状況を察するに、九条くんがあの火球から助けてくれたのは間違いなかった。なら早くお礼を言わないと。そう思って、私は口をパクパク動かす。
「……あ、れ……?」
けれど口が上手く動かない。
「無理にしゃべろうとしなくていい。体が震えている」
そう言って九条くんが私の髪を撫でる。
恐らく爆風にあおられてボサボサになった頭を、見かねて整えてくれているのだろう。私は黙って九条くんにされるがまま、大人しくする。
「……さて」
そうして不思議なくらい穏やかな空気が流れた頃、私の髪を撫でる九条くんの指先が止まり、金の双眸が親衛隊を捉えた。
「それで君達はここで、雪守さんに何をするつもりだったんだ?」
「わ、私達はこんなつもりじゃ……っ!」
リーダーだろう妖怪女子が、淡々とした九条くんの言葉にそう叫んだ。
彼女達は地面にうずくまって顔を青ざめさせ、私と同じくらいにガクガクと震えている。あの黒い妖力は、いつの間にか彼女達から消えていた。
「どのような経緯であれ、人間に妖力を使い、攻撃することは禁じられている。主犯は君みたいだけど、周りの者も同罪だ。この件は学校側にも報告するからそのつもりで」
「あ……、ああ……っ!!」
「っ」
「――雪守さん」
泣き崩れる彼女達に思わず言葉を掛けようとするが、九条くんに制止されてしまう。
「行こう」
「……う、うん」
そして私は彼に促されるまま、その場を後にする。
すすり泣く彼女達の声がずっと、耳にこびりついたまま――。
◇
九条くんに連れて来られたのは、保健室だった。
ちょうど保険医は職員会議中らしく席を外しているらしい。
「……っ」
口の中がとても苦い。私は誤ってしまった。先ほどの自分の軽率な判断を罵る。
あの時、彼女達の誘いを断ればこんなことにはならなかった。彼女達もまた、違った未来になっていた筈なのに。
「……雪守さんさぁ」
唇をぎゅっと噛み締めていると、私の体の怪我を調べていた九条くんが不意に呟いた。
「まさか自分が悪いとか思ってるの?」
「……思うに決まってる。だって私が一言半妖だって言えば、彼女達は罪に問われない。なのに私は自分のために黙ってる。最低だよ」
やっと口が動かせるようになり、ポロリと言葉がこぼれた。
日ノ本帝国では妖力の使えない人間に妖怪が妖力を使うことは重罪であるが、妖怪同士であれば妖力の行使は罪に問われない。これは半妖も同じ。
つまり私が半妖だと明かせば、彼女達は救われる。なのに私は自分のことばかり……。
「君はバカがつくお人好しだ」
すると九条くんが大袈裟に溜息をついた。
それに思わず顔を上げて九条くんを見れば、彼もまた私を見ていて、金の瞳と見つめ合う。
「いいかい? 彼女達は君が気に食わないなんて、理不尽な理由で妖力を使ってきたんだ。それを怒りこそすれ、同情する必要なんてこれっぽっちも無い。そこに君が妖怪か人間かなんて関係ないんだよ」
「うん、言ってることは分かるよ。でも、彼女達のさっきの様子はなんだか普通じゃなかった。本当はただ、九条くんが好きだっただけなんだよ。なのにこんなことになるなんて、遣る瀬ないよ……」
「? 様子が普通じゃない……?」
私の言葉に九条くんが首を傾げる。どうやら先ほどの黒い妖力を九条くんは見ていなかったようだ。
そこで事のいきさつを掻い摘んで話すと、一瞬だけ九条くんの顔色が変わる。
「ん? 何か分かるの?」
「……いや、何も。確かに彼女達の豹変は不自然だ。けど、だからと言って雪守さんにしたことは無くならない。君は彼女達が俺を好きだからと言ったけど、だったらその気持ちは君にじゃなく俺にぶつけるべきだったと思う」
「ん、まぁそうだね……」
何か隠されたと感じたが、九条くんの言っていることは確かにその通りだ。どんなに好きでも本人に伝えなきゃ気持ちは伝わらない。
――想いは本人に言わなきゃ、何も始まらない。
「あっ、そういえばどうして私が校舎裏にいるって分かったの?」
「君、生徒会室に仕事しに行くって言ってただろ? あの後俺も雪守さんに確認事項があって、生徒会室に戻ったんだ。そしたら夜鳥が一人でいて、君は学食に行ったと言う」
そして学食に行ってみれば既に私はいなくなっており、周囲の生徒が私が九条くん親衛隊に連れて行かれたと噂していたそうだ。
つまりもし九条くんが来てくれなければ、今頃……。
「~~~~っ」
考えてゾッと身を震わす。
「……あの。ありがとう、助けてくれて」
「ん?」
「言わなきゃ伝わらないから。お礼、さっきちゃんと言いたかったのに、言えなかったから」
恥ずかしくてついボソッと早口になってしまったが、ちゃんとお礼を言えてホッとする。
「はー……」
「え、何!?」
しかし何故か九条くんが脱力したように項垂れて、自身の顔を手で覆う。
えっ、私なんか変なこと言った??
「瞳うるませて上目遣いで言うことはそれだもんな……、参るよ」
「ちょっ!?」
よく分からないことを言いながら、九条くんがずるずると私にもたれかかってくる。いやいや、重いんですけど!
「何やっぱり具合悪いの!? ほらもー無茶するから!」
「あーホント疲れた。俺を癒してよ、雪守さん」
「!!?」
そっちこそ上目遣いで私を見てくる九条くんに、二の句が継げない。なんだ!? あざと可愛いとでも言ってほしいのか!?
いきなり甘えモードに入った九条くんに混乱するが、無駄に疲労させたのは事実だ。労いの気持ちも込めて、私は氷の妖力を手に込め、いつものように九条くんの額に当てる。
「…………」
すると九条くんの額から薄っすらと流れていた汗がみるみる引き、呼吸も先ほどよりずっと穏やかなものになる。
相変わらず自分でも驚いてしまう凄まじい威力だ。
「? 九条くん?」
だというのに、九条くんは私にもたれかかったまま微動だにしない。
「おーい」
「…………」
「ねぇって」
「…………」
狸寝入りか!? 狐の癖に!!
「ちょぉ、ちょっとぉっ!」
ずるずるとますます体を密着させてくる九条くんに、何やってんだバカ! と怒鳴りつけたい衝動に駆られる。
でもその半面、触れ合う体温が不思議なくらいに心地よくって。天敵妖狐の高い体温が心地いいなんて、雪女としてはどうかしている。
そう思うのに……。
「もう……」
結局私は振り解けないまま、九条くんと二人こうしてしばらく寄り添っていた。
『九条家は名門一族じゃあるんだが、昔っから黒い噂が絶えねぇんだ』
夜鳥くんに言われた言葉を、脳裏に浮かべながら――。




