[5]品隲
※品隲=品定め。
鼻腔をくすぐる紅茶の香りで、機能停止していた零司が再起動した。
全員分の紅茶を配膳した依緒が、エプロンを外してお茶菓子が乗ったトレーをテーブルの上に置きながら、ひとり掛けのソファに座る。
なお配置としては、シャーロットの位置を上座として、対面に零司、右手側に依緒、左手側に丹紗がぐるりとテーブルを囲んでいる形である。
「とりあえずフィナンシェを焼いておいたので、お茶うけにどうぞ。苦手だったら出来合いのケーキもあるけど?」
「依緒ちんの焼き立てフィナンシェなら何個でもいけるっスよ」
零司に対しての伺いだろうに、丹紗が率先して皿に手を出して、一度に三個取って口に運んだ。
「こらっ、丹紗。まずは羽間零司君が最初でしょう」
そんな丹紗の無作法を窘めるシャーロット。
「んぐっ……客……?」
やはり意識してなかったのか、フィナンシェを頬張りながら丹紗は小首を傾げた。
「は~~、まったく……すまないね、零司君」
きょとんとする丹紗に代わって、依緒がかぶっていたワークキャップを脱いで、軽く頭を下げる。
途端、長い髪が絹のカーテンのように鮮やかにこぼれ落ちた。
「……ああ、それウイッグとかじゃなくて、自毛だったんだ……」
どことなく安堵した零司の感想に、帽子を傍らに置いて軽く髪を手櫛で梳きながら、面倒臭げに依緒が愚痴る。
「まーね。事情があって伸ばさざるを得ないんだ。日常生活では邪魔だし、これからの季節は暑いし鬱陶しわで、普段はまとめて帽子をかぶっているけどさ。お陰で初見で男に見られたことは一度もないわ、わかっても勘違いした野郎につきまとわれるわ。挙句の果てに女子高生の扮装をして、高校に潜入しなくちゃならないわ……」
うんざりしたその言葉を聞いて、「うっ……!」と、なぜか零司の胸が痛んだ。
「依緒ちんは見かけだけじゃなくて、中身の女子力も高いっスからねー。自分らの中で炊事洗濯裁縫とか全部こなせるのは依緒ちんだけっスから、洒落抜きでいいお嫁さんになれると思うっスよ」
快活に笑いながら、皿に盛られたフィナンシェを、ワンコ蕎麦みたいにポイポイと消費していく丹紗。
「別にそれは男女関係ないの。生活力の問題でっ! ほっとくと雑菓子やコンビニ弁当でおざなりにする君や、軍用レーションや栄養剤で良しとするシャーロットが雑過ぎるの!」
憤慨する依緒に対して、槍玉にあげられたシャーロットと丹紗はどこ吹く風で、
「必要な栄養を摂取できるのなら問題ないと思うけど? 嗜好品ならともかく、非常時において味などは二の次になるように、食事には無頓着になるのが優秀な軍人やハンターですから」
「いや~、いまの世の中、プロの味がそこら中に売ってますし、掃除もロボット掃除機を転がしとけばどうにかなるもんでスからねえ」
堂々と開き直るのだった。
いかにも和気あいあいとしたその雰囲気に疎外感を覚え――いつものことだが、今日に限ってはひときわ心に沁みる――零司は手持無沙汰に紅茶を飲んで、口を湿らせてからずいぶんと残り少なくなったフィナンシェに手を伸ばして、ほんのり温かいそれを一口頬張った。
「んっ、美味い!」
出来立てのフィナンシェってこんなにウマいのか!? と軽く目を見張る零司。
「それは良かった。『男の手作り菓子なんて食えたもんじゃない!』とか言われるかもって思ってたので」
にっこりと微笑む依緒の表情は、本当に嬉しそうでしばし零司は陶然と見詰めたのち、慌てて首を横に振って何も考えずに脊髄反射で本音をぶちまけた。
「とんでもない! 昨夜のご飯も鷺宮さんが作ってくれたんだろう? あれも凄く美味かった。あれなら毎日毎食でも食べられるよ!」
それを聞いて、優雅に紅茶を飲みながらフィナンシェを口に運んでいたシャーロットが、何でもないことのように口を挟む。
「だったら依緒にお弁当を作ってもらったら? 朝夕は通販で買った冷凍食品やインスタント。お昼は学食や購買のパンでは栄養が偏りますから」
「えっ!?」
なんで俺の食生活をそこまで把握しているんだ? という疑問はさておき、思いがけない提案にギョッとする零司。
ちなみに通販を多く利用しているのは、直接顔を合わせる形式の店だと、店員にスルーされる確率が九割方確実なので(学食や購買のように混雑していて、客の顔を見ずに機械的に注文を受け渡しする店なら、どうにか関係なくありつける)、自然とそうなったというだけの話である。
「別に構わないけど? どうせ三人分……まあ、丹紗用には五人前は作っているから、もう一人分増えたところで手間は変わらないからね」
「えええっ!?!」
あっさりと依緒にも同意されて、思わず歓喜と当惑が入り混じった声を張り上げてしまった零司。
