[2]依緒
昼休みになった。
高校では滅多にない転校生。それもとんでもない美少女ということで、朝のHRが終わった瞬間からクラス中はもとより、評判を聞いた他のクラスの男女を問わず集まってきて、質問攻めにあっていた鷺宮依緒。
どんな質問にも如才なく答え、それでいてプライベートな情報はほとんど話さず納得させているのだから、コミュニケーション能力も地頭もいいのだろう。
そのようなわけで、担任直々に案内役に指名された零司だが、一言も口を挟む機会もなく昼食の時間となったので、学食を利用するべく食堂へと向かって教室をあとにした。
廊下へ出たところでおよそ信じがたいことに背後から声がかかる。
「もしかして学食へ行くの? 興味あるから一緒に行こう」
「!?!」
影の薄さには定評のある(嫌な定評だ)自分に気が付いて声をかける相手などいるわけがない。そう疑いもなく思っていただけに、最初それが自分にかけられた声とは思えずに、自然とスルーしかけたところで、ごく当たり前な様子で隣に並んだ相手に気づいて狼狽えた。
さらりとした長い髪がすぐ隣、触れんばかりの距離で揺れる。
同時に美少女転校生目当てに集まっていた、上級生を含めた集団から嫉妬と殺意に似た波動が零司に向けて放たれる。
人生の中でこれだけ注目を浴びるのは初めてのことであるが、全く嬉しくない注目のされ方だった。
「――さ、鷺宮……さん!?」
「迷惑だったかな? 最初に担任が、わからないことがあれば羽間君に聞くように……とか言っていたので、早速お願いしてみたんだけど」
「い、いや。ぜんぜん大丈夫! が、学食だね」
殊勝な態度でそう女生徒――それも一目惚れをした超が付く美少女――に上目遣いにお願いをされて舞い上がらない十五歳の男子生徒はいない。
まして年齢=彼女いない歴どころか、小学校のマイムマイムですら華麗にスルーされて、手をつないだことすらない。母親以外の女性とは挨拶以外に(先日の外国人少女による恫喝を別にすれば)喋ったことがほとんどない。いろいろと悲惨な人生を送り、クラスメイトから『ザ・モブ』『背景のひとつ』『十把一絡げ』という形容詞を恣にしてきた――断じて不本意なことに――平凡で目立たないという自覚がありまくりの零司にしてみれば、晴天の霹靂以外のなにものでもなかった。
もしかして俺、結構意識されている……? と、背後から突き刺さる「殺す」という呟きや、怨念すら込められた視線も忘れて、浮かれまくるのも無理からぬことである。
隣を歩く転校生は、それが癖なのか片手で髪をかき上げては、たまに確認するかのように、ちらちらと横目で零司に視線を投げるのだった。
なお、その後ふたりが抜けた教室では、零司の前の席に座る中根少年が吊し上げを食らう羽目になった。
「手前ーっ、席が近いからっていって鷺宮さんを独占するなんて、どーいうつもりだ!?」
「だいたいなんでお前が彼女のサポート役なんだよ!!」
「し、知らない! 俺じゃねえ~っ! それ確か隣の席の奴だったろう?!」
「えええっ!?!」
転校生の机を挟んで零司の反対側に座る男子生徒が、突然の流れ弾に目を白黒させることになる。
「……あれ? そういえば、隣だったような」
「ならこっちか!? おいこらっ、調子に乗ってるんじゃねえぞ!」
零司がこの場を離れたことで、その存在を失念した一同の認識が整合性を取るため、まったく関係ない人間の発言、行動へ置換された結果であった。
零司当人は知らないことだが、彼の周りではわりとよくある現象である。
◆
騒々しい昼休みの喧騒を聞き流しながら、ソレは密かに舌なめずりをしていた。
この地を縄張りにして七十年以上――。
あれほど美味そうな極上の獲物を見たのは初めてのことである。
周囲の目など気にせずに、この場であの細い首筋に齧りつきたい欲求を抑えるのに、どれほど忍耐と自制を要求されたことか……。
人目を気にしないチャンスがあれば放課後にでも襲い掛かることに躊躇はない。犯しながらじわじわと食った時に、あの取り済ませた美貌がどんな表情を浮かべる事か――!!
だが……と、同時にソレは用心深く思考を巡らせるのだった。
あの娘の匂い。どうにも気になる。
先日、ハンターどもの目を逸らすため、この狩場へ召喚した奴隷――配下でも眷属でもない。使い捨ての道具に過ぎない――十匹が斃された現場に、微かに残っていた二種類のうちの片方に極めて似通っている。
そもそもこの時期の転校というのも不自然である。もしかするとハンターかその関係者か?
そうなれば迂闊には動けない。情報を探るために、しばらくは泳がせておく方が得策だろう。
「……仕方がない。急いては事を仕損じる。美味くはないが、しばらくは〝竜道組”が持ってくる浮浪者や商売女で我慢するとするか」
そう結論づけると、ソレは普段通りの人畜無害そうな仮面をかぶって、教室を後にするのだった。
◆
「へ~~、ドラマや漫画と違って、案外地味なんだねぇ、学食って」
教室ふたつ分くらいの部屋にテーブルを並べて、いまでは使わなくなった古い椅子がリサイクルされている学食の様子を眺めて、転校生――鷺宮依緒が身も蓋もない感想を口に出す。
実際、もっとキラキラと清潔でお洒落なカフェテリア風の光景を想像していた零司も、初めて見た時にはガッカリしたものである。
「メニューは日替わりご飯のAかB。あと麺類のCかDに分かれていて、ここで食券を購入して配膳口で現物と交換って形になるんだ」
ちなみに本日の日替わりAセットは唐揚げ定食で、Bセットはメンチカツ・コロッケ定食。麺類のCは醬油ラーメンでDはカレーうどんであった。
食券販売機の列に並びながら零司がそう説明すると、依緒は「へぇ~」と感心した様子で頷きつつも、列に並ぶ様子はない。
「並ばないの?」
「ああ、ボ……わたしはお弁当を持ってきたので。いざという時に困らないように、学食の場所やシステムを知っておきたかっただけ」
お弁当が入っているらしい巾着袋を取り出して、軽く振ってみせる依緒。
「……ああ、なるほど」
ってことはここでお役御免ってわけか、と内心で消沈しながら零司は納得した。
「お茶はセルフサービス?」
そんな零司の内心など頓着することなく、依緒はテーブルの手前に置いてあるティーサーバーを指さして、気楽な口調で尋ねる。
「う、うん。玄米茶と水、温かいのと冷たいのが選べるようになっている」
「ふーん、じゃあわたしが席と飲み物を確保しておくので、えーと……零司君はどれにするの?」
ええええええっ、もしかして一緒にご飯食べること確定!?!
いままで一度たりともあり得なかった展開に、踊りだしたくなる気持ちを押さえて、零司は平静を装って答えた。
「じゃ、じゃあ冷たい玄米茶を……」
「OK。適当な席を見繕っておくわ」
そう他愛ないやり取りを交わして離れていく依緒の、艶やかな黒髪がひときわ目立つ後姿を見送りながら、まるで恋人同士の会話のようだと思って、だが所詮は思い込みに過ぎない――これまでのパターンからして、自分を待っていたこと自体忘れて、勝手に座ったストーカー扱いされるかも知れない――と思い直して、小さくため息をつくのだった。
ご意見ご感想、こうしたほうがいいなどというご指摘がありましたらどしどしお願いいたします。