プロローグ2・斬奸
〇斬奸=悪人を斬り殺す。
都心からやや離れた新興工業地帯。
研究開発系のベンチャーや外資系の企業が軒を並べるその一角に、比較的歴史のある(と言ってもこの工業地帯が開発された当初からある程度ではあるが)三階建ての社屋を中心とした広大な敷地を占有する会社があった。
正門には『P.Pプラント製薬株式会社』と掲げられたそこが、いわゆる真っ当な営利団体でないことを知る者は少ない。
高い塀に囲まれた広大な敷地内には、網の目のようにセンサー網が張り巡らされ、綺麗に刈られた芝生のそこかしこにはティザー銃や感応式の地雷までが埋設され、屋上にはヘリポートがある……のはいいとして、離れた車庫に置かれてある車は、ごく平凡な社有車からスモークガラスの防弾仕様のリムジン、武骨な大型クロスカントリー車、果ては軽装甲車まで当然のように鎮座していた。
そうして、ごく平凡なコンクリート製の社屋の地下には、通常は表示されない地下五階までが存在し、こちらは計算上キロトン級の核ミサイルの直撃にも耐えられる、複合構造材によるシェルターとなっている。
内部には、真の意味での研究施設や日本中はもとより世界中の情報を、合法非合法関わりなく集積する情報システム室。小は拳銃から大は対物ライフルまでずらりと並んだ保管庫に訓練所。最大で五百人が一年間は籠城できる食糧、備品に自家発電施設などが完備された、俗な言い方をすれば完全な秘密基地であった。
公安や自衛隊に知られたらテロリストの巣窟と見做されかねない施設であったが、この会社が摘発されることはない。なにしろ名目上は防衛省の外郭団体であり、国家公認の武装組織であるからだ。
【対幻象界ハンター組合・北関東支部】
それが裏の世界や闇に生きる者たちの間で、畏怖とともに呼ばれる組織の名称であった。
その地下三階にある指令室。
巨大な水槽がそこにあるかのように、熱帯魚が悠々と泳ぐ姿が映し出されたハイクオリティのモニターを背後にして、マホガニーの執務机に座った細目の――いわゆる狐顔をした二十代後半と思しき女性が、机を挟んで立っている三人の人物へと視線を巡らせた。
同時に女性の背後に護衛然とした態度で待機していた、四十代後半と思える厳つい顔と体つきをした男が、女性と三人組とを値踏みするかのように見比べる。
対幻象界ハンター組合・北関東支部長菊川絢香と、実戦部隊の指揮官でもある元イギリス陸軍特殊部隊(SAS)出身のユズル・ダフィールドの、実質的に北関東支部を支配する二大巨頭であった。
その眼光を受けるのは、身長130㎝ほどの金髪碧眼をした十二、十三歳ほどの見目麗しい少女――にしか見えない、北関東支部でも屈指の実績を誇るハンターチーム《斬奸》のリーダーで、情報収集や調査・指揮を行うチームの頭脳である姫島シャーロット。こう見えても二十歳の成人女性である。
その背後に付き従うふたりのうちひとりは、いまもブルゾンにデニムのショートパンツで、ワークキャップを目深にかぶったままの、主に中距離での要撃や集団戦を得意とする戦闘メンバーである鷺宮依緒。
最後が部屋着のようなスエット姿の赤毛の少女で、こちらは直接戦闘を得意とする城ケ崎丹紗のチーム《斬奸》のメンバーであった。
「皆さんご苦労様です。高校の敷地内で侵食が確認された時には焦りましたけれど、迅速な処置のお陰で外部に知られることもなく、犠牲者も出ないうちに処理することができました」
にこやかに労いの言葉をかける絢香。ちなみにすでに事件の夜からは三日が経ち、表面上は地盤沈下が起きたとして通学禁止にして、その間に狗人の死体の処理をして、さらに取りこぼしがないか入念に調査をした上で、成功と判断され、本日最後の報告と事後処理について話すために、チーム《斬奸》のメンバーを招聘したのだった。
「……まずは先に報酬を支払っておきます」
絢香の目配せを受けて、キビキビとした動作でダフィールド隊長が前に出て、懐から取り出したそれなりの厚さの封筒を、チームリーダーであるシャーロットに渡す。
無造作に受け取ったシャーロットは、その場で封筒を開けて中から札束を取り出すと、手早く枚数を数えて、添付されている明細表と見比べて納得した顔で頷いた。
「――確かに。問題ありません」
その様子をシャーロットの背後から覗き込むように見ていた丹紗が、浮足立った調子で依緒にささやきかける。
「うひょう! 賞金っスよ賞金っ。久々に肉食いに行きましょう、肉! 自分、漫画で読んだブラジル式バーベキューの食べ放題、シュラスコに行ってみたいっス」
「肉食べ放題ねえ……」
どちらかといえば小食でサッパリしたものを好む依緒はげんなりした口調で応じる。
「別に行きたければいつでも好きな時に行けばいいじゃないか。そのぐらい余裕で行けるだけの給料はもらっているだろう?」
一応は準国家公務員である対幻象界ハンターは、月々に給料が振り込まれる(平均して東京二十三区内で二LDKのタワマンを賃貸して暮らせる程度)。そして、それとは別に、突発的に発生する幻象界関連の事件を解決すると、事件の難易度に応じた特別給(身も蓋もなく『賞金』とハンターは呼んでいる)がこうして支払われるのだった。
依緒のツッコミにハンバーガーチェーン店へもひとりで入ることができない、根が小心者の丹紗は無言で視線を逸らす。
「……いまさらですが、わざわざこうして現金を手渡しする必要はないと思いますが? 今後は余計な手間暇を除外するように考慮してくれると嬉しいですね」
経理部からの愚痴を思い出して絢香がシャーロットに当たるも、当人はどこ吹く風で淡々とした口調で反論する。
「意味はある。口座に振り込まれるのは所詮は数字。あんなものはどうにでもなってありがたみがない。こうして上司から直接慰労の言葉とともに現金を受け取ると、精神的な充足感も満たされる。余裕とかこだわりとか張り合いといった活力が生まれる元となる。だからこれは外せない」
実際、コーヒーは豆から挽いて淹れるなど、妙なところでアナログにこだわるシャーロットであった。
何を言っても梃子でも動かぬ様子に、絢香も苦笑いをして矛を収める。
「とりあえず報告書に内容に不備がなければ、今回の事件はこれで――」
終了と言いかけた絢香の台詞にかぶさる形で、ダフィールド隊長の思わせぶりな咳払いが響いた。
「支部長、例の不審者の件が残っております」
その言葉に、細い目をわずかに驚愕に見開く絢香。
「あぁ……私まで失念するとは。助かりました、ダフィールド隊長」
再び背後に立ったダフィールド隊長へ、軽く横目で目礼をしながら絢香は改めてチーム《斬奸》のメンバーへ向き直った。
「実は三日前に、あなた方が現場で保護した第三者について、不可解な報告があがっているので、当事者であるあなた方に確認してもらいたいことがあるの」
切羽詰まったというほどではないが、どう対処していいのかわからない歯がゆさのような珍しい感情の揺らぎを、この見た目に反してやり手の支部長から感じて、シャーロットは首を捻った。