「ん? ……不都合があるの?」
何か問題が? と首を捻る依緒に対して、目を輝かせた零司が感無量という口調でガッツポーズをとる。
「ついに……ついに夢にまでみた、彼女の手作り弁当イベントが! これが高校デビューってやつか!?」
「――いや、彼女じゃないし」
「美少女の手作り弁当ってだけで値千金! 俺も勝ち組だぜ、ひゃっほー!」
「美少女でもない!」
浮かれまくる零司に、何度も念を押す依緒。
すっかり打ち解けた様子のふたりを眺めながら、満足げな表情を浮かべていたシャーロットの視線が、ひとりで残ったフィナンシェを平らげていた丹紗に向けられた。
「丹紗、貴女も珍しく人見知りしないみたいだし、羽間零司君の《斬奸》への仮メンバー入りに異論はないかしら?」
「あ~? 仮メンバー? そんな人いたんスか?」
「一応、さっきからフィナンシェとかお弁当の話題になってたのだけれど……」
「ん? ンンン?? それって依緒ちんとリーダーの話で……あれ?」
「……なるほど。きちんとこの場に存在するという前提条件を意識していないと、発言自体を認識できないのね」
そう独り言ちるシャーロット。
ダフィールド隊長や依緒が比較的安定して零司と交流できているところをみると、相手側の精神力や慣れという因子も関与するのかも知れない。もしくは零司当人が相手に向ける特殊な感情に起因するのかも……と、事務所のそこかしこに設置されているセンサーを総動員して、脈拍や視線、温度分布、重心移動などの詳細なセンシングを実行しながら、そう推測を重ねるシャーロットであった。
そうなるとチームで一番、精神が脆弱で不安定な丹紗とは、単独で組ませるのは危険ね。と、現時点での最大の問題点を軸に、今後のチームの編成を瞬時に数億通りシュミレーションする。
「――はあ……まあ、悪い人間じゃないようだからボクも反対じゃないけどさ。どうせなら魔術や霊的現象に対応できるような人材の補充がしたかったなぁ。うちは物理特化だからね」
傍らで話を聞いていた依緒もまた、零司のチーム入りに消極的な賛成をした。
シャーロットも基本的に賛成なので、これで満場一致で零司のチーム《斬奸》入りが確定したわけだが、ここで不満を表明したのは当の本人である。
「ちょっと待った! 勝手に話が進んでいるけど、俺はまーーったく納得していないぞ。ハンターだとかギルドだとか、巻き込まれただけでマジで何の能もないんだから、この間みたいなバケモノとの戦いに参加したら秒で殺されるだけだぞ!」
必死に自分がどれだけ平凡で何の能力もないことを表明する零司だが、
「まあ、そのへんは無自覚のようですから、おいおい適性に見合った運用方法を確立するとして、いつから引っ越してきますか?」
シャーロットはあっさりと聞き流して、当然という顔で逆に問いかける。
「は? 引っ越すって、誰がどこに?」
「羽間零司君がここへです」
「ここって、このビルにか!? いやいや待て! ちゃんと自宅があるのになんで越して来なけりゃいけないんだ!?」
「いざという時に即座に行動できるように、チームメイトは近場で寝起きするのがこの業界の常識ですから。というか、羽間零司君、きみ自分が保護観察中だという自覚ありますか? 我々の目の届かない場所で個人行動をとるということは、造反の意志ありと見做して処分の対象となるということですけれど」
勝手なことを! と叫びかけた零司の機先を制するかのように、シャーロットの視線が依緒へ向けられた。
「部屋は四階の依緒の隣ですね。部屋は使えますか?」
「まあ一応こまめに掃除はしてあるし、ベッドや机なんか最低限の家具はあるので、今日からでも使えるけど」
紅茶を口に運びながらあっさりと頷く依緒。
「…………」
同居。同じ屋根の下で暮らす……。
思わず黙り込む零司。
その沈黙を不満の表明だと判断したのか――実際のところは煮え切らない零司相手の単なる駆け引きだが――シャーロットは、おとがいのあたりに小さな拳を当てて別な案を提示した。
「我々とチームを組むのが不満であれば、他のチームに所属してもらう形になりますね。確かチーム《ゴリラ》が斥候を補充したがっていましたから、そちらを紹介することにやぶさかではありませんが?」
「……ああ、あの筋肉の塊みたいな漢ばっかりのチームかぁ」
「あそこのチームリーダーって身長二m十八㎝の人間なのに人間離れした、ほぼ熊とゴリラの合成獣っスからね~」
思い出してげんなりした表情を浮かべる依緒と丹紗。
「――で、どうします?」
目の前で飴と鞭を提示したシャーロットに、再度選択を迫られた零司。
……無論のこと飴に飛びついたのは言うまでもない。




