プロローグ3・疑念
「不可解な報告……ですか?」
当事者と言えば確かに当事者である。
何しろ三日前に現場近くに潜んでいた不審者を発見して、麻酔を撃ち込んだ張本人がシャーロットで、依緒がそのまま拘束をして、丹紗が猫の子を掴むように襟首を持って現場担当官へと渡したのだから。
「っても、アレ別に商売敵でもどっかの諜報員でもなく、あそこの高校の生徒が間違って紛れ込んだだけってきいてるッスけど?」
「まあ確かに一般人が紛れ込むのを許した時点で、不祥事だとは思うけど、それは警戒していた公安の不手際でしょ? ボクたちに責任の所在を追及されてもねぇ」
困惑した表情を浮かべる丹紗と、不本意そうな口調で肩をすくめる依緒。
「ああ、そういう訳じゃないの。問題の当人を前にして、何か違和感というか気が付いたことがあったかどうか、そのあたりを聞きたかっただけよ」
他意はないとばかり座ったまま、顔の前で軽く手を振る絢香。
「……と言われても、見た感じ普通の男子って感じで」
「そうそう、いかにも普通で印象に残らない感じ」
小首を傾げる丹紗の言葉に依緒も百%同意とばかり頷く。
「どんな顔をしていたか思い出せる?」
「え? え~~と……?」
「こう……平凡な感じで……あれ?」
続く絢香の追及に、ふたり揃って困惑の表情を見せた。
その途端、絢香の背後にあったモニターが切り替わって、中学の卒業アルバムの写真らしい学生服を着た少年の上半身を中心に、周辺の監視カメラが映したらしい画像の荒い映像や動画が、分割されたモニターに表示された。
「羽間零司。十二月二十五日生まれ、現在十五歳。今回の幻象界との侵食現場である、私立鍵城学園にこの四月から入学した男子学生。血液型B+。両親と三人家族で、両親はこの春からシンガポールへ転勤になったため、現在はひとり暮らしである。成績、運動能力ともに学年の平均値をキープしている。中学時代はバトミントン部の補欠で、高校ではいまのところクラブ活動には参加していない。健康状態は良好。犯罪歴などなし」
とうとうと読み上げるシャーロットの声に合わせて、モニターの脇に個人のデータがこれでもかと並べられる。
「「あぁ、そういえば、こんな顔だった(ッス)」」
モニターに表示された画像を眺めて、いまさらながら合点がいった表情を浮かべる依緒と丹紗のふたり。
「念のために出生時からの記録と、辿れる限りの普段の行動をトレースしてみましたが、九十七・四%の確率でただの高校生であるという結論しか出ませんでしたが?」
居ながらにして瞬時に北関東支部の回線をハッキングし、把握しているデータをもとに絢香の疑念を杞憂だと結論付けるシャーロット。
「はあ~、やれやれ……北関東支部のセキュリティは、世界トップレベルのスパコンが数台がかりでも数時間は持ちこたえられるはずなんですけどね」
あっさりとシステムを掌握された絢香が、嘆息しつつも『仕方がない』と、あきらめ顔で椅子ごと背後を振り返り、モニターに表示された『羽間零司』の顔写真をまざまざと凝視しながら、独り言ちるように続けた。
「確かに書類上のデータに不自然な部分はありませんでした。ですが、念のために住居の周辺や生活圏、中学や高校の同級生や教師に聞き込みを行った公安の担当者から、おかしな報告が上げってきたのです。『本人について覚えている者がほとんどいない。まるで意図的に存在を消して生きてきたようだ』とのことです」
「!! 潜入型工作員の常套手段ですね。つまり〝羽間零司”という、平凡な高校生を装った人生自体がカモフラージュであると?」
にわかにきな臭くなってきた話に、シャーロットの頭脳が猛烈な勢いで推論と可能性をシミュレートする。将棋の棋士は瞬時に数十億手先まで先読みするというが、こちらは無量大数に上るだろう。
「……そこが曖昧なところなのよ。裏付けとなる証拠はない。それどころか物品や情報端末のデータ管理は杜撰で、痕跡を消そうという意図は見えない。念のために自白剤の他に、魅夜に暗示をかけて催眠術で尋問もしたけれど、通り一遍の資料の通りの答えしか返ってこない。どこをどうひっくり返しても、ただの高校生としか思えないわ」
ちなみに魅夜というのは北関東支部に所属するハンターのひとりで、吸血鬼と人間とのハーフであるダンピールである。能力的には文句のつけようがないが、戦闘向きの性格ではないため、現在は支部地下において内部事務を中心に活動している。
「はあ?! それだけ調べて問題ないとしたら、おかしいと思うほうがおかしいんじゃないですか?」
歯に衣着せぬ依緒の物言いに、シャーロットが窘めるように一瞥を加える。
「依緒、そう考えるのは早計。現場や事件を知り尽くした捜査官が違和感を覚えるということは、論理を越えた経験則が直感として警鐘を鳴らしているということ。プロの直感を軽んじるべきではない」
正面を向き直った絢香が補足するように付け加えた。
「それと、直接対面した魅夜が言っていたわ。『妙に存在感が薄い』『目を離すとスルリと抜け出しそう』ってね。実際、私もこうして俎上に載せないと、すぐに失念するほどだし……というか、私だけではなくて他の連中もそんな感じなの」
そう口にして自嘲の笑みを浮かべた絢香は、大仰なジェスチャーで肩をすくめてみせた。
「馬鹿みたいな話だけど、麻酔を打たれたままの少年を医療施設にストレッチャーで運び込んだあと、半日間忘れて放置されていたのよ。考えられない失態だわ。お陰で、普通の一般人なら注射と暗示で記憶の操作をするところ、しっかり記憶が定着してしまって処置不能。生涯廃人にするか、いっそのこと口封じに……という状態にあるの」
苦笑しながら冗談めかして口にする絢香だが、この若き才媛が必要とあれば非情な決断も躊躇なく実行する人間であることを知っているチーム《斬奸》のメンバーは我知らず視線を交差させた。
「「「…………」」」
正義の味方を気取る気はないが、現場に居合わせただけの高校生を拉致して、結果的に処刑の片棒を担いだと聞けば、寝覚めが悪いのも確かである。
「これまでの話から考えられる可能性として、最も高いのは――」
話が行き詰ったところで、並行して事象を整理し推測していたシャーロットが一つの可能性をほのめかす。
「何らかの能力者。それも人の意識に働きかける系統である……のが、一番平仄が合います」
目から鱗という表情で細い目を見開く絢香と、こちらも珍しく虚を突かれたといった面持ちでシャーロットをまじまじと見据えるダフィールド隊長。
期せずしてしんと静まり返った指令室に、
「依緒ちー、ひょーそくってなに? ひょーろくだまの親戚っスかね?」
「……それは君のことだよ、丹紗」
丹紗のピントの外れた囁き声と、呆れた口調で掣肘する依緒の返答が響いた。